第2話 心遣い
翌日、俺はいつもの様に会社に出社してサポート課でやらなくても差支えのない仕事をしていた。
課長は事後処理と言うべきか簡単に言うと役所にお使いに行って外出中だ。
ただ書類を取りに行くだけだからパシリと言った方が分かりやすいかもしれない。
しかし猫の手も借りたいほど忙しい何処かの課から頼まれた仕事なのでここでは珍しい必要な仕事に入るだろう。
時計を見ると間もなく昼休みの時刻を告げている。
社員食堂は安く経済的に優しいが周りからの冷ややかな視線は精神的に優しくない。まぁ、そんな視線にも慣れてしまったが。
今日は天気もよさそうだし近くの公園で簡単に済ませるかなんて考えているとサポート課の電話が鳴った。
「澤井君。今、大丈夫かな」
「小津課長、何の冗談ですか? いつでも大丈夫ですよ」
「そうだね。悪い悪い。君にお客さんだ」
「僕にですか?」
会社に俺を訪ねてくる人間に心当たりがなく、課長が嘘や冗談で言っている筈もない。
首を捻りながら上着を取ってサポート課を後にする。
因みにサポート課は自社ビルの中でも辺境の地にありロビーまでの道のりは遠い。
昔、地下の旧備品倉庫に集められた落ちこぼれ社員のドラマがあったような気がする。
ようやくロビーが遠くに見えると前から課長がいつもの様に背筋を伸ばして歩いてきた。
「課長、お疲れ様です」
「澤井君、今日は半休で良いから」
「はい? 半休ってどう言う事ですか?」
「これは僕からの職務命令だよ」
いきなり意味が解らない事を言われ食い下がろうとするが課長はいつになく真面目な瞳で俺を見据えている。
理不尽な命令に聞こえるが今まで一度たりとも課長はこんな事を言った事は無く、戸惑いを隠せないでいると課長が大きく一息ついた。
「この世の中で一番大切なのは縁なのだよ。分かるかな。こんな言い方は語弊があるかもしれないが澤井君がサポート課に来たのも縁だ。澤井君がサポート課に来た本当の理由を僕は知っているが僕にはどうする事も出来ないし、澤井君がサポート課で仕事を続けている理由も知らない。でも、僕にも出来る事はあるんだよ」
「課長、お言葉ですがおっしゃっている意図が掴めません」
「まだ若い澤井君が僕の後任になる事を僕は望んでいない。だからこれが最初で最後の職務命令だと思って半休を取りなさい。良いね。お客さんを待たせてはいけないから早くいきなさい」
「はい。畏まりました」
課長は何も言わずに笑顔で頷き俺の尻を軽く叩き颯爽と歩いていく。
必要とされているから僕らはここに居る。
だから周りを気にする事は何もない、いつでもどこでも背筋を伸ばして。
実直な課長の口癖で課長は有言実行していて。そんなサポート課の小津課長に一目置く社員も少なからずいるのは確かだ。
ロビーに行くと課長が言うところの縁と言う意味が理解できた。
「澤井さん。突然すいません」
「ここじゃ話が出来ませんから外に出ましょう」
ブロンドでもなく栗毛色でもない不思議な色をしたロングヘアーのシャルロットが待っていた。
虚勢を張るでもなく背中を押してくれた課長を見習って背筋を伸ばして彼女をエスコートする。
会社の近くで静かに会話が出来て食事もできる場所を知るはずもなく。スマホで検索し予約を入れた店に来た。
「ごめんなさい。迷惑ですか?」
「大丈夫だよ。午後は休みだから」
彼女にあまり気を使わせる訳にもいかず半休だと告げるとすぐにオードブルが運ばれてきた。
懐には軽くない軽いコース料理しか選択肢がなく店を今更変えることもできずにオーダーをしたものだ。
「いつもこんな食事なのですか?」
「まさか、いつもはコンビニエンスストアーで簡単に済ませるよ。今日は女性同伴だからね」
「ごめんなさい」
気をまわしたつもりだが結局シャルロットに気を遣わせてしまったようで話を変える。
「今日はどうしたのかな? 昨夜のお礼とかなら気を遣わなくてもいいんだけど」
「そんな訳に行きません。澤井さんは私が働くはずだったスクールの事情を知ってボスの後藤さんのスクールを紹介してくれたのですよね」
「まぁ、紹介したスクールは僕の友人が経営するスクールだからね。多少は知っていたくらいかな」
「私が思っていた以上に好条件で契約して頂けたのも澤井さんのおかげですから。それとボスから藤井神奈(ふじいかんな)さんの話を聞きました」
なんとなく落ち着きが無いので薄々だが和希から何かを聞いているのではないのかと思ったが。
イエスとノーがはっきりしている国の人は直球だった。
和希がシャルロットに教えた藤井神奈は俺にとって何物にも代えがたい大切な人だった。
だったと過去形で言うのは終わってしまった事だからで。
結婚の約束を交わし神奈の両親にも挨拶に行ったのに、デートの帰りに事故に遭い俺の前から永遠に消えてしまった。
どんなに言葉にしても誰にも判ってもらえないだろうし、言葉にし慰められても俺自身が惨めになるだけだろう。
誰かにこの辛さを分かってもらおうなんて一度も思ったことはないし俺自身ではないと分からない痛みと辛さだ。
「私は藤井さんに似ているのですか?」
「似ているよ。だからシャルロットの声を聞いた時に思わず体が動いたんだ。馬鹿だろう」
「馬鹿だなんて思いません。私は澤井さんに助けられました」
「成り行きでね」
暗い話になり重い空気で美味しい料理が不味くなりそうだ。
だが俺に空気を変える余力はなくフォークを口に運ぶ。
「澤井さんは優しいのですね。とても心遣ってもらえて嬉しいです」
「そうでもないよ。現に僕は君と距離を置こうとしている」
「セイヤもそうでした」
セイヤ タチバナはシャルロットの恋人の名前だった。
背が高く武道に長けて優しい男だったが。突然、姿を消してしまったらしい。そんな話を彼女は笑顔でしている。
楽天家なのか真の強い女性なのか俺には分らないが彼を探しに来たのかと尋ねると小さく首を横に振った。
それでも気遣いを心遣いなんて言葉にするところに優しさを感じるが、同じような境遇なのに彼女は俺と違い前向きに生きている。
傷が癒される時間も心の持ちようも人それぞという事なのだろう。
会計をと思ったがシャルロットに自分が支払うと押し切られてしまう、こんな事になるのならもっと安い店をチョイスすべきだったが後の祭りだ。
「今日はこれから講義ですか?」
「はい、7時からサポートを受けながらですけど」
この後はアパートに帰り部屋の掃除や洗濯をするだけなのだが何となく彼女の予定を聞いてしまった。
「TOKYOでは星は見えないんですね」
「街明かりが星の輝きを呑み込んでしまうからね。郊外まで行けば見えるかもしれないけど」
「私の生まれた場所では星がすごく綺麗なんです」
「それじゃ星を見に行こうか」
彼女が瞳を大きく見開いて俺を見上げ満面の笑顔で返事をしてくれた。
ただの気まぐれではなくこの場で別れてしまえば半休にしてくれた課長に申し訳ないというのが本音で他意はなく駅に向かい電車で移動する。
池袋駅を出ると平日の日中だというのに観光地の様な賑わいで彼女の様な外国人も大勢いて談笑している。
シャルロットの歩幅に合わせはぐれない様に歩く。
「いつ頃、日本に来たんですか?」
「1週間前です。だから不慣れで」
「でも、日本語が上手だから直ぐに慣れますよ」
「澤井さんや後藤さんに出会えたのがとてもラッキーでした。すごく親切でとても優しいから」
ストレートに言われると流石に照れくさい。俺はともかく家庭を大事にする後藤は面倒見が良いから安心して彼女の事を任せられるだろう。
サンシャインシティに向けて歩き出すと俺の横で彼女が好奇心旺盛な瞳で周りの建物を見ている。
東急ハンズ池袋店の横にあるエスカレーターを降り動く歩道に乗ると直ぐにアルパになっていて、プラネタリウムのサインボードに従いながら進みワールドインポートマートビルにある4連エレベーターに乗り込み屋上に向かう。
「アクアリウムですか?」
「こっちだよ」
「プラネタリウムですね。素敵です」
チケット売り場でプログラムを見て場違いな気がしてきた。
これから上映されるプログラムはカップルにお勧めの『宇宙の奏』らしい。
黒を基調としていて月と星を模したロビーで少し時間を潰すことになりソファーに腰掛けた。
「天には星が 大地には花が 人には愛が無ければいけない。私が一番好きな言葉です」
「ゲーテの言葉だね。高山樗牛が訳し武者小路実篤が色紙に『天に星 地に花 人に愛』と書いて有名になった言葉だよね」
「澤井さんは詳しいんですね」
「星が好きだった友人の受け売りだけどね」
まるで星が大好きな神奈が横に居るような錯覚に陥りそうになり、何かを感じ取ったのかシャルロットが気まずそうに口を噤んだところで中に入れるようになった。
平日という事もあって空いてはいるが全席が肘掛を上げる事ができるカップルシートになっているとは思わなかった。
流石に先着一組の赤いカップルシートに座る訳にもいかず見やすそうなシートに身を沈める。
一番の見どころはビックバンから始まる137億年の宇宙の歴史を一年の暦にした宇宙暦だろう。
元旦の0時0分に宇宙が生まれ4月半ばに天の川銀河が生まれ9月に太陽系が誕生し大晦日の21時30分頃に人類が誕生する。
エンディングになり心に響く歌が流れると星空に映し出された彼女の頬に光るものが伝っている。
上げる事のない2人の間にある肘掛にそっとハンカチを置くと彼女が戸惑いながら手に取り涙を拭いた。
感動して涙を流していたのか彼の事を思い出していたのかは俺には分らないが触れない方がお互いに良いだろう。
ロビーに出るとシャルロットは笑顔になっていた。
「澤井さん、まだ時間はありますか?」
「大丈夫だけど、どこか行きたいところがあるのか?」
「はい、アイスクリームが食べたいです」
シャルロットが走り出したので何事かと思ったら水族館のパンフレットを手にしている。星も好きだが水族館にも興味があるらしい。
案内板を見てアイスクリームが食べられる店を探しているとアルタ内にあることが分かり移動すると女の子の人だかりができているアイスクリーム屋を見つけた。
スーツ姿は似合わないが俺はあまり人目を気にしない。
「コールドストーンクリーマリー?」
「はい、アメリカでも有名なアイスクリーム店です」
シャルロットがアイスクリームの大きさを選びカップとなるワッフルもチョイスした。
そしてメニューからアイスクリームを選ぶとマイナス9度に冷やされた御影石の石板でアイスクリームとトッピングを混ぜ合わせワッフルに盛り付けている。
スタッフが歌っているので何なのかシャルロットに聞くと注文によって歌ってくれるらしい。
「それは何というアイスなんだ」
「グレープフルーツとライチのジェラートに白桃とグレープフルーツジュレにラズベリーを混ぜたホワイトフルーツプリンセスです」
「分るような分らないような味だな」
「味見しますか?」
甘いものが苦手なので彼女の提案を笑顔で遠慮しオーダーしたブレンドを口にするとシャルロットは美味しそうにアイスクリームを頬張った。
「あの聞いても良いですか?」
「僕に答えられる事ならね」
少し身構えてしまうが神奈の事を聞かれても包み隠さず話すだろう。
「最後に流れていたBGMは何という曲ですか?」
「スキマスイッチと言うアーティストの奏と言う曲だよ」
「カナデですか」
どうやらプラネタリウムで最後に流れていた曲が気に入ってしまったようだ。
「一応、俺の連絡先を教えておくよ」
「ありがとう」
名刺に携帯番号を書いて渡すと真剣な目で見つめている。
外国人には難解な漢字と平仮名に片仮名が混ざっている日本語を読めるのだろうか。
「サワイ フミヤ。サポート?」
「サポートセクションだよ」
「凄い!」
驚嘆の声を上げた彼女の瞳が輝いているが誤解はこの際はっきりと解いておいた方が良いだろう。
サポート課はリストラの為の追い出し部屋だと分かりやすい日本語で教えるとシャルロットの顔が曇ってしまったが本当の事だから仕方がないだろう。
「どうしてフミヤがそんなセクションに?」
「大きなプロジェクトで失敗をしてね」
「それじゃプロジェクトは成功しなかったのですね」
「いや、成功して課長は部長に昇進したよ。でも、僕はサポート課に異動になった」
ここまで話したら全て話さないとシャルロットは納得しないだろう。
それをどう判断するかは彼女次第だ。簡単に言えば課長に裏切られ責任を押し付けられたと言うのが事の顛末だ。
デリケートな相手とのプロジェクトだったのに課長は成功を急ぐあまり相手の機嫌を損ね危うく頓挫するところだった。
しかし真摯にフォローした為に何とかプロジェクトは軌道に乗ったが。そんな影の功労者が課長は気に入らなかったようで。
上層部にはフロントに立っていた俺が話をこじらせ課長が必死にフォローした事にされ功績を根こそぎ強奪され今に至る。
「それでフミヤは哀しそうな瞳をしているのですか?」
「俺が寂しい? 楽しそうに見えないかな」
「顔は笑っているけれど瞳には寂しさがあります。彼女を失い会社でも居場所を失って……ごめんなさい。言い過ぎました」
「シャルロットが謝る事は無いよ」
神奈を失ってから歯車が狂いだし、あっという間に何もかも失ってしまった。
モチベーションはおろか這い上がる気さえ無くし命を絶つことすらできず。残ったのは平たんな日常を淡々と生きていくことだけ。
「これからも連絡したら会ってくれますか?」
「ん? こんな俺で良ければいつでも連絡してもらって構わないよ。暇しているからね」
「フミヤとはフレンドで良いですか?」
「そうだね」
時間なんて関係ないのだろう。いつの間にか澤井さんからフミヤに呼び名が変わっている。
タイムリミットが来て駅でシャルロットと別れ帰路に就く。
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