第3話 ハラスメント


目覚ましの音が聞こえて枕元に手を伸ばす。

重い体と気分を引き摺りながら洗面所に向かい顔をあらう。

「ふぅ~、はいはい。朝から賑やかだな」

今度は携帯が鳴って携帯を開くとヒメ姉の名前が表示されている。

契約終了の連絡かと思ったけど叱咤激励されてしまい益々気が滅入ってしまう。

俺の気分なんてお構いなく時間は過ぎていく。


「おはようございます」

「「おはようございます」」

水神商事の秘書室に入ると坂上さんと井上さんが嬉々とした顔で挨拶をしてくれる。

思わず顔が緩んで微笑んでしまう。

直ぐに今日の打ち合わせに入る、どうやら今日は一日中外回りらしい。

スケジュールに目を通し必要書類の説明を受ける。

取引相手の会社は誰もが耳にした事がある大手ばかりだった。

俺が考えて動くことは今日も殆どなさそうだ。

支社長室から早乙女支社長が現れ俺の顔を一瞥する。

「おはよう御座います。早乙女支社長」

「おはよう、未来君。準備は大丈夫よね」

「はい」

準備も何も俺は支社長について回るだけの荷物持ちで移動すら支社長自ら車を運転する。

ワンマンと言うより完璧主義者なのかもしれない。


一件目の取引先とは順調に進み2件目に向かう車内は昨日と同様沈黙に包まれている。

2件目の友長物産はノルンとも契約があり大勢の派遣を使ってもらっている得意先だった。

支社長が駐車場に車を止め支社長の後ろについて行く。

応接室に通され女性社員の方がお茶を入れてくれた。

「有難う御座います」

「あっ、いえ」

お茶を入れてくれた女性社員が俺を見て驚いた顔をしている。

確かノルンで登録時に俺が面接をした記憶がある女の子だった。

面接のときはオドオドしていて気が小さそうで契約するか悩んだ女の子だったので、頑張ってくれているようで少し安心した。

しばらくしても相手が現れず代わりに申し訳なさそうに男性社員が現れた。

「申し訳ございません。会議が長引いていまして、もうしばらくお待ちください」

「判りました」

スケジュールには多少の余裕を持たせているので時間の都合は何とかなるものなのだろう。

俺が慌てても仕方がない事でカバン持ちに徹するしかないだろう。

そんな事を考えていると携帯が振動して着信を告げ画面を見るとスズ姉からだった。

「支社長、すいません。少し良いですか」

「構わないわよ、相手も遅れると言うし」

携帯を取りだし早乙女支社長に確認を取ってから席を立つ。

美鈴副社長からの連絡は忌々しきモノだった。


ノックする音が聞こえ中肉中背の背広姿の男性が入って来た。

「どうもお待たせしてすいませんでしたな」

「いえ、こちらこそ貴重なお時間を有難う御座います」

支社長が立ち上がり名刺を取り出し名刺交換をしている。

そして応接テーブルの上にお互いの名刺を置いて商談と言うより今後のスムーズな取引等についての確認を支社長がし始めている。

相手の名刺に目をやると美鈴副社長からの連絡の中にあった名前と同じ名前があった。

少し気を引き締める必要を感じ軽く深呼吸をして相手の動きに注意をはらう。

相手の男性は何処の会社にでも居る様な管理職だけど目つきが何となく違う気がしていた。

スズ姉から連絡が無ければ見落としていたかもしれないし俺の感覚に頼る所が多いので何が違うかは口にしづらい。

何も起きなければ俺が出張る事も無いだろう。

「それでは今まで通りお願いできますか?」

「ははは、もちろんですよ。これからも早乙女さんの所とは懇意にしていきたいですしね」

「有難う御座います」

支社長が頭を下げると相手が握手を求めてきて支社長が少し躊躇いながら手を差し出す。

すると相手が両手で支社長の手を包み込もうとして俺に視線を向けた。

「おや、新人さんですか?」

「申し遅れました。早乙女支社長の補佐をさせて頂いていますノルン派遣会社の神流未来と申します」

「か、神流さんってまさか」

「御社にはいつもお世話になっています。先ほども副社長の美鈴から連絡がありまして失礼が無い様にと言われてしまいました」

俺が名乗ると明らかに相手の顔色が変わって握手を求めていた手を下して俺の顔を真っ直ぐに見ている。

「そうでしたか。ノルンさんの神流さんでしたか」

「私は一派遣社員ですし、今は水神商事の支社長付きですから。御社に派遣している社員からも良い会社だとの連絡を受けておりますので安心いたしました」

「そうですか。それは有難い限りです」

「水神商事共々宜しくお願い致します。支社長、そろそろ」

早乙女支社長を促して応接室を後にする。

車に戻っても支社長が口を開くことは無く、俺の対応が間違っていたか判断できないがあれで良かったのだと飲み込むしかないようだ。


午前中最後の商談が終わると初めて早乙女支社長が俺に話しかけてくれた。

「この近くでランチを取れるところは無いかしら」

「そうですね。この先にイタリアンレストランがあります。確か近くに駐車場もあるはずです。連絡して聞いてみます」

「そこで良いわ。お願いね」

「はい」

レストランに連絡を入れイタリアンレストランの駐車場に向かうと駐車禁止のカラーコーンが置いてあった。

車から降りてカラーコーンを退かして車を誘導して入口に向かいドアを開ける。

レストランに入ると直ぐに席に案内してくれた。

「ここも未来君の知り合いの店なのかしら」

「知り合いの店と言うよりこの店がオープンする時にサービスの基礎を教えた事があるんです」

理由は今一つ掴めないけれど少しだけ早乙女支社長の雰囲気が和らいでいる気がする。

そこにオープンから居るスタッフがオーダーを取りに来た。

「神流さん、ご無沙汰しています」

「元気で頑張ってるね」

「はい、お蔭様で」

早乙女支社長はオイル系のパスタとサラダを俺はクリーム系のショートパスタとパンを注文すると笑顔で頭を深々と下げてスタッフが戻っていった。

「確か未来君はサービスが専門だったわね。それじゃ昨日のお店もかしら」

「陣と奈央とは沖縄で働いている時に知り合ったんです。あの2人も色々とありましたから時々店に顔をだしていますけどね」

「そうなの」

パスタが運ばれてきて会話も無くただひたすらパスタと対話する。

早乙女支社長の雰囲気が和らいだ様に感じたのは気の所為だったようだ。

二日目なのだから仕方がない事なのかもしれない。

それでも契約が更新される訳が何処かにあるはずなのに俺自身には皆目見当がつかなかった。


午後の交渉がスムーズに進んだのと先方の都合で一件キャンセルになり、時間が空くと早乙女支社長は迷わずに車を水神商事に向けた。

「未来君、コーヒーを入れてもらえるかしら」

「判りました」

社に戻ると直ぐに早乙女支社長は俺に指示を出して支社長室に入ってしまう。

何の連絡も無く社に戻ってきたので坂上さんが慌てて支社長室に飛び込んで行った。

井上さんの顔を見ると動揺の影が見える。

俺は指示された通り給湯室に向かってコーヒーの準備に取り掛かるしかないようだ。

前日と同じようにコーヒーを入れて支社長室にコーヒーを運ぶ。

「失礼します。コーヒーが入りました」

「ありがとう」

窓の外を見ていた早乙女支社長が椅子に腰かけてカップを取って香りを嗅いで肩の力を抜いた。

「良い香りね」

「有難う御座います。喜んで頂いて光栄です」

「不思議な人ね。未来君は」

「そうですか? それでは失礼します」


支社長室から出ると坂上さんと井上さんが既にコーヒーを飲んでいて俺の分もカップに入れられていた。

「先に美味しいコーヒーを頂いてます」

「美味しいと言って頂けて光栄です」

「お世辞じゃないわよね、井上さん」

「はい、とっても美味しいです。支社長が戻ってきた意味が判りますよね」

まる俺が淹れたコーヒーを飲みたくて早乙女支社長が社に戻ってきた様な言い方だけど単に時間が空いただけだと思う。

それに慣れれば誰にでも同じようにコーヒーなんて淹れられるはずだ。

一休みしていると支社長室から早乙女支社長が出てきた。

「未来君、時間がある時に彼女達にもコーヒーの落とし方をレクチャーして頂けないかしら」

「僕で良ければ構いませんが」

「それじゃ時間の都合はこちらでするから宜しく」

残りのスケジュールも特に問題なく終了して今日の業務が終了した。




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