第35話 日本への視察旅行
1997年度シーズンはジャイアンツにとって大切な年となりました。96年度は優勝したものの、日本シリーズでは「イチローにやられた」感があり、なんとしても日本で優勝すべくいろいろ補強を図りました。最大の補強は因縁の清原和博を獲得したものの、その代わり落合博満を失っています。また、若い選手が一軍に少なく、ホームランバッターのオンパレード、と揶揄されていました。
ジョンとダスティンは、そんなお家事情は知りませんが野球自体の違いを研究しました。日米の野球観の違いを喝破した英語版の『菊とバット』(ロバート・ホワイティング)も二人とも読破しました。また、トム・セレックと高倉健の『ミスター・ベースボール』も見ました。面白おかしく描かれていて大声を出して笑いました。作画にこの映画で描写されていることすべてが本当とは思いませんでしたが…。スクリュー・ボール日本では「シュート」と呼ぶことも知りました。二人は、球場の大きさが日本では狭い代わりに、ピッチャーのコントロールがよく、なかなか連打が生まれにくい野球でした。また、内野手や外野手の基本動作が正確で、「力と力」のメジャーの野球と異なり「基本に忠実」なプレーが喜ばれることを知りました。ピッチャーのフォームもピッチャーコーチによって厳しく管理され、コントロールが素晴らしい投球ができる、という事に気が付きました。その勉強の中でジョンとダスティンが会った長嶋監督と松井秀喜選手がいかにすごい選手であるかを知りました。
ダスティンは早く肩とひじの状態を良好な状態にして、多少の球種を減らし、以前のようなピッチングをできることに注力すればいいのですが、ジョンは今までの知っているメジャーの野球では通じない、いろいろな要因があることに気が付きました。ジョンは質問をノートにまとめ、自分のPCに打ち込み、会議で使えるようにパームトップ・コンピューターに移しておきました。これで、一応の準備は終わりました。
ジャイアンツからミーティングの日程の折衝があったのは、準備が終わったすぐ後のことでした。
「ダスティン、ジャイアンツからのメールで暮れまでに来てほしいって」
「俺は、クリスマスに帰れれば、いつでもいいよ。アレクサンドラと話してみるが…」
「了解。僕もシドニーと話してみるよ」。 シドニーとはすぐに話が終わり、12月中旬に行けるか打診することになりました。ジャイアンツも選手たちはTV出演や行事があって忙しいものの、球団関係者は時間が取れるとのことでした。長嶋監督だけのスケジュールを確認している、とのことでした。
ジャイアンツからすぐに返事が来て12月の10日から三泊の旅行で東京に行くことになりました。2日は会議や見学で、残り一日は観光となりました。ケビン父さんの勧めで、新幹線に乗り京都にも行くことになりました。京都の宿泊と新幹線代はケビン父さんが出してくれることになり、残りの手配はジャイアンツが出してくれることになりました。ジョンは自分に日本人の血が流れていることもあって、興奮していました。いわば、ジョンとダスティンは就職試験のような話し合いに行くわけですから、とても大事なのはわかっていますが、やはり、修学旅行と同じような気分でした。
当日、10時くらいにオヘア国際空港につきました。JAL#9で12:45発です。オヘア空港はユナイテッド・エアーラインのハブ空港で、JALは一番遠いハンガーからの出発でした。4人はジャイアンツが手配したビジネスクラスが初めて、ということもあって満喫しながらアメリカ大陸を横断後、一路東京へと空の旅を楽しみました。
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