第22話 想い
汐さんの白いレクサスを運転して東京ビッグサイトの近くに有る公園に汐さんを連れ出した。
運河を渡る潮風が色々な想いを連れてくる。
江の島・有明の埠頭・湾岸倉庫そして別れ……
俺の上着を羽織っている汐さんは落ち着いてはいるが黙ったままだった。
汐さんの気持ちには気付いてはいたけど気付かない振りをして俺は逃げ回っていた。
そして自分の気持ちすら握りつぶした。
何気なくズボンのポケットに手を突っ込むと指先に何かが当たる。
ノルンでヒメ姉とスズ姉がふざけて抱き着いてきた時に俺のポケットに仕込んだのだろう。
これの存在を何で知っていたのかなんて考えるだけ無駄だ、あの2人にはどう抗っても敵わないのだから。
2人にはこうなる事が判っていたか、それともこうなる様に仕組んだか。
そんな事はもうどうでも良い事だ。
「汐さん、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。帰ったら湊と渚にも謝るわ。許してもらえるか判らないけど」
「大丈夫ですよ。俺も汐さん達に謝らないといけませんね」
2人の心を表すかのように運河の水面に街の灯りが揺れている。
「未来君は何も悪くないの。沢山助けてもらって。大怪我までしてあいつを叩き潰してくれたでしょ。私が弱かっただけだから」
「自分を卑下するのは止めてください。弱いのは俺も一緒です。あれが最善の方法だと思って父親の力を借りる事を交換条件にして逃げ出したんです。その結果がこの有様です」
今更、後悔しても遅いだろう。それでもこれからでも戦う事が出来るなら戦い続けたい。
渚と湊に言った何度でもやり直せる自分の言った言葉を信じて。
真っ直ぐに何処までも真っ直ぐに向き合う事を教えてくれた渚と湊のように汐さんに向き合う。
「汐さん、本当に俺で良いんですか?」
「えっ、み、未来君は私の事なんて。それに……」
「汚れてなんかいないですよ。俺が一番知っています。俺は今の汐さんが好きなんです。一生懸命に仕事をしている汐さんが好きです。渚や湊と笑っている汐さんが大好きです。俺じゃ駄目ですか?」
「ずるい、未来君はずるい。私の気持ちを知っているくせに」
一歩踏み出すと汐さん一歩踏み出してくれ、手を伸ばすと胸の中に温かい物を感じ包み込む。
「親父との契約を破棄すればどうなるか判りません。それでも傍に居てください」
「うん、絶対に離したりしない」
「それじゃ、初めてを俺にください」
少しだけ耳が紅潮した汐さんが俺を見上げて静かに潤んだ瞳を閉じた。
ゆっくりと汐さんの唇に重ねると汐さんの腕に力が籠る。すると携帯が着信を告げていた。
無粋な電子音を無視して唇を重ねていると汐さんが身をよじらせた。
「未来君、携帯に出ないと」
「はぁ~誰から……」
画面に浮かび上がる樹の文字に息を飲んだ。
「誰からなの?」
「親父の樹です」
俺の言葉に汐さんの表情が少し引き攣っている。
通話ボタンを押すと豪快な声が響き渡った。
「よう、未来。久しぶりの日本はどうだ。恋人がいるなら居ると言わないか馬鹿者が。織姫と美鈴に久しぶりに怒鳴られたじゃないか。俺の会社なんて二の次で良いんだ。はじめて未来と旅行ができて嬉しかったよ。彼女を泣かせたら息子だろうが敵とみなすからな。今度、ちゃんと紹介しろよ。じゃあな」
一方的に言いたい事を捲し立てる様に喋って切りやがった。
あれは楽しい単なる旅行だったのか?
「未来君、何だか大変な事になっているけど大丈夫なの?」
「汐さんを泣かせたら世界を敵に回すという事ですよ」
「じゃ、泣いちゃおかしら」
「止めてください。それに泣かせるような事はしません。愛してますから」
真っ赤なって俯いて頭から湯気を立てたかと思うと直ぐに俺を見上げ直した。
「もう一度、言いなさい。きちんと私の目を見て」
「帰りますよ。渚と湊が心配するといけませんから」
「未来君は、もう良いです。馬鹿!」
俺の体を小さく弾いて汐さんが早足で歩きだし、一息ついてゆっくりと後を追いかける。
直ぐに追いつくのに意地になって汐さんが走り出して車のキーが無い事に気付いて地団駄を踏んでいる。
そんな姿を可愛いと思ってしまう。
汐さんのマンションに戻ると渚と湊が眠そうな顔をして待ち構えていた。
何だか改めて考えると照れくさいと言えば良いのか。
「渚と湊は明日も学校なのだから寝なさい」
「未来さんはどうするの?」
「ん、とりあえずホテルに帰って改めて明日2人には話すからな。安心して寝ていいよ」
「「おやすみ」」
湊と渚が顔を見合せて両手でハイタッチして嬉しそうに自分達の部屋に走り込んでいく。
何故だか凄く自然な気がするのは気のせいだろうか。
「未来君、ホテルまで送るから」
「ありがとうございます」
汐さんと玄関に向かおうとすると何故か渚と湊が玄関先で再び待ち構えていた。
「未来、織姫さんから荷物を預かってるぞ」
「それとこれもだよね」
何故か湊がホテルにあるはずの俺のシルバーのスーツケースを俺の前まで運んできた。
湊の隣では満面の笑顔で渚がA4サイズの茶封筒を差し出している。そして俺が受け取ると何も言わずに2人は部屋に戻ってしまった。
茶封筒を持ったままソファーに腰かけると汐さんが少し間を空けて隣に座った。
「未来君、どういう事なの?」
「姉チームと妹チームにまんまとしてやられたという事です」
「それじゃ、あれは」
「演技ではないですね。ガチだったんでしょう渚も湊も。収まる所に収まったと言うかべきか」
「わ、私、先にお風呂に……」
汐さんが真っ赤になってバスルームに飛び込んでしまった。
そして茶封筒の中を見て脱力してしまう。背中をそっと後押しなんて生易しい物じゃなく強烈なタックルを受けたような衝撃だった。
風呂に入って色々な事をリセットして気持ちを一新して出てくるとスーツのズボンが無かった。
多分、汐さんが皺になるのを気にして上着と共にハンガーにでも掛けてくれたのだろう。
気が利くと言うか癖の様な物なのかもしれない。汐さんの寝室の前で戸惑ってしまう。
開けない選択肢は皆無なのだが契約としてここに居た時とは状況が違い過ぎる。
静かにドアを開けると大き目のローベッドの横に布団が敷かれていて掛布団が半分に折られていた。
そして何故か汐さんがベッドの上で正座して布団の上に視線を下ろしている。
「汐さん、どうしたんですか?」
「未来君とはこれから新しい関係を築いて行くのよね」
「そうですね」
「未来君のズボンからあんな物が落ちたのだけど。誰に渡すつもりだったのかしら」
あんな物? 汐さんの視線を辿ると床に敷いてある布団の上に行きつく。
そこには微かに光っている紫の石が付いたリングが落ちていた。それはヒメ姉とスズ姉が俺のズボンに忍ばせたもので……
渡す機会を逃してしまい今更感満載で照れくさい事この上ない。
「何でもないですよ」
「私には関係ないって事なのね」
「判りました白状します。去年の誕生日に渡そうか悩んでいたんです。でもあんな事になってしまって渡す事が出来なかったんです。今まで持っているなんて未練たらしいじゃないですか。だから恥ずかしくって。汐さん?」
まるで少女の様に汐さんの顔が真っ赤になるのを見て汐さんは恋愛経験が乏しい事を失念していた。
突然、俺のズボンから落ちた指輪を見て他の誰かに俺がプレゼントするつもりだったのではないかと思ってしまったのだろう。
「アメジストのバースデーリングですよ」
「えっ……」
「手を出してください。なんで右手なんですか?」
プチパニックになって汐さんが右手を突き出している。
汐さんの左手を取り薬指にシンプルなリングを嵌めるとぴったりと収まった。
「それとヒメ姉とスズ姉が置いて行った茶封筒です」
「こ、これって」
「ケジメはちゃんと付けろという事でしょう。封は閉じられていなかったので渚と湊がこれを見てないとは言えないです。だからこそ必死になったのかもしれませんが」
「未来君は本当に私で良いの?」
仕方がない事なのかもしれないがどれだけ自分に自信が無いのだろう。
ここまで来たら全てを曝け出すしかないのかもしれない。
「俺のトラウマは汐さんが癒してくれたんです。もし汐さんを失うような事があれば俺は生きていませんからね」
「私も未来君が傍に居てくれれば乗り越えられる気がする」
「それと言いたい事はちゃんと伝えましょう。俺もそうしますから」
「判ったわ」
布団に入ろうとすると汐さんがモジモジしながら俺を見て、俺の腕を掴んでで何かを言おうとした。
「言わなくて良いです。改めて言われると恥ずいですから」
「言いたい事は伝えろと言ったでしょ。もう、知らない」
汐さんが壁の方を向いてしまい有言実行する。それが判り合う事に一番近道だと思うし、それが真っ直ぐに向き合う事なのだから。
「怖いんですよ。俺自身がトラウマを抱えていて自分自身ではどうしようもない事を嫌なほど自覚しています。だからもし汐さんに拒絶されたら俺は……」
「その時も傍に居て私には未来君しかいないの未来君が傍に居てくれれば平気だから」
「判りました」
ゆっくりとベッドに潜り込むと汐さんの匂いがして……汐さんがそっとこちらを向いた。
少しだけ掛布団を持ち上げると戸惑いながら汐さんが身を寄せて包み込むように抱き寄せる。
そして伝えられなかった胸の内を口にすると汐さんが子どもの様に泣き出した。
まるで今まで溜め込んだ不安な気持ちを全て吐き出す様に。
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