第8話 壊れる心と秘密基地

 中休みも昼休みも、誰からも話しかけられない。

 トイレに行くと、私を見つけた同級生たちが一斉に出て行く。

 私が歩けば道が開ける。同級生達が壁にペタリと張り付き、変な視線で僕を見る。

 横目で見る。流し目で見る。正面からは見ない。

 僕が席に座ると、遠くのほうから僕の名前が聞こえてくる。前後に何を言っていたのかは聞き取れないが、僕の名前と、赤ちゃんという単語は聞き取れる。

「エイコ」

「宮田」

「赤ちゃん」

「エイコ」

「宮田」

「赤ちゃん」

 クラス中から聞こえてくる。最初は女子だけだったのだが、今では男子の声も聞こえてくる。

 僕は、僕を好いていたであろう男子へと、視線を向けた。

 するとその男子は一瞬だけ僕と目を合わせ、気まずそうな表情を作り、目を逸らし、友達と会話を始めた。しかしチラチラと横目で僕を見ている事には気付いていた。

 助けてくれるのかな……なんて思ったりもした。だけどその男子は横目で僕を見て、嘲笑した。

 笑ったのでは無い。嘲笑したのだ。笑顔と嘲笑の違いは明白。笑顔に、嫌味が含まれている。

 その視線に、僕の心はまた傷付く。傷付きヒビが入った心の隙間から、黒い感情が溢れてきているのを感じる。

 その黒い感情がまた、僕の全身と、脳に回る。嫌な事しか考えられなくなる。

 僕は机の上に腕を乗せ、そこに顔を埋めた。

 見られたくないし、見たくなくなった。


 学校に登校してから、ほんの数時間の出来事。

 その数時間の出来事が、僕から僕らしさを、奪いとった。

 もう僕は、以前の僕じゃ無い。

 全然元気が出ない。どうやって元気を出していたのかも、思い出せない。

 ただただ、暗い気持ちだけが、僕を支配している。

 暗い。苦しい。辛い。

 早く帰りたい。なんて単語が思い浮かび、その矛盾に自分でも驚く。

 帰りたくなんて、無い。あんな家、もう、帰りたくない。

 じゃあ、どうして早く帰りたいなんて、思ったんだ?

 もう、訳が分からない。僕は、どうなってしまったんだろう。


 帰りのホームルームが終わると同時に、担任の先生が僕のほうへと近づいてきた。

 そして僕の肩を叩いて「一緒に職員室に来なさい」と、低い声を発した。その言葉に僕は、小さな声で「はい」と応え、ランドセルを掴み、先生の後を付いて行った。

 そこから先は、ほとんど意識が無いのと変わらない。僕は先生の話を右の耳から聞き、左の耳から抜けていくような描写を思い描きながら聞いていた。昨日の夜、警察に注意されたような事を、少し優しい言葉に変えて話されたような記憶はあるのだが、正直あまり、覚えていない。

 先生が僕を開放してくれたのは、ホームルームが終わってから一時間以上が経過してからだった。僕は職員室を出る前に頭をペコリと下げて「すみませんでした」と、誰に謝っているのか分からない謝罪の言葉を言って、職員室を後にする。

 そしていたたまれない感情と心を感じて、僕は廊下を走り、玄関へと向かった。早々に靴を履き替え、また走る。

 ……チャキマルに、会いたい。

 猫か狐かと喧嘩をして、負けて帰ってきて、そのまま死んでしまった、猫のチャキマルに、会いたい。

 僕は迷う事無く、秘密基地へと向かって走っていた。


 自宅の真裏のそれなりに大きな山のふもとにある、赤ん坊を拾った寂れた公園を抜け、大量の木々が立ち並ぶ、車のわだちだけが行く先を示している道を歩いている途中で、男の声が、聞こえてきた。それも、複数人はいるだろうと思わされる、会話をしている声だ。

 ……僕の秘密基地で、警察が現場検証でもしているのか……? と思い、僕は木に身を隠しながら、ソロリソロリと近づいた。そして木の影から、僕の秘密基地のほうへと、視線を向ける。

 するとそこには、僕のクラスメイトの男子数人と、他のクラスメイトの男子数人が、大きな声で笑いながら、僕の秘密基地を壊している姿が、目に入った。

 どうしてこの場所が、バレているのだ……? という疑問を掻き消すような、彼らの笑い声が、聞こえてくる。

「わははは」と、笑っている。笑いながら、屋根であるブルーシートを破いている。柱である太い木を蹴り飛ばしている。敷いてあったダンボールを散乱させている。壊している。

「きもちわりぃー」という声が、聞こえてきた。続いて「くせぇー!」という声も、聞こえてきた。

 僕はその場に、尻もちを付いた。壊されている秘密基地を前に、どうする事も、出来ない。

 どうする事も、出来ない。


 チャキマルは……? チャキマルは、どうなった……?

 チャキマル……チャキマル……。

 そう思っていると、涙が溢れてきた。

 涙が、溢れてきた。

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