Layer_2/ Adolescence(5)

 それからも、残り三つの鍵を探し続け、お化けの襲撃とシスルさんの追撃を回避しながら、何とか二つまでは手に入れることができた。

 だが、残り一つを、どうしても手にすることができない。

 ダリアさんのサーチによれば、最後の一つは不思議なことに、常に「移動している」ようなのだ。それでも、地図に浮かんだ鍵の在り処を追い、僕の中に揃い始めている鍵が最後の一つの気配を感じ取りながらも、あるはずの場所に何かを見出すことはできなかった。その奇妙な現象に戸惑っている間に、シスルさんの襲撃を受けて、成す術もなく殺され続けている――。

 いや、もっと細部まで思い出すべきだ。そして、考えるべきだ。ただ漠然と現象を辿っているだけでは、結局何も変わらない。僕は、ベッドの上に腰掛けたまま、白い両手を見下ろす。

 すると、ダリアさんがほっと息をついて、言う。

『よかった。随分、落ち着いてきたようだな』

 確かに、シスルさんとのやり取りを思い返しているうちに、目覚めた瞬間に感じていた焦りや苛立ちはほとんど消え去っていた。

「すみません、心配かけて。もう、大丈夫です。まあ、まだ、どうすればいいかは全然わからないんですけど」

『何、焦ることはない。時間はたっぷりあるんだ、ゆっくり考えていけばいい』

「そう、ですね」

 そう言ってもらえると、幾分心が楽になる。

 ダリアさんの言うとおり、僕には時間がある。というより、ここから出ようと思わない限り、ほとんど永遠に過ごせるだろうという実感がある。誰に説明されたわけでもないけれど、確信と言ってもいい。この場にいる限り、僕は食欲や睡眠欲などの、人としてあるべき欲求が存在していないから、きっと、それらを満たさなくとも、死ぬことはないと思っている。

 ――ただ、ダリアさんはどうなのだろう。

 いつ語りかけても、鈴のような声で僕に応えてくれる、ダリアさん。だけど、僕と条件が同じとは思えない。言葉の端々を聞く限り、ダリアさんにはダリアさんの生活があるようで、まっさらな僕とは違う何らかの背景があるのだと感じられるのだ。

 だから、つい、問わずにはいられなかった。

「……ダリアさんは、大丈夫なんですか?」

『何がだ?』

「僕には時間があるかもしれませんけど、ダリアさんは、どうなのかなと」

『私のことは何も気にすることはないさ。私は、何よりも君の助けになりたい。そのために、ここにいるんだ』

 ダリアさんは、いつだって、きっぱりとそう言い切って、軽やかに笑うのだ。ふわふわ、不安定な心を抱える僕と違って、ダリアさんには何一つ迷いなんてないようだった。最低でも、僕を見守るという一点に関しては。

 ならば、僕も迷ってばかりはいられない。ダリアさんの期待に応えて、一歩前に進むためにも、今、目の前に立ちはだかっているものを、一つずつ乗り越えていく必要がある。焦りと苛立ちに支配されることなく、それでいて、確実に。

 まずは、シスルさんが僕に課した、ゲームについてだ。これを乗り越えなくては、話にならない。

 思い返してみても、一方的に蹂躙されたという事実ばかりが思い出されて、解決の糸口が全く見えない、第二層のゲーム。それでも、頭の中で何度か反復しているうちに、いくつか見えてくるものもある。

 例えば――ゲームに関して、シスルさんが、嘘をついているとしたら。鍵を探すゲームというのは真っ赤な嘘で、本当は最後の一つは誰の手も届かない場所に隠してあって、絶対に見つからないようになっているのではないか。そうすれば、僕はただただあてもなくこの階層を彷徨うことになる。全てを諦める瞬間まで、永遠に。

 ――けれど、それはない、と断じる。

 それは僕の記憶を取り戻す、という目的で存在するという塔のシステムそのものに反しているし、それとは全く別の次元でも「あり得ない」と思うのだ。

 街を彷徨っているうちに、徐々に取り戻されていく記憶。ガーデニアさんの守る第一層では、それらは本当にばらばらの断片でしかなかったけれど、ここでは最初から記憶を繋ぐ鍵の一部を渡されているお陰だろうか、ある程度の整合性をもった記憶として僕の中に息づいている。

 だから、わかるのだ。

 シスルさんは、決して、ゲームのルールを偽ることはないと。

 僕がシスルさんについてわかったことは、まだそこまで多くない。ただ、シスルさんはその頃の僕と同じようにこの街に暮らしていて、時には一緒に街を駆けて、時には敵対することもあった、そういう不思議な関係性だったように思われる。

 記憶の中のシスルさんは、そんな僕にいつも不機嫌そうな顔を向けていた。要するに、僕はどうも好かれてはいなかったようだ。ここのシスルさんが親しげに振舞ってくれたから、もう少し好意的な関係かと思っていたのだけれど、どうもかつての僕は相当嫌われやすい性質の人間だったらしい。ガーデニアさんしかり、シスルさんしかり。それを自覚すると、ついつい落ち込んでしまう。

 その反面、シスルさんは、いつだって、それこそ一時的な味方として僕の横に立っている時も、敵として僕の前に立ちはだかる時も、己の目的を果たすためにはどんな手でも使う人だった。それこそ、必要があると判断すれば、嫌っているはずの僕に頭を下げて、救いを乞うことだって躊躇わない人なのだ。

 その、すがすがしいまでに「目的のために手段を選ばない」姿勢こそが、僕の憧れの一端であったと言っても過言ではない。

 ――では、この場における、シスルさんの目的は何か。

 僕の記憶の鍵を守護し、僕を認めた時にそれを渡すことだ。

 今のシスルさんにとってそれは、「僕にゲームを課し、解かせる」ことである。つまり、その「目的」を逸脱するようなことは、絶対にない。シスルさんはそういう人だと確信させるだけの理由が、僕には――僕の記憶にはある。

 ただ、同時に、ゲーム・マスターとしての目的を逸脱しない限り、どのような手を使ってもおかしくないということではある。

 これは、シスルさんの言うとおり決して解けないゲームではない。だからと言って、簡単にゲームを解かせる気はないことが、わかる。

 ダリアさんも言っていたとおり、本来シスルさんは必要がない限り、人を傷つけることを好むような人格ではない。それこそ、お気に入りのカフェで水のグラスを片手に、ベイカー・ストリートの名探偵を夢見ながら旧い探偵小説のページをめくっている、そんな人なのだと僕の記憶が告げている。

 だというのに、今は「必要以上」とも思われるやり方で僕を痛めつけて、こちらの出方を伺っている。

 ――どうして?

 理由がある。シスルさんの行動には、全て確固たる理由がある。それを僕が理解できるか否かは置いておいても、そこには何らかの一貫性があるはずだ。

「ダリアさん」

『……何だ?』

 僕と同じように、思索にふけっていたらしいダリアさんが、一呼吸を置いて問い返してくる。それだけで、僕は一人ではないのだと実感する。僕一人ではただただ思索の闇に溺れてしまっていただろうから、ダリアさんがそこにいてくれるのは、本当にありがたいと思う。

「シスルさんの行動や言動で、何か引っかかったことなどはありませんでしたか? 本当に些細なことでもよいのですが」

 とはいえ、シスルさんはゲームが始まってからはほとんど口を利いてくれていない。それこそ、僕が死ぬ直前に、僕を挑発するような言葉を投げかける程度で。ダリアさんは『ううむ』と難しい唸り声を漏らしたきり、しばし黙り込んでしまった。

 それもそうだ、ダリアさんの目に見えているものは、どうも僕が見ているものとほとんど変わらないらしいのだ。階層の地図を見たり、鍵の位置を探ったり、といった僕にはできない行動の権限を持ってはいるけれど、だからと言ってこの階層やシスルさんのことを知り尽くしている、というわけではないのだ。

 それでも、数秒の沈黙の後に、ぽつりとダリアさんが呟いた。

『そうだな、少し、気になったことといえば』

「何かありましたか?」

『ユークリッド、君は今まで、シスルに触れることができたか?』

 一瞬、ダリアさんが何を言っているのかよくわからなかった。触れる、触れ合う――といくつか関連する単語を思い浮かべてみてから、それが言葉通りの動作を示しているのだと思い至る。

 ゲームが始まってから、シスルさんに肉薄した回数はそれなりに多い。殺された回数の半分は、シスルさんに直接引導を渡されているのだから、当然と言えば当然だ。けれど、実際に接触したかどうかを考えてみると――。

「……ゲームが始まる前に、頭を撫でられたきりですね、そういえば」

 最初はワイヤーによる絞殺。先ほどは大振りのナイフによる刺殺。一回目はともかくとして、二回目はシスルさんと真っ向から対峙することになった。とはいえ、一対一ではなくて、あくまでお化けに囲まれた、僕の圧倒的不利な状況下ではあったのだけれど。

 そこで、せめてシスルさんの動きを止めようと飛び掛ったところで、お化けに妨害されて。次の瞬間には、シスルさんのナイフの刃が胸に食い込んでいたのだと、思い出す。

 その時の感触を思い出しただけで気分が悪くなってくる。そんな僕の様子にすぐ気づいたらしいダリアさんが、慌てた声で『すまない』と言う。

『嫌なことを考えさせてしまったか』

「大丈夫です。どうにせよ、思い出さなければならないことでは、ありますから」

 ぐ、と。ダリアさんは言葉を飲み込んだようだった。多分、僕を心配する言葉を、もっと投げかけたかったのだろう。ただ、今の僕が必要としている言葉はそれではないと、わかってくれたのだと思う。一拍置いて、おそらくは意識して、淡々とした口調で続けてくれる。

『私が観測している限り、どうも、シスルの持つ武器には実体があるが、シスル本人にはまるで実体がないように見えている』

「……!」

 その言葉に、驚くと同時に、僕の頭の片隅に引っかかっていた曖昧な形の疑問が、少しだけ、はっきりとした輪郭を帯び始めた気がした。

 そうだ、シスルさんと対峙した時。一回だけ、シスルさんに向かって警棒を振り下ろした瞬間があったのだと、思い出す。これもまた、いやに統率が取れたお化けに囲まれている最中のことで、シスルさんに肉薄できたのは本当に奇跡のようなものだったのだけど。そして、結局お化けの一人に殴り殺されてしまったのだ。

 その時は全く手ごたえを感じなかったし、とにかくがむしゃらで、周りもろくに見えていなかったから、間一髪で避けられたのだと思っていた。

 だが、もし、そうでなかったら?

 実際に警棒はシスルさんの腕を捉えていたけれど、その瞬間にシスルさんの身体をすり抜けていたのだとしたら?

 ――よーく考えるんだ、ユークリッド。

 シスルさんの、歌うような声が、脳裏に蘇る。地面に這いつくばった僕を見下ろすその人は、僕から零れる花びらをひとひら指先で掴み、口元だけで笑っていた。

 ――私は今、どこにいるでしょう?

 目の前で笑うその人からの、奇妙な質問。言われた瞬間は、馬鹿にされているのだと思って思考を放棄してしまったけれど、今のダリアさんの言葉と合わせて考えてみると、実はとても重要なことを示唆しているのではないだろうか。

 それに、最初から、シスルさんは僕とダリアさんに、何かを気づかせようとしている――。

 

 ――この謎が解けない限り、アンタの手は、最後の鍵を握らない。

 

 薄れゆく意識の中で聞いたのは、笑っていたはずなのに、酷く寂しげな呟き。

 そんな声を投げかけてきたシスルさんは、何を思って、僕の胸にナイフの刃を突き刺したのだろう。まだ、シスルさんの真意は何もわからないけれど、一つだけ。頭の中に閃くものがあった。

 それは――。

「ダリアさんのお陰で、最後の鍵の在り処、わかったかもしれません」

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