第23話 戸惑い
「未来君、起きなさい。朝よ」
「ん? ん。おはようございます。支社長」
「寝ぼけているのかしら? み・ら・い・君」
「汐さん、あ、いえ。今、起きます」
目を覚ました途端に汐さんの顔が飛び込んでいて頭が混乱してしまった。
とんでもない事になってしまったような気がしてならないが体を動かすのが先決で、ズボンを穿いてTシャツだけを着てダイニングに行くと渚と湊が朝食の準備をしていた。
「おはよう」
「「…………」」
「俺の顔に何か付いているのか?」
「未来は顔でも洗ってちゃんとして来い」
何故か渚の顔が赤くなって湊に怒られてしまい仕方なく洗面所に向かい顔を洗って軽くジェルで髪をセットする。
「未来はあんなに風なのか? 前は違っただろう」
「あのな、前は派遣だったからな。これからはお互い気になる所が見えてくると思う。その時はきちんと伝える事。我慢すればいずれ堪えられなくなるからな」
「じゃ、パパになってくれるのか?」
「まだ仮だけどな」
湊と渚が感極まって泣き出してしまった。
2人とも汐さんと同じように不安だったのかもしれない。
「学校に遅れるぞ。帰って来てから色々と話をしよう」
「「うん」」
「ほら、未来君も行くわよ。グズグズしない」
「そうですね」
渚と湊の後を追いかける様に汐さんと一緒にマンションを出る。
汐さんの車で近くの駅まで送ってもらいノルンに顔を出すと水野さんが一番に声を掛けてきた。
「おはよう、未来君。あれ? 休養中じゃなかったのかしら」
「……久しぶりに日本に帰ってきたのに仕事をさせた張本人の言葉だとは思えませんが」
「お目付け役宜しくね」
「雑用の間違いじゃないですか」
しばらく書類の整理などをしているとヒメ姉とスズ姉が素知らぬ顔で出勤してきて社長室に入っていった。
まぁ、絡んで来なければ来ないに越した事は無いので気にせずにパソコンに向かい仕事を進めていると何故か水野さんの顔が視界に入る。
「あら、未来君は幸せそうね」
「まぁ、あの2人が静かなのが怖いですけどね」
「そう言えば未来君は独身よね。早く良い人を見つけて落ち着きなさい」
「そうですね。ご縁があればですかね」
自分から余計な事を喋る必要もなく姉達に報告してから後日きちんと公表すればいい事だろう。
まぁ、公表する時期が未定なだけで揺るぎのない事なのだが。
そんな事を考えていると社長室のガラスをヒメ姉が叩いて何かを合図している。
ヒメ姉と目が合うと来いと手で合図をしているので自分を指でさすと頷いたので社長室に向かうと何故だか睨まれた。
「未来、直ぐに水神商事東京支社に行きなさい」
「急に何なんだ? 契約は終了したはずだろう」
「緊急のヘルプよ。派遣されていたあなたを名指しで指定してきたのよ。謝罪して来いと言ったのに何をしたのかしら?」
「判った、行ってくる」
汐さんに何かあったのかも知れないと考えてしまうのは心配のし過ぎだろうか。
名指しでそれも緊急で呼び出されたのだから何か問題が起きた事には変わりない。
タクシーを拾って急いで水神商事東京支社に向かう。
玄関ロビーに飛び込んで階段を駆け上がり水神商事の受付に行くと直ぐに支社長室へと案内された。
そして社内では電話が鳴り響き対応に追われ慌ただしく社員が動き回っていて緊急を要している事が良く判り早足に秘書室に向かう。
「失礼します」
「神流君、あなたの所為でてんてこ舞いよ」
「僕の責任ですか?」
「もう、昨日の外回りで何をしたの? 取引きを希望する会社や話が聞きたいと言う会社から引っ切り無しにアポが来ているの」
だからって俺が名指しで呼び出された意味がいまいち掴めない。
それでもここに呼び出されたという事は支社長を補佐する為なのだろう。
電話の対応に追われている坂上さんに代わり井上さんから今後のスケジュールを聞きながら確認していく。
「井上さん、何だかすいませんでした」
「未来さんは何を言っているんですか。未来さんのお蔭で昨年のマイナス分の取引高を挽回する事が出来て、それ以上に成績を伸ばせそうなんですよ。坂上さんが言っているのは嬉しい悲鳴ですよ」
「僕は繋ぐ役割をしただけで。まぁ、親父の会社であるワールドツリーの名前を使わせてもらいましたけど」
「わ、ワールドツリーが未来さんのお父様の会社なんですか? それじゃ未来さんはワールドツリーの次期代表なんじゃ……」
井上さんが驚くのも無理が無いのかもしれない。
大きな企業も世襲で受け継がれる事が多いが俺にはそんな能力は殆どない。
それは当然の事で経営学など学んだことも無く、姉達の様に幼い頃から帝王学の様な特別教育を受けた事も無いからだ。
「僕にはそんな器は無いですよ。それに親父と言っても養父ですからね」
「そうなんですか。私はてっきり跡を継ぐために海外に行かれたのかと思いました」
「まぁ、親父とは疎遠でしたからね。いい機会だから積もる話をしながら旅行していたようなものですよ」
旅行と言っていいのか行く先々で紹介されたのは各国の著名な財界人ばかりだった。
恐らく『俺の息子だ宜しくな』的な紹介だったのだろう。そこに坂上さんが声を掛けた支社長がやってきた。
「未来君、急な話でごめんなさい。ちょっとあなた抜きでは難しそうだったので」
「判りました。行きましょうか」
「宜しくね」
支社長と一年ぶりに外回りに出るのはなんだか新鮮だ。
今までよりかなりタイトなスケジュールで、これでも振り分けをしてこの状況なのだろう。
それでも支社長は平然として対応している。
ついリゾートバイトの頃を思い出してしまう。ゴールデンウィークや夏休みは目の回る様な忙しさが続きそれでも飲みに行ったし海に遊びにも行っていた頃が懐かしい。
でも、これが尾を引く事になるとは思ってもみなかった。
忙しい日が続き体の方にも疲れがたまり始めていて、流石の汐さんもマンションに帰ってくると直ぐにソファーに体を投げ出した。
「ゴメンね、未来君にばかり夕飯の用意をさせてしまって」
「気にしないでください。仕事では汐さんがメインで俺はあくまでサポートですから」
休みの日に仕込んでおいたラフティーを冷蔵庫から取り出す。
ラフティーは色々な造り方があるが俺は圧力鍋で作ってしまう。
豚バラブロックが浸るくらいの水を圧力鍋に入れ圧が掛かってから20分くらい下ゆでし直ぐに鍋に水を掛けて圧を抜き。
肉に付いているアクを綺麗に洗い流し食べやすい大きさに切り圧力鍋に戻す。
そこに水4カップ・醤油半カップ・泡盛半カップ・砂糖1カップ・生姜スライス・ネギ適宜・出汁の素を入れ火にかける。
そして圧が掛かったら20分間煮込んで火を止めてそのまま冷まし自然に圧力を抜く。
大根の皮を剥き厚めの半月に切りレンジで下茹で程度にチンした物をラフティーと一緒に鍋に入れ火にかける。
ヒジキを水で戻し下茹でして水をよく切る。
人参とキュウリは千切りにしオニオンスライスを作りヒジキと合わせ醤油大さじ1強・酢大さじ1・砂糖小さじ1を合わせたタレで良く和える。
最後にごま油と白ごまを振り再び和えてヒジキサラダの出来上がり。
もう一品は何にしようか考えてゴーヤチャンプルーを作ってみた。
豚肉かポーク缶を入れるのが定番だけどラフティーがあるのでハムを入れて作る。
木綿豆腐を水切りして卵を割りほぐしておきゴーヤは塩もみして5分程度おいて水洗いして水を切る。
ゴーヤを炒めハムを入れて彩でニンジンや玉ねぎを入れ水切りした豆腐を適当な大きさに切って投入し酒・塩コショウと出汁の素で味を見る。
卵を加え醤油を少し入れ半熟に仕上げて出来上がり。
夕飯が出来上がる頃に湊と渚が学校から帰ってきて準備を手伝ってくれる。
「わぁ、今日は沖縄料理だ」
「なぁ、未来。この紫のご飯は何だ?」
「黒紫米と言う古代米を入れて炊いたご飯だよ」
大鉢にラフティーと大根をいれゴーヤチャンプルーにヒジキのサラダと黒紫米のご飯と冷蔵庫の残り物で夕食が始まる。
「ん? ヒジキのサラダって美味しい」
「この豚肉、トロトロだ」
「沖縄料理は健康的ね」
「長寿の国ですからね。食後にグレープフルーツが切ってあるので」
4人での食事も様になって来たと言うか自然に感じる。
これが家族と言うものなのだろうか、少しずつ絆を深めていきたいと思う今日この頃だ。
「ママ、結婚式はしないの?」
「今は忙しいからちょっと難しいわね。未来君のお蔭で業績も右肩上がりだし」
「いつまでママは未来君って呼ぶんだ?」
「そ、そうだけど未来君は未来君でしょ。良いじゃない別に」
仕事上で知り合ったので呼び方を変えるのは容易じゃないのか。それとも汐さんが照れているだけなのか。
まぁ、呼び捨てにするには俺でもかなり恥ずかしい気もする。
「未来さんもママの事をさん付けですよね」
「まぁ、仕事上は上司だからね。プライベートで違う呼び方はなかなかね」
「未来も出来ないのか。そんな物なのかなぁ」
「出来ない事は無いけどな」
その後で渚と湊に呼んでみてとせがまれ仕方なく汐さんの顔を見て呼び捨てにするとこれでもかと言うくらい耳まで真っ赤にして撃沈してしまった。
俺が大丈夫でも汐さんが無理そうで2人っきりの時に呼んで慣らすのが必要だと感じる。
その2人きりのプライベートな時間は仕事が終わって寝るまでの時間だけになってしまっている。
「未来君は疲れないの?」
「体だけが資本ですからね。それに規則正しい生活をさせて貰っているので」
「そうね。ホテルでは早番や遅番があったんでしょ」
汐さんの言う通りサービス業はサラリーマンと違って出勤時間がまちまちな仕事が多い。
ホテルで言えば朝食を担当する早番、ランチからディナーまでの中番にディナーの準備からラストまでの遅番がある。
そして人件費の削減や人員不足の際は朝食をみて中抜けしてディナーを担当する中抜けと言うシフトが存在する。
トップシーズンにはバイトを含め30人以上のシフトを組むも大変な作業になる。
月末に公休希望を聞いて折り合いをつけながら翌月のシフトを組んでいく。
どうしても埋まらない時には社員が相談して埋めていくから負担はかなりの物になる時がある。
サラリーマンでも残業があり付き合いや接待があるのだから大変さはどちらが大変かなんて一概には言えないだろう。
それでも変則的なシフトで仕事をしていれば自然に体調管理に気を付け疲れの取り方もいろいろと身に付いていたりする。
「汐さん、足を貸してください」
「えっ、うん」
胡坐をかいて足の上に汐さんの足を乗せて足裏を親指でマッサージしていく。
そして凝り固まった場所をゆっくりと揉み解す。
「くっ、痛い」
「大丈夫ですか?」
「ん、でも気持ちが良いわ」
右足を終えて左足をマッサージしていると汐さんが何かを言いたそうな顔をしていた。
その顔には何故か寂しさが見え隠れしている様な気がする。また何か不安な事でもあるのかと思ったが今は汐さんが言葉にするまで黙って続けていた。
「未来君は色々な事を知っているという事は色々な事を経験してきたって言う事なのよね」
「そうですね。仕事をしていた場所も沖縄から北海道まで様々でしたからね。仕事内容は似た様な仕事ばかりですけどね」
「料理も沖縄や北海道で覚えたのかしら」
「必要に迫られて覚え始めてって感じですかね。食べて美味しかった料理は作り方を聞いたりして覚えました」
ベッドで横になってからも汐さんは何か気にしているのかモゾモゾと動いて寝付かれないようだった。
「汐さん、どうしたんですか?」
「何でもないわよ」
「何でもない様には見えないんですけど」
汐さんが切り出すのを待っているとゴソゴソと体を俺の方に向けた。
「未来君は恋愛も色々と経験してきたのよね」
「まぁ、汐さんより多いですけど片手くらいですよ」
「その、あのね。何であの私に触れてくれないの? 渚や湊がいるから……それとも……」
遠まわしにやんわり伝えても汐さんの不安は拭えないかもしれない。それならばはっきり伝えるべきだろう。
「忙しいからと言うのも理由の一つです」
「それは判っているけどもう直ぐ1か月になるのに、やっぱりあの事を気にしているの?」
「気にしていないと言えば嘘になります。でもそれは汐さんの体の事を気にしているんです。言いましたよね。怖いって」
「それでも何もしなければ何も変わらないでしょ。このままじゃ私……」
不安にさせてしまって申し訳ない気持ちともしもの時の怖さの間で揺れてしまう。
それでも汐さんの言う通りこのままでは何も変わらない。
それでも……やはり怖さが先走ってしまう。
「汐の事が大好きですなんです。だからこそ大事にしたいし、俺には汐しかいないからゆっくり歩みたいと思って、って何を?」
「嫌だと言ったら未来は拒むのかしら」
髪の毛を優しく指で梳くといきなり汐さんが俺の体に覆い被さってきた。
全身に温もりと鼓動を感じるが汐さんの体が僅かに震えている。頭と体は別という事なのだろう。
「拒みはしないですけど、ただ」
「ただ何なの。はっきり言いなさい」
「今ですら理性が吹き飛びそうなのに抑制できる自信はありませんよ」
「……ゆ、ゆっくりね。あの……み・ら……」
包み込むように抱きしめて唇を軽く落としただけで吐息が甘くなる。
これを抑制しろと言う方が無茶だ。
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