第三章 ‐盲目彼女と非日常‐
家に着く直前で東雲さんの話は終わる。俺は玄関の前で立ち止まり今聞いた話を思い返す。正直、今までを見ても聞いたことない話だし、信じるにはまだ遠いけど、東雲さんの真剣な声を聞いたら少しくらいは信じてもいいのかもしれない。
「ただいま」
俺は短く息を吐くと玄関の扉を開ける。靴を脱ぎひとまずリビングにいるであろうおばあちゃんのもとへと行く。俺の家両親と一人っ子の俺に父さんの母であるおばあちゃんの4人で住んでいる。ちなみにおじいちゃんはおばあちゃんが若い頃に離婚したらしい。
「おばあちゃん、ただいま」
廊下の先にあるリビングで祖母はお茶をすすりながらテレビを見ていた。テレビでは特に代わり映えすることのないここ最近で起きた出来事を司会の人とゲストで呼ばれた人が話していた。
先週は東雲さんの事故のことも取り上げられていた。その事故はもう遠い過去のように新しい出来事が埋めて行く。
「優、学校はどうしたんだい」
おばあちゃんはテレビから視線外し、俺の方を見る。その眼差しは怒っているというわけでもなく、何か探っているような吸い込まれる目をしていた。
「ちょっと体調悪くなっちゃって、様子見ようかなって思ってさ」
あくまで平静を保って答える。実際頭が痛い事態に陥っているから嘘ではないはず。ただ、おばあちゃんの目を見るとどうしても萎縮してしまう。
「そうか、無理はしない方がいい。部屋で休んでいなさい。後で様子見に行ってあげるから」
おばあちゃんはそう言って、お茶をすする。俺は「ありがと」と短く返し自分の部屋へと向かう。階段を上り短い廊下のつきあたりのドアを開けて部屋に入る。
「へー、神木くん結構綺麗にしてるんだねー」
俺がカバンを部屋の隅に置いていると、さっきまで黙っていた東雲さんが部屋の様子を見て声をあげる。興味深そうにあちこちを見ている。
「あまり見ないで、というか見えるの?」
「見えるわけじゃないけど、なんとなく雰囲気で分かるの」
東雲さんはそう言って俺の方を向いて笑った。引き返してる途中で聞いた話は少なくとも明るい話ではなかったし、本人にとっては不幸のはずなのにそれを感じさせない態度に俺はどう接すればいいのか掴めていなかった。
「とりあえず、これが事実だということにして話を進めよう」
「神木くんって結構適当なんだね」
「適当って……」
俺は椅子に座り、東雲さんは床に静かに座った。そこでふと疑問に思ったことを口にした。
「物体に触れるの?」
「んー、感触とかはないけど、そこに壁や床あるように止められる感じかな。触れてるのかは正直分からないかな」
そう言って右手を床の上で滑らせる。俺の目から見ると触っているように見えるけど、東雲さんにはその感触がないということなのだろう。
「じゃあ、俺に触れることは?」
「人に触れることは出来ないみたい。さっきも何回か神木くんに触れたと思うけど、何も感じなかったでしょ?」
「え、そんなことしてたの?」
東雲さんは立ち上がると、俺の方に歩いてそのまま通り過ぎる。
「うわ」
「うわってなんか傷つくなー」
「ごめん」
東雲さんがまた座りなおすのを見てから、今目の前で起きたことを思い返す。確かに通り過ぎたのは見たけど、身体に違和感もなければ、感触もなかった。ただ、東雲さんのことは見えてるから、通り過ぎる時に視界が一瞬
「壁や床をすり抜けることはないけど、人は通り抜けられるということか。小物とかもすり抜けるのかな」
「何かペンとかある?」
俺は机の上のペン立てから一本ペンを取って、東雲さんに差し出す。
「んー、何も感じないかな」
東雲さんの手は俺の手とペンをすり抜けるばかりで止まることはなかった。
「おばあちゃんとの会話で東雲さんのこと言われなかったし、多分俺にしか見えてないんだよな?」
「他の人に見えてたら、葬式の時にみんな驚いただろうね」
東雲さんは少しクスッと笑って答える。もし、あの場でみんなに東雲さんが見えていたらと思うと、いたずらを仕掛けたみたいで面白いのだろうか。
「とりあえず、大まかなことは分かったし本題に入ろうか」
「本題?」
きょとんとする東雲さんを見て、俺も少しの間思考が止まってしまう。
「えーと、この状況をどうするのかって思ったんだけど、東雲さんは特に考えてなかったの?」
「あっ、そうだよね。このままじゃ神木くんに迷惑だもんね」
そう言う東雲さんの表情はどこか浮かない顔をしていた。
「酷い言い方になるだろうけど、東雲さんは成仏したくはないの?」
今言うには残酷過ぎたのかもしれない。言った時には遅いとも思ったけど、はっきりさせなきゃいけないことだとも思った。
「ううん、神木くんに迷惑はかけたくないし、私もこのままじゃダメなんだって思うよ。でもね、葬式で一人なんだって思ったとき本当に寂しくて、神木くんに声が届いたのがとても嬉しかったの。だから……」
そこまで言って唇をかんでうつむく東雲さんを見て、俺は励まそうと声をかける。
「まぁ、今は方法も浮かばないし、ひとまずはこのまま過ごすしか……ない……のか?」
言ってる途中で気づいてしまった。これからしばらくの間、正確には東雲さんが成仏して消えるまでってことになるけど、俺の生活を見られるってことになるのか? 風呂とか、トイレとかも?
「えーと、神木くん? 私は大丈夫だよ?」
東雲さんは頬を染めて言ったが、全く大丈夫ではない。
「いや、大丈夫じゃないよ。少なくとも俺は平気じゃない。東雲さん、俺から離れることは出来ないの?」
「えーと、あれ? この辺に壁ある?」
東雲さんは立ち上がって俺から距離を取る。しかし、少し離れたところで壁のない場所をパントマイムのように手を当て始めた。
「4,5メートルってところか。まぁ、そのくらい離れれば壁の向こうくらいには行けるか」
「私は別に気にしないけどね」
東雲さんが元の位置に戻りながら恐ろしいことを言っていた気がするけど、聞こえない振りをした。そんなことをしていると部屋のドアをノックしておばあちゃんが入ってきた。
「なんだ、体調が悪いなら横になってないとダメじゃないか」
「ごめんなさい。ちょっと確認したいことがあって」
おばあちゃんは「そうかい」と言うと、床に正座で座る。ちょうど東雲さんの隣に。
「それで、具合はどうなんだい?」
「えっと、さっきよりは平気かな。少し横になってれば大丈夫そう」
「そうか、学校には私から連絡を入れておいたから、今日はゆっくり休みなさい」
おばあちゃんはそういうと立ち上がって、部屋を出ていった。出て行く時にこちらを気にしたようだったけど、俺は深く考えずにおばあちゃんを見送る。
俺の両親は共働きで、家事のほとんどをおばあちゃん一人でこなしている。だから、おばあちゃんに育てられたと言っても過言ではない俺は頭が上がらない。こうしておばあちゃんと話すのだってどこか緊張してしまうし、その緊張感がなくなると深く息を吐いてしまう。
「神木くんのおばあちゃんって、なんか不思議な人だね」
東雲さんがおばあちゃんが出ていったドアの方を見て言う。おばあちゃんと話している間ずっと黙っていたけど、東雲さんもおばあちゃんの出す空気に当てられていたのいたのだろうか。
「不思議っていうか、時に厳しく時に優しく。そんな言葉をそのまま人にしたらああなるんだと思う」
俺は椅子に深く座り直して、同じくおばあちゃんが出て行ったドアの方を見る。
「なんだか、私のことが見えてるみたいだった」
「見えてたら最初の時点で聞いてきたと思うけどな」
「そう……だよね」
東雲さんはどこか引っかかる言い方をしていたけれど、こっちを向く時にはいつもの笑顔に戻っていた。
「これからどうしようか」
「とりあえず、この状況をどうにか出来る方法を探そう」
盲目で幽霊の女の子とそんな幽霊に憑りつかれてしまった少年の短く、ちょっと切ない物語が始まるのだった。
「神木くんの背中って思ったより大きいんだね」
「見るなっ‼」
その日の風呂はいつもより熱い気がした。
盲目彼女の叶わぬ夢 静戯(せいぎ) @sizu_book
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