Layer_2/ Adolescence(3)

 まだ、色々と理解しておきたいことはある、はずだ。シスルさんが説明してくれたことを頭の中で反芻しながら、不明確な点を洗い出していく。

「四つの鍵を探す、と言いましたが、鍵の形は今のものと同じですか? そうでなくとも、何か目印となるものはありますか」

「形状は今の鍵と同じように、輪の形をしている。それに、今、アンタは鍵の一部を手に入れている。元は一つの鍵だからな、感覚でそれとわかるはずだ」

『そういうものなのか?』

「そういうものなんだ。ああ、ミス・バロウズから見てもわかるはずだ。隠した鍵は全部で四つ。見ればアンタにもミス・バロウズにもそれとわかるようになっている。これがゲームの基本ルールだ」

「ルールに例外は?」

「ない。そうでなければ、ゲームにならないだろう?」

 四つ、と言い切ったからには四つより多くも少なくもない。

 見ればわかる、と言うならば、わからないということは絶対にない。

 そこは信じるべきだろう。シスルさんは、「ゲーム」というものにこだわりを持っているようだったから。

 ならば、他に聞くべきことは――、と考えていたところで、ダリアさんが先に声を出していた。

『このゲームに、妨害が入ることはあるのか?』

 そう、僕もそれは聞いておかなければならなかった。

 第一層で出会ったお化けの姿が、思い出される。あれも多分、僕の記憶から生み出された存在だったのだろう。かつての僕が抱いていた「恐れ」を形にしたものが、何もかもを忘れたまっさらな僕に己の存在を刻み込もうとしていた――。記憶の一部を取り戻して、この塔の仕組みを少しだけ理解した今なら、そう考察を広げることもできる。

 この想像が正しければ、きっとこの階層にも、僕の記憶の残像がお化けとして存在していてもおかしくない。そんな僕の不安を感じ取ったのか、シスルさんはわざとらしく意地悪な笑みを浮かべてみせる。

「もちろん。ただ探すだけでは何も面白くないだろう?」

「面白いかどうかより、僕の身の安全を保障してほしいんですが」

「何、死んでも生き返るんだから、保障されているも同然だろう」

 簡単に言ってくれる。シスルさんはその「仕組み」しか知らないのだろうから、そう言えるのだ。何度も「死」を体感するという経験は、経験してみないとわからないとは思うが、決していいものじゃない。生き返るとわかっていても、意識が完全に途絶えるまでの痛みや苦しみはそのまま僕自身の記憶として残るのだ。それがどれだけ辛いものか、説明したところでわかってもらえるわけではないとは思う、それでも……。

 シスルさんは、そんな僕の頭を、帽子の上からぽんぽんと叩いてくる。

「そう睨むなよ、ユークリッド」

 いつの間にか、睨んでいたのだろうか。そんなつもりはなかったけれど、シスルさんからはそう見えたのだろう。一瞬前まで意地悪な三日月を描いていた唇が、僕の想像よりずっと穏やかな声を紡ぐ。

「まあ、誰だって死ぬのは嫌だろうよ。私だってそうさ。とはいえ、アンタは何度死んでも、アンタが望む限りは『ユークリッド』のままでいられるんだ。条件としては相当恵まれていると思うがね」

「……? どういう、意味ですか」

「おや、アンタはまだ気づいてないのか? 私が『何』なのか」

 言われて、最初にシスルさんに対して抱いた違和感を思い出した。そうだ、話の内容にばかり気を取られていたけれど、ずっと、不思議ではあったのだ。声に含まれた微かなノイズ、どこかぎこちない表情や仕草。

 人間離れした、という第一印象は、その飄然とした態度で薄れていたけれど――。

「もしかして、あなたの身体は、人のものではないのですか?」

 もしかして、と言い置いたけれど、それはほとんど確信だった。意識しなければ気づかないくらいの違和感、けれど一度それと認識してしまえば、明らかな「違い」として突きつけられる、「つくりもの」の気配。

 つくりものと言っても、僕やガーデニアさんのような「フラスコの中の小人」とはまた別の存在だ。僕らは組成の上ではいわゆる「人」と何も変わらないが、シスルさんはその定義から既に違うのだと、僕の感覚が告げている。

 そして、シスルさんは僕の言葉を「その通り」と肯定して、右手の手袋をするりと外す。

「私も、体を丸ごと取り替える程度の『人間としての死』は味わったことがあるってことさ」

 手袋を外した手に、皮膚は無かった。むき出しになった指は筋肉に覆われているが、それがよくできた金属と機械の集合体であることは、一目に明らかだった。

「全身義体……、ですね」

 それは、僕の知識にかろうじて残っていた言葉。

 腕や足といった体の一部を機械に置き換える義肢技術。その最終目標ともいえるものが、脳以外のほぼ全てを機械へと換装させる全身義体だ。肉体の大半を失ったとしても、脳さえ無傷であれば、人並みの生活を取り戻すことができる、夢のような技術。

 ただ、言葉にしてしまえば簡単だが、現実にするにはあまりにもハードルの高い技術である。僕の知識の範囲では、ごく一部の例外を除き、未だ実用段階に至っていなかったはずだ。

 その「ごく一部の例外」の一人が、目の前のシスルさんだったのかもしれない。

「どこまでが、つくりものなのです?」

「言葉通りほぼ全身さ。むしろ、人間であったころと同じ部分を数えた方が早い。そのくらい、徹底的にバラされてしまったからな」

 残ったのは脳味噌と、あとは眼球くらいだとシスルさんは笑う。ただ、不思議だったのは、そこに何ら影のようなものが感じられなかったこと。

 人の身体を失うというのは、脳にかかる生理的な負荷もあるが、それと同等以上に精神的な負荷が大きいはずだ。己のものではない肉体を扱うことへの拭いがたい違和感、それに何より、元の肉体を失うという「己の死」を超越してしまうことで、自己の認識が崩れてしまう危険性を孕んでいる。

 けれど、シスルさんは、一度死を迎えるのと何一つ変わらない凄絶な経験と、その向こうに待っていたはずの負荷を何一つ感じさせることもなく、当たり前のように僕の前に立っている。

「辛く、なかったのですか」

「辛くないと言ったら嘘になるな。きついものはきついし、嫌になることだって、いくらでもあるさ」

「そうまでして生きていくことに、後悔は、なかったのですか?」

「まさか。何もかもを後悔しないでいられるほど、能天気じゃない。いやまあ、他の連中よりは相当能天気だという自覚はあるが」

 シスルさんの目は、ミラーシェードの下に隠されていて、僕が見ることはできない。

 それでも、わかるのだ。

「ただ、後悔より、生きたいと願う思いの方が強かった。それだけだ」

 シスルさんは、どこまでも真っ直ぐに、僕を見据えているのだ、と。

 そんなシスルさんの視線を受け止めていると、弱音を吐いていた自分が恥ずかしくなってくる。シスルさんと僕とは、根本的に違うのだと、わかってはいるのだけれど。

 僕が何も言えないままでいると、シスルさんはぎこちなく口の端を歪めて言う。

「……すまないね。つまらない話を聞かせてしまったかな」

「いいえ!」

 頭を掻くシスルさんに、僕は、反射的に声を上げていた。その声が、思ったよりずっと大きくなってしまって、シスルさんというより言った僕自身がびっくりしてしまって。慌てて、少し声を落として続ける。

「あ、そのっ、お話、ありがとうございます。僕は、シスルさんのことをまだ思い出せませんけど。それでも……、何だか、わかった気がします。かつての僕にとって、きっと、シスルさんは本当に大切な人だったんだなって」

 何も覚えていない僕だけど、胸の中に生まれた感情は、きっとかつての僕と同じものだと思う。どうにも上手く働いてくれない、ぼうっとした頭をもどかしく思うけれど、とにかく、この思いを伝えたくて。

「シスルさんは、僕にとっての憧れの象徴なんだって、今、はっきりとわかりました。僕はもっと、シスルさんのことが知りたい。忘れてしまったことも、かつての僕も知らなかったことも、教えてもらいたいって思うんです」

 もちろん、それは今の僕には不可能な話だ。ここにいるシスルさんは、あくまでかつての僕の記憶から形作られた存在で、僕が知りえないことを知っているわけではない。ただ、そういう「現実」は抜きとして、シスルさんという存在を、もっと理解したいと思ったのだ。

 きっと、かつての僕も、ずっと、そう願っていた。もっと深く知りたいと、少しでもシスルさんの背に追いつきたいと――。

 シスルさんは、僕がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、唇に浮かべていた笑顔を消して、きょとんとした顔になった。その表情は意外なほどに幼く見えて、内心驚く。

 やがて、気を取り直したシスルさんは、ふ、と大げさに息をついて、一瞬だけ見せた幼さを引っ込めて口元を笑みに歪める。

「奴とは似ても似つかない言い草だが――奴にはない、アンタのその率直さが何より好ましいと思うよ、ユークリッド」

 ――冗談でも、揶揄でもなく。心から、そう思っている。

 そう言ったシスルさんの声は、何故だろう、痛みを堪えるような響きを帯びているように思えた。浮き足立っていた感情は一気に冷えて、無意識に背筋が伸びる。

「でも、いや、だからこそ。アンタには、このゲームを通して理解してほしい。私のこと、灰色の街を愛した奴のこと……、そして、アンタ自身のことを」

 ――僕、自身のこと?

 奴、がかつての僕であることはわかるけれど、それとは別の「僕」とはどういうことだろう。ダリアさんも、シスルさんの言葉を不思議に思ったのだろう、空の上から、低い声で問いかける。

『シスル。君は、ユークリッドに何を求めている?』

 大したことじゃあないさ、と。シスルさんは言いながら、大げさに手を広げて立ち込める雲を仰ぐ。

「私が求めるのはいつもただ一つ。『めでたし、めでたし』で終わる結末さ」

『……!』

 その言葉を聞いた瞬間、ダリアさんはひゅっと息を飲んだ。

「あなたもそうだろう、ミス・バロウズ。だからこそ、終わりの見えない試行に挑み続けている。違うかな?」

『君は、やはり、覚えているのか……!?』

 僕には、どうにも、ダリアさんとシスルさんの会話の意味がわからない。噛み付くように声を上げたダリアさんの姿は、シスルさんにも見えていないのだろう、ただ虚空に顔を向けて。シスルさんは、ぽつりと呟く。

「覚えていようとも、私はこの塔の意思から逃れられない。選択するのは、あくまであなた方だ」

 シスルさんは、僕にも何かを伝えようとしている。話の意図は理解できなくても、それだけは、わかる。

 ――選択。

 その言葉が、いやに重く、頭の中に響く。今この瞬間にも、僕らは何か重大な選択を迫られているのだろうか。僕にはその自覚はないけれど――。

「さあ、長話はここまでだ。そろそろゲームを始めようじゃないか」

 ぱん、と。いつの間にか手袋を嵌めなおしていた両手を打ち鳴らす。その音に、僕も我に返って、シスルさんを見つめる。

「……シスルさんは、どうされるのです?」

「もちろん、私は、アンタのことを全力で妨害する。ただ突っ立ってるだけじゃあ、身体がなまって仕方ないからな」

 にぃ、と意地悪く笑ってみせたシスルさんは、コートを翻して僕に背を向ける。

「全ての鍵を手にするのが先か、アンタが諦めるのが先か。精々私を失望させないでくれよ、ユークリッド」

「はい! 全力で、行きます!」

「はは、威勢のよさは合格だ。では」

 シスルさんの姿が、一陣の風に吹かれて、ふっとその場から消えて。

「ゲーム、スタートだ」

 その、凛と張り詰めた声だけが、響き渡る。

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