第9話 悪意
三友グループの懇親パーティーは都内でも屈指の絢爛豪華な会場で行われていた。
天井には光り輝くシャンデリアが吊るされ、広い会場には円卓が置かれ立食パーティー形式になっている。
主催者側の挨拶が終わり会場は談笑したり名刺交換したりしている人で埋め尽くされていた。
男性は圧倒的にスーツ姿が多く女性は和服姿の人もいるがフォーマルなドレスやスーツ姿の女性が大半だ。
そして華やかなドレスを着たコンパニオンが会場の至る所に花を添えている。
俺達ウエイターは白いウイングカラーのシャツに蝶タイで黒いズボンを穿いて黒いカマーバンドをしてシングルの黒いジャケットを着ている。
変装とはいかないが髪の毛をジェルでオールバックにして眼鏡は掛けていない。
そして仕事内容はコンパニオンのヘルプつまりドリンクをコンパニオンに運んだりグラスや空いた皿を下げたりするのがメインだ。
トレーにドリンクを乗せてコンパニオンに運び空いたグラスを受け取りコンパニオンからのオーダーを聞きながらヒメ姉とスズ姉を探すと直ぐに見つける事が出来た。
ヒメ姉は華やかな着物を身に纏いスズ姉はコンパニオンに負けない様なドレスを着ている。
何より目立つ2人の周りにスーツ姿の人だかりができていて2人を際立たせていた。
そしてスズ姉がこちらを見て小さく手を振っているのが見えて黙殺した。
会場内を歩き回り下げ物をしながら早乙女支社長の姿を探す。
しばらく歩き回ると見覚えのある取引先の人と談笑している姿を見つけた。
普段はかっちりしたダークなスーツ姿だけど今日は淡い色の少しゆったりとしたスーツを着ていて女らしいと言うより可憐と言えば良いだろうか。
気付かれない様に遠くから様子を窺いながら仕事をこなす。
支社長と外回りした際に会った事がある人も沢山いたが誰一人として俺に気付く事は無かった。
まぁ、人間の認識力なんてそんなものでウエイターの顔なんてまともに見ていないのだろう。
パーティーも終盤になりこのまま何事も無く終わって欲しいと願う。
が、神様は酷な性格らしい。
会場内を見渡すと蛇淵 中(じゃぶち あたる)が早乙女支社長の方に向かって歩きだす姿を見つけた。
俺が一度会った事がある人間の顔を忘れない様に、恐らく奴も営業のエキスパートなら同じで近づき過ぎるのは危険極まりない。
早乙女支社長は奴がパーティーに参加をする事は知っていて必ず接触してくると思っている筈だ。
それならば支社長が逃げ道を前もって確保している筈だと思い支社長の立ち位置から一番近い出入り口の方に大丈夫だと自分に言い聞かせながら歩きだす。
支社長の姿をロストしない様に移動すると蛇淵が早乙女支社長に声を掛けてから何かを耳打ちしていた。
俺の予想が外れていなければ取引先が集まるこのパーティーで支社長に醜態を晒させるつもりなのだろう。
悪意の塊の様な蛇淵が唇の端を持ち上げ、にやけて支社長から離れて参加者の中に消えていくと硬直していた支社長の手が僅かに震えだした。
大きく息をついて歩きだすとパーティーの参加者が声を掛けてきた。
「すまないが水割りを頼めるかな」
「しばらくお待ちください」
そう言って笑顔で会釈して近くに居たコンパニオンに指示を出す。
立ち尽くしていた支社長が堪らず出入り口に向かって俯いたままその場から見げ出す様に走り出した。
半歩だけ体をずらすと支社長が俺にぶつかった感じになり、持っていたグラスの水割りが俺の制服に掛かり途切れ途切れの声が聞こえる。
「ご、ごめんなさい」
「こちらこそ申し訳御座いませんでした。お怪我は御座いませんか?」
項垂れている支社長に頭を下げながら謝罪しても何も反応が無かった。
今にも崩れ落ちそうな支社長の腰に手を回し早乙女支社長の耳元で囁いた。
「支社長、大丈夫ですか?」
すると震えがぴたりと止まり早乙女支社長が俺の顔を見上げた。
「お客様、ご気分はいかがですか?」
「ありがとう、眩暈がしてしまって」
「それではこちらへどうぞ」
支社長の腰に手を回したまま何事かと周りで驚いている参加者に軽く会釈をして会場を後にすると何事も無かったかのようにパーティーは続けられている。
そして落ち着きを取り戻した支社長は直ぐにパーティー会場に戻り、俺も別の入口から業務に戻った。
その後は何も無くパーティーが終了して着替えを済ませ携帯を見ると案の定メールが来ていた。
メールのメッセージどおり『陣』に行くとカウンターで作務衣を来た陣が座敷のほうへ目配せをした。
何かを感じたのか奈央は俺に絡んで来なかった。
「失礼します、遅くなりました」
座敷の障子を開けると早乙女支社長が何も頼まずに座っていてテーブルには湯呑が湯気を立てている。
恐らく陣なら安全だと思いここを指定してきたのだろう。
早乙女支社長の前に座りオーダーをした。
「陣、生2つ」
「あいよ」
低い陣の返事が聞こえて直ぐに奈央が生ビールと突き出しを運んできた。
「お疲れ様でした」
「そうね、お疲れ様ね」
気の所為ではなく明らかに早乙女支社長の声が低い。
そして俺を凝視している。
「何故、未来君があの会場に居たのか聞いて良いかしら」
「偶々ですよ。他社からノルンにヘルプの要請があったのです。急だったので信頼できる人材を探す事が困難だったのだと思います」
「あのパーティーには各企業のトップが参加するので確かな身元と問題があるかどうかきちんと見極める必要があり。急な欠員で補充する事が困難だったという事かしら」
「はい、ノルンでもコンパニオンは派遣していますが今回の様なパーティーの場合に急に欠員が出た場合は対応するのが難しいですから。他社の要請はウエイターという事で急遽僕が出向くことになったんです」
鼻から信じてもらおうなんて思っていない。
それでも少し調べればノルンが今回のパーティーにコンパニオンしか派遣していないのは判るはずだ。
「偶然だと白を切るつもりなのね」
「あのパーティーにはノルンからも織姫社長と美鈴副社長が参加しているんですよ。そんなパーティーに俺が裏方でも行くと思いますか? 確実に2人の姉に捕まって晒し者にされますよ」
「もう良いわ。食事未だなのでしょ。ここは私がご馳走するから遠慮なく注文しなさい」
「有り難う御座います」
笑顔で頭を下げたのにまだ支社長は何か気になっているようだ。
落ち着かせる為とはいえ支社長にキスしてしまってから覚悟は出来ているのだからはっきり言って欲しい。
「それと未来君のその硬い口調が気になるのだけど」
「すいませんでした。なるべく対処します」
「本当に判っているのかしら」
やっと支社長の顔から硬さが取れていつもの支社長に戻ったのを見てホッとしたのと同時に肩透かしを食らった気分だった。
一週間近くあるお盆休みは一年分の貸を返せと言う借金取りに連れ回され沖縄に行っていた。
離島のビーチでは姉達に弄ばれている俺を羨望の眼差しで見ている輩がいるが代われるものなら代わってやりたかった。
そんな事をすれば俺が海の藻屑になるかもしれないがだ。
何故、姉達には浮いた話が無いのか聞いてみたい。
そんな事を聞けば確実にヤシガニの餌にされてしまうだろう。
お盆休み明けに東京支社に出向くと日焼けしたスタッフが沢山いる。
皆、お盆休みを楽しんできたのだろう。
「おはようございます」
「「おはよう」」
坂上さんと井上さんが変わらず笑顔で挨拶してくれた。
この頃はノルンと水神商事とどちらが本当の職場か判らなくなってきている。
「皆さんはお盆休みどう過ごされたのですか?」
「私は北海道でのんびりして、井上さんは海外よね」
「はい、ヨーロッパに行ってきました。未来さんは何処かに行ったのですか?」
「僕は借金を返してきましたが」
2人がポカンとして俺の顔を見上げていると早乙女支社長が秘書室に顔を出した。
「おはよう、未来君。何を楽しそうに話していたのかしら」
「おはようございます。盆休みに何をしていたか話していたんです。支社長はどう過ごされたのですか?」
「子たちと那須に行っていたわ。そう言う未来君は借金を返していた訳ね、お姉さん達に」
「これ、皆さんにお土産です」
どうやら聞こえていたらしい。
タイミング良く支社長もいるので3人にお土産を渡すと冷たい空気が秘書室を包み込んだ。
「あの、神流さん。これって何ですか?」
「沖縄銘菓のちんすこうとスッパイマンふりかけです」
「あ、ありがとう」
微妙なありがとうが聞こえて3人が手に持っている物に目を落として眉を顰めている。
「冗談ですよ、本命のロイズ石垣島の泡盛入りの生チョコレートです」
「沖縄って石垣島に行っていたんですか?」
「今回は沖縄本島と石垣島ですね」
沖縄本島だけじゃなく離島のホテルを転々としていたので大概の島は案内する事が出来る。
それを知っているヒメ姉とスズ姉に俺は連れ回される羽目になってしまった。
「今度、沖縄の事を色々教えてくさいね」
「良いですよ」
「それと、未来君。荷物が届いてるけど」
「ああ、それは石垣島の完熟パイナップルとアップルマンゴーです。皆さんで分けて持って帰ってくださいね」
井上さんが坂上さんの手を掴んで飛び跳ねて喜んでいて支社長は呆れた顔で俺を見て笑っていた。
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