自由の価値

泉 遍理

自由の価値

 ロマニーの強盗歴は彼の年齢とほぼ等しい。といっても大それた仕事をしたことはなく、ちょっとした骨董品や混じり物の少ない銀食器を盗んでは、ちまちまと酒や煙草に変えてきた程度だが。


 すべては国のせいだ。自由がないせいだ。

 それは酔ったときの彼の口癖だった。全部国が悪い。生まれた途端、住むところも将来の仕事もすべて決められた社会主義。来年までの配給どころか、老いて自分が死ぬ日まですでに国のカレンダーに書かれている気さえする。ご丁寧に、お世話さま。

 そんな毎日に嫌気がさしたある日、隣国の噂を聞いて彼は一大決心をした。


 今度のヤマは過去最大だった。壁一つ向こうの隣国の銀行がターゲットだ。

酒場で、滅多に出回らない隣国の、すぐ隣町の地図を引退した警備兵が自慢していた。ロマニーはテーブルに酒を垂らして銀行の位置を記すと、大急ぎで紙に写し取った。壁のすぐ向こうに銀行があったとは。


 向こうの経済状況は分からないが、こっちよりひどいことはないだろう。リュック一つ分でも換金すればこの国なら一生遊んで暮らせるはずだ。だが給与の額まで国が管理しているこの社会で、大金を持っていればすぐ秘密警察に目をつけられる。


 地下トンネルを掘り、銀行の金をかっさらってそのままこの国を離れる。それがロマニーのプランだった。一生をここで終えるつもりはない。2km足らずのトンネルに、今日まで5年をかけてきた。こっそり水を抜いた10カ所の用水路から給気し、トロッコで移動。ランプも着替えも用意してある。壁の向こうにもこちらにも協力者を確保してある。


 決行の朝。明日の朝はもうこの景色を見ることはないと思うと、35年間見続けた、かつこれからも変わることのないであろう平凡な景色が無性に愛おしく感じられた。毎日変わらず決められた仕事をこなすだけの、実は名前もろくに知らない隣人たち一人ひとりにさえ、抱きついて別れを告げたい気持ちをぐっとこらえた。

 好きなことをして好きなものを食べる。どこまでも、どこまでも行ける世界。冒険と挑戦の、夢のような日々が待っている。


 夜、巡回が帰ったことを確認して、ロマニーは家の裏手に隠した入口からトンネルに入った。トロッコに異常がないことを確認し、ランプを持って移動を始める。

 半分まで来た。電線を引き、唯一付けっぱなしにしていたライトにも異常なし。そのまま前進する。あと50m。抑えていた興奮が否応なしに湧き上がる。汗が止まらない。


 あと20m。突然、地上で人の声が聞こえた。一人や二人ではない。大声で怒鳴っている。なにかがぶつかる音。トンネルの存在がばれたのか? 秘密警察がもう迫っているのか?

 隣国への壁の直前、ロマニーは脇道へ抜け、用水路に移動した。ここで見つかっても、殺されることはないだろう。


 足音が頭上でないことを確かめて、そっと顔を地上に出した。数十人、いや、百人以上はいる。男も女も年齢関係なく、大声を挙げ、歌を歌い、手にした斧で壁を壊している! 

 こいつら、秘密警察に捕まりたいのか? いや、これなら公然と軍が処刑しに来るだろう。ロマニーが呆然としていると、若い女性が抱きついてきた。

「あぁ、本当に素晴らしい!」

「一体全体、どうしたんだ」

「新聞を読んでないの? 国が統一されたのよ! もう社会主義はおしまい! これからは壁の向こうに行けるわ! ううん、どこにだって行けるの! 好きな場所で好きなことができるわ!」


 かくしてロマニーは自作の地下トンネルではなく、他人が壁を壊して作ってくれた道を歩いて自国の新たな地を踏みしめた。なんの感慨もなく、変化もなかった。

 壁の向こう側でも大勢の人間が狂喜していて、ロマニーは何人もの人に握手され、またしても若い女性に抱きしめられた。ふと気が付くと協力者たちも困惑気味で踊る若者の輪に誘われていた。


 現実感が急にロマニーを襲った。狙っていた銀行は想像以上に小さく、しかも休業中の看板が出ている。こちら側の経済状況も決していいとは言えないのかもしれない。他人任せの希望が、ちょうど鏡合わせのように壁の双方に溢れていた。

 こっちの連中も、向こうに行ければなにかが変わると思っているのか? あのなにもない俺の家や畑に? もし俺がこっちに生まれていたら、やはりこの瞬間を笑顔で迎えていたのか?


 俺は自由になった。でもどこに行けばいい? なにをするにも金と時間と、労力がいる。つまり新しい苦労が始まるということだ。

 ロマニーはきびすを返した。誰かが押し付けてきたワインを受け取った。ダンスの誘いを断り、騒ぎから離れた。


 生まれながらの非国民、強盗にして生涯の自由と夢を欲したロマニーは、かくして未だ社会主義の終わりを知らない家に帰って眠ることにした。目が覚めたとき、いつもの景色でいつもの生活をし、いつもの食事ができることを願って。

 自由なんてくそくらえだ。


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