第11話 スポーツ医学

古代ギリシャや古代ローマ時代からスポーツ医学は存在していたと言われています。戦前、スポーツ医学はトレーナーの術のように扱われてきました。1954年にACSM (American College of Sports Medicine)と云う学校が出来ましたが、スポーツ界には浸透していませんでした。そこで、ケビン父さんは医学の知識を駆使しトレーニング方法や食事療法、衛生と管理療法に発展させ、さらに、事故やオーバーワーク時の治療方法などに発展させたかったわけです。ジョンとダスティンがキャッチボールを始めた頃から計測を始めた研究もようやくまとめる段階に入りました。勿論、最初は手探りの内容でした。この筋肉を使うから、ここをマッサージして、こういう栄養を取ればいいだろう・・・と云う様な感じでしたが、今では、色々な大学機関やプロのスポーツチーム(アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、アイスホッケイ、レスリングなど)での実践に基づいた結果が出せる様になりました。事例の数で約500のサンプルを元に研究結果を発表する事にしました。ミミ母さんが全てのデータの記録係を担当していました。完璧です。

1987年に、つまりジョンとダスティンが17歳の時に、ケビン父さんは全国のプロ、アマ両方の色々なスポーツのコーチにインビテーション(招待状)を送りました。発表の内容を少しだけ含めましたが、「何かスポーツ界に大変な事が起こります」と、記しました。ほとんどの招待者は目を丸くしたでしょう。ボストン・セルティックスの元スタープレーヤーだったケビン・マクドナルドからの招待となれば注目度は極限に達し「話は別」、と云う事になり、理由を作って、旅費をクラブや学校にねだって飛行機の予約を入れました。出欠ハガキによると参加者の合計は1000人を超えました。当初は近所の公民館でも借りればいいや、と思っていたのですが、これだけの人を集めプレゼンテーションをするには、もっと大きな場所が必要になりました。会場に選んだのは、シカゴのミシガン湖に面するマコーミック・プレイス(展示会場)の一つのコンベンションルームで行われる事になりました。ここなら、広さは充分ですし、大型のオーバーヘッドプロジェクターも在ります。それに、当時世界で最も発着数の多いオヘア空港に近く、街の中心に近いため、ナイトアウトにも便利です。スポーツ関係者が集まるため、繁華街が近い方が喜ぶと思ったのです。シカゴピザを食べながら止めどもなく飲み続ける体力を持った人が多いのです。(日本語ではウワバミと呼ぶ人ばかりです。) さらに、シカゴ・ブルズのユナイテッドセンターやベアーズ(アメリカンフットボール)のソールジャー・フィールドも近く、全国のスポーツファンが誰でも分かる立地です。

当日はすでに成功を祝う様な晴天となりました。風は「シカゴは風の街」、と言われる通りかなり強く吹いています。きっとジョンハンコックタワーとシアーズタワーとの間では歩いている人も飛ばされないように注意して歩いている筈です。午後3時からのプレゼンテーションですので、朝、10時位にジョンとダスティン、それにミミ母さんとケビン父さん本人と4人で会場に入りました。(エイドリアン爺さんは1985年に焼け落ちたアーリントン・パーク競馬場の建て直し工事で来られませんでした。)学校と本人達にも許可をとってジョンとダスティンに来てもらったという訳です。大型のスクリーンや座席(折り畳み式の椅子ですが.・・・)などは、会場の人が用意してくれたので、ミミ母さんの心配は無駄に終わりました。実をいうと、かなりうんざりしていました。ミミ母さんの「1000脚以上の椅子をどうするの?」、と云う言葉を何十回か聞かされていたからです。その度に、ジョンの黒目は上まぶたに消えていたのです。

さて、本題の講演会の時間が近づいて来ました。控え室として使っていたマコーミック・プレイスの前にあるハイアッ通りジェンシーの部屋から2時に会場に向かった一行は緊張もせず現場に入りました。ケビン父さんは観客の多さには慣れっこになっているのでしょう。時間になりました。エンターテイメントではないので、派手な入場演出はありません。しかしケビン父さんが壇上に現れると割れんばかりの拍手です。

「本日はお忙しい中、私の研究発表にご来場いただき有難うございます。今日の発表は、スポーツ選手の能力を最大限に引き出し、怪我や事故から選手を守るというお話です。決してステロイドなどの薬物、興奮剤などの薬で選手の筋肉を増強させるための講演ではありません。選手はスポーツを離れれば「普通の人」の生活が待っています。功利主義に走り、選手の肉体をモラルに反して酷使をすると取り返しのつかない事故につながる事もあり、選手生命を終える結果となる様な事をさせない為にも、今日のアスレーツの肉体とその仕組み、メンテナンスと栄養、さらに、その選手の最大のパフォーマンスを引き出す安全な練習、マッサージ、休養と栄養補給についてお話ししたいと思います」。

この時点で、観客は目から鱗の感がありました。その当時、スポーツ選手は何をしても兎に角、勝つ根性が必要で、結果が全てでした。所謂、消耗品で大怪我をした選手は不幸だけれどしょうがない、で済まされていたのです。チームとしても少しでも選手生命が延びれば、集める選手に必要なコストを削減できるばかりではない、教育コストやメンテナンスコストを削減できると云うメリットがあります。全く理にかなった講義だったのです

人体の構成(骨と筋肉)とそれぞれの働きの話が終わり、ジョンとダスティンの話の第二部へと移って行きました。話の内容でダスティンは、左右両手で投球できる事に加え、オーバースロー(通常のピッチャーのほとんどはこの投げ方)、サイドスロー、アンダースローを投げ分けました。さらに、軸足を固定する80cmのピッチャープレートの立ち位置を変えて投げています。さらに、ボールの握り方も2シーム、4シーム、ノーシーム(指を縫い目に当てない)を使い分けていました。それでも、直球、カーブ、スライダー、シュート、シンカー、スプリット・フィンガー(フォーク)、チェンジアップなどを投げられる事を伝えました。(本当はジャイロボールも練習していましたがまだ自信がないので含めませんでした。)講演の内容は、ダスティンがどの様なフォームで、どの筋肉をどうコントロールするか、というものと投球後のメンテナンスはどうしているかを伝えました。さらに、ジョンがダスティンの筋肉の使い方を理解した上でキャッチャーとして次の投球の種類のサインを送っているか、などの話をしました。次に、ミミ母さんがどの様な食事を用意しているか、の話をしました。ジョンとダスティンの話には本人達のデモンストレーションを付きでした。ビデオカメラをジョンの真後ろに設置し、会場の人にリクエストを通り、ダスティンが投げるという余興まで行いました。この時点で、会場は割れんばかり声援でした。

講演は大成功でした。一部で「マクドナルド一家の宣伝だ」、という厳しい反応もありましたが、概ね、「素晴らしい!!」、と新聞、雑誌は書きたてました。ケビン父さんは、今回の講演の金儲けの為という声に完全に否定しました。入場料を取らず資料は全ての人にオープンにした事からも明白でした。事実、問い合わせがあった場合、その地域のドクターを紹介したり、無料で相談にのっていたりしました。ケビン父さんは、あくまでもスポーツ選手の為に行った事でした。ケビン父さんは、確信していました。これでスポーツ選手の安全が少しでも改善された事を。

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