夏の午後、風のサカナ。

佐伯碧砂

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「助けないと……」

知らず知らずにつぶやいている。

階段を駆け上がりながら、吐く息の隙間に詰め込むように。


あの子のことはよく知らない。休み時間、物静かに本を読んでいるというだけ。

でも時々、ふわっと咲くような笑顔で笑うんだ。

あの笑顔をまた見たい。


そして僕は汗ばむ手をドアに手をかけて――。



***


夏の正午前、テーブルで麦茶がからりと鳴る。

薄い茶色がまた、薄くなっていく。

溶かしたのは夏の暑さだったのか、ぼくたちのゲームへの熱なのか。



「ああもう!ワンパターン戦法やめろよ!」

どこへ行っても追ってくる蝉の声、それをかき消すように響いたのは僕の声だ。


「はははは!勝てばいいんですよ!!」

ワンパターン戦法で追い詰め、復帰をワンパターン戦法で妨害する。

そんな安っぽい手にハメられたぼくの残機は、残すところ一機のみとなった。

姑息なそいつは興奮気味に、こっちを見ながら勝ち誇る。

「ふふん、これも戦略のうちです!」

コウタという。姉さんは彼のことを『マルチーズみたいだ』と言っている。

よくわからないけど、周りがみえなくなりがちなやつだと思う。


今だって、ほら。

「あっ……」

「え、あ……」

隙を突かれ、哀れコウタの使う電気ネズミは天高く。


「……『これもせんりゃくのうち』か?」

いたずらっぽくにこにこと笑う彼はタツヒロくん。僕はタっちゃんと呼んでいる。

昔からたよれる友達なんだ。

「ああー……」

最後の一機を潰されて、コウタはしょんぼりしてしまっている。

しかし、対戦ゲームは弱肉強食なのだ。ムジヒなのだ。

気を取り直して僕はタっちゃんに声をかける。

「ありがとタっちゃん!このまま勝つよ!」

「おう!さあサトシ、カンネンしろー!」

人好きのする笑顔をニカッと浮かべるタっちゃんが頼もしい。

いきり立つ僕らは残る一人、サッちゃんを追い詰める。

チーム戦も大詰めだ。


***


勝負はけっきょく、まさかのサッちゃんが一人勝ちだった。

僕はさくっとやられちゃったから、タっちゃんとの一騎打ちだったけど。


 近接戦で攻めていくタっちゃんと、上手くカウンターを使ってあざやかに立ちまわるサッちゃんではちょっと相性が悪かったようだ。サッちゃんは笑うと怖いんだけど、後半は怖い笑顔のままだったのできっと楽しんでいたんだと思う。


「それにしても……あつい……」

横になりながらサっちゃんの鮮やかなプレイを見る。

コウタはトイレに行ったので今はいない。


「んー、ケイー。アイスとかなかったっけ?」

大の字に広がっているタっちゃんはぞんざいに声を投げてくる。

いつもなら冷凍庫に入っているはずだけどさて、どうだっただろうか。

「んー、お母さーん?アイスまだあったっけー?」

扉の方に這っていって大声を出してみる。

しかし、しばらく待つが返事はない。

「お母さーーん?」

いつもならこの時間帯は家にいるはずだ。今日は近所のおばさんとリビングでなにかしていたような……。


しかし、返ってきたのは想定もしないものだった。


――悲鳴だ。それは悲鳴だった。


下の階から聞こえた。しかしそれは女性のものではなく……

「今の……コウタの声だよな?」

「う、うん……」

そう、コウタの声だった。

「……まさか泥棒か?」

余計に険しい目でサッちゃんが言う。ありえないともいいきれない。

僕らはだれともなく、おもむろに顔を見合わせた。

「……様子を見に行ってみよう。タっちゃんはバットを持ってって」

僕は二人にそう言った。




階段を三人でゆっくり降りる。僕は前から二番目だ。

変わらず聞こえるセミの声がなんだか嫌な感じがする。

いつも通りのはずの家の中は妙に静かと言えなくて、おちつかない。

昼下がりの薄暗い玄関もなんだか……大きく見えた。


「……なあ」

階段を降りきったところで、サッちゃんが口を開く。

まるで忘れていた呼吸をしなおすようだ。

「もう少し間隔を空けようぜ。これじゃバットが当たるし、三人とも動けない」

「ああ……そうだね」

バットを構えたタっちゃんが前、サッちゃんが僕の後ろだ。

知らないうちに僕らはは近く寄りすぎていたらしい。


ゆっくり、ゆっくり歩いて行く。

いつもは気にならないささやかな足音より、心臓のほうがうるさいくらいだ。



――そのとき、かたっ、と音がした。


思わずそちらを向く。音は左から、リビングからしたようだった。


「タっちゃん」

「……うん」

バットを構えた。そっと入り口にかかっている布をどけて、慎重に入っていく。


一歩ずつ、一歩ずつ。

進んでいけばなんだか、すすり泣くような声がする。


見ればソファーの後ろに髪の毛が見えた。

見覚えのあるその髪色に、囁くように声を書けてみる。

「……コウタ?」

頭がビクッと動く。どうやら正解のようだ。


躊躇うように声がする。

「ケイくん…?」

「うん。三人ともいるよ」

「コウタ、無事か?」

「……ううっ、ふ……うわああん」

鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔でこちらに這ってくる。

怪我はないようだ……。


「……コウタ、なにがあったんだ?」

タっちゃんが尋ねると、涙目をつよくしながらも話そうとする。

泣きながらなのでうまく言葉が出せないみたいだ。

「も……」

「「……も?」」

「モンスターが……臭くて気持ち悪くて、うぷっ……」

咄嗟に口を覆う。よほどショックだったらしい。

見ればソファーに横に吐いたあとがあった。

「……モンスター、なあ……?」

「どこにいたんだ?」

「ひくっ……ぜ、ぜんめんじょに……ううっ…」



ぴんとこないんだけど、ゆっくりと質問の答をまとめるとこういうことらしい。


トイレに行ったコウタは物音を聞いて、洗面所に向かうとなにか嫌な匂いがした。

ドアを開けてみるとそこにモンスターが足元にいたので、無我夢中でドアを締めて逃げてきた、ということらしかった。


「うーん……」

自分の家のことなんだけど、なんだか現実味がない。

「……いってみるか」

「ん……そうだな」

サッちゃんとタっちゃんは行く気らしい。

コウタは暫く休むとのことなので、僕はタっちゃんたちについていくことにした。



――ひっそりと進んで行く。洗面所は台所の横から行くのが近い。

泥棒ではないにしろ、半信半疑のまま静かに進んでいく。

洗面所の扉は咄嗟に閉めたらしいので、何か来るならわかるはずだ。








音がした







それはなんだか、泥だらけの服ががべちゃりと落ちたような。

……洗面所の方だ。


歩いて行く、匂いもする。強い生ごみみたいな……。



「(なんだろう、この匂い前にも……)」



戸を横に。


――しかし、洗面所には何もいない。

「……何もいないじゃないか」

「いないな、確かに」

「でも……」

変な匂いは強くなっているのだ。

「うーん…どういう…?」

言葉を続けようとしたとき





また、音がした。

ずるり、ずるり、引きずる音。




お風呂場の方からする。見れば、ドアの取っ手が汚れていた。

おもむろに開けてみれば










そこに いた







それはまるで汚物のような雑巾のような見た目で、足元に汚臭を放つそこにいるだけで虫唾が背中を走ることさえ忘れるような汚物でそこにいていていてよくみると頭があって顔みたいなものがあって目の穴が口が鼻がぐちゃぐちゃになった顎が首が腕が体が床と癒着してグズグズになって匂いがひどい獣のようなにおいがにおいがにおいがどうしてこんなところにこんなこんな皮膚がしなびた茶色がそれが僕をつかもうとしてゆっくりとのばされながらこっちにこっちに何か口のようなものがひらいてなにかをいっているけれどこんなのはちがうちがうなにがちがうってそれは――






――だって、それはきっと母さんの顔をしていた。







「どけっ、ケイ!」

押しのけられ、伸ばされていたイキモノの腕をタっちゃんがバットでぶん殴る。

そのまま僕は呆然としたまま手を引かれ、ドアが閉まった。

サッちゃんが手を引き、僕らに続いてタっちゃんも出てきた。


壁に寄りかかって吐き出すようにつぶやく。

「いったい、なんなんだよ……」

「なにがあったんだ?俺のところからは見えな……」

「お母さんだった……」


「……え?」

「……おっ、お母さんの顔だった……!!お母さん、殺されてゾンビになっちゃったのかな?ねえ?」

思わず泣き出しそうになる。コウタのことを笑えない。

前に隠れてみた映画では人があんなふうになって、人を襲ってしまっていた。

そして襲われた人がまたああなるのだ。

僕はどうしようもなくて思わずいっきにまくしたてて、二人は黙っていしまっていた。わけがわからなかった。


「……まだ、わからないさ」

タっちゃんが震える声で言う。サッちゃんも続いて

「そうだ、まだわかんねえ。ゾンビのそらにかも知れないだろ」

なんてことを言う。

「ゾンビの空似ってお前……」



――しかし、今度はリビングのほうで大きな音がした。



***


――無我夢中でリビングに走る。


キッチン横を抜けてみえたのは、ソファーにもたれかかるコウタの茶色っぽい髪の毛と……


コウタの肩に噛みつく人間の姿だった。



「うわあああああッ!!」

咄嗟にタックルする。その人型は弾き飛ばされて壁にぶつかった。


地面に倒れ込みながら見れば、それは近所のおばさんだった。

顔は赤黒い色まみれとガラス片まみれだったけど、長くてクルッとした髪の毛は乱れていても目立っていた。


呻きながら、それはまた立ってこっちに向かってくる。

おばさんだったなにかは何か言っているようだったけれど要領を得ない。

俺にはわからない。


バットで殴る。こめかみを殴る、脳天を殴る。

もんどりうって倒れても殴る。

動かなくなるまで殴る、殴る、殴る、殴る――。





――結論から言えば。

全ては遅かった。なにもできることはなかった、コウタは食われていた。

僕は無我夢中でバットを片手に頭を殴りつけていただけで。


そして、僕は一人失った。





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