四話 邂逅

 呼び出し音が響く。

 スピーカーモード。目の前には般若のような顔をしたタクミさん。

 出ないでくれーと祈っても無駄なことはわかってる。

 サツキ無職、毎日暇。僕からの呼び出しに出なかったことはない。

 

「もしもし?ミサキ!突然通話なんてひさびさだねー」


 能天気なサツキの声が部屋中に響く。「ミサキ」というワードを聞いて眉を吊り上げるタクミさん。


「もしもしぃ?サツキさんってあなた?」


 僕が口を開こうとするよりも早くタクミさんは僕から携帯端末を奪い取ると、般若のような表情からは考えられないような高い優しい声でサツキに話しかけた。

 あー。胃がキリキリする。でもこれもいい機会だ。サツキとは少し早めの別れが来ただけだ。うんうん。

 僕はタクミさんと誠心誠意付き合えばいいだけだし、サツキには少し悪いことをしてしまったけど仕方ない。


「は?どういうこと?ばっかじゃないの!?」


 現実逃避…いや、考え事をしていた僕を、タクミさんのドスの効いた低い声が呼び戻す。

 そして、サツキはサツキで僕が聞いたこともないような少しお道化たというか、明らかに相手を馬鹿にした調子の声を携帯端末越しに響かせる。


「だからぁ…わたしは別にミサキと付き合ってないしぃ…別れるもなにもなくない?

 え?彼女さんは彼氏の交友関係に口出しちゃうような心のせっまぁ~い人だったんですかぁ?ミサキかわいそ~」


 僕の携帯端末を握るタクミさんの右手に力が入るのがわかる。

 顔は見たくない。見なくてもなんとなくもうわかるもん。

 出来るならこれが夢であってほしい。

 目が覚めたら、優しいタクミさんが僕の頭を撫でてくれていて、携帯端末にはサツキからの謎の死にたいポエムがたくさん入っているそんな日常でいいんだ。

 なんだなんだメンヘラ大戦かよ。どうなってるんだ。


「おばさん余裕なさすぎなんじゃないの?そんなんだからミサキはわたしに好きとか言っちゃうんだよぉ」


「おい待って…サツ…」


 おっと本当にこれは現実逃避をしてる場合じゃない。僕の身の安全のためにもここはタクミさんの肩を持たないといけない。

 そう思って声を少し大げさに出しながら立ち上がってタクミさんの手から自分の携帯端末を取ろうとした。

 ここでうまくタクミさんからスッと携帯端末を取って「ちょっと俺の彼女をそこまで悪く言うなよ」とか言うのが理想だった。うん。

 これで俺の株もあがっていい感じにメンヘラ大戦が終結すればいいなって。

 でも現実はうまくいかないみたいで、正座をさせられていて痺れた僕の足は見事ももつれて、携帯端末を取り上げるどころか僕はタクミさんに倒れ掛かってしまった。

 ビックリしたタクミさんの顔が見える。そして床に落ちる俺の携帯端末。


 これが漫画とかアニメならラッキースケベ!って言えるんだろうなーって感じで、うまい具合にタクミさんを押し倒す形になってしまった。

 めっちゃ怒ってるんだろうなと思って見下ろしたタクミさんはなんだか目を潤ませて僕を見上げている。


 スピーカーモードのままの僕の携帯端末からはサツキの声が響いているけど、今はそれを聞く余裕はない。

 何が最善手だ…と必死で考える。

 とりあえず、このままタクミさんを怒らせたら僕殴られたり最悪刺されたり、会社で色々不便なことがありそうだし、ここは彼女のご機嫌を取ることが第一だよな。

 そう思った僕は、タクミさんに唇を重ねた後、まだ潤んでいる彼女の瞳を凝視しながら彼女が欲しいであろう言葉を言うことにした。


「心配させてごめんね…僕が今一番好きなのはタクミさんだから…」


「みーくん…だめ…今まだ通話つながってるから…」


 なるほどーそういうことかーと頭の中でタクミさんが描いているであろうストーリーを把握する。

 これは、ここで愛し合ってサツキに僕たちの情事の声を聴かせて優越感に浸ろうって魂胆だな。なるほど。


 サツキには悪いけど、ごめんな…僕は我が身と仕事が大切なんだ…。

 携帯端末からは相変わらずサツキの声が響いている。

 多分僕たちの会話は聴こえているんだろう。

 僕は頭と心を無にしてタクミさんが思い描いているストーリーにあるであろう僕の台詞をただエミュレートするだけだ。


「聴かせてあげたら、サツキも僕がタクミさんをどれだけ好きかわかってくれるかもね…」


 僕はそういって再びタクミさんと唇を重ねた。

 サツキの怒鳴り声にも近い声が聞こえるような気がするけど、もうそれどころではない。

 あーあとでたくさん死にたいLINEと着信履歴がすごいんだろうなーいっそのこと僕のこと嫌いになって離れてくれればいいんだけどなー半々の確率かなー。

 それにしても、タクミさん意外とアッパー系メンヘラだな。失敗したなー職場が同じだと別れるのもつらいしなー。


 そんなことを考えていても、僕の口は勝手にタクミさんが欲しそうな愛の言葉を紡いでいた。

 ひとしきり行為が終わって眠りについた。いつの間にか通話は途切れていた。まあそうか。

 都合の良い彼氏みたいな人と別の人の情事をいつまでも聞いてるとかさすがにメンタルの具合が少し大変な子でもなかなか耐えられないですよね。


 僕は、タクミさんが寝息を立ててることを確認してから携帯端末を開くと、サツキに「さっきは辛い思いさせてごめん。また連絡する」とだけメッセージを送信した。

 そして、既読がついたのを確認すると送信したメッセージを一応削除してタクミさんの隣に潜り込む。

 もう今日は疲れた…。横になると一気に疲れが襲ってきて意識が遠のく。

 明日目が覚めたらまた優しいタクミさんに戻っていますように…そんなことを考えながら僕は眠りについた。

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メンヘラ牧場 こむらさき @violetsnake206

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