Dericious Dinner -豪華な晩餐-

「先輩、最近よくある物語の呪文使いや超能力者って、なんで一系統の能力しか持ってないんでしょうね。炎なら炎ばかり、とか……」


 店番をしながら本を読んでいたマナナは、寝ぼけ眼でギルモアにそう言った。カウンターの上には、先ほどまでマナナが読んでいた本が開かれている。その本は、若者向きに書かれている物語の本だった。


 ここは彼女の師匠が経営している呪文に関する専門店だ。


 通りに面した店舗は大きなガラス窓が填っており、おかげで昼間はまったく明かりに困らない。カウンターの内側には、棚が幾つもあり、呪文の巻物や飲み薬、呪文に使用する触媒などが所狭しと並べられていた。


 マナナは決まった曜日に店番をしている。しかし、戦時でもなければ魔物が闊歩するような危機的状況でもない昨今、呪文関連の専門店は極めて暇である。マナナもギルモアが店先に訪れなければ本を開いたままうっかり寝てしまうところだったぐらいだ。


「なんでも出来たら物語にならないだろ。やっぱり何処かに弱点がなきゃな」


 ギルモアはきっぱりとそう言った。


「確かに盛り上がりに欠けるかもしれませんね。でも、自分の持っている呪文の効果を把握せず無駄撃ちとか、攻撃呪文~みたいな括りを作って戦闘だけにしか利用しないとか、呪文使いの私としては見るに堪えないんです! Froating Disc(フローティングディスク:浮遊する円盤)を有用に使っている呪文使いの話なんて殆ど見ないですもん」


「マナナさん厳しいねえ。物語なんだからもう少しおおらかに見てやればいいのに」

「呪文使いは馬鹿にはつとまらないって師匠に口酸っぱく言われてるんですよ。使い古された呪文でも発想と応用力を身につけて柔軟に使えって……」


 マナナは読みかけの本に栞を挟み、パタンと閉じてカウンターの脇に置いた。


「平和な時代に生まれたばかりに、呪文使いとしての本領を発揮することもなく朽ちていかもしれないのか、私は」


 そう呟いたマナナは、はっと気がついたように人差し指を立てる。


「この世がすさんで戦争にでもなればチャンスがあるか……な」

「いやいや、さらっと怖い発言しないでくれるかな。とはいうものの、将来この国がどうなるかなんて誰にも判らないからな」

「だから呪文使いは頑張って呪文を修得していかないといけないと思うんですよね。こんな事もあろうかと、とか言ってみたいですもん」

「そこで独自の呪文を頑張って開発という流れになる訳ね」

「まさにその通りです。既存の魔法も便利なんですけど、自分だけの呪文書なんですから、やっぱりオリジナル目指したいですよね」


 マナナは、フンスと息巻いた。どうやらすっかり眼も醒めているようだ。


「こだわるねえ……。しかしまあアレだな、一般人の感覚からすれば、日常生活が便利になるような魔法が開発されれば良いよな、アレみたいに」


 そう言ってギルモアは街灯を指した。Continual Light(絶えない明かり)が掛けられており、夜になると自動的に銀色の光が町を照らすのだ。大都市ともなれば、その光がもたらす景色が観光の目玉となる場合すら有る。


「あ~、そう来ましたか」


 マナナは、ギルモアを値踏みするような眼で見た。呪文使いの自分には想像も付かないような発想がギルモアに有るかもしれない。


「じゃあ先輩はどんな呪文が有ればいいと思いますか」

「何もないところから豪華なディナーが湧いて出てくるとか、どうだ」


 指を立て笑顔で答えるギルモアに、マナナは思わず椅子から転げ落ちそうになるのをぐっと絶えた。


(そんな呪文が知れ渡ったら町のレストランは廃業まっしぐらだわ)


 マナナは一瞬そう思ったが、似たような呪文の事を思い出した。


「ん~、無いこともないですよ……」

「あるのか!」


 そんな夢のような呪文が有るとは、なんと素晴らしい世の中なのか。これまで知らなかった自分が少し悲しい。そういう期待感も相まってギルモアは店のカウンターにがぶりより、煌めく視線をマナナに向けた。


「流石に豪華なディナーとまではいきませんが、一日分のパンと水を作り出す呪文が紹介されていた本を読んだことがありますね。あれは……、誰の呪文書についてだったかな」


 マナナは記憶を振り絞った。呪文使いたる者として過去の呪文について触れておくことは絶対に必要なことだ。新たな呪文を創造するにも、失われた呪文を復活させるにも、過去の知識は欠かせない。暇なときに流し読みした呪文集成にそういう呪文が記載されていたのを必死に思い出そうとした。


「そうだ、ギャグ・モンドの呪文書!」


 すぐに思い出せて良かったとマナナは思った。割と優秀な自分の記憶力を褒めてあげたい気分になる。


「300年ほど前の人なんですけど食べ物に異様な執着心を持ってて、呪文書の中身も食べ物に関するものが多かったとか」

「ほほぉ、そりゃあ面白いな。で、マナナさんはその呪文使えるの?」

「え、使えませんけど?」

「こんな面白そうな呪文の応用にチャレンジしないとは……。マナナさん、いったいどうしちゃったの」

「パンはパン屋で焼きたてを買えばいいと思いませんか、先輩……」

「そりゃあごもっとも」

「簡単な呪文はスクロールに書き写されて伝承されましたが、多くの呪文は呪文書と共に行方不明だったと思います」


 ちょっと待っててください、と言い残し、マナナは店の奥に引っ込んでしまった。奥の部屋からなにやら物音がして、静かになったと思えば巨大な本を抱えたマナナが戻ってきた。


「これ、さっき話した呪文集成なんですけどね……」


 ギルモアの相づちを確認してからマナナは本のページを開いていく。そして、ギャグ・モンドの項目を開き、彼の呪文書に記載されていた呪文とその伝承状況についてのリストをギルモアに見せた。


 ギルモアがそのページをのぞき込むと殆どの呪文に伝承せずのチェックが入っていた。


「呪文書は呪文使いと一心同体みたいなものですし、その後継者が居なければどんなに優れた呪文書でも後世に残らないのは残念ですね」


 それでも、ずらりと並ぶリストの中に工芸品として収蔵されているMess Awlマス・オウル(乱雑な千枚通し)というものを見つけた。


「これ、今でも残ってるな。一度の使用でプレートの上に15人分の食事を出す、強力な呪文が付与された工芸品アーティファクトか」

「300年ほど前っていうことは、世界地図を作っていた頃の時代ですよね。冒険するにもお腹はすくし、食料って大荷物になりますよね。改めてみると大発明だわ……」


 マナナは、MessAwlマス・オウルの説明を更に読み進めていった。


「あっ、でもでも、溢れ出る料理がお皿から零れて服に付いたら水洗い出来ないって書いてありますよ先輩。石けん使わないと落ちないって。冒険中に石けんなんてそうそう持ち歩かなかった当時は、こぼしたらずーっとそのままという罠ですね」

「腹を空かせて彷徨うよりは良いと思うがな……」

「お腹がすいても食べられないのはきっついですよね……」


 マナナは何処か遠くを見るような目でそう言った。この娘は断食でもしたことがあるのだろうか、とギルモアは思ったが、あえて口には出さないでおく。


「そこでだ、さっきも言った豪華なディナーだよ。できればフルコースで」

「豪華なディナーでフルコース……」

「整えられたテーブルの上に、呪文一つで前菜から始まるフルコースが並ぶ。想像しただけでも素晴らしくないか?」

「実現できたら凄いですよね」


 マナナは興味なさそうにしれっと言った。


「んんん、流石に無理難題だったか。まあ無理だよな、何もないところに豪華なフルコースを出現させるのは」


 その後ギルモアは、無理だとか、あきらめが肝心だとか、呪文にも限界あるよねだとか、妙にネガティブな事を口走るので、徐々にマナナも自分無能だとけなされているように思えてきた。


「いやいやいや、想像できるものは現実可能! それが呪文使いというものです、先輩!」


 これは先輩からの挑戦状と受け取った。やってやろうじゃないかという気持ちが沸々と湧いてくる。


「呪文で出てきた料理はどんな味であろうとも先輩に全部平らげて貰いますよ?」


 半開きになった眼でマナナはギルモアをじっと見ると小声でそう言った。


「え、なんて?」

「呪文で出てきた料理は、どんな味であろうとも先輩に全部平らげて貰いますよ!!」


 今度は大声で言うマナナに、ギルモアは「任せろ!」と胸を叩くのであった。




 それから暫くギルモアは殆どマナナと会話することが殆ど無かった。出会っても挨拶ぐらいで、少しでも時間が惜しいからとまともに取り合って貰えないのだ。


 店にも出てこないらしく、マナナの師匠が外出する日など、店が臨時休業してしまう始末だ。少々無茶を言いすぎたかとギルモアも思ったが、なんとかなるだろうと普段通りの生活をしていたのだ。


 そんなこんなで一月が過ぎた頃、ギルモアはお店の地下室でマナナと向き合っていた。


 地下室には大きな樫作りのテーブルとカウンターワゴン。壁回りには素材を収納しているであろう棚が一面に据え付けられている。石造りの地下室は少し湿り気を帯びひんやりとしていた。地下室の割に空気が循環しているらしく、樫の木で作られたテーブルに置かれた燭台で蝋燭の炎が時折フワリと揺らめく。


「結論として、既存の呪文にフルコースを出現させる呪文は存在せず、Wish(ウィッシュ:願い)の呪文でしか実現不可能な感じだったので、結局独自の呪文を考案する羽目になりました」

「Wishの呪文なら実現可能なんだろ? ならWishを使えば良かったんじゃないの?」


 マナナは額に手を当て深くため息を吐いた。コイツ、判ってない。そんな眼をギルモアに向ける。


「Wishっていう呪文はですね、あらゆる願いが叶ってしまう呪文なんです。この地球上に居るか居ないか判らない最高レベルの呪文使いが最高の知能を持ってして初めて行使可能な呪文な訳です。判ります、先輩?」


「つまり、Wishの呪文は使えないから、やっぱり自分で開発したって訳ね。素晴らしいじゃあないか」

「簡単に言ってくれますね……。まあ、既存の呪文を複数アレンジすることによって、ものの一月で呪文を完成させた自分を褒めてやりたいぐらいです」


「成功した暁には、俺がたっぷりと褒めてやるぞ」

「ふっ、それじゃあ先輩に褒めて貰うことにしましょうか!」


 マナナは並べられている棚から大量の鉱物や瓶詰めの生ものをカウンターワゴンに乗せていく。自信たっぷりに言うのだから、恐らく一度は成功しているのだろう。


 ギルモアは、ああいう真摯さに惹かれるんだよな、と一人頷いていた。


「お待たせしました」


 真剣そのもののマナナに緊張感が漲っているのを肌で感じ、ギルモアは生唾を飲み込んだ。


「それ、全部使うのか?」


 ギルモアはカウンターワゴン一杯に載せられた薬品の瓶や鉱石を指さした。


「勿論ですよ。大呪文なんだから、これぐらい用意しないと」

「お、おおう。そうなのか……」


「ちなみにこの呪文、本物のフルコースが出てきますのでタイミング良く食べてくださいよ。残したら勿体ないですし」

「それは任せておけ。食事の速さには自信がある」

「それを聞いて安心しました」


 一度大きく深呼吸し、マナナは手にした呪文書を開いた。呪文の頭のページまで捲り、スッと目を閉じる。その様子をギルモアがじっと見ていた。これから何が起ころうとも目を離すことは有るまい。そういう気持ちで座ることにした。


 少しの沈黙が場を支配していた。マナナとギルモアはピタリとも動かない。

 蝋燭の炎がパッと爆ぜたとき、マナナが口を開いた。


 ゆっくりと、明瞭な発音でマナナは呪文を紡いでいく。それは、ギルモアにとって聞き慣れない言語だ。ギルモアは何度かマナナが呪文を使うところを見てきたが、今回の呪文はこれまでのものと様相がかなり違っている。


 初めはゆっくりと呪文を唱えていたマナナだが、気分が乗ってきたのか半ば歌うように呪文を詠唱していく。


 そして、左手一つで呪文書を支えると右手に持った蝋石でテーブルの上に複雑な紋様を刻んでいった。それから複雑な印を結び様々な触媒を紋様の上に振りかけていく。さらに呪文の詠唱である。それが延々繰り返されていた。


 ギルモアの腹が鳴った。儀式が始まって既に2時間は経過しただろうか。鬼気迫る表情で呪文を唱え続けるマナナは汗だくになっている。頬に張り付いた髪の毛を払おうともせず彼女は呪文を唱えている。


 ふと、机上の紋様が光を帯びてぼんやりと光り始めた。その光は文字から吹き出るようになって二人を明るく照らし出す。


「ついに来たか!!」


 ギルモアは、ナイフとフォークを前のめりに構えた。

 その間もテーブルの上に光の粒子が集まり、徐々にその形を整えていく。まず、白い磁器の皿が現れ、その上に一口で食べられるようなアミューズが出現する。


「え~~っと、食べて良いんだよな?」


 聞かれても呪文の詠唱を止める訳にはいかず、マナナは小さく頷いた。それを確認してからギルモアはフォークで一掬い口に運ぶ。チーズの上に少量のキャビア、そこにソースの掛かった付け出しだった。


「うまい……」


 そこから始まったフルコースにギルモアは舌鼓をうった。前菜のアスパラと鱈のマリネ、フォアグラの甘夏ソース。メインにカマスの炙り焼き、最上級の牛のフィレ肉と野菜の蒸し焼きと言った具合だ。適度に口を休めるためのパンも欠かせない。


 まさに奇跡としか言いようのない時間をギルモアは過ごしていた。何もない所からフルコースが現れる。なんと素晴らしい呪文であろうか、とこの時は思っていたのだ。


 最後に現れたメロンのソルベを頂いて、ギルモアは手にしたスプーンをテーブルに置いた。


「ごちそうさまでした」


 フルコースに敬意を表しギルモアは口元を拭いた。しかし、呪文はまだ続いている。マナナは必死の形相で呪文を唱え続けている。ギルモアが光を注視していると、テーブルの上に小さな光の粒子が結束してコーヒーカップが表れた。


「これで最後?」


 ギルモアの問いにマナナは満面の笑みで答えていた。





 最後に出てきた薫り高いコーヒーを一口飲み、ギルモアは一息ついた。


「さあ……、どうでした……、せん……ぱい……」


 汗だくになったマナナは、肩で息をするほどへたり込んでいた。集中しすぎて立っていられないほどふらふらだ。


「いや、もの凄く美味しかった。こんな旨いフルコースは初めて食ったよ」


 疲れ果てたマナナを労うようにギルモアが言った。


「ありがとうございます、先輩」


 倒れ込むように椅子に座ると、マナナは用意していたグラスの水を美味そうに飲み干した。


「この呪文の唯一の弱点は、時間が掛かりすぎる事と、触媒に高価な触媒が必要なことですね。この町のレストランで同じものを食べようと思ったら10回は食べられますもん……」


 コーヒーを飲むギルモアの手がピタリと止まる。心が縛られていくかのように緊張感が増してきた。


「ふ、ふーん……」


 そう言うのが精一杯だった。そんなギルモアを尻目にマナナは淡々としたものだ。


「パンと水ぐらいならもっと簡単でした……。割と短い呪文と最低限の触媒ですませられます。あの呪文を考えた人は天才ですね……」


 平静を装い、ギルモアはコーヒーをもう一口含んだ。


「それに比べて私の呪文ですよ! 数種類の複雑な料理、それもフルコースとなればこれだけの時間と費用が掛かってしまうのです」


 マナナがスカートのポケットから財布を取り出し領収書の束を広げていく。その額面を見てギルモアはコーヒーを吹きそうになった。食べ終わった皿と領収書とを交互に見比べる。


「こ、これがフルコースを得るための値段?」

「ソウデスネ」


 抑揚のない声でマナナが答えるので更によく見てみる。なるほど、領収書には、マナナが言うとおりレストランで10回程フルコースが食べられる値段が領収書に刻まれていた。さらにその領収書はマナナが店番をしている店のものだ。つまり、マナナは自分の師匠から触媒を買い込んだということになる。ため息をつきたくなる気持ちがわからないでもない。


「あ~、私はこの先三ヶ月ほど只働きですよ……」


 机に突っ伏したマナナが呪詛を吐く様に言った。全身からやっちまったという負のオーラが漂ってくる様にギルモアは感じた。


「よ、世の中にはこんな呪文が一つぐらい有ってもいいんじゃあないかな……。ほら、味も最高じゃないか! 俺はこの呪文良いと思う!」


 ギルモアは、取り繕うようにそう言ったが、最初マナナは全く反応しなかった。

 何と声を掛けたらいいのやら、ギルモアがマゴマゴしていると、マナナは顔だけ起こしじっとギルモアを見つめた。どこか涙ぐんでいるようにも見える。


「本当にそう思います?」

「ホントホント!!」

「うう、今回は成功と言うことにしておきます……」


 ギルモアは、マナナがどこか不憫に思えてきた。余りにコストパフォーマンスの悪い呪文にマナナ自身が納得できていない様にも見えた。


「一見無駄に見えるものでも自信を持って送り出せ! 無駄と思っているのは自分だけかもしれんぞ!」


 眼を皿のようにしてマナナはギルモアを見た。その眼は完全に点となり、その顔は、一体この人は何を言っているんだと言っているようだった。


「呪文の巻物と触媒のセットって需要有ると思います?」

「暇で金と時間をもてあましている奴は上流階級に腐るほど居る……、と思うぞ」

「ということは、これで一攫千金ねらえますね!」

「ねらえるとも!!」


 何の根拠もないが、自信たっぷりにギルモアは答えた。だが、まんざらでもないアイデアだとは思う。外出先にシェフが居なくてもフルコースが堪能できるのだ。飛びつく金持ちは沢山いる様に思えた。


 ギルモアが頭の中で、何処の貴族に勧めようか、値段はどれくらいふっかけられるか等と考えていると、一階からしわがれた老人の声でマナナを呼んでいるのが聞こえた。


「あ、師匠が帰ってきた!」


 マナナは足早に階段へと駆け寄ると、ギルモアの方をクルリと振り向いた。


「今日はここまでです。師匠に報告もしなきゃいけませんしね」

「本当に美味しかったから、自信持って良いと思うよ」

「そう言って貰えると開発した甲斐がありました」


 頬笑むマナナは本当に輝いていて、その吸い込まれそうな笑顔にギルモアは心を鷲掴みにされてしまいそうだった。以前もそうだが、この少女のやりきった後に見せる笑顔にギルモアは心奪われるのだ。だからこの娘を応援したくなるし好意を抱く。


「ささ、上に上がりましょ、先輩」




 二人で地下から出てみると、深々とフードを被った男が店の椅子に座っていた。


「師匠、お帰りなさい」


 マナナがそう言うと、師匠はスッと椅子から立った。声の感じからかなりの年齢を意識していたギルモアだったが、スッと伸びた背筋とローブの裾から覗く血色の良い肌を見るとずっと若く見える。


「ただいま、マナナ」


 師匠は深々と被ったフードを脱ぎ去る。年齢を刻んだ顔だが精悍な顔つきで短く刈り込んだ真っ白な髪の毛が印象的だった。


「初めまして、ギルモア・ランクスといいます」


 ギルモアは師匠に頭を下げた。


「私の名はミフネだ。宜しくねギルモアくん。マナナから話は聞いてたよ。無茶な呪文を考えることになったって泣きつかれたもんだよ」


 ミフネは屈託無く笑った。


「師匠、その事は内緒って言ったじゃないですか」


 口をとがらせたマナナが小声で漏らした。目を伏して頬を染めている。


「理論だけ教えたに過ぎんよ。完成させたのはこの子だ」


 ミフネはマナナの頭をわしゃわしゃと撫でつける。


「で、成功したのか」


 マナナはミフネに向けてピースサインを突き出した。


「完璧です! 費用対効果と呪文にかかる時間は……、満点とは言えませんけど」


 確かにフルコースとしての完成度は完璧だった。食べたギルモア本人が言うのだから間違いない。時間はまあ、待ち時間としては結構長かった。


「今後の課題だね、マナナ」

「とほほ、そうですね。師匠」


 今後の課題と聞いて、師匠ならもっと上手く呪文を完成させるのだろうと思った。そうでないと今後の課題などという言葉は出てこないに違いない。何処が省略できるのだろう、どの触媒を使わなくても良いのだろう。マナナは真顔に戻って真剣に考え始めていた。


「ほらほら、一人でそんなに考え込んでいるからギルモアくんが困っているだろう」


 師匠に言われ、マナナはハッと顔を上げた。ついつい自分の事に夢中になり、他に気が回らなくなるのはマナナの悪い癖の一つだ。


「おっととと、すいません先輩」


 なるほど、薄々気がついてはいたがマナナにはそう言う一面のあるのかと、ギルモアは心のメモ帳に刻み込んだ。


「じゃあ、俺はここで失礼しますね。マナナさん、フルコースごちそうさま。本当に美味しかったよ」

「いえいえ、こちらこそ。また新しい呪文を考えたときには宜しくお願いしますよ!」


 それじゃあと、小さく手を振ってギルモアは店を出た。そして、少し歩き何の気なしにギルモアはミフネの店を振り返った。すると、店の中で先ほどと打って変わって真剣な表情のミフネが何やらマナナに話している。時折小さく頷いているマナナも真剣な面持ちであった。


 何か重要な案件でも有ったのだろうか。ギルモアはふとそう思った。だからといって彼が何かを出来る訳ではない。ただ、何か相談されたら喜んで受けてあげよう。そんな思いを胸に抱き、ギルモアは家路に着いた。


 大通りはいつもの通り賑やかだった。商人の馬車、品物を求め商店の軒先を行き交う人々、遊んでいるのか駆け足で過ぎていく子供達。そんな中、伝書の早馬が人々を掻き分けるように走り抜けてギルモアの横を通り過ぎていく。


 そんなものに目もくれず、ギルモアは呪文のフルコースを反芻するようにお腹をさすっていた。そして、空を見て思うのだ。


(今日の晩ご飯は何だろう?)

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