第6話 互い違い


毎日の様にサラに会いに来てナースセンターの前を通る度に子どもが一生懸命にペーパークラフトを母親と作っていた。

そして分らないところがあれば看護師さんに聞いて、看護師さんが忙しそうな時は俺に聞いてくることがあるので笑顔で答える。

そんな事をして数日が過ぎとサラの退院の日が決まった。

「フミヤは来るの?」

「サラ、ごめんな。その日は大事な用事があるんだ」

「我がままを言っちゃ駄目よ。フミヤは新しい会社の人と大切なお話があるの」

「はーい」

返事はしたけど頬を膨らませサラが口をとがらせている。

サラの退院の日にはやっと内定が取れた会社の人と打ち合わせがあるとシャルに伝え病院に来られない事を了承してもらっていた。


サラが退院する日だと言うのに空は重苦しい雲で覆われている。

俺は午前中でとお願いしていた引っ越し業者と共に荷造りした物をトラックに積み込み、片田舎に向けて走り出すトラックを見送ったのが昼過ぎだった。

サラの退院は午後だと聞いていたのでこの足で大家に挨拶に行き駅に向かえばもう2度と会う事は無いだろう。

大家に挨拶に行くと強張った顔で形式的な挨拶を返され今までの感謝を込めて深々と頭を下げ駅に向かう。

駅とは反対の方にある大家の家から駅に向かい今まで住んでいたアパートを見上げるとサラと品川で出会った時の様に足に衝撃を受け何かがしがみ付いてきた。

視線を下におろすとここに居る筈がないサラがズボンを掴んで俺の足に顔を埋めている。

「サラ……ママはどうしたんだ?」

何も言わないサラを見ていると何かが突き刺さり視線を上げる。

険しい表情で不思議な色の髪の毛を風に靡かせながらシャルが真っ直ぐにこちらに向かってきた。

俺の前で立ち止まり射抜くような視線で俺の顔を凝視している。

「アパートの人にフミヤは悪い人だから近づかない方が良いって言われた。フミヤは何も悪いことをしていないでしょ。迷子になったサラを保護してくれて母親である私を探してくれた。その事で警察に事情を聞かれただけじゃない」

「確かにそうかもしれないが世間はそうは思ってくれないんだよ」

「誤解を解く努力はしたの? どうせ諦めていたんでしょ。また逃げ出せばいいって」

相変わらず巧みに日本語を使い迫力のある大声でシャルが捲し立てているので近所の人達が何事かと顔を出している。

都内では珍しく良くも悪くも近所づきあいがまだ残る下町だからだろう。

「なんで私に言ってくれなかったの?」

「シャルはサラの看病もあるしスクールだってあるじゃないか。俺の事は良いんだよ、気にしなくて」

「フレンドでしょ。困った時は頼ってよ。私とサラばかり助けてもらって。それとも私じゃ何もできないと思ったの? 引っ越しって何? 私には言えない事なの?」

無二の親友である和希だけには実家に戻ることを伝えてあったので恐らく和希にアパートの場所を聞いて退院を早めてここに来たのだろう。

そして俺が大家に挨拶に行っている間にアパートに訪ねてきて隣人に俺が引っ越す事を聞いたに違いない。

「両親が住んでいる家に帰るんだ」

「それは何処なの?」

「飛行機に2時間乗って、またそこから車で2時間くらいの田舎だよ」

「馬鹿! 2度と会えなくなるじゃない」

今まで一度も聞いた事のないシャルの声が耳を突き抜け、サラの手に力が籠って足を締め付けた。

「どうして日本の男はみんなそうなの? 自分の事しか考えないで周りを振り回して。フミヤだって辛い別れをしたのにまた同じ思いを私にさせるつもりなのね」

「シャルは彼を探すつもりなんじゃないのか」

「セイヤは……日本に奥さんがいるの。だから」

「もしかしてシャルが妊娠したのを知って。歩きながら話そう」

シャルが小さく頷き力無く視線を落としてしまった。

しゃがんでサラを抱き上げてシャルの背中を軽く押すと歩き出してくれた。


失業保険を受け取りながら仕事を探していたのは事実だが、仕事を探していないと認定を受けられず給付金を受け取れないからで。

アパートに帰れば必要ない物を処分して荷造りしていた。

「仕事が決まったのは嘘だったのね。会社にもアパートにも居られなくなったのは私達がいけなかったのに」

「それは違うよ。いけなかったのは俺自身だ。サラの事だって直ぐに警察に行けばあんな騒ぎにならなかったし。引っ越しだって本当の事を言えばシャルが無茶をすると思ったんだ」

「私とサラの事を思って黙って居なくなるつもりだったとしたら。それはあまりにも酷過ぎる」

セイヤと同じ日本人だと思われただろうか。

シャルに嘘をついて傷つけた事はセイヤと何ら変わらないだろう。

「飛行機のチケットはリザーブしたの?」

「いや、両親には数日したら帰ると伝えてある」

「そう。その間は一緒にいられるのでしょ」

諦めとも取れる口調になったシャルは真っ直ぐに前を見つめて歩いている。

このままだと別れが少し先延ばしになってしまう。直ぐにでもチケットを取るかキャンセル待ちをしてでも……

そんな都合の良いことは神様が許さないのか。

サラの悲しむ顔が見たくなかったのに曇天から遣らずの雨が落ちてきた。

降るだろうと思い傘だけは貴重品と一緒に持って出ていたが一本だけでは雨はしのげないと思い近くにあったコンビニに駆け込んだ。

「フミヤ、どうしたの?」

「思い出し笑いかな」

「何が可笑しいの?」

何故だかこんな時に限って神奈の事を思い出していた。

「人が帰ろうとする時に降る雨を遣らずの雨って言うんだ。神奈がよく遣らずの雨の事を天使の涙って言っていたのを思い出したんだ」

「神奈さんって優しい人だったのね」

遣らずの雨が天使の涙ならシャルやサラの心にも雨が降り始めているのだろうか。

そしてシャルが笑っていると神奈が笑っている気がした意味が分かったような気がする。

「神奈さんってどんな人だったの?」

「不思議な人だったかな。星とか天使とか夢の様なことが大好きで。未来を見てきたような事を時々言うし。でもマナーとかには厳しかったかな。そう言えばラストメッセージが『文哉は大丈夫』だったよ」

「不思議な事を言う人だったのね」

いつの間に神奈の事が過去になり遠くに感じる。

俺の中で踏ん切りがついた訳ではないがシャルに出会って癒されていたのは確かのようだが引っかかることがあり話を変える。

「シャルの両親はどんな人なんだ」

「ママとても優しい人よ。パパはとても忙しい人でオタクかな。日本の漫画が大好きで口癖が『男なら熱い! 強い! 守る!』なの。変わっているでしょ」

「そうは思わないけどな。趣味なんて人それぞれだよ。両親にサラの事は連絡したのか?」

「うん、手術も無事終わって今日退院するって」

「そうか」

雨が小降りになりビニール傘を購入して駅に向かう。

この時間からでは田舎に帰る便には間に合わない、早急にビジネスホテルなり今夜の宿泊先を決めることが先決だ、シャルに先を越される訳にはいかない。


「フミ、遊ぼう」

「ええ、雨が上がったばっかりで遊べないよ」

「ブゥー、フミが遊ぶって言った」

公園を見て手術が終わって目を覚まさないサラに言った言葉を思い出したのだろう。

遊べない事が分かれば諦めるだろうと思い駅に向けていた足を公園に向ける。

しばらく公園の中を歩いているが雨が降ったせいでぬかるんでいて人影すらない。すると何処からともなく数人の男が現れ知らぬ間に取り囲まれてしまっていた。

シャルに初めて出会った時に絡んでいた輩とは明らかに雰囲気が違う。

ダークなスーツで身を固め一見したらSPにも見えはしないがSPなら木刀なんて手にしてないだろうし木刀を使っての稽古ならスーツはないだろう。

他に人影はなくシャルとサラがターゲットなら素手で十分でターゲットが誰か明白だ。

サラをシャルに託して前に出ると男達から殺気が上がった。

多勢に無勢で木刀に傘では火を見るより明らかだが捨て身の覚悟で前に出る。

振り下ろされた木刀を傘で往なし相手の体に傘を打ち込むが軽いためにダメージは殆どない。

逆に木刀の直撃を受ければ一溜りもないだろう。

運が良いのか相手が上手なのか直撃を受ける事は無く地味にダメージが蓄積していく。

「フミヤ、もう止めて。警察に連絡して」

「あいつらは手練れだ。変な行動をすれば何をするかわからない」

幼いころから武道が好きで中でも剣道は大学まで続けていたからこそ剣を交えればわかる事もある。

「お願いだから。フミヤに何かあったらどうすればいいの?」

「マミィ、フミ、痛いの嫌!」

シャルは涙を浮かべサラはシャルにしがみ付き泣きじゃくっている。

手にした傘は既にボロボロで俺自身も息が上がり泥まみれになってボロボロだが引くなんて選択肢は持ち合わせていない。

声を上げながら一人の男に向かって走り出す。

木刀が薙ぎ払われ傘で受けたがシャフトが折れて息が止まり、脇腹に木刀がめり込んで体が崩れ落ちシャルの悲鳴が公園に響き渡る。

「痛っ! クソ! まだだ」

「死んだ目をした奴に何が守れる」


何処からか聞こえた野太い声が頭を撃ち抜いた。

自分はどうなってもいいなんてただの自己満足に過ぎないんだと。

悲劇のヒーローなんて聞こえがいいが、死んでしまえばヒーローにだって必ず悲しんで泣く家族や仲間がいるはずだ。

何かを守るという事は自分を守り大事なものを守り切ってこそ真のヒーローなんだ。

地球を救うヒーローにはなれないがシャルとサラのヒーローにはなれるかもしれない。

痛みに耐えながら立ち上がり深呼吸を繰り返すと脇腹に痛みが走る。

肋骨が逝っているのかもしれないがもう逃げ出さないと覚悟を決めた。

「もう止めて! フミヤが死んじゃう 私の大切なフミヤが」

「シャル、男は熱い! 強い! 守る! なんだ」

「フミヤの馬鹿 !」

シャルの叫び声を合図に気合と共に傘を投げ捨てて無手で男の懐に飛び込む。

相手が剣を持っている場合には引けばいつまでも逃げ回らなければならない。

ならば懐に飛び込めば勝機が見いだせる。否、足さばきを使われたら見いだせない。

大学時代に武道のサークルで和希といつも意見が対立していた頃の事を思い出す。

真剣と違い木刀だから可能だったのかもしれない。

木刀を握っている指を目掛けて拳を繰り出すと男の顔が歪んで木刀を手離した。すかさず木刀を手に取り息を整えてバッティングフォームに似た八双の構えをし。

襲われる理由が分からないので大怪我をさせない様に相手が持つ木刀目掛けて有らん限りの力で叩きつける。

数人が木刀同士の衝撃で木刀を落とし戦意を失い。最後の一人の木刀は中ほどから折れ宙に舞った。

背後から足音がし、振り向きざまに木刀を薙ぎ払おうとする。

「パパ?」

シャルの声で力が抜けて踏み出した足がぬかるみに取られ片膝を着いてしまう。


「ブラボー」

俺も背が高く大きな方だと思うが恰幅が良く髭面で俺より大きく感じる男が品の良いスーツ姿で満面の笑顔でスタンディングオベーションの様に拍手をしている。

その横には見覚えがあるスリムなアメリカ人がスーツ姿で頭を下げていた。

「パパ、どうして日本に来たの?」

「ん、サラの顔が見たいのとシャルが嬉しそうに話すフミヤに会いたくてね。サラ、おいで」

「嫌! グランパ、フミ、イジメた。嫌い」

恰幅の良い髭面のフランス系アメリカ人が驚いているシャルや怒っているサラと英語で会話している。

俺に会いたいだけでこんな事をされたらいくら命があっても足らない。

「サラはフミヤが好きなんだね」

「うん! フミヤ大好き!」

「シャルはどうなんだい?」

父親に真正面から聞かれシャルの瞳が揺れて口を真一文字に閉じて俯いてしまう。

シャルを見れば俺に好意を持ってくれているのが分かるからこそ俺は逃げ出そうとしていた。

戸惑う気持ちが痛いほど伝わってくるが先に聞いておきたいことがあった。

「俺の質問に答えてもらおうか。どうして彼がここに居るんだ」

「エヴァンはうちの子会社の人間だ。君の事を色々と教えてもらったよ。自己紹介が未だだったかな。シャルロットの父親のブラン・ユーリだ、宜しくな。ところでフミヤ サワイはシャルロットの事をどう思っているのかね。やはりシングルマザーは嫌かね」

見覚えがあるラテン系アメリカ人で細身のエヴァンは例のプロジェクトでの交渉相手クオン コーポレーションの担当者だった。

かなり大手だったがそこの親会社の代表がシャルの父親なんて未だに信じられない。

その父親にまんまと一杯喰わされやっと気が付いた。

何もかも諦めてしまった俺ではシャルとサラを幸せにできないと思っていた。

でも今は違う。もう逃げ出さない。シャルとサラと俺の幸せに向かって直向きに歩き出せば幸せに出来るかもしれないと信じている。

「あいしてる!」

「Fantastic!!」

「これ以上は言う事は無い。煮るなり焼くなり好きにしろ」

子どもの頃に父親が読んでいた色々なバイクが出てきて少しエッチな漫画のタイトルを叫び。

ぬかるみの上に大の字になると天使の涙はいつの間にかに止んでいて、雲間からオレンジがかった青い空が覗いていて天使の梯子が掛けられていた。







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