第18話 家政婦みらい
「おはよう、未来さん」
「おす、未来」
「おはよう」
「もう、湊は言葉使い気を付けなさい」
今日はライ麦のパンにハムエッグとサラダ。それにトマトスープを用意した。
汐さんの話を聞くとなるべく朝は手間がかからないパン食にしているという事だったのパンを変えたりして飽きない様にしている。
「うわぁ、今日は何のパンなの?」
「ん、ライ麦だけど」
「未来君は手間を掛けない様にって言っているのに大変でしょ」
「毎朝、朝食を作って食べていましたから。卵料理とパンを変えているだけですからそんなに大変じゃないですよ」
渚と湊を学校に見送ってから汐さんと一緒に出勤するのが日課になってきた。
なるべく警戒は怠らない様にしているが俺はプロのガードマンではなくずぶの素人で、やっと板に付いてきた支社長の補佐だってそうだ。
それでも支社長が安心して仕事が出来る状況を作る事が俺に課せられた使命なのだろう。
「おはよう」
「おはようございます。支社長に神流さん」
「おはようございます。坂上さんと井上さん」
「今日も同伴出勤ですか。未来さん」
支社長は気にもせず直ぐに支社長室に入ってしまう。
これも、最近の決まりごとの様な朝の風景で俺は秘書室で打ち合わせを始める。
「本当は神流さんの専門って何ですか?」
「家政婦の未来です。ノルン人材派遣会社から派遣されて参りました」
「やっぱり、支社長のマンションに一緒に居るのね。白状しなさい」
「それは業務命令でしょうか?」
一切の表情を消してロボットの様に受け答えすると坂上さんが眉間に皺を寄せている。
そんな坂上さんと俺を見て井上さんは必死に笑いを堪えていた。
「もう、打ち合わせをするわよ」
「承知しました」
「でも、未来さんみたいなイケメンの家政婦さんなら来てほしいですね」
「それはあなたが決める事です」
「もう、無理です。ごめんなさい」
井上さんがお腹を抱えて笑い出すと坂上さんが呆れかえっていた。
「もういい加減にしなさい。そんな事を支社長にしたら怒られるわよ」
「結構、気に入っているみたいですよ」
「まさか、本当にしたの?」
「ええ、きちんと契約をした上での仕事ですから。それなりの賃金も発生しますからね」
ここまで言っておけば不用意に突っ込んでこないだろうと思い釘を刺しておく。
坂上さんと井上さんは支社長の秘書なのだから支社長の口から話すべき事だと思うので敢えて俺の口からは何も言うべきでなないだろう。
すると準備を整えた支社長が社長室から出てきた。
「未来君、準備は出来てるの行くわよ」
「承知しました」
「笑いなさい。これは業務命令よ」
「承知しました」
堪え切れずに笑い出す坂上さんと井上さんに見送られて一日の仕事がスタートする。
仕事を終え汐さんの車で帰る途中で買い物を済ませる事が多い。
「未来君、今日は何にしようか」
「そうですね、今日は俺が作りますよ」
冷蔵庫に入っている物を頭に思い浮かべながらカートに食材を入れていく。
ここはかなり大きなスーパーなので大抵の食材を手に入れる事が出来た。
「青パパイヤか珍しいな」
「未来君、熟れてないパパイヤなんかどうするの」
「沖縄では熟れてない青パパイヤを食べる方が多いですよ。チャンプルーにしたり大根の代わりに味噌汁の具に入れたり刺身のツマにしたりもしますね」
「じゃ、今日は沖縄料理ね」
一回りして買い忘れが無いか考えていると汐さんが不思議そうな顔をして話しかけてきた。
「何を考えているのかしら」
「買い忘れが無いか考えていたんです」
「本当に家政婦みたいね」
「慣れですかね。ホテルで仕事していた時にはアルコール類やソフトドリンクなどの在庫管理と発注もしていましたからね。特にワインなどは在庫を抱えられないので常に頭の中に本数がインプットされていましたから」
マンションに帰ると渚と湊も帰っていてソファーに体を投げ出していた。
「ただいま」
「おかえり、疲れた」
「湊。だらしない格好をしていないで着替えちゃいなさい」
「はーい」
今時の高校生らしいと言うか普通の男性なら目を背けたくなるだろう。
俺がスルー出来るのは育ってきた環境の所為だろうか。
俺が引き取られた神流の家には当主である樹が居る事は殆どなかった。
それ故に中学生だった姉達が小学生だった俺の面倒を見てくれ高校・大学と姉達が進学しても変わる事は無かったからだろう。
「ママ、今日のご飯はなに?」
「今日は未来君が作ってくれるわよ」
「未来さん、今日はのご飯って」
「鶏飯かな」
鶏モモ肉の余分な脂や筋を掃除して広げて厚い所には包丁を入れて鍋に入れしょうがとニンニクに鶏ガラスープの素を入れて鶏のスープを作り冷ましておく。
その間にご飯のタレを仕込む。
生姜、ニンニク、パプリカの赤としし唐にお味噌少々とブラウンシュガーにナンプラーを器に入れてハンディーブレンダーですり潰し味を見ながらレモン汁を加える。
洗った米に同量の冷めた鶏のスープを加え炊き上げる。
残った鶏スープに絹ごし豆腐を加えて味を調整してスープを仕上げる。
パパイヤは皮を剥きスライサーを使って千切りにしインゲンは湯通しして冷水に取り食べやすい大きさに切っておく。
すり鉢に生唐辛子を少しとピーナッツを入れて叩きながらすり潰しインゲンと蔕を取ったプチトマトにナンプラーとレモン汁を入れ叩いて味をなじませる。
そこに干しエビとブラウンシュガーを入れさらに混ぜてパパイヤの千切りを加え叩きながらかき混ぜて味をなじませていけば出来上がりだ。
鶏肉を温め直し食べやすい大きさにカットしさらに鶏飯を盛って鶏肉を乗せてイタリアンパセリを色味で散らす。
テーブルには渚と湊が箸やスプーンなどを運んで並べてくれている。
料理を運んで4人の夕食が始まる。
「今日は沖縄料理ってママが言ってたのに」
「タイ料理だよ」
「タイ料理?」
「カオマンガイに鶏のスープとソムタムだけど」
どうやらタイ料理は初めてだったみたいで先に言えばよかったと後悔した。それでも辛みは控えているので大丈夫だろう。
「未来さん、このタレをご飯にかけて食べるの?」
「そうだけど少しナンプラーが入っているからどうかな」
渚が少しだけタレを掛けて鶏肉と一緒にご飯を口に運んだ。
そして渚の顔を見て後悔が薄れた。
「ん、おいひい」
「本当だ、このサラダはなんだ」
「青パパイヤのピリ辛サラダでソムタムって言うんだが」
「これも美味いぞ。渚」
湊と渚が汐さんのゆっくり食べなさいと言う言葉なんてどこ吹く風でカオマンガイとソムタムを食べている。
汐さんはすっかり呆れているようだ。
「未来君は何処で料理を習ったの?」
「スタッフから教わった事が多いですね。それとホテルでサービスをしている時に気になる料理はコックに聞いて書き留めて試に作って自分なりにです」
「そうなの。でも本当に美味しいしヘルシーよね」
「昔から野菜が好きですからね」
すると湊があまり聞かれたくない事をストレートに聞いてきた。
「未来は結婚しないのか?」
「東京に戻って来てからは考えた事が無いな」
「じゃ、東京に来る前は考えた事があるんだよな」
「ないと言えば嘘になるかな。何回か考えた事もあるけど縁がなかったのだろう」
今度は渚が何か言いたそうな顔をして俺を見ていた。
「未来さんはママとじゃ嫌なの?」
「クリスマス前に渚と湊には言ったよな恋愛の好き嫌いじゃないって」
「ごめんなさい。私と湊はパパを知らないから。未来みたいなパパだったらいいなって」
「俺でよかったらいつでも父親の代役をしてやるよ」
初めて渚から父親に関する事を聞いて動揺しそうになってしまった。
今までだって渚や湊と3人で出掛ける事はあったのだから代役くらいなら構わないだろう。
「一緒に片付けをしようか」
「うん」
渚と湊と片付けをして順番に風呂に入り一日で一番ゆっくりできる時間だ。
そして一杯だけ酒を飲むのが楽しみになっていた。
「未来君、今日は何を飲んでいるのかしら?」
「カルヴァドスのロックです。林檎で作ったブランディーですよ」
「少しだけ飲んでみようかしら」
立ち上がり大目に氷を入れたロックグラスに少しだけカルヴァドスを入れる。
「強いですから少しずつ飲んでくださいね」
「ありがと。少し甘くて美味しいわね。それに仄かに林檎の香りがする」
「カルヴァドスの元になるシードルも美味しいですよ」
静かな夜が流れていく。
必ず終わりが来るのにこんな夜も良いかななんて思ってしまう。
「未来君は結婚する気はないのかしら」
「相手もいませんし。早く姉達から自立しないといけないんで。こんな事を言うとまた姉達に怒られてしまいますけど」
「それはマンションの事かしら」
「それもありますね。要らないと言われましたが俺が嫌だったので毎月家賃を払ってますけど」
その家賃を恐らく姉達は俺名義で貯金していると思うが受け取る気はない。それは姉達が一番判っていると思う。
「それもあるという事は他にもあるのかしら」
「いずれノルンを出ようと思っています。それが出来て初めて自立出来たと思います」
「それじゃいずれ私の補佐も終わりになるのね」
「そんなに急な事にはならないと思いますが、ここだけの話ですけど誘いの話があるのは事実です」
汐さんがグラスを傾けながら少しだけ伏し目がちにグラスを見つめている。
氷で薄まったカルヴァドスを飲み干して休みましょうと汐さんに手を差し出すとグラスを渡してくれた。
グラスを軽く濯ぎ流しに置いたままにして寝室に向かう。
寝室に微妙な空気が漂っている。
それは2人が近づき過ぎたためだろう。
俺自身がはっきりさせないといけないのかもしれない。
「未来君、契約の事なのだけど今はプライベートとして話がしたいの」
「恋愛感情の件なら俺にはプライベートの状態にありません」
住み込みで見守る事に関して俺が唯一提示したのが恋愛感情を持たないという条件で。
姉達にこの事を話すと一蹴されたが俺が固持したので渋々了承してくた契約だった。
そして酷だとは思うがはっきり切り捨てた。
「でも俺に持つ感情は本当に恋愛感情ですか? 唯一汐さんが怖くない男だからなんじゃないのですか。汐さんは俺には勿体無いくらい素敵な女性ですし、もし俺が汐さんと一緒になったら堪えられそうにありません。もうパラサイトな生活は嫌なんです」
「ごめんなさい。もう何も起こらないと思うので終わりにしましょう」
「判りました。姉達には俺から伝えておきます」
事の顛末をヒメ姉とスズ姉に話せば激昂されてしまうだろう。
俺は間もなくノルンを離れる事になるのだからそれはそれで良いと思ってしまった。
ただ、心に残るのはまた汐さんを泣かせてしまった事かも知れない。
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