星が降る夜に

仲村 歩

第1話 人違い


『ごめんね、文哉は大丈夫……』

人生、何が起こるかわからない。

そんな事、嫌というほど実感している。

それでも終わらせる訳にも行かず日々をただ過ごしていた。


「お先に失礼します」

「お疲れ様と言えば良いかな」

「そうですね。まぁ、一日が終わりましたから」

「そうだね。お疲れ様、明日も来てくれよ」

大学を卒業して大手の商社に入社し数年が過ぎ、気がつくとサポート課なんて部署で仕事をして1年が経とうとしている。

何をサポートするかというと主に営業部や技術部のクレーム等に対するサポートとなっているが……内情は商社のごみ箱と言えば分りやすいだろう。

上司とそりが合わないとサポート課に回すぞと脅され、大きな失敗をすればそれこそサポート課に配属される。

一日中就職雑誌を読みふけるか必要かすら分らないデータの整理をするしかなく。

大抵、数か月でサポート課と言うより会社を去っていく。

そんなサポート課で1年近く仕事を続けている俺は奇特な人間の部類に入るのだろう。

因みに課長は定年間近で課長が定年すれば俺が課長に昇進するのが濃厚だ。

安物のビニール傘ではなくグラスファイバーが使われている16本骨の丈夫なグレーの傘を持って、突き刺さるような視線を浴びながら会社を出ると朝から降っていた雨はすっかり上がっていた。

サポート課に鞄などはほとんど必要ないと言っても過言ではないのは当然か。

良い物を普段から使っているのかと言えばそう言う事になるかもしれないが、ただ良い物はそれなりに長く使え経済的にも環境的にも優しいからだろうか。


普段通り同じ道を通り帰路に就く。

いつもの様に会社の最寄り駅に向かっていると近くにある公園の方から何かを言い争っている様な声が聞こえてきた。

周りを行き交う人は我関せずと脇目も振らずに歩く速度を保っている。

しかし、有り得ない事に俺はその声に胸を締め付けられ駅への道を外れた。

数人の男に取り囲まれている女性が何か叫んでいる。

栗毛色にブロンドが混じったような不思議なロングヘアーを見た瞬間に人違いだと確信した。

確信するよりもそれは本当に有り得ない事なのだから。それでも既に賽は降られていて数人の男の視線がこちらをロックオンしている。

穏便にと言う雰囲気ではなく一歩を踏み込む選択肢しか無いようだ。

「大丈夫ですか?」

「…………」

彼女に声をかけると幽霊を見たかの様な顔をして体を強張らせた。

背が高く大学の頃は体を無駄に鍛えていたので怖がらせてしまったのだろうか。髪の色もそうだが不思議な色をした瞳が揺れている。

体型と言い顔つきが似ていてその所為で声も似ていたので俺自身もトラブルに巻き込まれてしまったのは仕方がないとして。

今の状況を何とか打破しないといけないが多勢に無勢では勝ち目がなく、俺と同じように会社帰りの人間はトラブルに巻き込まれるより帰路を急ぐ方を優先するだろう。

警察にでも連絡してくれれば良いだろうが雨上がりの公園には他に人影もなくそんな人はいそうにない。

「リーマンが刈られたいのか!」

「大勢で女性一人取り囲んでみっともないだろう」

「ざけんな。こいつが俺らに声をかけてきたんだ」

「見たところ彼女は外国人の様だから何も分らず君らに道を聞いたかだろ。で、知らないと答えたら素っ気なかったので少し遊ぼうと。そんなところかな」

どうやらビンゴの様だ。

仲間内に動揺が広がるが後には引けずにターゲットを俺に変えて数人が向かってきたので、先陣を切ってきた男の鼻先に傘を降り出すと目を白黒して尻餅をついた。

「覚えてろよ。次に会ったときはタダじゃ済まさないからな」

悪ガキらしく捨て台詞を残して走り去っていく。

これで一件落着だろう来た道を戻ろうとした時に再び彼女の声がした。

「タチバナ セイヤ」

「俺はそんな名前じゃないよ。人違いだ」

振り向かずに大きく踏み出すと上着の裾を掴まれた。


何故か俺の前に彼女がいる。

それにここは都内のレストランで独り身の夕食にしては経済的に優しくない。

恐らく俺が2人分の会計をすることになるだろう。で、彼女の名前はシャルロット・ブラン。フランス系のアメリカ人らしい。

どうしてこんな事になっているかと言うと上着の裾を掴んだ彼女が差し出したメモの所為だ。

メモには英会話スクールの場所が書かれていてメモにある英会話スクールは場所も評判もあまり良くないと聞くスクールだった。

俺からしてみればトラブルに巻き込まれこれ以上関わるのは避けたかったがそうする事が何故か躊躇われる。

これも何かの縁なのか無意識にスマホをタップしスクロールしていた。

「塾長の後藤さんをお願いします」

「珍しい奴から電話だな。文哉、久しぶりじゃか」

「和希、久しぶりで悪いんだが相談があるんだが」

「おお、会社を辞めて講師になる気になったのか?」

無二の親友と言うべき後藤和希は俺が干されても変わらず居てくれる数少ない友で英会話スクールを営んでいる。

最大手とまではいかないがヤリ手には違いない。

「俺じゃないんだが」

「歯切れの悪い言い方だな。まぁ、文哉の紹介なら面接くらいしてやるから8時過ぎに訪ねてこい。どうせお前の事だから緊急なんだろ。たまには暇なときにも顔を出せよ、貸しだぞ」

「すまん」

多くを伝えなくても分かってくれる和希とも縁でつながっている。

大学の武道サークルで出会ったのだが出会いは最悪だった。

事あるごとに意見が対立してサークル内でも犬猿の仲と認識され挙句に構内で乱闘を騒ぎを起こし謹慎処分を受けヤケ酒を飲んで意気投合してしまい。

それ以来の無二の親友になった。

そして8時までにはまだ時間があり話をする為にレストランで食事をする羽目になってしまった。

人違いだと理解してもらえたが恐らく彼女いやシャルロットも俺と同じように誰かと見間違えたのだろう。

シーフドパエリヤやサラダを堪能したシャルロットはオレンジのプディングを美味しそうに食べ。

俺と言えばパスタのパエリア・フィデウアを食べてサングリアを飲みながら彼女の履歴書を見ながら彼女に説明を受けている。

「しかし、凄い経歴だし何でまた日本なんかで英会話の講師を?」

「言わないと無理ですか?」

「大丈夫だよ。君ならきっとね。ただ俺が気になっただけだから」

流暢な日本語なんてモノじゃない。遠まわしに聞いている事でもきちんと受け応えしている。

それにストレートな瞳で見つめられれば真摯な思いが伝わってくるのは秘めた思いがあるからだろうか。

羨ましいとは思わないが今の俺に守るものはない。

そんな事を彼女に話しても無意味だし必要ないだろう、講師先を紹介すればもう会うこともないだろうから。


「文哉、お前……まさか」

「な、訳ないだろうが。きちんと履歴書を読め」

「こんな経歴をもっているんだから問題ないよ。それよりも似てないか? 神奈にだから連れてきたのか」

久しぶりに会ったのに殺意すら芽生えそうになり拳に力がこもる。

「古傷に塩を擦り込むような事はやめろ」

「まだ癒えずに血が流れ出してるじゃないか。良い出会いだ、彼女に。冗談だよ。まだ時間がかかりそうだな。そのボサボサの髪でも切ってすっきりしろ」

「俺は失恋した少女か?」

「違うのか?」

相変わらず食えない奴だ。流石にシャルロットでも俺と和希の会話を理解するのは難しいのだろう、俺の横に座って神妙な顔をしている。

「ブランさんはいつから勤務できますか?」

「採用なのですか?」

「もちろん。こちらからお願いしたいくらいです。日本語も堪能ですし教える事にも長けているようですので」

和希の顔が塾長の顔になりシャルロットの採用を告げると狭苦しい英会話スクールの事務所に花が咲いた。

「それじゃ、俺は用無しだな。君に幸あれ」

「ありがとう」

シャルロットが笑顔で答えてくれたが既に俺は別の世界に居た。




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