第19話 略奪
奇しくも翌日は週末の金曜日だった。
朝食時に汐さんが渚と湊に俺の住み込みが終わる事を告げると残念そうな顔をしていたが直ぐに笑顔になった。
「未来さんに会えなくなる訳じゃないしね」
「また、遊びに連れて行ってくれるんだろ」
「そうだな、約束は出来ないけどな」
「それじゃ今日はパーティーしよう。私と渚で料理を作るからさ。渚も早く帰って来いよ」
「うん、判った。終わったらダッシュで帰って来るね」
嘘を付くのがこんなに苦しい物だなんて思わなかった。それでも一度付いた嘘は付き通さないといけない。
笑顔で渚と湊を見送り汐さんと共に出勤する。
いつもと同じように坂上さんと井上さんの3人で打ち合わせをして。
いつもの様に支社長と外回りに出る。
ランチは支社長のお勧めのフレンチで午後からの外回りも滞りなく終わろうとしていた。
「未来君、ちょっと寄り道して良いかしら」
「構わないですよ。何処に寄るんですか?」
「この近くに美味しいケーキ屋があるの。久しぶりにあの子達にお土産を買って行こうかなって」
「喜ぶんじゃないですか」
ケーキ屋に程近い地下駐車場に車を停めてケーキ屋に向かう。
そのケーキ屋は煉瓦造りで支社長が好きそうな雰囲気を醸し出していた。
「へぇ、どれも美味しそうですね」
「どれもお勧めよ」
「今度、姉達に教えてみます」
ショーケースの中にはシンプルだが素材に凝ったケーキが並んでいて、支社長が指さしながら4つのケーキをチョイスしている。
「未来君、ケーキくらいなら食べて行ってもらえるわよね」
「そうですね」
「それと週明けから会社に来なくなるなんて嫌よ」
冗談ぽく言う支社長に笑って答えるしかなかった。
地下駐車場に駐車してある白いレクサスの助手席のドアを開けて乗り込もうとした瞬間に腰のあたりに激しい衝撃をうけ腰が砕ける様に崩れ落ちた。
何が起きたのか判らないが体に力が入らず自由がきかない。
呻き声が聞こえてきて車体の下から暴れる支社長のハイヒールと革靴が見え何者かに襲われた事が判った。
それでも体は思う様に動かず成す術が無い。
すると何か小さな黒い物が床に落ち支社長のヒールが偶然に当たったのか黒い物が飛んできた。
それはレクサスの電子キーだった。
何とか電子キーを掴んだ時に女性の悲鳴が聞こえ、車が走り去る音と共に誰かが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか? 救急車を呼びますから。お前は早く人を呼んで来い」
俺の体を気にしている男性が連れの女性に叫ぶと女性がどこかに走り出した。
このままでは警察も呼ばれてしまう。そうなれば無駄な時間を取られてしまうだろう。
何とか体を起こして力の限り拳をコンクリートの床に叩きつけた。
「動け!」
「なんて事をするんですか?」
「邪魔だ! どけ!」
介抱してくれている男性を腕で払い飛ばして車体に体を預けながら何とか運転席に乗り込みエンジンを掛ける。
「あんた何を考えているんだ」
「退け!」
痛みを堪えてアクセルを踏み込むとタイヤが空転して悲鳴を上げた。
驚いて飛び退いた男性に目もくれずに逃げる様に車を出し、ヒメ姉に緊急事態の一報を入れた。
向かった先は支社長のマンションだった。
マンションの前に車を停めて階段を駆け上がりインターフォンを鳴らす。
「どちら様ですか」
「俺だ、未来だ。開けてくれないか」
少しすると恐る恐る渚がドアを開けて覗き込み笑顔になった。
「未来さん、あれママは」
「湊も居るのか?」
「うん、湊。未来さんだよ」
渚の声で湊が不思議そうに玄関先に現れた。
当然の反応だろう、何故ならいつも帰る時間よりかなり早いのだから。
「2人とも直ぐに出掛けるぞ」
「えっ、何で?」
「頼むから俺の言うことを聞いてくれ」
全く余裕がなく2人を気遣う事すら出来ない。
それでも俺の様子に何かを感じたのか2人が直ぐに何も聞かずに俺に従ってくれた。
辺りを警戒しながら渚と湊を後部座席に乗せて車を出す。
「湊あの箱って、いつものケーキ屋さんのだよね」
「うん、ママがなにかあった時に必ず買ってくるケーキだよね」
「未来さん、ママはどうしたの?」
「頼むから今は何も聞かないでくれ。お願いだから」
ヒメ姉とスズ姉のマンションに付くとヒメ姉が厳しい表情で立っているのが見える。
車を駐車場に止めると直ぐにヒメ姉が渚と湊に声を掛けてくれた。
「2人ともこっちに来なさい。部屋で事情を話すから」
「うん」
「行こう、渚」
渚と湊が言葉少なにヒメ姉に付き添われて行く後を俺も追う。
ヒメ姉とスズ姉の部屋に行くとスズ姉が直ぐに紅茶を淹れてくれた。
重々しい空気に包まれ渚と湊にどう伝えるべきか悩んでいるとヒメ姉が先陣を切ってくれた。
「渚ちゃんと湊ちゃんに聞きたい事があるの。2人はお父さんの事を知っているのかしら」
「あんまり覚えてないんです。小さい頃に友達にパパの事を聞かれてママに聞いた事があるんです」
「ママにパパの事を聞いたら。急にママが泣き出して渚とパパの事を聞かない様にその時に決めたんだ。だから生きているのか死んでいるのかも知らない」
「生きているとしたら会いたいと思う?」
湊と渚が顔を見合せてから真っ直ぐにヒメ姉を見た。
「「会いたくない」」
「だってママがパパの話をしないって事はパパの事が嫌いだからだろ」
「私には良く判らないけどママが話してくれない人には会いたくないから」
「そう、良く判ったわ」
2人に意思確認をしたヒメ姉が射抜く様な目で俺を見たので何も言わずに頷いた。
「実は渚ちゃんと湊ちゃんママはあなた達の父親に連れ去らわれたの。でも、心配しないでちゃんと私達が連れ戻してくるから。ね、未来」
「大丈夫だよ。そんな泣きそうな顔するな。俺が連れて帰ってくるから」
「本当か?」
「本当に?」
「俺は出来る事しか出来るって言わない男だぞ」
笑顔でそういうと湊と渚の顔から硬さが取れた。
ここまで来たら最後まで虚勢を張って嘘を付き通すしかないスズ姉にアイコンタクトを取る。
「未来はそんな怪我をして本当に大丈夫なの?」
「ふざけんな。不意打ちを喰らっただけだ。フルボッコにしてやんよ」
「ほら、手を出して。正義のヒーローさん」
手を差し出すとスズ姉が笑いながら傷の手当てをしてくれた。
「本当に渚ちゃんと湊ちゃんのママを連れ帰って来なかったら未来をフルボッコにするからね、覚悟しなさい」
「その時は何でもスズ姉とヒメ姉の言う事を聞いてやるよ」
「それじゃ私達も」
「任せろ。絶対にそんな事にはならないからな」
務めて明るく振舞い皆で晩飯の支度をしてワイワイと食事をする。
これでまたヒメ姉とスズ姉に大きな貸を作ってしまった。大変な思いをして返す事が出来るだろうか。
夕飯を食べて渚と湊が風呂から出てくるとヒメ姉が2人に声を掛けた。
「ママの事が心配で眠れないかもしれないからこの薬を飲んでおきなさい」
「織姫お姉さん、何の薬ですか?」
「ただの精神安定剤よ」
「判りました」
素直な渚と湊が何の疑いも無くヒメ姉から薬を受け取り飲んでいる。
恐らく少し強めの睡眠導入薬だろう。
ヒメ姉に連れられて2人が寝室に入って行くのを見ていた。
しばらくすると渚と湊が寝たのを確認してヒメ姉が寝室から出てきた。
リビングでこれからについて話し合いをする。
「未来、状況を説明しなさい」
「仕事の終わりに支社長に寄り道したいと言われてケーキ屋に寄った帰りに地下駐車場で襲われた。一撃で動くことが出来なくなったからスタンガンか何かだと思う。意識ははっきりしていたからな」
「でも、何でそんな場所で」
「湊と渚が車の中で話していた事が気になるんだ。そのケーキ屋のケーキは汐さんが何かあった時に必ず買ってくると話していたんだ」
恐らく監視されていて機会を窺っていたのだろう。
そしてケーキ屋に入ったのを確認して駐車場で待ち伏せされたに違いない。
「相手の居場所は何処なの?」
「汐さんの携帯からメールが届いたよ。1人で迎えに来てほしいって」
「行かなくても未来には相手が誰だか判っているのよね」
「汐さんの元旦那の蛇淵 中(じゃぶち あたる)だ。間違いない」
「策はあるの? その顔じゃなさそうね」
「来るなと言っても来るんだろ」
「当たり前でしょ」
「蛇淵が移った貿易会社の出資先はトリックスターだ。ロキと言った方が判り易いかな」
ヒメ姉とスズ姉が明らかに動揺して口を噤んでいる。
トリックスターはあいつの末端組織の1つなのだから、そこと関係があると言う事から直ぐに答えは容易に導き出せるはずだから。
「何故、未来がその言葉を知っているの」
「汐さんに蛇淵の事を聞いた時に調べたよ。でも判らない事ばかりだった。表向きは貿易関係の仕事になっていたけど会社の実態すら判らなかった。だから直接聞きに行った」
「あなた、まさか……」
「会って来たよ20年ぶりに。親父に」
ヒメ姉とスズ姉の顔から血の気が引いて行く。
当然だろうヒメ姉とスズ姉には俺が親父に会いに行くという事がどういう意味なのか知らない筈が無いのだから。
「未来、あなた本当に良いの。二度と汐さんや渚ちゃんに湊ちゃんに会えなくなるのよ」
「他に方法があるのか? 奴だって闇雲にこんな事をする奴じゃない俺の情報だって調べ上げているさ。警察沙汰にしない事を知った上で実行に移したんだろ。それに俺一人じゃ何もできない事を思い知ったよ」
「馬鹿ね。本当に大馬鹿ね。そんな覚悟をしていたなんて知らなかった」
ヒメ姉とスズ姉が泣いている。
そして真っ直ぐに俺を見た。
「行って来なさい。全力でバックアップするから。美鈴良いわね」
「未来は本当にいつまでも私達を困らせる駄目な弟なんだから」
スズ姉が俺の頭を抱きかかえる様に抱き着いて来るとヒメ姉も抱き着いてきた。
本当に心配ばかり掛ける駄目な弟だ。
ヒメ姉とスズ姉に出会えて良かったと思うけれど。
もう後戻りはできない。
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