第28話 手探り


マンションを飛び出して近くの公園のベンチに体を投げ出していた。

あまり遅くない時間だがマンションの谷間にある様な公園には誰もいない。

それでも所々に街灯に照らされて暗い訳でもないが静まり返っていて汐さんと出会ってからの事が頭の中を過る。

俺は何をしてきたんだ?汐さんを傷つけて湊と渚の前で大声を張り上げて。結局、傷口に塩を塗り込んでしまった。

何も守れない、そう思うと情けない事に頬を涙が伝う。

すると体の芯から何かが抜け落ちる様な感覚に陥り意識が混濁して立ち上がろうとするがベンチに崩れ落ちた。

しばらくして誰かに体を揺すられ声を掛けられている様な感覚はあるのに体に力が入らず動かす事が出来ない。

ぼんやりとした視界に見覚えがある顔が映る。

その顔が見る見る歪んで……

「う・し・お」

「未来君? 未来しっかりしなさい!」

汐さんの呼び声で辛うじて意識を繋ぎとめる事が出来た。

既視感を覚える。いつ・どこで・これと・同じ事が?

「未来君、大丈夫なの?」

「俺、何でこんな所に?」

記憶が混乱していると言えば良いのか自分自身が何をしていたのか思い出せない。

「あなた……私の事が誰だかわかる?」

「えっ、汐さん? 何かあったのですか」

汐さんが何故そんな事を聞いて来るのかさえ理解できない。

そんな俺に構わずに不安そうな顔をした汐さんが何かを見極めるように質問をしてきた。

「湊とした約束を覚えているの?」

「文化祭の事ですよね」

「そうよ、約束はきちんと履行しなさい」

「判りました。最後まできちんとします」

頭の中で整理がつかないまま汐さんに連れられてマンションに戻り。何事も無かったかの様に体を休める事になった。


「未来はママと仲直りしたのか?」

「仲直り?」

「本当に未来は変だぞ。大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ」

朝、起きてリビングに行くといきなり湊に訳の分からない事を言われてしまった。

そして汐さんと渚の様子もどことなく余所余所しいと言うか…… 『約束を履行しなさい』頭の中で汐さんに言われた言葉がリフレインしている。

俺の所為で夕食後に出来なかった沖縄菓子の仕込みを朝食を済ませてからする事になった。


「最初は何から作るんだ?」

「プレーンのサーターアンダギーからかな」

「そんな簡単に出来るのか?」

湊の疑問ももっともかもしれない。基本的な材料はどこの家にでもあるもので揃う。

「卵3個をボールに割りいれてから小麦粉300グラムとベイキングパウダー小匙1杯半を篩にかけて」

「うん、判った」

湊に教えながら準備させていると渚が横でノートにメモを取っている。

「それじゃ溶きほぐした卵に砂糖を1カップ入れてよく混ぜてから篩っておいた小麦粉を加えよく混ぜるんだ。ゆっくりで大丈夫だからな」

「うん」

「8割程度混ぜ合わさったらそこにサラダ油を大匙1杯入れてよくかき混ぜれば生地の出来上がりだ。ラップをかけて冷蔵庫で少しだけ寝かせれば仕込みは終わりだ」

ゴムべらを使って湊が真剣な表情で生地を合わせている。樹脂製のスケッパーがあったほうが楽かもしれない。

ドレッジやカードなんて呼ばれているやつだ。

サーターアンダギーの仕込みが終わり次はちんすこうを作り始める。

「ちんすこうって本当にこれだけしか入ってないのか?」

「そうだよ。基本はラードだけどショートニングでも作ることが出来るんだ。あとは小麦粉と砂糖だけだよ」

「ショートニングと砂糖が50グラムに小麦粉100グラム……だけ」

湊が半信半疑で俺の言うことを聞きながらショートニングに砂糖を混ぜてから篩った小麦粉を合わせよく練っている。

その間に渚がオーブンを予熱してくれた。

「未来さん、どのくらい焼くの?」

「200℃で20分くらいかな」

「未来、形はどうするんだ?」

「クッキー型で抜くのもよし、特に決まった形はないよ。沖縄では長方形が支流だけどな」

湊と渚が生地を伸ばして包丁で長方形に切り分けてオーブンシートを敷いた天板に並べてオーブンで焼き始めた。

「未来、サーターアンダギーやちんすこうって他にどんなバリエーションがあるんだ?」

「サーターアンダギーは沖縄特産の黒糖や紅イモやウコンなんかかな。変わり種ではイカ墨やゴーヤなんかもあるかな。それと石垣島ではピパーチという島胡椒の葉を使った美味しいアンダギーもあったぞ。ちんすこうも基本は黒糖や紅イモだろうな」

「そうか、材料をそろえるのが難しいかな」

「すり胡麻なんかを入れても美味しそうだし、半分だけチョコレートでコーティングしてナッツやスプレーを付ければ見栄えがするんじゃないか?」

ちんすこうが焼き上がり冷ましている間に寝かせておいたサーターアンダギーを揚げることにした。

サラダ油を160℃に温めて左手の親指と人差し指の間から絞り出すようにして濡らしたスプーンで掬い上げて油に落としいく。

ツミレや肉団子を作る要領といえば判りやすいかもしれない。慣れない場合は2本のスプーンを使って油に落としてもいいだろう。

少しすると浮き上がってきて膨らみ始める。

花が咲くように綺麗に割れ目ができて竹串を刺して揚がっているか確認して揚がっていれば油をきって出来上がりだ。

「揚げたてのサーターアンダギーってこんなに美味しんだ」

「本当だね。簡単に出来るし。あれ、誰か来た見たい」

チャイムが鳴って渚が真っ先に玄関に走り出していく。多分、荷物が届いたのだろう。


「未来さん、荷物が届いたみたい」

「未来、何が入っているんだ? 凄く重いぞ」

「昨日、買ってきたお茶とかジュースだよ」

箱を開けてお茶やジュースを出すと湊と渚の瞳が輝きを増した。お湯を沸かしてお茶の用意をする。

沖縄のお茶の代表格はサンピン茶・ウッチン茶・クミスクチン茶だろう。その他にもゴーヤ茶にグアバ茶・ハイビスカスティーなど多種多様のお茶があり琉球王朝時代は中国に負けないお茶国家だったらしい。

今回はサンピン茶にウッチン茶とハイビスカスティーをチョイスしてみた。

「ウッチン茶は好き嫌いがあると思うけれどハイビスカスティーは酸味があって美味しい」

「すごく綺麗なルビー色だね。湊」

「なぁ、未来。冷たくしても大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。少し濃いめにしてから氷で急冷すると美味しく飲めるぞ」

直ぐに湊と渚が試し始めた。その姿を汐さんが嬉しそうに目を細めながら何も言わずに眺めている。

「そう言えばブルーシールのアイスクリームも美味しかったわよ」

「ママ、本当に」

「未来、ブルーシールって」

「沖縄を代表するアイスクリームメーカーだよ。あとジミーズなんていうアメリカンなケーキなんかもあったな」

涼しくなっていたので冷菓はどうかと思っていたのだが説明しておくべきだろう。

「沖縄でゼンザイと言えばかき氷が出てくるんだ」

「ゼンザイってお汁粉みたいな奴だろ」

「こっちではな。沖縄のゼンザイは白玉入りの氷あずきみたいな感じかな」

「なんだか微妙だな」

確かに泳いで体が冷えたからゼンザイを頼んだら氷あずきが出てきて驚いたと言う笑い話の様な事があったりするくらいだ。

「氷は保存が大変だからな」

「他に何かないかな」

「沖縄風クレープもどきのポーポーとかチンピンとかくらいかな」

「湊も未来君に聞いてばかりいないで少しは自分で調べなさい」

汐さんに言われて湊がノートパソコンで検索し始め、渚と一緒にあーでもないこーでもないと言っている。

判らない事には答えるがこれも勉強の1つなのだろう。携帯を取り出して電話を掛ける。

「未来だけど」

「お久しぶり&おめでとう、未来さん結婚したんだって!」

あまりにも大きな声で思わず携帯を耳から離してしまった。

「相変わらずだな」

「だって陣から聞いたから。結婚式まだなんでしょ必ず声を掛けてね」

「判ったから。頼みたい事があるんだ。適当に沖縄のお菓子やら塩せんべいを送ってほしんだが」

「未来さんの頼みなら聞かない訳に行かないね。住所をメールで送ってね」

料金を請求するように付け加えてからメールで住所を送る。

「どこに電話をしていたのかしら?」

「石垣島の後輩ですよ」

「本当に甘いのね。そうだ湊。ついでに未来君に接客の仕方もレクチャーしてもらったら」


数日後、湊から文化祭の模擬店が沖縄カフェに決まったと聞かされた。

他の案より沖縄の食材やお菓子の説明をすると一目置かれてしまったようだ。そして……

「未来の所為で実行委員にされちゃったじゃん」

「言い方の割には嬉しそうじゃないか」

「沖縄の事を色々知ることが出来て嬉しいけどさ。大変なんだぞ」

「まぁ、俺にできる事ならしてやるし教えるから」

湊が満更じゃなさそうな顔をして渚が届いたばかりの荷物に気付いた。

「未来さん、何が届いたの?」

「石垣島の後輩に頼んでおいた荷物だよ」

「開けて良い?」

了承すると渚と湊が目を輝かせながら段ボール箱を開け始めた。

ソファーが少し沈み。汐さんが横に腰を下ろすと落ち着く様な香りが流れてくる。

「未来君の所為で渚も湊も沖縄の虜ね」

「皆で俺の所為にするんですね。一緒に石垣島に行きたいとは思いますけど」

「本当に?」

「ええ、家族で行けば何倍も楽しいでしょうね」

そんな話をしていると湊と渚が神妙な顔をして、綺麗なブルーの包装紙にゴールドのリボンでラッピングされている箱を持ってきた。

「未来さん、これが入ってけれど」

「ん、どれ。はぁ、あいつ等はは本当に」

「未来、開けてみてよ」

リボンを解いて包装紙を破らないように開けるとペアーのグラスが入っていた。

「うわぁ、綺麗なグラス」

「未来君、これってもしかして……」

「たぶん結婚祝いだと思いますよ」

さざ波の様な文様がありボトムの方が澄んだブルーとピンクになっていて、上に行くと透明になっていくグラデーションを効かせたペアのグラスだった。

「琉球ガラスのペアグラスだな」

「琉球ガラスって?」

「戦後、アメリカ兵が捨てたコーラの空き瓶などから作られた再生ガラスが始まりなんだ。厚みがあって中に気泡が含まれた本来なら不良品扱いになるものを逆手にとって特徴にしたんだ。今でも手吹きで作られているんだよ。体験もできる場所もあるんだぞ」

渚と湊の目が輝いて今にも沖縄に行きたいと口が動きそうだ。

「それとこれは渚と湊にかな?」

「「可愛い!」」

それはストラップだった。

「これってビーチサンダルなのか?」

「沖縄では島ぞーりと言うんだ。赤と青とどっちが良い?」

「青いのが良いけど渚は?」

「私は断然赤いの」

嬉しそうに2人が飛ぶ様にして部屋に携帯を取りに行き真剣な眼差しでストラップを付けている。

そんな2人を汐さんは優しい瞳で見つめていた。

「湊ははしゃぐのも良いけど文化祭の準備は大丈夫なのかしら」

「それを言われると痛いかも。私達じゃ手の込んだものは作れないけれどカフェだからお洒落にしたいし」

「組み合わせ次第でどうにでもなるんじゃないか?」

「組み合わせ?」

やって見せながら教えるのも一つだが自分でやってみて覚える方が発見もあるし工夫もするだろうと思い。

ノートに大雑把な絵をかきながら教える。

「例えばだ。器にアイスクリームを盛り付けその上に半分に切った塩せんべいを盛り付けてハーシーズのチョコレートシロップを掛ける。サーターアンダギーはそのままでも良いけれど濃い目の紅茶に少し浸してから皿に盛り付けアイスクリームを添えてホイップクリームを絞って紅イモチップスを飾る」

「それじゃ黒糖のチンピンはクレープみたいだからホイップクリームにバナナなんか入れたら美味しそう」

「湊、やってみよう」

「うん」

渚に言われ湊が台所で試作をし始めた。

「試食ばかりは嫌よ。太るから」

「ママでも気にするんだ」

「当たり前でしょ。未来君に嫌われたくないもの」

「それじゃ、簡単に出来る紅イモのムースでも作りますか」

汐さんが睨み付けてから立ち上がった俺の尻を叩いた。

「大丈夫ですよ。汐さんを嫌いになる訳ないじゃないですか」

「ば、ばか! 渚と湊の前でそんな事は言わないの」

キッチンに向かい渚と湊に混じる。

荷物に入っていた紅イモのフレークを温めた牛乳で溶かして砂糖を加え緩めの餡を作りふやかしたゼラチンを加え良く混ぜ冷ましておく。

生クリームに大匙2杯のグラニュー糖を加え6分立てにする。

そして人肌に冷ました紅イモの餡に加えていきバットに流し込んで冷やし固める。隣で必死に渚がメモを取っていた。

「なぁ、未来。何でそんなに薄く広げて冷やすんだ。型に流し込んだ方が良いんじゃないのか?」

「出来てからのお楽しみかな」

しばらくしてから試食会が始まった。盛り付けた物を湊がデジカメで撮影して渚と確認している。

冷蔵庫からバットを出してムースが固まっているか確認すると良い感じになっていた。

「それをどうするんだ?」

「アイスをデッシャーで皿の上に置いてスプーンを使ってムースを掬い取ってアイスの上に被せていきホイップクリームを上に絞って紅イモチップスを飾る」

「未来は何でもできるんだな」

「何でもは出来ないよ」

試食しながら渚と湊が色々な案を出してノートに書き込んでいる。

汐さんはパッションフルーツ酢のミルク割を美味しそうに飲んでいた。

「これもメニューに載せるのかしら?」

「フルーツ酢は美味しいですけど良い値段ですからね。普通のジュースを牛乳で割ったほうがいいと思いますよ。先に比重が重いジュースをグラスに注いで牛乳を静かに注ぐと綺麗に分かれますから」

「あとは皆で話し合って後は飾り付けとかと……」

湊が微妙な物言いをしているがこちらからは聞かないでおく。

今までの汐さんを見ていると自主性を重んじているところが見えるからで。自分の判断は間違っていないと思う。

「湊、飾り付けとかはどうするの?」

「100均とかでハイビスカスの造花とかを買って来て飾り付けて。あとは折り紙とかかな」

「未来さん、沖縄ぽい布とかって高いの?」

「本物は手が出せないけどプリント生地ならそんなにしないんじゃないか。エプロンなんかもカフェエプロンなら簡単に出来るし、沖縄らしさを出したいのなら黒地でエプロンを作って紅型なんかをアクセントにするとか。あとはコースターなんかも紅型で作ったら面白いと思うけどな」

アドバイスをもとに湊がネットで調べ始め。しばらくするとため息をついてソファーに体を投げ出した。

恐らく値段の折り合いがつかないのだろう。

「どう考えても予算オーバーしちゃう。あのさ、未来。何処かで安く買えないかな」

「どこで買ってもネットと大差ないだろうな。ただしカフェでコースターとかを販売できるのなら卸値で仕入れする事も可能かもな」

「それは何とかなると思う」

「判断が付いたら知り合いの店に聞くから。それから値段を判断して決めるんだな」

明日にでも見積もりを取っておくほうが良いだろう。

これからレポートを作るらしく湊が渚と部屋に行ってしまった。

「もう、困った子達ね。片づけもしないで」

「このくらいなら楽勝ですよ」

「それとお祝いのお返しも考えないといけないわね」

「そうですね」

汐さんと片づけをし始める。





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