Hi-Fi ventriloquism ─腹話術の話─

(まだ見ぬ手紙の少女よ、今、このギルモア先輩が会いに行くぞ!)


 ギルモア・ランクスの心は踊り狂っていた。テンポ良く打ち鳴らしたドラムのように心臓が脈打つ。笑みを浮かべ、半ば駆け出しそうな歩調で学校の裏山、一本杉へと続く道を進んでいた。


 道の両脇に木々が繁茂し見通しは良くない。それに加え、お世辞にも歩きやすいとはいえない山道をひたすら歩む彼を行動させるものは何か。それは、今ギルモアが左のポケットの中で握りしめている封筒にある。ピンク色の封筒に可愛いハート型のシールで封がしてあり、角に小さく可愛い文字で”あなたを思う人より”などと書いてあるのだ。


 誰がどう見ても、告白をするから来て下さい、と解釈してしまうだろう。もちろんギルモアもそのように考えた。


 学業はパッとせず容姿にも自信が無い。この平和なご時世、別段必要ともされない剣術だけが取り柄の彼にとって、このような奇跡が舞い降りるとは夢にも思わなかったのだ。



「放課後、裏山の一本杉で待ってます」



 などと書かれてしまっては、ギルモアとしても行かざるを得ない。多少道が険しくとも、手紙をくれた子を想像するだけで足取りが軽くなる。


 太陽が山の稜線にさしかかる頃になり、逆光に黒く浮かび上がる一本杉が姿をみせた。


(よーし、あと少しだな……)


 気分は上々、そこに待つ手紙の少女の姿を幻視し、ギルモアは一本杉を目指した。


 そんなギルモアを、一本杉に隠れて少女が見ていた。知性に輝く黒い瞳がギルモアを見据えている。緊張で心臓が高鳴っているのがわかった。少女はひとつ深呼吸し、ブックバンドから分厚い呪文書を取り出した。


 金細工が施された表紙の中心に、印象的な青い宝石が埋め込まれている。少女は、手にした分厚い呪文書を捲り、書かれた呪文を読み上げた。


「ventriloquism(ベントリロキズム:腹話術)」


 坂を上ってくる人影を目標に定め、呪文を発動させる。少女は小さく唇をなめて大きく息を吸い込んだ。


「こっちです、先輩」


 呪文は効果を十分に発揮していた。少女に自分の声は聞こえなかったが、ギルモアには、ほんの1メートル先から鮮明な声が聞こえる。涼やかにそよぐ風のような声が聞こえたかと思えば、ギルモアの目の前に誰も居ない。自分の耳がおかしいはずも無く、音のする方向を間違うはずが無いのだ。ギルモアは首をかしげた。


「どこを見てるんですか、先輩」


 今度は、右の耳元で囁く少女の声がする。ギルモアは、咄嗟にそちらを向くが、声はすれども姿は見えず、という奇妙さに再び首をかしげた。


「こっちですよ」


 ギルモアは、「こ」と聞こえた瞬間、自身が持てる最大のスピードで左を向いた。あまりのスピードに、周囲の時間が停滞したかのように感じられるほどだ。しかし、ギルモアの努力は徒労に終わった。耳元で声がしたはずなのだが、声の主がその場に存在しない。実に奇妙な体験だった。


「恥ずかしがらずに出ておいでーーーーーっ!」


 半ばやけくそになったギルモアは天に向かって吠え、右の拳を天高く突き上げる。暫しの静寂とサヤサヤと風に揺れる葉の音だけがギルモアの耳に流れ込んできた。


「い、今のは少々恥ずかしかったかもしれん……」


 自虐的に呟くとギルモアは叫んだままの姿勢で動けなくなってしまう。冷や汗が一筋頬を伝い、妙な脱力感がギルモアを包み込む。


「一本杉の下ですよ」


 目の前で、少女の声が響いた。呼びかける声にギルモアが視線を移すと、小さな人影が一本杉の隣で手を振っていた。実に不可思議な現象だが、遠くに居る少女の声が、目の前に居るかの如く聞こえてくるのだ。


 先ほど感じた脱力感とはなんだったのか。ギルモアの心のエンジンはフルスロットル全開だ。手紙をくれた少女が実在しており、一本杉の下で自分を待っている。その事が判っただけでもギルモアを突き動かす原動力としては充分すぎた。


「いまからそっちに行くからーっ!」


 少女に大声でそう告げ、ギルモアは全速力で坂道を駆け上がっていく。


 ぐんぐん近づく一本杉にギルモアの期待感は最高潮に達していた。噴き出す汗も、乱れる髪も、もはや気にならない。はたして、どんな娘が自分に興味を持ってくれたんだ。そんな思い出いっぱいだった。可愛ければいいな。付き合ってくださいと言われれば、返事は即答で大丈夫だ、などと妄想を膨らませる。


 程なく一本杉までたどり着いたギルモアは声の主を探した。しかし、期待していた少女の姿はどこにもない。

「お……、おう……」


 真顔になったギルモアの心に寒風が吹き荒れた。膝が折れ、その場に崩れ落ちそうになるのを踏みとどまるのが精一杯だった。


「あの声は、本当に俺の幻視だったとでも言うのか」


 ギルモアは、ズボンのポケットに入った手紙を握りしめた。


「そんなわけあるかよ!」


 そう吠え、挫けそうな心を奮い起こし、もう一度周囲を探してみるが、やはり少女の姿はどこにもなかった。


 ギルモアは呆然と立ち尽くしていた。


(もの凄く恥ずかしがり屋なのか、そうなのか?)


 妙な理不尽さを感じ、ギルモアは一本杉の根元に腰を下ろした。大きく息を吐いてぼんやりと上ってきた道を見る。


「なんだったんだろうな、これは」


 ギルモアは、ズボンのポケットから皺だらけの封筒を取り出し、まじまじと見つめた。


「呪文です」


 自分の反対側、一本杉の裏から声がした。次いでサクサクと草を踏み分ける音が回り込んで近づいてくる。音の先を見上げると、少女がひょっこり顔を覗かせた。制服の上からゆったりとしたショートマントを羽織り、アクアマリンと金とで装飾された一抱えもある本を両手で抱えている。つやつやの黒髪はショートボブに整えられていた。


「え、えーと。手紙をくれた……」


 突然現れた少女に、ギルモアが力なく指を少女に向けた。想像してたより、かなりの美少女の登場にまごまごしている。言い終わる間もなく少女は頭を下げた。


「マナナ・ロンドっていいます。突然呼び出して呪文の実験台にしてごめんなさいっ」


 ペコリとお辞儀するマナナにギルモアは呆気にとられ、口が半開きのままマナナを見上げていた。


「新しく書き写した呪文を試してみたかったんです。そしたらパラリティス先輩があなたが実験に最適だって教えて貰って」


 クラスメイトのパラリティス・オリヴ、奴が事の元凶だったかと、ギルモアの脳裏におかっぱで勝ち気なクラスメイトの少女の顔が浮かぶ。彼の机に手紙を入れたのも恐らく彼女だろう。


「あの、あの、ベントリロキズムっていう呪文で、有効射程内なら自分の好きなところから音を出せるってだけの効果なんです。ホントにそれだけ」

「いや、かなり破壊力のある呪文だったよ……。すくなくとも俺にとっては」


 音声を自分から離れた場所で発生させる呪文。単純な効果だが少し考えてみると陽動にはもってこいに思える。事実、ギルモア自身が攪乱されっぱなしだったのだから、戦場で使われでもしたら混乱は必至であるように思えた。


「悪気は無かったんですよ、本当に」


 青少年の純情な心をなんだと思っているんだと、ギルモアは突っ込みたくなるがそこはぐっとこらえて言葉を飲み込む。


「えと、えと……。先輩って何時も休み時間に寝転んで寝てたって聞いたし、無害そうだからつい……」


 うつむいてしまったマナナに、ギルモアは小さくため息をついて立ち上がった。


「ま、まあなんだ。実害は無かったんだからいいんだけどさ」


 呪文の実験台になった心の傷は、マナナと出会えたことで帳消しになっていた。


「そう言って頂けると助かります……」


 日が落ちた空が、稜線上の朱と深い藍色のグラデーションを描き出している。眼下に広がる市街地にも魔法の白い灯りが煌めいていた。


 暫く二人は無言で街の灯りを眺めていた。


 いい雰囲気だとギルモアは思った。こんなに可愛い娘と友達に、いや、親しくなれたらどれだけいいことかという気持ちがわき上がってくる。


「そろそろ帰りますか、先輩」


 完全に出鼻をくじかれた。


「あ、ああ。そうだね……」


 マナナは呪文書を開くとContinualLight(コンティニュアルライト:永続する灯り)を唱えた。呪文の効果は直ぐに現れ、マナナの鞄の先に灯った銀色の灯りが周囲を照らし出す。


「これでよしっと」


 パタンと呪文書を閉じたマナナは鞄からブックバンドを取り出した。


「呪文使いってのは、呪文書に書かれた呪文しか使えないんだったっけか」

「ですね。だから呪文書は呪文使いにとって命も同然なんですよ」


 そう言ってマナナは両手で抱えている呪文書をよいしょと持ち直し、ブックバンドに固定して肩に掛ける。


 ああ、これはまずいとギルモアは思った。容姿もギルモアの好みなのだが、そういう仕草もなにげに心をくすぐるものが有った。ここでマナナとの関係が終わってしまってはあまりに勿体ないとギルモアは心の中で叫ぶ。


「それじゃ帰りましょっか」


 マナナは鞄の先に点いた灯りを頼りに山道を歩き始めた。ギルモアは慌ててマナナに追いつき横に並ぶ。


 ギルモアは剣術の試合よりも緊張していた。あり得ないぐらい心臓の鼓動が激しく波打っているように感じる。


(一目惚れと言わば言え。このギルモア・ランクス、ここで終わる男では無い!)


 この時のギルモアの表情を誰かが見ていれば、半ば引きつったような、得も言われぬ彼の百面相に笑いが込み上げてきていただろう。


 いざ言わんと思うと緊張しすぎてギルモアは足を止めてしまった。突然となりから消えた気配にマナナは後ろを振り向く。


「どうしたんです、先輩?」


 心の底から心配してくれている優しい声だった。


(おさまれ、俺の心臓よ! そして勇気を持って伝えるのだ。付き合ってくださいと!!)


 またも心の中でそう叫び自分を鼓舞する。これが心地の良い緊張感だというのか。ギルモアは半開きになった口からようやく声を絞り出した。


「ま、まあ、なんだ。新しい呪文が使えるようになったら言ってくれよな。実験、付き合ってやるからさ」


 ギルモアは思わずそう言ってしまった。そんなギルモアに、マナナは一瞬きょとんとした表情を浮かべる。


(しまったあああああ。何を口走っているんだおれは!!)


 のけぞって頭を抱えるギルモアを見てマナナは小さく笑う。


「どうなっても知りませんよ。破壊の呪文も多いのに」


 半分笑いながらマナナは答えた。その答えはギルモアが望んでいた形とは少々違うが、マナナとの関係を維持できそうだということだけはギルモアにも確信が持てた。


「まあ、あれだ」


 一目惚れだから仕方ない、とは言えなかった。ギルモアは自分をのぞき込んでくるマナナを正面から見られず、照れ隠しからフイとマナナから視線をそらす。


「あれって何ですか」

「なんとかなる!」


 視線をそらしたままギルモアは答えた。


「力一杯言いましたね」


 一呼吸おき、マナナが微笑む。


「じゃあ、次は破壊の呪文を考えてみます。実験、付き合って下さいね」

「お、おう……。受けて立とうじゃないか」

「顔が引きつってますよ、ギルモア先輩」


 二人は並んで山道を下っていく。木々の隙間から差し込む月の光が、山道を朧気おぼろげに浮かび上がらせていた。

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