第2話

「今日はわたしの誕生日を、国をあげて祝ってくれてるの」

 国中がお祭り騒ぎになっている理由を教えてくれたのは、レースのかかった純白のハイロードレスに着替えて再登場したリムだった。長い金髪はアップでまとめられて白く滑らかな首筋が露出し、ビスチェで胸元も大胆に開かれている。

「ど……どうかな?」

 リムは視線を行き来させて聞いた。顔は少し火照って赤く染まっている。

「そんな暑いか?」

「え?」

 こんなに露出が多いのに暑いものかと思ったが、反応を見るにどうやら的外れだとイサミは気づいた。

 ちょっと怒ったような顔で腰に手を当てるリム。ドレスには宝石が散りばめられ、いかにも高級ですと言わんばかりだ。周りを見やれば、立食パーティの準備が施された庭園内に、やはり高そうなタキシードやらドレスやらで着飾った大人たちが招かれている。一様にうっとりした表情で彼ら彼女らの視線を集めているのは、何やら回答を待ちかねている眼前の少女だった。

 これだけよい物を着せてもらって、皆から羨ましがられる彼女は、きっとその幸いな日を祝ってほしいのだと、イサミは思い至った。

「ああ……おめでとう、リム」

「え、あ……うん、あ、ありがとう……何か思ってたのと違うけど、まあいいか……」

 正解ではなかったようで、少し複雑な心持ちを表しつつも、自らを納得させるようにリムは頷いた。

「それよりリム、アドルスタンのお姫さまだなんて聞いてないぞ……」

「聞かれてないもの。どうかしら? この屋上庭園では貴賓を集めてパーティを催すの。イサミもそこへ招待するわ。御用達のシェフたちが腕によりをかけた料理も振る舞うわよ。ご希望どおり、この国一番の食事になると思うけれど?」

 いたずらっぽい口調で、勝ち誇ったような表情を向ける。これはリムにとって恩返しであるとともに、ささやかな報復でもあるのだが、身に覚えのないイサミがその辺の事情に気づくことはない。

 とはいえ、入国したときからいやに丁重な扱いを受けるとは思っていた。リムは従者らしき者たちに囲まれてしまうし、ただの旅人に過ぎないイサミも騎士みたいな男たちに敬服の言葉を投げかけられた。

 そして国で一番立派な城っぽい場所に連れて行かれて、黒い正装をあてがわれた。

「いや、気づけよ俺……」

 どうやら、よほど腹が減っていたらしい。

 空腹は正常な判断を鈍らせる。

「これでもご不満?」

「いやいや、想像以上だよ。これ以上なんてない。……ただ、分不相応すぎて落ち着かないかな」

「大丈夫よ。あなたはわたしの命の恩人。来賓客としてもてなすと、もうお父上にも伝えてあるから」

「それはもう、断る方が恐ろしいな」

「だから楽しんでね。一応執事を一人付けておくから。何か困ったことがあれば、彼に聞いて。ヴェル、よろしくね」

 王の耳にも入っていると絶望を突きつけ、当たり前のようにリムは去って行った。彼女はこの国のお姫さま。ゲストやら要人やらへの対応で忙しいはずなのだ。

 無邪気な笑顔で小さく手を振る彼女は白馬の上と同じはずなのに、ずいぶん遠い存在に思える。


 開宴はまもなく。

 主役たるアドルスタン王女は、清潔なクロースのかかった丸テーブルの間を、淑やかにヒールを鳴らしながら歩いて行った。露出した白磁のような背中は、森へ入るときの不安げな様子とは正反対に堂々としている。

 その後ろ姿をイサミとともに見送っていたのは、件の老執事。背はリムと同じくらいで少し低めだが、腰は曲がっておらず矍鑠としている。白ひげを蓄えた口元は、柔和に笑んでいた。

 ヴェルと言ったか、温和そうな老人を付けてもらえたのは救いだった。そう思っていた。

「ヴェルさん、俺こういう場は慣れないんで、いろいろサポートしてもらえると助かるよ」

「マインツベルじゃ。リム様以外でヴェルと呼ぶことは許さん」

「え」

 優しい笑顔はどこへやら、悪鬼のような顔になる老執事。さっきまでと、しわの形がまるで違った。落ち窪んだ横目で、鋭く睨めつけてくる。

 イサミが呆気にとられていると、ヴェル・マインツベルは「フン」と鼻を鳴らした。

「お主のような男が窮地を救ったとな? リム様は騙されているのではないか……よいか若造、リム様はお優しい方だ。誰にでもあのようにお可愛らしい笑顔を向けられるのであって、決してお主が特別ではないのだからな! おめおめ調子に乗るでないぞ!」

 恐ろしい老人だと思ったが、リムに触れているときは顔が綻び、話がイサミに向くと一転険しい表情を見せる。リムを想うが故に警戒しているのだとわかると、なに、それほど嫌な相手ではない。

「じいさん、ずいぶんとリムを溺愛してるみたいじゃないか」

「溺愛なんてものではない。ワシはリム様が生まれたときからお世話をさせていただいたおる。あの頃は本当に小さくてなぁ。ワシの指を手でぎゅっと握って、可愛らしいご様子だったのぉ。いやいや、いまでももちろん可憐なお姿ではあるが、あのときはあのときで……あ。ウォッホン!」

 マインツベルは、つい思い出に耽ってしまっていた自分を、咳払いで窘めた。完全に顔がおじいちゃんのそれだった。

「じいさんがリムを慕ってるのはよくわかったよ。でも、じいさんほどじゃないにせよ、国全体がそうなんだってことは、俺も感じてる」

 イサミは欄干に肘をかけて眼下を見渡した。

 高層にある屋上庭園からは街の様子が一望できる。華美な装飾のない街並みだが、いまは至る所に旗やら横断幕やらが掲げられている。どれもが一様ではなく、リムへの思い思いの愛や感謝、敬服が表現されていた。公務だけでなく、どこで撮ったのかオフショットを収めた写真を引き伸ばして、自慢気に飾る者も少なくない。さしづめ「俺の王女様」「私のリム様」を主張し合う展覧会といったところか。

「リム様がお優しいからと毎年過激になってきておる、由々しき事態じゃ」

「好かれてる証拠じゃないか」

「いいや、そろそろ敬仰をもって自粛するくらいになってもらわねば困るお年ごろじゃ。今回のご生誕のお祝いは、特別な意味を持っておるからな」

 けしからんなどと言いながら、熱心に街の様子や展示物を写真に収めているところ、この老執事も充分に堪能しているように見える。

「特別な意味?」

「リム様は今日で十七歳を迎えられる」

「おお、リムって俺と同い年なのか!」

「いちいちリム様との共通点を探さんでいい! この国において王族が十七になる年は特別な意味を持つ。法的に王位を継承できるようになるんじゃ。このとき、慣例として王子王女は一つ願いを叶えることができる。故に十七を迎える年というのは、王族の生誕祭の中でも、とくに国民から注目を集める。たった一つの願いをもって次期王としての成長をお見せになり、国民からの信頼を高めなければならない。王族として初めての試練と言ってよいのじゃ」

「へー、それは大変そうだな」

「お主が想像できる程度のものではない!」

 きっと睨めつけてくるマインツベルを宥め、イサミは先を促した。来客をもてなす立場にありながら、歯に衣着せぬ物言いを続けてきた老執事だったが、ここに来て周囲をうかがい、トーンを落とした。

「……リム様が王位継承権を得るとはすなわち、現王であらせられるレビル・ソア様が退位されるのに好適な時期なのじゃ」

「なんで? 娘が王位に就けるからって、親が退く道理はないんじゃないのか? いてっ」

「声が大きいわ!」

 イサミがボリュームを変えずに聞き返すと、尻をはたかれた。招待客らの視線を集めるが、二人が愛想笑いでごまかすと団欒に戻った。

「はぁ……本来であれば、ここにお主がいることもあり得なかったはずなんじゃ」

「どういうこと?」

「なぜリム様が王女というお立場でありながら、歴代の墓所参りをお一人でなされていたか……そのお気持ちがお主にわかるか? ええい、わかるはずがない! わかってなるものか!」

「質問に答える間もなく否定されたのは気になるけど、言われてみれば確かにおかしな話だな」

 街の外でイサミと出会う前、リムは歴代の王が埋葬される墓地を訪れていた。

 そして、不運にもタテガミオオカミの群れに襲われ、幸運にもそこにイサミが通りがかった。――なんて言えば、またマインツベルが小うるさいだろうから、イサミはそっと胸にしまい込む。いまはそれより、本題の方が気になった。

「……リム様と現王レビル様は、

 マインツベルはより一層抑えた声で明かした。

「リム様の本当の父親は、先代の王であらせられたネオモルト・ストレン様なんじゃ。ネオモルト様が亡くなられ、レビル様はリム様を養女に迎えられて王位に就かれた。ご生誕の日に王墓を参るのは通例となっているんじゃが、リム様はレビル様に気を遣われて、実父であるネオモルト様も眠る墓所へ、お一人で参られているんじゃ……」

 マインツベルの瞳がしっとりと濡れる。

 一つ年を重ねることができた感謝を父に祈るときさえ、義父への配慮を欠かしてはならないのは、確かに不憫だった。

「これでわかったじゃろう? リム様のお優しいお心がけが、巡り巡ってお主をここに連れてきたと」

「それって運命だって言いたいの?」

「違うわ!」

「ま、冗談はさておき。今度の事件の原因として、王位継承権に年齢制限をかけたことがあるっていうのはわかったけど、現王が王位を継いだのは相応の理由があってのことなんだろ?」

 ボーイからウェルカムドリンクを受け取って一気に煽るマインツベル。とくに、イサミのために取ってやることはしないらしい。付き人からグラスを受け取ろうとした手をイサミは渋々引っ込めた。

「政治的空白は避けたいが、そのために熟慮を怠るほど、アドルスタンは落ちぶれてはおらん。有り体に言えば、レビル様はネオモルト様の親友であった。もちろん、それだけではない。ネオモルト様のという政治的なお立場もあった」

?」

「とくに細かな規定はないが、王子王女の頃より専属で身辺を警護する役目を仰せつかる特別な騎士じゃ。たいていは我が国を守護する選りすぐりの騎士のなかから、とくに文武両面に優れた若き英才が選ばれる。まあ、リム様と同様、お主とは縁遠い存在じゃな」

「一言余計なんだよ」

 再び近づいてきたボーイからドリンクを受け取るマインツベル。今度こそとイサミは手を伸ばしたが、付き人はまたしても自分で煽ってグラスを返した。

「側近騎士はつねに王族のお近くにいるが故、身の回りのお世話や警護にとどまらず、政治面への助言も行う。王位に空白が生じたとき、これほどの適任はいないじゃろうな」

「その話を聞く限り、確かに義理の父娘って関係は繊細なところもあるだろうけど、それほど問題視するようなことじゃないと思えるけど」

「これだから素人は」

 マインツベルはたっぷりの嘲笑が入った視線を向けてくる。またまたボーイが回ってきた。同じ轍は踏むまいとイサミが手を伸ばさないでいると、老執事もグラスを取ることなく、ボーイは素通りした。

 ――取らないのかい!

 どうやら、この老人もグラス二杯で満足したようで、お代わりは不要だったらしい。それならドリンクを求めればよかったと後悔したが、それ以前にグラスを持たない客にボーイが勧めてくれればいい。そんな恨み言が一瞬脳裏に走ったが、視線の先でボーイは別の客にドリンクを渡していた。ああ、きっとあんまり正装が似合っていないものだから、スタッフと間違えられたのだと観念することにした。

「く……それで、この素人めに理由をご教授くださいな」

 ヒヒヒとほくそ笑んだマインツベルは、ゴホンと仕切りなおした。

「じつは、ネオモルト様の死については、謎に包まれておるんじゃ。いや、それどころか、本当に亡くなられたのかさえ定かではない。ネオモルト様のご遺体は、いまだ見つかっておらんのじゃ。ネオモルト様は四年前から行方のわからない状態になっておる。しかし、王座を空白にしておくわけにもいかん。初めは代理で指揮を振るわれたレビル様が、そのまま王位に就かれたのじゃ。ネオモルト様は、政治的な判断で亡くなったと判断された――そういうことじゃ」

「それじゃあ、墓には誰も眠っていない。空の墓所ってことか」

「政治的混乱を避けるためとはいえ、リム様を養女にされる動きはやや強権的じゃった。いくら側近騎士で、王の不在という例外とはいえ、事を性急に進められ過ぎたという声もあった。結果、成り行きに納得のいかない者から、レビル様がネオモルト様に手を掛けたのではないかと考える者まで現れるという事態が、現在も継続しておるんじゃ」

 執事としてはやや配慮に欠けた弁舌だった。事もあろうに当今の王に対する批判を明け透けに言うのは、従者として相応しい行いとは思えない。しかし――

「……じいさんはどう思ってるんだ?」

「真実は闇じゃ。しかし、リム様のご心境を想うと心が痛む。この老骨が煩悶したとて、リム様のお慰めには一縷たりともならぬが……」

 しかし、マインツベルの気持ちは本物だ。彼のレビルに対する心馳せには不足もあるが、それも過剰にリムを想うが故。少々当たりはきついが、この老執事のそういうところは嫌いではなかった。

「外野がやんや言ってるのはどうしようもないよ。結局は本人の問題だ。じいさんが心労で倒れる前に解決するといいな」

「フン、わかったような口をききおって! お主に心配されんでも、ワシはこのくらいで倒れたりはせんわ!」

 そしてまたボーイがやって来る。マインツベルはグラスを二つ取り、一方をイサミに渡した。


      ×    ×    ×


 皿に盛った肉を前に、イサミは悪戦苦闘していた。

 普段なら素手で掴んで好きなところからかぶりつく。ナイフで切ってフォークで運ぶ、上品な食べ方に慣れていなかった。

「ああ、もう面倒くさい!」

 しびれを切らしたイサミが、肉を串刺しにしてしまおうとフォームを振り上げたとき、どすっと脇腹に肘を入れられる。

「いてっ。なんだよ、じいさん。いま」

 マインツベルが深々と頭を垂れながら、目で前方を見るよう合図を送る。そこには一見して王とわかる、金細工を施したスーツにロングマントを羽織った格好の男が従者を引き連れて立っていた。

 イサミはロクに顔も確認せず、とにかく跪いた。持ったままのナイフとフォークは後からテーブルに戻して。

「娘の一件については聞き及んでいる。アドルスタンの血脈を守ったに等しい働き、存分な褒美をもって返そう」

「とんでもありません。何の縁もない流れ者をご招宴いただいただけで充分でございます」

 マインツベルによる先入観はあったが、いかにも王らしく、静かだがいかめしい声音だった。それからいくつくか言葉を交わし、暇乞いの段となった。

「それでは失礼する。まだ宴は長い。堪能していってくれ」

「ありがとうござます」

 面を上げると、従者たちが王のために道を開けるところだった。

 踵を返す王の横顔は、なるほど騎士上がりを思わせる隙のないものだ。その目でひと睨みされたなら、小悪党は平身低頭で許しを請うだろう。

 張り詰めた空気を発する従者たちを挟んで、脇の方に控えるリム。悄然として浮かない表情だったが、イサミの視線に気づいて笑顔をつくる。

 その痛ましい様子を見るだけで、イサミにはマインツベルの話を実感するのに充分だった。


 レビルが去るのとともに、老執事も従者の集団に加わっていった。

 王の移動に、皆の注目が集まっている。

 いましかない。

 イサミはフォークを取って肉に刺すと、そのまま口へ運んだ。少し冷えてしまったが、やはり肉はこうして食べるのが性に合っているし、一番うまい。

「さて、と……王への挨拶も済ませたし、料理も堪能した。老執事の長話にも付き合った。もうやり残すこともない。まあちょっとは気になることもあるけど……流浪人にはこの辺りが潮時だな」

 水で喉を潤すと、グラスをテーブルに置いた。

「最後にリムにちょっと挨拶でもして、お暇するかな」

 うん、と身体を伸ばす。すると、意外な人物が戻ってきた。

「あれ、ちょっとお疲れ? 来賓ばかりのパーティじゃ、退屈だったかな」

「いや、ちょっと肩が凝ってね。それに、じいさんのおかげでだいぶ楽しめたよ」

 ひと通りの役務を終えたのか、リムは従者も付けずに一人だった。

「ヴェルと仲良くできた?」

「あー、仲良くかどうかはわからないけど、いろいろ話はできたよ。まあ、いいじいさんではある」

「そっか、そっか。楽しめてるみたいでよかった。わたしはちょっと疲れちゃったな。じつはパーティとか、けっこう苦手なの」

「王と一緒なのに疲れたんじゃなくて?」

 胸を反らせて伸びていたリムの動きがぱたりと止まる。そのまま諦めたように体勢を戻した。

「イサミは本当、遠慮ってものを知らないなぁ」

「直球なところは、俺の短所でもあり、長所だ」

「短所でもあるって自覚はあるんだ」

 苦笑するが、責めようとは思わないらしい。

「わたしはいいと思うよ、そういうところ。みんなが本心を伝え合えれば、何かが変わるかもしれない。何を考えてるかわからなくちゃ、疑いは消えないし、信頼も芽生えない」

「何かを変えたければ、自分から行動するんだ。相手が変わらなくても、自分から変わるんだ」

 改まった言い方に、リムは目をぱちくりさせている。

「っていうのは旅人の戯言だ。まあ、気に留めることでもない」

 イサミは肩を竦めた。

「イサミの指摘、違う……とは言えないけれど、そうありたくないとも思ってるわ。過程も普通じゃないし、周りがいろいろ思ってるのは知ってる。でも、わたしは本当の父娘になれたらって、そう思ってるよ。それだけは知っておいてほしいな」

「どうして俺に?」

「ほかの誰に言えることじゃないから。誰かが知っていてくれたら、変われるかもしれないって思えたの。ごめんね、身勝手な告白で」

「これも何かの縁だ。俺でよければ利用してくれ」

「ありがとう」

 リムの笑顔に、イサミも同じように返した。

 そのとき、爆撃でもされたかと思うほどの地響きがアドルスタン中に轟く。激しい縦揺れにテーブルの皿やグラスがひっくり返り、ガラスの割れる音が立て続けに鳴った。心臓を鷲掴みにされたような恐怖が、庭園内を悲鳴で満たした。

 イサミは倒れかけたリムを抱きとめる。イサミの胸に収まりながら、リムは事態を把握しようと辺りを見回した。

「な、何が起きたの……」

「どうやら原因はあれらしい」

 細かな説明は必要ない。それほど圧倒的な異物が、アドルスタンに侵入していた。

「あれは……」

、だろうな」

 イサミが明言できなかったのは、一般に知られている姿と一点だけ大きく変わっていたからだった。しかし、それを除いては、明らかに伝え聞くドラゴンそのものだった。

「どうやら、全身が機械でできたドラゴンらしい。機械都市アドルスタンの守護兵器、とかじゃないよな?」

「残念ながら無関係。誰からの命令をきくこともない、自然の生み出した怪物よ」

 アドルスタンの中心部に、突如襲来した全身機械のドラゴン。その招かれざる客はしかし、周囲の家屋を前脚や長い尾で薙ぎ払い、ここが我が陣地なのだと主張でもするように天へ咆哮した。

 波に変換された音が、再び地面を揺らす。音は空気を伝って心臓を揺さぶり、すべての人間に平等に恐怖の心を植えつける。

 自分の家が壊されようと、縁ある場所が踏み潰されようと、黙って見過ごすことしかできない。それほど凶悪な力を見せつけてきた。

 降下地点より距離のあるここ屋上庭園でも、声に気圧されて腰を抜かす者も現れていた。それほどでなくても、まるで金縛りにあったかのように、身動き取れずにいる者も多い。

 これはアドルスタン故の光景ではない。この世界でドラゴンに対峙したものは、皆一様にこのような反応を示す。それほどに抗いがたき差が、ドラゴンとの間にはあるのだ。生物界の王が力を示せば、ほかはそれに従わざるを得ない。それが、支配する者とされる者にあるルールである。

 しかし、それでも人間にも矜持はある。それを示さなければならない立場にある者ならなおさらに。

 イサミがふと視線を落とすと、少女が唇を噛み、手を小刻みに震わせていた。それは恐怖でも、ましてや生誕祭を台無しにされた恨みでもないだろう。しかし、ただの流浪人でしかないイサミには、リムの本心など測りきれなかった。だから、リムを見て心にちくりと針が刺したように感じた理由も、理解できなかった。


 正統後継者が王位継承権を得て王権揺らぎ民衆が浮足立つなか、アドルスタンはおそらく建国以来最悪の国家危機に陥った。

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