プラスチック・ワールド
秋津 遼
空の墓所
第1話
百度を優に超える熱風が砂塵をさらうと、表面の熔融した瓦礫が辺り一面に広がった。煉瓦造りの趣深い街並みは見る影もない。
間隙からは時々、手や足が生えているが、皮膚を爛れさせる炎に包まれていても微動だにしない。肉を焦がす嫌な臭いが充満し、すべての生命が絶えているかに思える。
しかし、そんななか、唯一動く生物があった。
三角形に近い寸胴な巨体。それを支える太い脚の一方が、いままさに最後の家屋をあっけなく踏み潰した。トカゲに似た風采のそれが空を自由に飛ぶとき、人はそれをドラゴンと呼ぶ。
ドラゴンが眼前に現れたとして、不幸を呪うことはあっても、存在そのものを不可解に思うことはない。そのドラゴンが異様なのは、そこに君臨していることでも、一つの街を一夜にして蹂躙したことでもない。
――全身が、機械でできているところだった。
身じろぐ短い前脚はカムや歯車で動作し、鱗をつくる金属は周囲の炎を爛々と反射している。
しかし、瞬く漆黒の瞳には確かに生命が宿り、天に向けられた獰猛な鳴き声は天然のそれと変わらず、脳を恐怖で揺さぶってくる。
外見は精巧にできた機械のドラゴンだが、その生命の躍動は自然に由来するものだった。
おもむろに、機械仕掛けの翼が開いた。その動きは淀みなく滑らかだったが、左翼の半分が欠けている。これでは巨大な体躯を空へと飛ばすことはできない。
しかし、そんな懸念を払拭するかのように、目を疑う出来事が起きた。
突如、金属どうしが打ち合うような甲高い音が響く。体鳴楽器が調べを奏でるようだが、同時に欠損部分が文字どおり再生していったのだ。
そして、あっという間に両翼を取り戻すと、羽ばたきとともに巨木のような脚で地面を蹴り、空の彼方へと消えて行った。
× × ×
丈の低い草花に囲まれた小高い人工丘の上に、黒い墓標が並んでいる。どれもがわざわざ遠国より仕入れたファイングレインで造られた最高級品である。
その荘厳な墓地に、対照的な白いワンピースドレスに身を包んだ少女が一人。永遠の眠りを妨げぬよう、静かな所作で順番に祈りを捧げている。
穏やかな風に、繊維のように柔らかな長い金髪がそよぐ。墓標を見つめていた、南国の海を思わせる鮮やかで透き通った色の瞳が、そっと閉じられた。
「アスタッド・ストレン様、わたくしが今日この日を迎えられた恩賜に感謝いたします」
墓石に印された名前に続いて、同じ文句を精魂込めて唱える。鳥のさえずりのように静かで愛らしい声。
一方、この一帯には鳥獣どころか虫一匹近づくことはない。鳥獣虫魚の類が嫌う電波を発する機械が地面に埋め込まれているからだ。おかげで、この墓地はいつでも静寂に包まれ、厳かな雰囲気が保たれている。
先祖一人への祈りを終えると、隣の墓標へ移って、同じことを続ける。
白いドレスに土がつかぬようハンカチを敷いて膝立ちになり、両手を組んで目をつむる。祈りを捧げて、言葉が届くのをじっと待つ。
これを十余回繰り返し、最後となる墓石の前に立った。もっとも近い日につくられたものだが、それでも真新しい。
しゃがみ込んだ少女は、これまでのような恭しさより、懐かしみを含んだ眼差しを向けている。わずかに微笑んで小首を傾げる彼女が、心中で何を語りかけているかはわからない。けれど、その相貌から読み取れるのは、過去に囚われた哀しみではなかった。
少女は手を伸ばすと、墓石に触れた。
白い指でなぞったそれには、「ネオモルト・ストレン」と刻まれていた。
「あれから四年……わたしにも、節目を迎えるときが来ました」
蹄の先まで機械となった脚が、広大な疎林を軽快に駆ける。少女のドレスと同じ鮮やかな白い毛並みは、生まれたときのまま。脚部だけ機械仕掛けになった白馬は主を乗せ、彗星のように長い尾をはためかせながら疾走していた。
大地に刻まれた形のよい蹄跡を、後続の群れが乱暴に踏み荒らす。馬上の少女は振り返ると、手綱をぎゅっと握り直した。
血走った目、荒々しい鼻息、垂涎の開いた口は、白馬を少女もろとも餌にしようと先走っている。一頭残らず、腹を空かせたタテガミオオカミである。それらが二十頭近い群れを成し、十メートルほどの猶予をもって追走してきていた。
特徴的な長い毛が機械になって、棘のように鋭い。
追いつかれれば、まずあの尖った毛先に突き刺さると想像すると、少女はぞっとして青ざめた。
「早く……もっと早く!」
少女は身を屈めた。少しでも風圧を弱めようとしてのことだが、まるで祈りを耳に届けようとしているかのように見える。
脚色は衰えを知らず、機械の脚は天然のそれより速度を出せるが、それでもポテンシャルの差は埋めきれない。じわじわと距離を詰められ、それは少女の表情に焦りとなって表れていた。
空腹に耐えかねたオオカミたちの唸り声が近づくごとに、鼓動が蹄の立てるテンポに近づくのを感じる。
高鳴りと怖気が悪心に変わろうとしたころ、爆発音と続く高音が足音の波をかき消した。
土埃をあげながら荒々しく走る一台のオフロードバイクが、太陽のある方角から忽然と現れた。
わざとタイヤを滑らせて後方に細砂を撒き散らして敬遠すると、オオカミたちは苛立ちのこもった叫声をあげながら、やや距離をあけた。
空のような青を差し色にしたオフロードバイクが、白馬との並走に移る。
フルフェイスヘルメットのスモークシールドをあげると、若い男の目元がのぞく。
「肺の
「されております」
「オーケー。北東の森へ」
「わかりました」
ヘルメットのせいで声はくぐもっていたが、冷静なのにどこか優しげな視線に促されるようにして、少女は素直に従った。
「はっ!」という掛け声とともに白馬の進路を北東へ変える。青年はその斜め後方から、オオカミたちを警戒しつつ追随した。
森の入口が見えると、青年は再び少女の横に並んだ。メットのシールドを上げ、またあの安堵を誘う眼差しが彼女を捉える。
現れてからずっと、背中を押してもらえているような感覚を覚えていたが、こうして並んで走るときの安心感はまた別物だった。これまで当たり前と思っていた往復路に、じつは孤独を感じていたことを思い知らされる。しかし、これが単に誰かと一緒だからではないと、少女は直感しているようだった。
その証拠に、窮地を脱したわけでもないのに、彼女の口元は少し綻んでいた。
「森に入ったからといって、安心はできないぞ。むしろ勝負はここからだ。これが君を安全に帰すためのちょっとした賭けだって、わかってる?」
「わ、わかっています!」
気の緩みを青年にすかさず刺され、少女は思わず拗ねたような言い方になった。
「肺がインロードされたわたしの馬のスタミナはほぼ無制限。ですが、長く全力疾走を続けた身体のどこに支障が出るかはわかりません。折り悪く何かが起きたとき、わたしはこの子と一緒にオオカミたちの餌です。あなたが、それを救ってくださるんですよね?」
ヒーローになりに来たのだと、そう聞いた。
見くびられた経験など皆無な少女にとっては、ちょっとした屈辱を返すためのいじわるだったが、青年は当然とばかりにウィンクで返した。
「ああ、もちろんそのつもりだよ」
「ずいぶん、はっきり言うんですね」
「流れ者で、変なしがらみとかないから思ったことはそのまま口にするタイプでね。気を悪くした?」
「いいえ、ちょっと羨ましいです……」
少女の小声は、足音とエンジン音の協奏にかき消える。
「え、何か言った?」
「何でもありません。それより、森へ入ってどうするつもりです? 直線ならまだしも、木々の間を縫って走るとなると、追いつかれるのは時間の問題ですよ」
「ああ、でもそれを説明してる時間はないみたいだ。ここからは別行動になる」
いつの間にか森が目の前に迫っていた。
林立する高木の先は光が遮られて暗い。これから一人であの闇に潜るかと思うと、少女の顔から血の気が失せた。
「そんな心配するなって。君は俺が襲わせない」
「そう言われても……怖いものは怖いんです……っ!」
「わかった。ちょっとおいで」
青年は少女の後頭部に手をやって、そっと額と額を突き合わせた。
「えっ……! ちょっと……」
「いい? 森へ入ったら、とにかく全力で逃げるんだ。オオカミたちは全部俺が払いのける。だから心配するな。いい?」
ヘルメット越しだが、異性と接近した少女が慌てふためく。しかし青年はそれさえもオオカミから追われる恐怖の表れと取ったのか、幾分か優しげな口調で言った。
青年が離すと、少女は前髪を直す素振りで赤くなっているであろう顔を隠した。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「ええ、怖さなんて、どこか行っちゃいました!」
「それはよかった」
「うぅ……」
青年は目元だけでわかるくらい無邪気に笑ったが、少女は何か納得できない様子でふくれっ面を見せた。
「じゃあ、ご主人様を頼むぞ。お前は前だけ気にして走っていればいい」
気を取られていた少女は、その言葉に隠されたヒントに気づくことはなかった。青年は白馬の鬣を一撫ですると、進路を横へ逸らして行った。
少女が森に入ると、タテガミオオカミたちも追って闇へと消えた。倒木を白馬が華麗に飛び越すと、後続の群れの半分は跳び、もう半分は下をくぐって追走する。
複雑に生える樹幹の間をうねるように進むには、一瞬の判断と直感が物を言う。運動神経にも第六感にも特別な自信があるわけでない少女は手綱を緩め、すべてを愛馬に委ねた。
いまでさえ、こうして行きたい所へ導いてくれるが、当初は気位の高さから乗馬さえも困難だった。
その気高き馬が、初対面の相手に己に触れるのを許した。本来なら、後ろ足で蹴られるか、せめて声で威嚇するところだ。
そんな軽率な行いを感情に溺れて制止できなかった少女自身も迂闊ではあった。けれど、いまは青年の言葉と、彼を受け入れた愛馬の脚に自今を託そうと決めていた。
だから少女は、森への入り際に見た青年の異常な行動にも疑念を挟まず、何が起きるか見守ろうと思うのだった。
一方の青年は森の手前で少女と分かれると、別の目的地に向けてスロットルを開けた。その向かう先では、折れた樹幹が杙に引っかかったままになり、森の上空へと誘うかのような上り坂をつくっている。群れのうち数頭が本来の目的を忘れて彼を追随したが、バイクが樹のつくった坂道を利用して空高く舞い上がると、折れた樹幹の先で上空へ吠えた。
青年は空中でオフロードバイクを捨て、フルフェイスヘルメットも脱いで放り出す。そのまま命まで投げ捨てるのではないかと思われたが、両手両足を広げて空気抵抗を操る様から、ここで死ぬつもりはないらしい。
そもそも彼は少女を救うと約束したばかりで、これもそのために必要なことであるはずなのだ。
青年は長くも短くもない黒髪をはためかせながら、森に向かってダイブしていく。パラシュートのような装備は一切ない。このままでは、木がクッションになったとしても命はあるまい。
しかし、青年は顔に焦りが浮かべるどころか、口角を楽しげに上げている。
樹冠に到達するころ、青年は両手を地上へ向けた。
その手が木に触れると、絵の具を落としたかのように銀色に染まる。
そしてそれは波紋のように広がり、森を塗りつぶしていった。
もはや後ろを警戒するだけではなくなっていた。
森に入ったオオカミたちは蛇行するなかで自然と分裂し、左に一組、右に二組の集団を加えている。後ろから追われ、左右を阻まれて選べる道筋も限定され、決定的な場面が訪れるのも時間の問題だった。
少女はおもむろに見上げるが、林冠が生い茂って青年の姿は確認できない。
こんなことなら、無理にでも作戦を聞いておくのだったと後悔しても、もう遅い。不安がこみ上げてくる。
「何かしら、あれ……?」
状況を確認する以外に為す術のない少女が後ろを振り返ると、オオカミたちのさらに後方で何かがざわめいている。そこに、何かが迫ってきているような気配を感じた。
闇に目を凝らすと、銀色の輝きを認める。
その直後、一頭のタテガミオオカミが悲鳴とともに横へ弾かれた。
それを皮切りに、最後尾のオオカミから次々と何かに弾き飛ばされていく。
「何かいる……っ!」
新たな危機の予感に、少女は身を強張らせた。オオカミたちも異変を感じたのか、後方に注意を払い出す。
しかし、後方だけではない。
何かは左右からオオカミたちを無差別に襲う。群れは混乱を来しはじめ、恐怖や威嚇の色を帯びた鳴き声が四方で響く。
「いったい、何が……?」
その問いに答えるかのように、それは姿を現した。
銀色の触手のようなものが、まるで小虫でも払うかのようにオオカミたちを横殴りにしていた。
森がオオカミを襲っている――そう形容したくなる事態だが、その色の異様さが思考にノーと突き立てる。
銀色。
銀色の触手めいたものが、自在に体部をうねらせながら、オオカミたちを着実に仕留めていく。
「すごい……」
それは銀の美しさ故だろうか。
得体の知れない何かが、自らを追い立てるオオカミたちを払いのけていく状況。
差し伸べられた救いだと考えるには楽観的過ぎる。
オオカミの次は、自分かもしれない。
けれど、そんな悲観も、正体不明への恐怖も、不思議と少女は感じることがなかった。
あれほどしつこかったオオカミたちがあっさりと森のどこかへ姿を消し、最後の一頭になるのに、ただ目を奪われていた。
このまま危機は去るのだと、心のどこかで安堵した。が――
「きゃっ――!」
何かに蹴躓いたのか、体勢を崩した白馬もろとも少女は地面に滑り落ちた。
「うぅ……」
転がりながらあちこち打ちつけ、全身の鈍痛に思わず呻く。
パキッと枝の折れる音で目を開けると、そこには長い機械の毛を逆立てた獣。
空腹に苛立つような唸り声と、ようやく獲物にありつける垂涎に口元を引くつかせている。
「――っ!」
なぜ、まだ残っているのか。
あの銀色の触手が一掃したのではないのか。
「ぐぉぉぉぉっ!」
そんな疑いを跳ね除けるかのように、タテガミオオカミは大きく吠えた。
少女は戦慄した。
声にではない。そのインロードされた牙と顎に。
凶悪な口が、少女の頭を丸ごと噛み砕けるほど、バックリと開かれる。
見た目は機械なのに、唾液は上顎歯から下顎歯へと糸を引く。
自らをすんなりと胃へ運ぶための機能に、少女は声にならない悲鳴をあげた。
――食われる。
そう脳裏に過ぎったとき、
「伏せろ――」
背後から聞こえた声に反射的に従う。
直後、頭上を突風が吹きさらした。
引っ込めた首をさらに縮こまらせると、
「ぅがぁぁぁぁっ!」
と、唾液を撒き散らしながら、タテガミオオカミが軽々と弾き返された。
地面を転がって止まると、何度か身体を震わせ、やがて静かになった。
「無事だったようだな」
声のした方を振り返ると、青年が銀色の触手に地面へとエスコートされて降りるところだった。
そのときようやく、少女は正体に気がついた。
「インロードされた木……これ、全部あなたが?」
「ああ」
鞭のようにオオカミたちを薙ぎ払っていた触手の動きが静止すると、それが枝葉のついた樹幹だとわかる。あまりにも滑らかな動きと元とかけ離れた色合いから、真実の姿を想像することができなかった。
青年は働きを労うように銀色のそれをぽんぽんと叩くと、微笑んであごをしゃくった。
促され、改めて蹄跡を見やる。
「は……っ」
広がっていた世界に思わず息を飲んだ。
通り道にあった木々が尽くインロードされ、森はその一部を美しい銀色へと変えていた。
× × ×
「そんな心配そうにしなくていいよ」
横倒しになったままの白馬の首元を、少女は何度も何度も撫でていた。白馬も主を落馬させたことに消沈しているように見えるが、それ以上に彼女の方が沈んでいた。
「ですけど、怪我を……」
目尻には涙まで溜め始めている。
青年はというと、白馬の身体をあちこち診て、怪我の程度を調べていた。
「いくつか擦りむいている箇所はあるけど軽症だ。一番ひどいのは右前脚だけど、骨折してる程度だから大丈夫」
あっけらかんと言うと、側を外して機械部を露出させ、青年は手持ちの工具で壊れた部位を修理していった。
「これだからインロードは便利だ。生身のままなら一ヶ月は歩けない怪我も、一時間とかからず修理できる」
「便利だなんて言わないでください! ……いえ、ごめんなさい。わたし、助けていただいた身で」
「いや、俺が無神経だったよ。こいつは君の大事なパートナーだからな」
青年が鼻先を撫で上げると、白馬はその手をぺろっと控えめに舐めた。
「不思議……この子、簡単に気を許したりしないのに、あなたにはもう懐いているみたい」
「そうか? って、おいおい、くすぐったいからやめろって」
手を放しても舐め続ける白馬に、青年が笑む。
「ずるいな。わたしなんて、何度背から振り落とされたことか……」
「その割には、さっきは大した走りっぷりだったぞ。……と、よしできた」
修理を終えたらしく、青年は白馬が立つのを手伝ってやる。白馬は立つと、脚を気にしながらその場でくるりと回った。
「なんだ? こいつ、俺の腕に不安があるっていうのか。まあ、俺は機械にするのが専門で、修理は専門外だけど」
しかし具合には納得したようで、白馬はお礼のつもりか軽く鳴いた。
「何から何まで、本当にありがとう。わたしはリム。リム・ソアです」
「イサミ・ナキアスだ。よろしく」
「さっき、インロードにするのが専門って言ったけど、やっぱりあの森の急変は……」
「俺の仕業だよ。この手で触れたものを自由に機械にできる。原理はよくわからないけど、自然に起きる草木や動物、ひとの身体がインロードしていくのを急激に早められる力だと、俺は勝手に解釈してる。ちなみに実際のインロードと同じように、戻すことはできないから、森はこのままだ。機械の表面が銀色になるから、
「シルバライズ……すごい力。でもおかげで助かりました」
イサミは、すっかり懐いた様子の白馬の腰を軽く叩いた。
「ところで、さっきので俺のバイクがパーだ。悪いんだけど、リムの国まで一緒に乗せて行ってもらえるか」
「ええ、もちろん。でもそれだけじゃ足りません。何かお礼をさせてください」
「うーん……じゃあ、国で一番うまい料理を食べたい!」
「それなら任せて」
リムは即答すると、ふふんと意味ありげに鼻を鳴らした。勘づいたイサミは、釘を差す。
「『この国で一番の料理は、わたしの手料理よ』っていうのはなしだから」
「変な裏声は止めて、似てないから。安心して、手料理じゃないわ。ううん、どうして手料理じゃないと安心するのよ! そんなにわたしの手料理じゃ不満?」
「おいおい、俺は不満なんて言ってないだろ? 勝手に暴走するなって」
まあまあ、どうどうと宥められ、リムは不満げに眉を吊り上げながらも、咳払いで取り直した。
「こほん。……まあいいわ。イサミにはちゃんとお礼はします。自信を持って国で一番の料理を食べさせてあげますね」
「ほうほう、その自信は本物のようだ……楽しみにしておくよ」
二人を背に乗せた白馬は、直したばかりの脚に負担がかからないよう、ゆっくりと歩を進めた。
インロードで修理可能とはいえ、急場しのぎ。余計な負荷をかけて、これ以上帰路に面倒事を起こすわけにはいかなかった。
真上に照っていた陽は傾き、残照で空は赤く染まっていた。
森を抜けると、目的地はほど近くだった。
「あそこに見えるのがアドルスタン。わたしの住んでる国よ」
「へぇ、立派な街だなー!」
リムが肩越しに振り返って故郷を紹介すると、後ろのイサミは少年のように興奮した。
雄大な大地に屹立する高層建築物群。手前に湖を持つその国は、まるで神が地表の水をすくっているかのように見える。
幻想的なまでに勇ましいその機械都市こそがアドルスタン、世界でも有数の発展を遂げている街だ。
立ち並ぶ巨大建築物は円形をデザインに組み込んでいるが、それでも威圧感が強い。夕闇に明かりが灯りはじめ、巨大な怪物が目を覚ましたかと思う。
効率化され、それ故に寂しい外観を、シンボルである尖塔が彩っていた。
「アドルスタン……聞きしに勝る絶景だ。この世の技術的な結晶を見ているようだよ」
「それは言い過ぎよ。でもお楽しみはこれから。イサミを、この国で一番の料理に招待するんだから」
「おぉ、それは待ち遠しい……」
「ちょっと、よだれ垂らさない!」
呆れ顔を見せつつも、くすりと笑うリム。
しかし、それは彼の子どもじみた反応に寄せられたものではなかった。
このときリムが口を滑らせていたなんて、イサミは気づきもしなかったのだ。
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