第二章 ‐盲目彼女の微かな希望‐

 その日、私は友達の可奈ちゃんと近くの図書館に学校の宿題をしに来ていた。とは言っても、可奈ちゃんはすでに宿題を済ませ趣味である読書に耽っていた。私は勉強が出来る方ではない。その為参考書に指を這わせて宿題のプリントと戦っていた。

「ねぇ、可奈ちゃん。今何を読んでるの?」

 集中力が切れた私は、一旦ペンを置き向かいの席で読書をしている可奈ちゃんに話しかけた。

「えっ、その、これは……それより宿題は終わったの?」

「あー、可奈ちゃん話逸らしたー。何の本読んでたのか教えてよー」

「別に…… なんだっていいでしょ。ほら、宿題私も見てあげるから早く終わらせましょ」

 可奈ちゃんは一瞬慌てた声をあげるが、すぐに平静になって答える。私はその返答に頬を膨らませて講義するが、ペンを持ち直し宿題のプリントへと向き直る。分からないところは可奈ちゃんに聞き、参考書と照らし合わせながら答えを出していく。

 そうこうしている内に、日は落ちて辺りは暗くなっていた。館内も人が少なく帰る支度をしている人が大半だ。

「宿題も終わったし、そろそろ帰りましょうか」

「うん、集中してたせいで遅くなっちゃったね」

 かばんに筆記用具などをしまい肩にかけて席を立つ。冬が過ぎ五月とは言え、日が落ちると気温も下がってくる。図書館を出た二人は少し肌寒い空気に身を寄せあう。

「じゃ、これ以上遅くならない内に帰りましょ」

「うん」

 可奈ちゃんが私の手を取って歩き出す。私は盲目だ。元々盲目だったわけではない、小学低学年の頃に急に視力を失ってしまった。見えていた景色が、色が、光が閉ざされてしまった。それでも私は塞ぎ込むようなことはなかった。笑顔を失うことはなかったのだ。

「私はこっちだけど、本当に家まで送らなくて大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。可奈ちゃんはいつもそれ聞くもんね」

 交差点で立ち止まって可奈ちゃんが私を心配そうに見ながら聞くのに対し、私は安心させるように笑顔で返す。

「それは、葵が……いえ、じゃあ気を付けて帰るのよ」

「うん、ありがと可奈ちゃん。可奈ちゃんも気を付けてね」

「えぇ、じゃあ、また明日」

「うん、またね」

 可奈ちゃんは何かを言いかけたが、口を閉じると短く別れの挨拶を済ませ遠ざかっていった。私は可奈ちゃんが遠ざかる音を聞いてから自分の帰路へとつく。私は盲目であっても、目的の場所にたどり着ける。なんとなく察することが出来るし、生まれたころから住んでる街だから分かるのだ。実際、今まで一人で家まで帰ることが出来ているのが事実だと物語っている。

 私は帰路をゆっくりと歩く。周りにあるのは簡素な住宅街特有の塀で出来た道と、一定間隔で設置されている街灯だけ、しかし私の目にはそれすらも映らず、暗い道なき道を進む。周りに人がいる気配はない。

 そうしてしばらく歩いて、信号機のある交差点に差し掛かる。私はそのまま横断歩道を渡ろうとした時、自動車が飛び出してきた。鳴り響くクラクションとブレーキ音が耳を貫いて住宅街に響く。その音にびっくりした私は横断歩道の途中で止まってしまった。そして今のクラクションが自分に向かって鳴らした音なのかと思った。

 ここの信号機は青の時は音が鳴る仕組みなっている。私は確かに音が鳴っている時に渡った。じゃあ、車が信号無視をしたのか。私にそれを確認する術はない。

 自問自答が終わった時には、私は自動車に撥ねられ道路に横たわっていた。微かにある意識の中で聞こえたのは、自動車から人が降りる音と周りの家の玄関が開く音、悲鳴と叫び声だった。


                ◆◇◆◇◆


「あれ……? 私……」

 私は目を覚ます。相変わらず何も見えず聴力に頼る。すすり泣く音、泣きながら私の名前を呼ぶ声、お焼香の独特な匂い。何より、自分の身体が不思議と軽く、実体がないような感覚に私は不安になってしまった。自分の身体を触ろうとする。感覚はなく、そこに何かがある程度でしかない。

 そこで私はやっと、死んだんだということに気づいた。どうして自分がここにいるのかは分からなかった。ただ、これが幽霊ってやつなのかなって考えていた。聞こえる音に耳を澄ませてみる。その音の中に可奈ちゃんが鳴きながら私のことを呼ぶ声が聞こえた。その近くで寺島くんが慰める声も聞こえる。私は可奈ちゃんの声がした方を向いて、「可奈ちゃん……」と小さく呟く。可奈ちゃんは泣いたまま、私の声に返事をする様子はない。もう私の声が届くこともないんだと思った。

 そう思った時、ある人を思い出した。同じクラスで盲目の私がクラスで浮いていても邪険にせず接してくれていた男の子。

「神木くん‼ 神木くん‼」

 私は彼に伝えたいことがあったのだ。だから必死になって彼の名前を叫ぶ。もう声が届くことはないと分かっていても、呼ぶことをやめることが出来なかった。どうしても伝えたいその一心で呼んでいる時、身体ふと吸い寄せられるような感覚に陥った。

 その感覚が終わった時、自分がさっきいた場所とは違う場所にいるのだと気づいた。そして同時にさっきまで必死に呼んでいた彼に、神木優くんが近くにいるのだということにも気づいた。私は泣きそうになるのを堪えて彼の名前を呼ぶ。

「神木……くん」

 彼が驚いて振り向くのが分かる。そして口を開いて驚いたのも分かった。私はそんな反応が嬉しくて、ダメかもしれないって思ったのに、聞こえてるんだって分かって泣いてしまった。

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