第2話 その当時のMLB

エイドリアンじいさんが若い頃は、ベーブ・ルースの全盛の頃でした。タイ・カップやジョージ・シスラー(両選手ともヒットを量産した - ボールが飛ばない時代であったため本塁打数は少ない)や2,130試合連続出場のルー・ゲーリック、56試合連続出場のジョー・ディマジオ、打率.406つまり4割打者のテッド・ウィリアム、黒人問題初のメジャーリーグ選手のジャッキー・ロビンソンなど、50年代までのプロ野球はアメリカ国民に多大なる勇気を与えました。

ケビン父さんは生まれた頃に第二次世界大戦が勃発し一時期、野球は派手な内容ではなくなりましたが、戦後のケビン父さんの若い頃は、ヤンキースがワールドチャンピオンに5回輝いた以外、あまり派手な優秀選手の活躍はありませんでした。ジョー・ディマジオやジャッキー・ロビンソンなどの花形選手たちが引退し、華やかさが失われて行きました。MLBも人気回復のためドジャースがロス・アンジェルスに、ジャイアンツがサン・フランシスコに移転しました。テッド・ウィリアムの引退後にアナハイムにエンジェルス、ニューヨークにメッツが誕生しています。その後、カンザスシティーにロイヤルズ、シアトルにパイロッツ(後のブリューワーズ)、サンディエゴにパドレス、カナダ初のモノリオールにエクスポズが誕生しています。チーム数が急に増えた頃です。その後、70年代の後半にはシアトルマリナーズやトロント・ブルージェイズが誕生しました。DH制がアメリカンリーグに導入され、フリーエージェント制度が導入されたのもこの頃です。レジー・ジャクソンやピート・ローズが活躍して野球人気を何とか保っていました。現代のMLBの体制作りの時代でした。

その後、2000年までにビジネスとしての野球が認知され多数のチーム(フロリダ・マリーンズ、コロラド・ロッキーズ、タンパベイ・デビルレイズ(レイズ)、アリゾナ・ダイアモンドバックス)が誕生しました。各チームとも、集客強化のマーケティング戦略を打ちますが、ピート・ローズの野球賭博問題や プロスポーツ史上最長の232日のストライキが発生し厳しい時代を向け変えます。しかし、ナショナルチームとしての人気ではなく地元のローカルチームを応援すると云う方向転換が現代の人気の基礎となっています。株組織を作りプロのチームの下にはマイナーリーグだけではなく将来の選手を育てるために小学生の年齢のキッズリーグからプロにつながる組織が充実して行きます。チーム数が大幅に増え優秀な選手が大量に必要になった背景がありました。


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