Layer_1/ Childhood(2)

「ちょっ、お化けに警棒が効くんですかっ!?」

 このでろでろした物体に、物理的なアタックが通用するとは全く思えないのだけれども。そりゃあ銃よりはマシかもしれないけれど。

 しかし、ダリアさんはいたって堂々と言い放つ。

『大丈夫だ、そいつらはお化けの中でも最も弱い、十分通用する!』

 まるでゲームの解説でもされているようだ。スライムはひのきの棒でも倒せますよ、とかそんな感じ。

 とはいえ、今の僕に信じられるのはダリアさんの言葉だけだ。

「スライムが弱いのはドラゴンクエストだけだと思ってましたけど、ねっ!」

 僕は、最も近い位置にいたスライム型のお化けに向かって駆け寄りながら、警棒を抜き放つ。警棒を使った戦闘の経験なんて記憶には無いけれど、身体はしっかり覚えている。握りこんだグリップの確かさは、きっと、かつての僕の経験から来ている。

 スライム状のお化けは、一体どこに目があるのかもわからないが、それでも僕が動いたことに気づいたらしく、胴体らしい部分から触手を鞭のように伸ばしてきた。僕の腕を絡め取ろうとした触手を警棒で払う。すると、警棒が触れたところから触手が千切れ、切り落とされた部分が弾け、ぱっと何かを撒き散らす。

 それは、花びらのようにも見えた。曇り一つなく、淡く輝く花びら。空中に舞った花びらは、すぐに溶けるようにして消えてしまった。そんな幻想的な光景を目の端に捉えつつ、そのまま一歩踏み込む。

 本来警棒とは対人制圧戦闘を想定した武器であり、正直、この不定形の相手のどこに警棒をぶつければいいかなんて、わかるはずもない。それでも、触手を引っ込めようとしたスライムお化けの中心に警棒を叩きこめば、命中した場所がぽっかりと欠け、お化けがびくびくと痙攣する。何とも不気味な光景だが、今の一撃はかなり堪えたらしい。

 あと、一撃食らわせられれば。

 振りぬいた警棒を引き戻す勢いで、もう一打。がむしゃらにお化けを打つと、スライム状の身体は全て花びらに変じて空気中に舞った。その花びらの中に、ふと、僕と同じ顔をした少年の幻影を見る。

 少年は、花びらに包まれた僕の耳元で、

〈……ねえ、答えてよ〉

 ノイズ交じりの声で囁く。

〈僕らは、どうして、作られたの――?〉

 僕は、答えられない。

 僕と同じ顔をした子供たち。彼らが僕の関係者でないはずはないけれど、僕は、何も覚えていないのだ。彼らのことも、僕自身のことも、何もかも。

 そのまま、花びらが消えるのと一緒に少年の幻影も消え去る。今の少年は、きっと、大切なことを僕に訴えかけようとしていた。何もかもわからなくたって、そのくらいは理解できる。

 だから、その言葉を今度こそ忘れないように胸に刻み込み、残っているお化けに意識を引き戻す。

〈どうして、答えてくれないの〉

〈私たちは、篭の中のげっ歯類と、何も変わらないのかな〉

 ノイズ交じりの呟きを撒き散らしながら迫ってくるお化けの中に、子供たちの影を見る。ぶよぶよとした身体の内側に、微かに見える僕と同じ顔の少年少女。僕に訴えかけてくる声は悲痛な響きを帯びているけれど、声に反してスライムの触手は僕を絡め取り、窒息させようと迫ってくる。

 左右から伸ばされる触手をなぎ払い、後ろから迫ってきていた一体に向き直り、床を蹴って飛び上がる。光の波紋を広げる床と、僕を見失ったのか触手を虚空に彷徨わせるスライムお化けを眼下に捉え、狙い定める。

 落下の勢いを借りて、頂点から床まで一気に警棒を叩き込む。刹那、二つに裂けたぶよぶよとした塊が硬直し、次の瞬間には花びらと化して空気に溶けていく。

 着地と同時にきゅっと靴底を鳴らして、右のお化けに突きを見舞う。突きこんだ手にお化けの身体が触れたが、ひんやりとした感触と「何かに触れた」という実感があっただけで、想像したようなねばついた触感も、べたべたと何かが付着することもない。

 体内に埋没した警棒を横薙ぎに振り抜き、お化けが動きを止め、花びらとなって崩れていくのを横目に確認して、最後の一体へと駆け寄る。

〈……、……には、わからないの?〉

 何度目かもわからないノイズが、僕に向けた囁きを隠す。けれど、それが「僕を呼ぶ声」だということだけは、わかる。

 僕を求めるように、ゆるりと伸ばされる触手。ダリアさんは「死ぬ」と言っていたけれど、本当にそうなのだろうか――。

 と、思った途端、触手はいきなり速度を増し、僕の右手を絡め取った。その力は思った以上で、そのまま手首を潰されそうな勢いだ。左手で触手をはがそうと試みるけれどびくともしない。

 痛みに歯を食いしばり、両足に力を篭めるけれど、僕の身体はじりじりとお化けに引き寄せられていく。

 ダリアさんが僕を呼んでいる。そして、目の前のお化けも、僕を呼んでいる。ぶよぶよの肉の内側にぼんやりと見える、両手を広げた少年が、僕を受け入れようとしている。だが、触手の握力からするに、殺意があることだけははっきりと理解した。

「……っ、くそっ」

 一体、何がどうなっているのか、さっぱりわからない。何故、この「お化け」が僕を殺そうとしているのかも。

 ただ、「何もわからない」まま死ぬのだけは、御免こうむる。

 僕はぎりぎり触手の拘束を逃れていた左手で、銃を抜く。銃はあまり得意ではない、と思う。最低でも、警棒の扱いよりは苦手で、微かな嫌悪感を抱いているということは、握った瞬間にわかった。もちろん銃が苦手な原因は記憶していない。記憶とは違う、身体に染み付いた何か、なのだろう。

 とはいえ、いくら銃の扱いが苦手だとしても。

 右手を拘束している触手を狙い撃つくらいは、できるのだ。

 連続して二発の弾を撃ちこんで触手を千切り飛ばし、すぐに銃を投げ捨てて右手に絡みついた触手をはがす。右手さえ自由になってしまえばこっちのものだ。警棒を握り直し、真っ向から対峙する。

〈……さん……、どう、して〉

「どうして、は、僕が聞きたいですよ」

 そう、囁いてみたけれど、結局返事はなかった。

 小さく溜息をついて、一歩を踏み込み、一閃。

 それで、目の前に聳えていたお化けは、無数の花びらと化した。

 ただ、ちらちらと淡く輝く花びらの中に、一つだけ、先ほどまでは確認できなかったものがあった。花びらにまぎれるように、小さな水晶のようなものが一つ、煌いているのが見えたのだ。

『その、欠片が見えるか?』

「は、はい」

『それは、君の記憶の欠片だ』

 僕の、記憶。

 この塔に失われた記憶が眠っているとは聞いたけれど、まさか、このように目に見える形で取り戻すことになるとは思いもしなかった。呆然としていると、ダリアさんが言葉を付け加えてくれる。

『君の記憶は塔のあちこちに散らばっていて、時にはこのように、塔を徘徊するお化けが持っているのだ』

 これを手にすれば、僕の記憶の一部が戻るのだろうか。花びらは既に空気の中に溶けて消えてしまい、僕の目の高さくらいで輝く「欠片」だけが残っていた。それに手を伸ばしかけて、指が触れるか触れないかのところで一旦引っ込める。

「……手にとっても、問題ないものなのでしょうか」

 先ほど、無造作に硝子の壁に触れた途端、こんな奇妙な空間に飛ばされた上、よくわからないものと戦う羽目になったのだ。行動を起こす前に、きちんとダリアさんに確認を取らないと、何が起こるかわかったものじゃない。

 かくしてダリアさんは、微かな笑みの気配を乗せて、言う。

『ああ、問題ない。手にとってみれば、それが君の記憶であることがわかるはずだ』

「そうですか。では」

 意を決して、手を伸ばす。「欠片」に指先が触れた途端、五感にノイズが走った。

 ノイズの中にちらつくのは、先ほど硝子の壁の奥に見えた少年少女たちの姿。白衣の研究員たち。そのうちの一人の研究員が僕に語りかけてくる声はノイズに満ちて、全くと言っていいほど聞き取れない。それに、似たようないくつもの映像が現れては消えて行き、それらがどう繋がっているのかもさっぱりわからない。

 目を閉じて、頭を振って。すると、ノイズと共に五感を支配していたものは消え去った。ただ、今まで思い出せなかった「何か」が脳裏にちらついていることだけは、わかる。

 ……これが、僕の記憶だというのか?

『見えたか?』

「は、はい。あまりにも断片的で、よくわからなかったのですが」

『やはり、そうか』

「やはり、とは?」

『君の記憶は、ずたずたに引き裂かれている状態だ。これを元に戻すには、ただ引き裂かれた断片を集めて揃えるだけでは足りない』

 引き裂かれた断片が、今、僕の頭の中にあるノイズに満ちたイメージ。前後関係も、僕との関係性も何一つわからない、五感に対する刺激でしかない情報。確かに、これをただ集めたとしても、記憶として完成するとは思えない。

 ばらばらになった記憶を集めた後に必要なこと、それは――。

「断片を『繋げる』必要があるということですね」

『そういうことだ。そして、それぞれの断片を繋げるための「鍵」を持つ者が、この塔の中に三人いる』

「それは、確かに『人』なのですか? 先ほどの『お化け』のような存在ではなく」

 人の姿をしていたとしても、それは果たして「人」と言えるのだろうか。先ほどのスライムお化けだって、最初は人の姿をしていたし、スライムの形の中に人の影が見えることもあった。

 だから、僕はここできちんと確認しておかなければならない。この塔は、どうやら僕の常識からかけ離れている。理解を怠ったまま進むわけにはいかない。

 ダリアさんは、『そうだな』と言って一旦沈黙した。僕に正しく説明するため、言葉を選んでいたのかもしれない。ゆっくりと、一つ一つ、自分自身で確かめるように言葉を紡いでいく。

『先ほど君が見たように、塔を徘徊するお化けとは意思疎通ができない。仮に人の言葉を喋っていたとしても、君と同じ次元で話をすることは不可能だ。全てのお化けは、君に対して敵意を抱いている。出会ったら、逃げるか撃退するしかない』

「……本当に、塩か酒か用意しておくべきでしたね……」

 ロッカールームになかった以上、そんなことを言っても仕方ないのだろうけれど。それでも、いちいち逃げるか戦うかを選択しなければならないのは、少々気が重い。

 ダリアさんは僕の言った「塩」や「酒」の意味がわからなかったのか、『うん?』と不思議そうな声を出したが、それ以上の説明を求めることもなく、話を先に進める。

『それに対し、君の記憶を完成させるための「鍵」を持つ守護者は、人の姿をしていて、君と対話をすることができる。君に対する態度と「鍵」を渡すための条件は各人によって異なるが、話の通じる相手だという点では一致している』

「それぞれ、どのような人物なのかはご存知ですか?」

『知らないわけではないが、君が彼らに接触するまでは、詳細を話すことができないルールになっている。すまない』

 なるほど。ダリアさんにはダリアさんのルールがあるらしい。あらかじめ「お化け」についてやこの塔の仕組みについてほとんど解説がなかったのも、これで納得がいった。

「いえ、そういう『ルール』なのがわかったのは、ありがたいです。ただ、それは、誰が決めたルールなのですか?」

 と、聞いたところでそれが愚問だと気づいた。先ほど、ダリアさんに説明されたではないか。軽く首を振って、改めて天井を見上げる。

「……先ほど、塔の扉の前で出会った『設計者』ですね」

 やけに露出の多い、肉感的な身体を見せ付けていた白衣の女性。僕に謎めいた言葉を投げかけて消えてしまった、不思議な人。

 そういえば彼女も一方的に話していたけれど、それでも僕の言葉には応答していたから、彼女もダリアさんのいう「人」の定義に含まれるのだろう。設計者ということは、「鍵」の守護者とはまた別のカテゴリなのかもしれないけれど。

『君の言う通り、彼女がルールを決めている。そして、私はルールから逸脱することはできない。だが、ルールの範囲内で君に答えられることなら何でも答えよう。遠慮なく聞いてくれたまえ』

「はい、ありがとうございます。頼りにしています、ダリアさん」

 僕はダリアさんの顔を見ることができないけれど、ダリアさんから僕の顔は見えていると信じて、帽子の鍔を上げて笑いかける。すると、一瞬の沈黙ののち、ぽつりと、ダリアさんが言った。

『嬉しいな。君にそうやって名前を呼ばれるのは』

 嬉しい。その言葉は、僕の心に柔らかく響いた。

 そんな風に言ってもらえるなんて、思わなかったから。僕は自然と頬が熱くなるのを感じていた。気恥ずかしさと喜びが入り混じったような、奇妙な感覚だ。

 きっとめちゃくちゃに歪んでしまっているだろう顔を帽子で隠し、天井から視線を戻すと、辺りの風景はまた変化していた。

 僕が立っていたのは、長く伸びた廊下でもなく、閉ざされた部屋でもなく、短い通路だった。視線の先はすぐに折れ曲がっていて、その先を見通すことができない。そして、振り返ってみれば――。

 目が、合った。

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