第10話 女神の悪戯・前篇
暑さも和らいで朝晩は涼しく感じる事が多くなってきて。
年寄みたいだと不評なシルバーウィークなんて言われる事がある秋の行楽シーズンがやってきていた。
そして週末に突発的な仕事が飛び込んできて忙しく動き回り。
久しぶりに纏まった休みが取れたので部屋でのんびりしようとゴロゴロしているといつもの様にヒメ姉とスズ姉が合鍵で開けて侵入してきた。
「未来、起きてるの? 出掛けるわよ」
「はぁ~?」
「お金を借りれば利子がかかるのよ。利子くらい払いなさい」
「街金の高利貸か!」
毎度の様に未来エネルギーの補充とか言いながら抱き着いて来るのかと思っていたのに。
今まで休日に聞いた事が無い言葉をヒメ姉が発したので思わず飛び起きて唖然としてしまった。
それ以上に利子を払えって……情け容赦ないと言うか鬼か!
「どちらの金融会社の方ですか?」
「未来は押し倒されたいみたいね」
「いや、既にヒメ姉に押し倒されてるし。って近いぞ」
ヒメ姉は俺の肩に両手を当てて馬乗りになって腰を浮かしている。
そして潤んだ瞳で俺を見つめながら顔を近づけてきた。
ヒメ姉の表情が本気に思えて息を飲んで思わず冗談じゃないかもなんて思ってしまった。
「ん~ 未来の匂い」
焦った俺が馬鹿だった。
俺の顔の横に自分の顔を埋めて抱き着いてきたので全身から力が抜ける。
「あっ、姫はずるい」
サンドイッチの具はこんな感じなのだろうか?
顔も体も足すらもヒメ姉とスズ姉の顔や体や足に挟まれている。
「未来の匂いって落ち着くの」
「はいはい。で、何処に出掛けるんだ?」
完全に失念していた2人が飛び起きたのでそのまま出かけようとして再びベッドに両側から押し倒された。
「未来、その格好で出掛ける気なの?」
「そんな格好の未来と歩くの嫌よ」
いつもと変わらな格好なのにヒメ姉とスズ姉に駄目出しをされてしまった。
訳が判らずベッドの上で呆然としているとヒメ姉とスズ姉がクローゼットから洋服をチョイスしている。
仕方なく2人がチョイスしたリーバイスを穿いて白のカッターシャツは裾を出したまま着ると、袖と胸元がマリンブルーで胸から下が鮮やかなブルーのウインドブレーカーの様な上着がだしてあった。
上着を羽織るとスタンドカラーの様な襟が気になるがヒメ姉とスズ姉が満足そうに頷いている。
そして頷いていた2人に連れられてマンションを出るとスズ姉のオレンジメタリックの86が停まっていた。
ヒメ姉が後部座席に潜り込み俺が助手席に乗りシートベルトをするとスズ姉が車を出した。
スズ姉とヒメ姉が俺を連れて来た場所は江の島だった。
江の島のヨットハーバーの手前にある駐車場にスズ姉が愛車を停めたのでとりあえず江の島に来た理由を聞いてみる。
「江の島で恋愛成就の祈願でもするのか?」
「フレンチトーストを食べに来たのよ」
「恋愛より食い気かよ」
「最近、未来が冷たいから」
社長と副社長の命令で休日出勤も厭わず仕事をしているのに酷い言い様だ。
ヒメ姉に車から押し出されて両脇から2人に逃げられない様にホールドされて歩きだした。
江の島の玄関口にある青銅の鳥居を潜ると参道の両側には昔ながらのお土産店や色んな飲食店があるのに目もくれず前進する。
すると江の島神社の真っ赤な鳥居が見えてきた。
右の小道に進むと磯に出られたはずだけど左のエスカー乗り場に向かいヒメ姉がチケットを購入してエスカーに乗る。
エスカーを知らない人は見た事も無い乗り物かと思うかもしれないけれど3区間に別れている、ただのかなり長い有料エスカレーターだ。
ちなみに江の島神社はお宮が3か所に点在していて3姉妹の女神様がそれぞれ祀られている。
そして恋愛のパワースポットらしい。
エスカーを降りて少し歩くと江の島展望灯台とまたチケット売り場が見えてきた。
「サムエル・コッキング苑?」
「旧・江の島植物園よ」
「スズ姉達のお目当てはこの中なのか?」
「そうよ、行くわよ」
またチケットを買っていたヒメ姉に腕を引っ張られ園内に入る。
確かに元植物園だけあって色々な植物が植えられていたけど飲食店の方が目に付く気がする。
ヒメ姉とスズ姉に連れられて歩いているとウッドデッキが見えてきてデッキの向こうにオイルステイン塗装された様なこげ茶色のカフェが見えてきた。
入口から中を覗くとデッキに白い丸テーブルが置かれパラソルが立てられていてオープンカフェになっている。
店員に案内されテラス席に向かう。
「ああ、未来さん」
「渚、未来って神流未来か?」
「うん、って湊がなんで未来さんの事を知ってるの?」
「何で、って渚こそ」
「「ええ!」」
声がする方を見るとフェミニンなワンピース姿の渚ちゃんとボーイッシュな格好の湊が立ち上がって顔を見合せて驚いた顔をしている。
ヒメ姉とスズ姉にしてやられたかと思ったがなんで渚ちゃんと湊が一緒に?
そして2人の間にはシンプルな白いシャツにスリムなジーンズを穿き羽衣の様なショールを羽織った早乙女支社長が怪訝そうな顔をして座っていた。
嫌な汗が一気に噴き出し頭の中で脳ミソがジューサーに掛けられて色々な事が駆け巡りミックチュジュースになっている。
思わず踵を返そうとすると渚ちゃんと湊が俺の腕を掴んでヒメ姉とスズ姉に挨拶をしていた。
機械仕掛けのようにとりあえず飲み物を注文する。
「未来君は何で私の娘たちと知り合いなのかしら。とても親しそうだけど」
「娘さんですか……」
支社長の怒気を孕んだ様な問いが突き刺さる。
俺の口から渚と湊の事を母親に言える訳も無く、ましてや2人の母親が早乙女支社長だったなんて……
尚更、俺の口が裂けても早乙女支社長に言うべきでは無いだろう。
支社長達も来たばかりだったらしくテーブルの上には先程頼んだコーヒーとジュースが運ばれてきてとりあえず俺もコーヒーカップに口を付ける。
弟がピンチに立たされているのに事もあろうか2人の姉は隣のテーブルで美味しそうにフレンチトーストを頬張っている。
「この林檎のフレンチトースト美味しいわ」
「スタンダードなプレーンが最高ね」
完全に自分たちの世界に浸りきっている姉達をみて姉達の知り合いと言い訳をと思ったが渚ちゃんが指をさしていたのは姉達ではなく俺で。
不用意な言い訳なんて支社長には通用しないだろう。
このままでは仕事に支障が出てくることは目に見えているのに完全に打つ手が見つけられないでいると渚ちゃんが申し訳なさそうに口を開いた。
「ママ、ごめんなさい。友達と学校の図書館で勉強するって嘘をついて渋谷に行っていたの。その時にクラスメイトに万引きしないと仲間外れにするって言われて万引きした時に未来さんが助けてくれたの」
「それって授業参観の前よね……渚、あなたもしかして」
支社長が俺の顔を見てから俯いている渚ちゃんに目を落とした。
授業参観と言うキーワードを俺が父親の代行と言って午後から抜けた事と結びつけたのかもしれない。
「未来さんにあんな事は2度としないって約束したから2度としないってクラスメイトに言ったらあの人は誰だってしつこく聞かれて。パパだって言ったら嘘つきって言われて嫌がらせされて」
「それで未来君に頼んで授業参観に来てもらったのね」
「う、うん」
支社長がため息をついて渚ちゃんは今にも泣き出しそうな顔をしている。
すると支社長が今度は湊を見ると湊が唇を噛みしめた。
「湊は未来君と何があったの? ママに何か隠している事があるわよね」
「うん」
勝気な湊が黙りこくってテーブルを見つめている。
支社長は問い詰めるでもなく湊が話し出すのを待っているようだ。
「夜遊びしていた連中がヤバい事をするって言うから逃げたんだ。そんで未来に助けられて」
「その時、未来君は怪我をしたんじゃないの?」
「うん、あいつ等に殴られた」
「確か友達の家に泊って笑い過ぎてお腹が痛いって帰って来たわよね」
親子の問題に俺が口を挟む余地は皆無で何か聞かれた時には正直こたえるしかない。
渚が覚悟を決めたのか支社長の顔を真っ直ぐに見ている。
「グループを抜ける為にボコボコにされて未来と未来のお姉さんが病院に連れて行ってくれて未来の家に泊めてもらったんだ」
「渚、まさか……」
「凄く怖かったけど未来がずっと傍に居てくれたからボコられただけ何もされてない」
湊の目からは涙が毀れている。
それを見て渚も泣き出してしまい支社長も2人の娘からとんでもない事を聞かされ戸惑いを隠せない様だ。
堪らずに店員さんを呼んでフレンチトーストを注文した。
渚ちゃんにはキャラメルとバナナとクルミ。
湊にはピンクグレープフルーツとオレンジにアプリコットジュレ。
支社長と俺はブラックチェリーの赤ワイン煮。
「食べませんか? 折角フレンチトーストが美味しい店に来たんですから」
「未来君の言うとおりね。頂きましょう」
美味しい物は人を笑顔にする。
泣いていた渚ちゃんと湊の顔から笑みが毀れているけど支社長の顔はまだどことなく浮かない顔をしていた。
突然、娘からあんな事を打ち明けられたら親としては当然なのかもしれない。
すると渚ちゃんと湊が顔を見合せて何かをコソコソとして渚ちゃんが俺の顔を見た。
「あの、未来さんはママと知り合いなんですか?」
「未来君は私の秘書よ。ノルン人材派遣会社から派遣で来てもらっているの。本当に未来君に迷惑ばかりかけてしまって」
さっきまで泣いていたのに渚ちゃんと湊は手を取り合って喜んでいる。
支社長は困った様な顔をしているけれどそんな顔はしないで欲しい。
感謝されたいから手助けをしている訳でなく自己満足の様な物なのだから。
「未来、展望灯台に行くわよ」
「渚ちゃんと湊も行くか?」
「「うん!」」
ヒメ姉に呼ばれチャンスだと思って渚ちゃんと湊に声を掛けると直ぐに立ち上がって俺に飛び付いてきたのに支社長は肩を落として座ったままだった。
「し、支社長。早乙女さん?」
「「はーい」」
仕事中でもないのに支社長と呼ぶのはおかしいかなと思い苗字で呼ぶと渚ちゃんと湊が手を上げて返事しやがった。
2人が俺を見上げているその顔は明らかに面白がっている。
もう一度『早乙女さん』と呼んでも同じ事を繰り返すに違いない。
「汐さんも一緒に行きませんか?」
「そ、そうね。仕方がないわね」
名前で呼ばれたのが恥ずかしいのか何処か余所余所しいけど支社長は立ち上がった。
渚ちゃんと湊に手を引かれながら江の島展望灯台の野外展望室まで上がると頬を心地良い風がすり抜けていく。そして360°のパノラマが広がっていて海が輝いている。
「スカイツリーの展望回廊から見た夜景も綺麗だったけど。ここは海が綺麗だな」
「ええ、湊はスカイツリーに登った事があるの?」
「うん、未来に連れて行ってもらったんだ。真っ赤なオープンカーにも乗せてもらったんだ」
「良いもん。私なんか凄く格好良いオレンジ色のバイクで未来さんとお台場に行ってガンダムを見てビーチで遊んできたんだから」
2人が言わなくて良い事まで暴露大会を繰り広げて2人が盛り上がれば盛り上がるほど俺のテンションは落ちていく。
柵にもたれる様にして海を眺めていると海風にのって爽やかな香りが鼻を擽って隣に支社長がやってきた。
「すいませんでした。支社長」
「プライベートなのに支社長なのね」
「高い場所から飛び降りる人の気持ちが判ったような気がします」
展望台から飛び降りてでも逃げ出したい気分になって思わず身を乗り出した。
「冗談よ、色々とありがとう。未来君には本当に感謝しているわ」
「姉達が助けてくれなければ本当に何も出来ませんでしたから。その代わりに利子まで払わされていますけど」
「うふふ。沖縄旅行が元金で江の島が利子ね。本当に仲が良いのね」
「はぁ~」
俺が脱力すると支社長の口元が綻んだ。
展望灯台を降りて江の島神社の境内に行くと登ってきた時にも目立っていたピンク色の絵馬があちらこちらに掛けてあるのが目に付く。
一番目立っているのが2本の大銀杏の周りに掛けてある沢山の絵馬だった。
「未来、絵馬を買って」
「何の願掛けをするんだよ」
「未来が言ったんでしょうに。恋愛成就よ」
「…………へぇ?」
思わずヒメ姉のおでこに手を当ててしまった。
「何をしているのかしら?」
「いや、恋愛成就なんてヒメ姉とスズ姉の辞書にはないはずで。熱でもあるのかと思って」
「未来、私も書くから買ってきてね」
ヒメ姉とスズ姉に睨み付けられて渋々買いに行くけど自分で買わないとご利益が無いような気がするのは俺だけだろうか。
絵馬を売っている小さな社に行くと早乙女支社長も絵馬を買っていた。
「汐さんも恋愛成就の願掛けですか?」
「未来君は面白い事を言うのね。私はバツイチで子持ちよ」
「バツイチで子持ちの素敵な汐さんなのに勿体無いなって思いまして」
「渚と湊に頼まれたのよ。バカな事を言わないの」
本当に思った事を口にしただけなのに真っ赤な顔になった支社長に睨まれてしまった。
ヒメ姉とスズ姉に絵馬を渡すと2人は渚ちゃんと湊に声を掛けて4人で絵馬に名前を書きだした。
「未来、見ないのよ」
「いや、2人に好きな人が出来たのなら手放しで喜ぶけどな」
「向こうに行ってなさい。馬鹿」
そんなに不機嫌になる事だろうか?
姉に好きな人が出来たのを喜ばない弟の方がどうかしていると思うのだが。
「でも、私は興味があるわ」
「そうですか? まぁ女の子は恋バナが好きですからね。誰を好きになっても良いんじゃないですか」
「娘達の好きな人も未来君の素敵なお姉さんの好きな人も誰なのかしらね。気になるわ」
「「「「み・ら・い!」」」」
支社長が4人に聞こえる様な声で言うとあり得ない言葉が返ってきて4人がお互いの絵馬を見せ合って大喜びしていた。
「モテモテね、未来君。でも未来君にお母さんって呼ばれるのは流石にね」
「汐さん、冗談でも怒りますよ」
4人がむすびの樹と言われているあの大銀杏の周りの思い思いの場所に絵馬を奉納している。
何でも2本に見える大銀杏は根元で1本になっているらしい。
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