第4話 愛で失う事と、得るもの

 雨上がりの空は晴れやかだ。そして涼しい。

 丁度前方に美雪さんが現れたのを見かける。それに続いて背丈の高いお洒落な男が隣に並ぶ。美雪さんとその兄で、二人は僕達に気付く。

「あれ? お前確か――」

「金城フレイです」

「御近所ぉ?」

「お兄ちゃん、驚きすぎだよ」

 美雪さんの兄、健人さんは随分と大袈裟に驚いている。昨日は雨だったとはいえ、水樹家が僕達の住居と近い場所にある事が意外だったのだろう。僕も初めて知った事だが。

「その娘は妹か?」

「ぶっぶー。実は――」

「俺には解っちまうんだよ。年下の娘限定だが、その女性が男にどんな愛情を求めてるかをな。お嬢ちゃんは見るからに小柄かつ発展途上。そして隣のそいつとの距離感や位置、そして放つ雰囲気から導き出される答えはっ!」

「その娘は妹だよお兄ちゃん」

 健人さんは長い解説をしているが、様々な推測を巡らせた結果フレイアを僕の妹だと言おうとした誇らしき思いは美雪さんの一言で先を越されている。それにしても健人さん、妙に感情を高揚させている。

「解ってるさ。だが妹以上の何かを感じてならねぇ」

 疑わしそうな目線をフレイアに向けている。そっと僕はフレイアの前に立ち視界を遮断する様にフレイアを後ろに隠れさせる。

「まぁでも、こんなに可愛いロリな妹がべったりなら、俺の妹に手を出す事もねぇか。いやぁ、安心したぜ。清く正しい先輩後輩の仲をこれからも――」

「お兄ちゃん。早くしないと大学遅れるよ」

「おおっとそうだな。じゃあな美雪。今夜は御馳走だ」

 健人さんは歓喜した様子全開でこの場を軽やかに去って行った。

 美雪さんは僕の背後に隠れるフレイアを覗き込む様に苦笑いする。

「ごめんねフレイアちゃん。お兄ちゃんはちょっと私の事を大事にしすぎる感じでね……」

「別に良いです……ただ……」

「ただ?」

「いくらフレイアがロリ系な可愛い妹でも、それがお兄ちゃんの好みかってのは別だって思うんですけど。もしかして美雪さんのお兄さんってお兄ちゃんをロリ好きって勘違いをしてるんじゃないですか?」

 フレイアの疑念は美雪さんへと向けられている。

「そんな雰囲気出てたよね。お兄ちゃんったら、妹が全員お兄ちゃん好みの女って公式があるわけじゃないのにねぇ」

「だいたいお兄ちゃん×妹って公式はさ、ラブとライクが混ざるから恋愛とは別物だと考えておく事が基本じゃないですか?」

「愛されるのは嬉しいけど、ラブに偏ると法的にはバッドエンドしか見えないよね?」

 二人の雰囲気は実に高揚としたものだ。何が盛り上げているのだろう?

「まぁでも、お兄ちゃんって男は、妹をどう可愛がるかで男の格ってのが決まりません?」

「それは解るかも。妹にSな意味で可愛がられるお兄ちゃんは論外だよね」

「激しく同意。お兄ちゃんは愛される男か妹に攻めな姿勢の男でないと、ですね」

 やや恍惚とした表情になっている。

「話が兄談義に脱線してないかな?」

「兄妹……否、兄×妹談義!」

 美雪さんとフレイアの声が、ぴったり重なった。

 妹を持つ兄のあり方が、ここ最近謎になりつつある気もする。


 教室に入ると、僕の席を不安そうにちらちらと目配せしている愛良さんがいた。

「おはよう愛良さん」

 僕に気付いた愛良さんは安堵した表情を一瞬見せ、気付いた様に僕へ歩み寄る。

「金城。ちょっと話があるからこっち来てくれ」

 僕がまだ鞄を机に置く前に、廊下へと僕を引っ張っていく。

 廊下には人の気配が少ない。通り過ぎる人達はこちらに対し怖がる感情を微かに向けるだけで、注目も興味も示さない。

「ほら、これ。あんたの制服」

 僕に向かずに小包だけを真っ直ぐ突き出す愛良さんから受け取る。綺麗に畳まれた僕の制服一式がコンパクトに入れられている。

「ありがとう」

「これで借りは無しだからな」

 喜んだ声色でそう僕に告げる愛良さんの横顔は、微笑んでいた。

「そんだけだよ」

 すぐに、照れた表情になる。

「ありゃ、意味深な雰囲気のフレイ君と愛良ちゃん」

「ぉいっす先輩方。可愛い後輩の恵ちゃんですよ」

 僕と愛良さんに好奇なる興味を向ける恵さんと優子さんが現れていた。

「べ、別に忘れもん返しただけだっつの」

「忘れ物?」

 タイミングを揃えて首を傾げる恵さんと優子さん。

「僕の制服だよ」

「ちょ、おい!」

 僕が答えると、愛良さんはその焦った表情で恥ずかしがっている。

「成程、男装ですか。しかし愛良先輩ではその豊満なおっぱいが女子たらしめる故に、男装を永遠に完成させられないですね」

 にやけた視線を愛良さんの胸に真っ直ぐ向ける恵さん。

「何言ってんだ中学生! シャツは着てねぇよ!」

「シャツは(・)?」

 恵さんが愛良さんを疑り深く見つめている。

「あたしとしては、どうして愛良ちゃんがフレイ君の制服を持ってたって事になったその経緯を聞かせてもらおっかな?」

「あぁ、それは――」

「待った!」

 僕に笑顔で問い詰める優子さんに答えようとする僕の言葉を愛良さんは遮る。

「そんなに聞きたきゃ話してやる。とりあえず教室に入れ」

「そうですね。あの時何故シャツは着てない(・・・・・・・・)って言ったか、私、気になります!」

 愛良さんから火傷しそうな程熱い感情が渦巻いている。恥ずかしさが尋常ではないと、表情からも確信できる。

「お、おはよう金城君」

「おはよう木原さん」

 挨拶をする木原さんは、僕と教室内の愛良さんをきょろきょろと見ている。

「あの、金城君」

「何?」

 木原さんは、更に僕の近くへと寄る。

「昨日……愛良さんの所へお泊りしたの?」

「え? いや、してないけど?」

「え? そうなの? そうだったの」

 とてもすっきりとした表情だ。

「どうしてそんな話に?」

「いや、だって、さっき金城君が愛良さんから受け取ってるのを見たから……」

 さっき愛良さんから小包を受け取っていたのを見てたという事らしい。

「あぁ、噂になってるって事じゃないのか」

「う、うん。私の早とちりよ」

「それは良かった」

 木原さんはそそくさと教室へ入っていく。

僕のせいで愛良さんに迷惑を掛けたら申し訳ないから、噂になってなくて安心した。


 平凡な日だった。特に好奇の目を向けられる事はなく、実に平凡な日だった。

 放課後を迎え、帰る準備をしていたところに突如フレイアが来た。

「お兄ちゃん、今日は一緒に帰ろっ」

 突然の申し出だった。

また何か企んでいるのだろうか? まぁフレイアに限って、僕を貶める策を弄する事は無いだろう。それに周囲も随分と僕達に集中している。

「あぁ、良いよ」

「やったぁ。お兄ちゃん大好きっ」

 僕に抱きついた瞬間、周囲は謎の感動を味わっている。こちらが威圧される程の熱気だ。

「じゃあ早く行こっ」

「そうだね」

 フレイアは僕の手を握り、か弱い力で僕を先導する。

 周囲の視線がとても暖かい。まるで見守られているかの様だ。


 学校周辺はとても賑わっている。周囲にはファストフード店や古本屋が並んでたり、歩道は若い男女やスーツを着こなした壮年がそれぞれの速度で歩いている。

「ねぇ、お兄ちゃんは何処が良い?」

「何処が良いって?」

「バイトだよバイト。せっかくここに住んでるんだからバイトくらいはしようよ」

 強請る目つきで、フレイアは僕を見上げている。

 ここ最近のフレイアが、どういう状況で僕に対して不機嫌な態度を見せるのかふと考える。答えはすぐに見出せた。

「お小遣い源確保より僕の相手を見つける事が目的だろ、フレイア」

「惜しいねぇお兄ちゃん。少しずつこの世界ってのが解ってきたみたいだけど、まーだ一押し足りないかな?」

「他にあるのかい?」

「例えば……バイト先でばったりクラスメイトに遭遇とか一緒に働くとかだね」

 随分と期待に満ちた目をしているフレイアだ。

「そんな都合の良い事なんてそうそうあるわけが……」

 僕の視界には、目立つ長い金髪を靡かせる少女が向かいのドーナツショップの中にいる事に気付く。随分と楽しそうな横顔を見せている。

「あれは?」

 その向かいには黒いショートカットの少女が、楽しそうに振る舞っている。

「愛良さんとその友達ってところじゃない?」

 フレイアも、僕と同じ方向を見ていた。

「あんな顔をするんだね。愛良さん」

 フレイアの呟きと同じ風に思った。

 何故だか、安心している。

「お兄ちゃん。そんなので満足してるから、愛を知るには程遠いんだよ」

「厳しい御言葉だ」

「……ま、それも良いんだけどね。優しくてさ」

 フレイアはすかさず僕の左手を握り、そのドーナツ屋へと引っ張っていく。

空いている時間帯なのか、客数は多くない状況で入るから客や店員はやや一斉に僕達に視線を向ける。それもお構いなしにフレイアは愛良さん達の席に引っ張っていく。

「愛良先ぱーい」

「ん?」

 ジュースを飲んでいた愛良さんは、軽く咳き込みかける。急に知り合いと会って驚いているという事だろう。

「お前は確か金城の妹……と金城?」

「フレイアです。そっちの人は?」

 愛良さんの向かいに座る黒髪の少女は、僕達に向けて会釈をする。

「あぁ。私と同じ中学だった友達」

 学校では見た事がない気楽な雰囲気の愛良さんは、スムーズに紹介した。

 黒髪の少女は愛良さんに優しく微笑みかけている。

「愛ちゃん。こんな可愛い後輩ができたの?」

「いや、別に後輩ってわけじゃねぇよ」

「こっちの人は彼氏?」

 ジュースを飲みかけた愛良さんは、すぐに咳き込んだ。

「な! ち、違ぇよ! ただのクラスメイトだっつの。転校生だよ」

 黒髪の少女は、僕を上から下まで何往復も視線を動かしている。

「結構……良い感じの人じゃない?」

 僕を称賛する言葉だが、何故か黒髪の少女から冷えた感情を微かに感じさせる。

「そんなの……解んねぇよ」

 愛良さんは照れた様にストローを咥えた。

「友達?」

「まぁ、そんなとこ」

 愛良さんの言葉には歪みは無かった。だが、相変わらず照れ隠しをしている愛良さんは僕に横顔しか見せない。

「初めまして」

「どうも。愛ちゃんがお世話になってます」

「べ、別に世話んなってねぇよ!」

 僕に礼儀正しそうに挨拶をする黒髪の少女へ力強い否定の言葉を贈る愛良さん。

「なんか初めて見るなぁ、そんな愛ちゃん」

 また、冷えた感情が垣間見える。向けている相手は愛良さんだ。

「君は愛良さんの友達なのかい?」

「はい。オリンポス高校二年の赤松(あかまつ)留美子(るみこ)です」

 言葉にはぶれが無いが、違和感を覚えずにはいられない。友人に向ける感情にしては、先程のあれは冷たく鋭かった。冷やされた鋭利な刃物を連想させていた。

「お兄ちゃん。お友達同士の時間を邪魔しちゃ悪いよ。さ、帰ろ」

 僕はフレイアに引っ張られていく様にこの店を去る。注文をせずに店に入ったのはどうにも気まずいので、チョコクリームドーナツを二個持ち帰りで購入した。

 その友人と一緒にいる愛良さんは、本当に暖かい心理状態だと思った。だからこそその友人が一瞬だけ時折見せる冷たい感情が違和感そのもので、愛良さんが心配になる。

「お兄ちゃん。やっぱ気付いちゃう?」

「あぁ。愛良さんの友達を名乗ったあの人は――」

「そこそこ上手く友達同士に見えるのが凄いよね」

 フレイアも気になっていたのか……いや、既に確信したのだろう。女性同士だから僕以上に読み取れるものがあるのだと思う。

「愛良さんの微笑みは、本物だったよ」

 愛良さんは気持ちに素直な娘だ。ころころ変わる表情は、常に心と同じ雰囲気を持っている。照れている時は常に熱い心を持っていて、喜んでいる時は、常に穏やかな心を持っていて……言葉で嘘はつけても心は常に正直な娘だ。

 僕が愛良さんの心から感じる結論は残酷な答えを既に出している。思考や記憶を読んだわけではないし、僕にはできない。だが、解ってしまっている。

「お兄ちゃんはさ、危ないって解っててもそうしちゃうその娘をどうしちゃう?」

「ん?」

 謎めいたフレイアの言葉は、僕の思考を止め関心を向けさせる。

「こーいう事には鈍いんだから……もう」

 何も考えずただフレイアを見ていると、フレイアは不満そうな表情をしていた。そして微かに嬉しそうに緩んだ表情を見せる。

「フレイアがね、是非とも友達になってくれって誘われてるの。でもそいつはフレイアの身体が目当てで友達になるつもりなんてないのにいい人ぶってて、フレイアは騙されててそいつを疑わないの。お兄ちゃんはそれが見切れちゃうよね?」

 期待を向ける輝いた目だ。

 フレイアの身体だけが目当てで友になろうと唆す奴をフレイアは盲信してしまってるという例え話か……フレイアが泣かされるのは見たくないな。

「勿論そんな時は、君を助けるさ」

 俯き気味なフレイアは、嬉しそうな表情だ。

「大きなお世話って言われちゃうかもよ。助ける人にさ」

 大きなお世話か……でも、僕は哀しい顔を見たくない。

 その前方には、とても小規模な人だかりだ。

「あの、すみません」

 怯えていて、掠れそうな高い声がその人だかりから聞こえる。

「イヤイヤァ、そんな恐縮しなくていいんだよォ!」

「ちょっちお茶に付き合ってくれたらいんだよォ!」

「まァオレらの出すお茶飲んでくれたりしたらいわけでェ」

「白い濁った茶ァかもだけどな。ヒャハハハハハハハ」

 人だかりを作っている下品な言動を見せる上下紺色一色の男が揺れると、その隙間から美雪さんが怯えているのを見つける。

 美雪さんは空いた隙間から僕に気付いたのか、こちらを向いて笑顔を見せた。

「あ、フレイ君」

 下品な紺色男達が、僕の方向に目線を動かした隙に美雪さんは即座に隙間から僕の方へ駆け寄った。そしてこの下品な男達は坊主頭一人にモヒカン二人にリーゼント一人という殴られ役が板についた不良だった。

「もぉ、女の子を待たせすぎだよ」

「え?」

 いきなり僕の正面から抱きつき、やや低い身長の頭をぎゅっと押し付けてくる。そして豊満に育った胸も自然と押し当てられる状態となる。

「ほら、今日はこのまま映画見に連れてってくれるんじゃなかったの?」

 僕を見上げる美雪さんの表情は実に可愛らしく微笑ましい。だが、感情は高まっていて熱く感じ、微かに緊張している様子も感じられる。

「そうだよお兄ちゃん。今日はフレイアにも彼女を紹介してくれるって言ってたから、部活を休んで付き合ってあげてるのに」

 背後からフレイアが僕にくっついた。

美雪さんが押し当てている感触に比べると実にコンパクトな感触だが、妙に強く押し当てている。

「なんだよ男がいんのかよ」

 不良男達はその場をゆったりと去っていく。

「アレ? でも、その男をブッ殺せばよォ……」

 立ち止まると、素早く振り返り僕の方へと突進してくる不良男達。

「そっちのロリ系も含めてオレらのモンだよなァ!」

「ま、待って!」

 美雪さんが僕の前にいる。このままでは美雪さんが怪我をするだろう。まずは美雪さんを僕の背後に引っ張る。

 僕を前方から囲みを作る様に弧を描いた陣形だ。なら、正面のモヒカン男二人を外側へ薙ぎ払って隣にぶつけて捌く。僕の真後ろにいる美雪さんとフレイアにぶつからない様に、外側へと大きく捌く。真正面のモヒカン男達の蟀谷に裏拳を放ち、隣の男達へとぶつける要領だ。

「ビブラト?」

「バブ?」

 想定通りに吹き飛ばした。僕の両手側に埋めく男達は、呻き声を上げるだけで起きようとはしない。

「だいじょぶだよ。お兄ちゃん強いから」

 美雪さんに誇らしくフレイアは言った。そしてフレイアは呻く男達に向かって行くと、その近くでしゃがみ込み坊主頭の不良男の頭を上げさせる。

「クッソ……」

 フレイアに顔を上げさせられた坊主頭の不良男は、屈辱と恐怖が混ざり合っている、歪んだ表情だった。

「さぁてと、雑魚悪役の皆さん。こうも圧倒的にぼこられたからおまわりさんに泣きつけば話くらいは聞いてもらえるんじゃない?」

 フレイアの前に倒れる男はしゃがみ込むフレイアのスカートを覗こうとしていた。その男は、フレイアによって頭を難無く抑え込まれ地面に鼻をぶつける。

「まぁ、素行の悪そうでお粗末なそれをフレイア達にねじり込もうとしてたって事は、周りの第三者さん達がよく見てるって事も考えて、御決断をどーぞ」

 鼻で笑うフレイアは、僕が倒した男達を見回している。

不良男達はふらつきながら起き上がり、一目散に逃げていく。

「一生懸命な判断だね」

 嘲笑混じりに逃げる様子をフレイアは眺めている。

 僕はフレイアと共に逃げる男達を見送っている。すると僕の左袖が微かに抓まれたのを感じ、振り向けば美雪さんがやや緊張した表情で俯いている。

「あの、ごめんねフレイ君。急に捲き込んじゃって」

「大丈夫さ」

 僕が一言答えると、美雪さんは安堵した表情を見せる。だが緊張した様子はまだ続いている様な状態だ。今になって下品な不良に囲まれた恐怖を感じだしたのだろうか?

「でも驚いたよ。いきなり僕を彼氏にさせるんだからさ」

「あ、あれはね、私が男の人と付き合ってないから、あの人達もしつこいんじゃないかなって思って……それでちょっと……」

「そういう事だったか。成程」

 大胆かつ冷静な行動だった。相手が下品な不良だったから不発に終わったが。

「相手がお兄ちゃんだからすんなり思いつたんじゃないの?」

「まさか?」

「お兄ちゃん、人の善意には鈍感だよね」

 善意も何も、その時の美雪さんはまさに無心の状態に等しかった。

「でしょ? 美雪さん」

「私はフレイ君が強かった事にびっくりだったよ」

 確かに美雪さんは僕が人間を殴ったり蹴ったりする姿は初めて見たのだろう。それより僕は美雪さんには弱そうに見えるのだろうか?

「それでねフレイ君……良かったら……本当に、だよ……」

「ん?」

 美雪さんから徐々に熱い感情が伝わってくる。俯いたその姿は、熱を帯びている雰囲気だ。恐怖を乗り越えようと鼓舞している気持ちにも似ている。

 美雪さんは顔を上げると、落ち着かない目線をどうにかして僕に焦点を合わせている目で見つめていた。

「本当に……彼氏彼女の仲にならない?」

 美雪さんの声が震えていた。伝わってくる気持ちは熱く不安定で、緊張させられる。

「それは――」

「それすっごく良いよお兄ちゃん。うん、そうしなよ。フレイアも応援する」

「フレイア?」

「だってそうすれば美雪さんに悪い虫は寄らなくなるし、お兄ちゃんだって可愛い彼女が隣にいれば、もうそれだけで更に格が上がるってもんだよ」

 フレイアはいつになく饒舌だ。だが僕はまるで答えを強いられている様にも感じる。

「待ってくれフレイア」

「あ、もしかして、フレイアがヤンデレ化する事を危惧してるってならのーぷろぶれむだよ、おにーぃちゃん。フレイアはお兄ちゃんの彼女ごと、お兄ちゃんをもっと大好きになる妹なんだから」

「フレイア」

「はいはい、なぁに? お兄ちゃん」

 ようやく僕の話を聞く姿勢になって、フレイアは静かになった。

「あ、ごめんなさい、お邪魔だったかしら?」

 すぐ近くに冷えた感情を察知する。振り向いた先には、愛良さんと一緒にいた黒髪の少女が立っていた。

「君は確か……赤松さん」

「もしかして、告白の決定的瞬間に出遭ってしまった感じ?」

「いや、そういうわけじゃないよ」

 冷静にそう答えるが、目の前の赤松という名の少女は落ち着かない。

「と、とにかくさようなら。愛ちゃんの事、これからもよろしくね」

 友人を思う台詞が、あまりにも淡々と流れた。そしてその言葉は僕へ言ったものだろうが、届ける様な言い方には感じられなかった。

 それよりも、今は真っ直ぐ僕を見上げる美雪さんへの答えだ。

「美雪さん。少し考えさせてもらっても良いかな?」

 そう答えた瞬間、美雪さんから微かに暗い感情が伝わる。だがすぐに明るい感情に戻って、僕に笑いかける。

「そ、そうだね。私と付き合っちゃったら、色んな人に憎まれちゃうもんね」

「ちょっと美雪さん、そんな事ばかり心配してたら、そのうち人を好きになる事さえも臆病になってこの先つまんなくなっちゃうよ」

 元気がなさそうな美雪さんへ、フレイアは背中を押す。

「それもそっか……」

 あまりにも静かな感情だったから、僕は察知しきれなかった。

美雪さんは少し僕へ向き背伸びすると、そっと僕の肩から首へ腕を回している。力の方向は美雪さんの方へかかり僕は屈む。そして、右頬には美雪さんの少し暖かい唇が触れた。

「せめて恋人同士のお別れっぽく、ね」

 周囲がまた美雪さんを狙っていたのか、理由は解らない。だが美雪さんはそれだけ囁き僕達に別れを告げて走り去る。

「なーんで決めちゃわないの? おにーちゃん」

 じとりとした目を向けるフレイアは、機嫌が良さそうに見えない。

「解らないんだ」

「何が?」

「美雪さんがさ」

 走り去る美雪さんを眺めながら、フレイアに話す。

「んー……じゃあ解る事をフレイアに教えて」

「美雪さんの事かい?」

「うん」

 素直な好奇心を、フレイアは僕へ静かに向ける。

「そうだな……可愛い娘だと思う」

 美雪さん程純朴でか弱い少女は見た事が無い。保護欲を掻き立てられる気分にさえなる程に愛おしい。ただ素直という事ではなく素直な気持ちを真っ直ぐに相手へとぶつける真っ直ぐさがあまりにも純粋で強く、弱々しくとも強く向ける遠慮の無さが可愛い。

「確かに可愛い系だよね……低めなのにおっきいってのがちょっとジェラシーだけど」

 まぁ見た目も綺麗だ。女神や天使と称される程だから。

「フレイアに似てる気がするね。胸の大きさとか以外は」

「フレイアだって成長するもん!」

 流石にこの話題ははっきりとフレイアを怒らせたか。しかし僕は本当に美雪さんとフレイアは似ている気がする。体格差ははっきりと解るが。

「解ってるよ。でも今のフレイアだって素敵だよ」

「まぁそんなに可愛いなら彼女にしても良かったじゃん」

 フレイアに似てる……そうだ、似てるんだ。時折僕に向けるフレイアの熱い気持ちと、美雪さんがさっき僕に向けたあの気持ちは、そっくりだったんだ。

「何も感じなかったんだ」

「え?」

「そう、何も感じなかったんだ」

 ただ表面が熱く、僕の心を熱しようとする動きが見えなかった。

「えっと……お兄ちゃんを欲しがる気持ちとかそんな感じ?」

「そんな感じ」

 そう伝えると、フレイアは僕を怪訝そうにじとりと見ている。

「でも、悪い感じは無かったんでしょ? もしくはお兄ちゃんが見逃してるんだよ、美雪さんの恋する気持ちってやつを」

「そうなのかな?」

「……まぁフレイアも女の勘ってだけで、確実には解んないんだけど……」

 美雪さんのあの時の気持ちに邪念は無かった。だが、解らない。あの気持ちは、熱かった。しかし僕の心には熱いとしか伝わらなかった。

「解らないのは……フレイアのせいだよねぇ……ちょこっと……」

「ん?」

「チョコ系のスイーツが食べたいかなー」


 翌日の朝、僕は決意する。これが正しい事と信じて。

 その放課後、人が少なくなった教室で機会は訪れる。

 今日程愛良さんに向かう事が苦しい日は無い。だが、僕は決意する。

「金城……あのさ……」

 僕が話しかける前に、愛良さんは口を開いた。

「愛良さん、丁度良かった」

「え?」

 どうやら愛良さんも僕に対して話があるみたいだ。

 僕の話は、愛良さんをどんな表情にさせてしまうだろうと少しでも考えてしまう。

「大事な話があるんだ。聞いてくれ」

 口の中は少し乾く。少しだけ息苦しさを感じる。伝えずにいれば楽だろうが、できない相談というものだ。

「お、これは決定的瞬間に出遭えたかな?」

「囃し立てんな優子」

 背後から平和兄妹が僕達の様子を観察していたみたいだ。

「そういうのじゃないよ、優子さんに優斗」

「なんだよ違うのー?」

 つまらなさそうに優子さんはじとりと僕を見る。

「あぁ、でも……あまり他人に聞かれたくはないかな」

「じゃあ、久し振りに部活でもするかぁ優斗」

「へいへい」

 平和兄妹が何処まで僕の意を組んでくれたかは解らないが、興味を示さずこの場所を去ってくれた事で、僕は背中を押してもらえた気分だ。

 時計の音は聞こえない。だが、外から部活に精を出す声が微かに外から聞こえる。

 今、ここには僕と愛良さんだけだ。

「あのさ」

「愛良さん」

 声が重なり、互いに止まる。

「い、いや、あんたから話せよ」

 不安そうに緊張する愛良さんは、いつもみたいに目を逸らしつつ話す。

「先、良いよ」

「お、おう……」

 僕は決意が鈍って、話す順序を先に譲った。

 愛良さんは更に緊張を高める。僕に向かいながら静かな深呼吸をするくらいだ。

「あんたさ……告られたのか?」

「え?」

 聞こえなかったのではなく、あまりにも予想外な質問で驚きの声を上げた。

「いや、だからさ……告られたのかって……聞いてんの」

 不機嫌混じりにもう一度僕に聞く愛良さん。

「僕が? ……誰に?」

 愛良さん自身も誰かは知らない様子で、目線を動かしつつ唸っている。

「いや、誰かは聞いてねぇけど……あたしや学級委員よりは小柄な奴で……」

「優斗より小柄な人は結構いるだろ?」

「そっちじゃねぇよ! 女子の方……木原さんだ」

「あぁ、そっちか」

 呆れつつも愛良さんが僕を見る目は波立っている。不安を無理矢理押し殺して結局緊張しているみたいだ。

「まぁ……小さい割には胸がそれなりに大きい奴だって言ってたっけ……」

 愛良さん自身はその不安そうな様子のまま、胸に視線を落としている。

 小さい割に胸が大きい……嫉妬混じりにそんな評価を誰かに向けているのを聞いた気がする……ここに来て最近。僕の近くにそんな人間は一人だろう。背丈の高い僕からすれば愛良さんもそれなりに身長は小柄に見えるんだが。

「もしかして美雪さんの事か?」

 愛良さんより低いが、匹敵する持ち主と言えば、美雪さんしか思い浮かばない。

「美雪? あの水樹美雪か?」

「そうだけど?」

「あ、あいつに告られたのか?」

 声を震わせ僕に問い詰める愛良さんはとても熱い。

「何故気になるんだい?」

「き、気になっちまうのはしょうがねぇだろ?」

 やはり言葉は僕へは向かないが、愛良さんの気持ちは既に僕へ向けている。

「それより、そんな話は誰から聞いたんだ?」

 僕自身も身に覚えがない事だ。

フレイアがそんな事を誰かに話していたなら、僕が何も知らないというのはおかしい。いや、見落としているだけかもしれないが。

「留美子からだよ。あの後電話が来てさ……」

 その名は、愛良さんの友人の名だ。だが何故そんな話を?

「解った……」

「な、なんだよ?」

「君の友達……赤松さんの事なんだ……」

 僕にとっては、他人の彼女が何故僕の事を敢えて友人の愛良さんに話す必要があるのかと、初めは考えた。愛良さんが僕の情報を欲しがっているなら別だが、そうでもないのに話すのは余計な世話だという事だ……普通に友人であるなら。

「え? 留美子?」

 余計な世話事態が目的……愛良さんにとって余計な事が目的ならば、そして時折愛良さんに向けていた冷たい刃の如き感情から……確信せざるを得ない。

「なんだよ、急にそんな生真面目そうな顔すっから、結構な話をすると思ったのにさ」

 あまりにも残酷な推測は、真実だ。だがこの真実は、何も知らなければ嘘にさえなる。

「留美子がどうかしたのか?」

「随分と仲が良さそうだね」

「まぁな。あいつはさ、中学ん時の友達だよ」

 歪みの無い綺麗な言葉は、痛い程に僕へと届く。

「あんたは強ぇからあたしも平気なんだろうけど、大半の奴はあたしを怖がんのよ」

「信じられないな。君は怖い人でもないのに」

 僕に向いている愛良さんは、こんなにも綺麗で真っ直ぐ見る事ができる。友人を想う心も、優しく伝わる程だ。

「他の奴はそう感じんの」

 哀しそうな目だ。本当は他人に疎まれる事に傷つく弱くも優しい心だと今なら解る。

「で、そんな時友達になってくれたのが、あいつ」

 誇らしそうな目だ。如何に友情が支えになっていたかを僕に伝えている。

「あいつは家が金持ちだとかそんなので恵まれちゃあいるわけよ。でも恵まれすぎてっとよ、悪い虫も寄ってくるもんでさ。で、あたしが助けた事が始まりってやつでさ」

「そう……なんだ」

「ま、あいつがいてくれたから、あたしもそれなりに居心地良かったな」

 真っ直ぐな善意だ。だからこそ、僕は心を痛める。

「言っとくけど今だって別に悪かねぇぞ。去年だって平和兄妹が色々と構ってくれてたしな」

 やはり平和兄妹は、愛良さんにとって親しい人間だった。お互いにそう思っているのは周知の事実だと解るが、思いの深さは初めて見えた。

「今年は……あんたも来たし」

 言葉は小さかった。しかし、向いている気持ちは更に強く感じる。

「そういえば、留美子を見て思い出したよ。あいつはちゃんとやり直せたかな?」

「やり直せた?」

 少しだけ、愛良さんの気持ちが沈んだ。

「留美子に彼氏がいてさ……あんた程強いわけじゃねぇけど……まぁ優しさが取り柄って感じの男にさ、あたし告られた事があんの」

「僕に似てる感じ?」

「雰囲気だけな。まぁ留美子の彼氏もそんなに悪い感じじゃなかったけどさ」

 また、愛良さんの気持ちが沈む。

「留美子が可哀想だろって、断ったけどな」

 確信した理由も、今出来上がった。それも、全ては思いの強さ故にだと解った。

「そういう事だったのか……」

「どうしたよ?」

 躊躇ってはいけないと、僕は覚悟を決める。

「愛良さん。はっきり言う」

「な、何?」

 愛良さんは声を裏返した。

 真っ直ぐ見る事が今は辛い。だが、この言葉を伝えなければ僕はいけない。

「赤松さんは君を憎んでいる」

 その瞬間、やはり愛良さんの気持ちは瞬間的に冷えた。凍りつく程の勢いだ。

「は?」

「何故憎んでいるのかも、今確信した」

「おい、何言ってんだよ?」

 愛良さんの気持ちが真っ直ぐ届くから、僕自身も刺される程に痛む。

「もう会わない方がいい。会う度に赤松さんは君への憎しみを深めていく」

「ざけんな!」

 高い声で叫んだ。

 僕はもう、これ以上言葉を続けられない。

「そんな真顔で笑えねぇ冗談だなおい。留美子があたしを?」

 震える愛良さんの声は、僕の痛む心を揺らす。

「あぁ」

 愛良さんが激しく怒りの感情を僕へ向けるのを肌で感じる。

「あたし達の事をよくも知らねぇで、でたらめ言うんじゃねぇよ!」

「僕には解るんだ。会ったその時にすぐ気づいたんだ。上手く振る舞っているけど、その気質は憎しみが漏れだし、溢れていたんだ」

「るっせぇ!」

 愛良さんの右拳が真っ直ぐ僕に向かう。僕の本能は殴られる事を許さない。その拳を左手で受け止め、そっと握って全力で離さない。

「そして今、君が何故怒っているのかも解る」

 こっちの心が痛くなる程に。

「それは僕が君達の友情を壊そうとしているからだ」

「あんたはエスパーか何かって言いてぇのかよ!」

「でも……君が僕に向ける感情が……解らない」

 愛良さんの目は潤んでいた。怒りと哀しみという感情は伝わる。だが、怒りも哀しみも決してたった一つでは無い。そして解らないのは哀しみの理由だ。

「怒ってんのが解らねぇなら、さっさと手ぇ離して殴られとけ」

「それならすぐに解る……でも、伝わるのは怒りじゃなくて……哀しみだ」

 愛良さんの右手から力が抜けるのを察知すると、僕は手を解く。その瞬間、愛良さんは一筋の涙を流して僕に背を向けた。

「あんたが……」

 少し震える愛良さんの声。哀しい感情に同調すらしそうだ。

「あんたが……少しでも良いかもって思ったあたしが……馬鹿だったのか……」

 それだけを言い残して、愛良さんは去って行った。

 解っていた事だ。僕の行為は友情を引き裂く結果になると。

それが偽りでも、愛良さんは本物の友情と思っている事も。

「ま、予想通りだね、お兄ちゃん」

 廊下に出たらすぐ隣に、フレイアはいた。

 フレイアなら解るだろうか? 愛良さんが一筋の涙と共に僕へ向けた哀しみの感情を。

「フレイア……教えてくれ。僕はやはり憎まれた筈だ」

「まぁそうだと思うよ」

 肯定の言葉だった。そして僕の罪の意識を和らげる優しい感情だった。

「でも……何故僕にあんな哀しそうな心を向けるんだ?」

「恋愛初心者のお兄ちゃんには難しいかぁ……」

 言葉とは裏腹に、僕を誇る様な雰囲気でフレイアは笑いかける。

「それはね、きっとお兄ちゃんが好きだったんだよ」

「僕が?」

 意外な答えだった。だが、憎い相手なら哀しみが生まれないのは解る。

「知ってる? 愛も憎しみも同じ心で出来上がるものなんだよ」

「それは心が動いているからだろ?」

 そう答える僕にフレイアは物足りなさそうに、じとりと僕を見る。

「お兄ちゃんはそういう頭を使う事にはもの解り良すぎて誇らしいけど少しつまんなーい」

 意味深な言葉だが、その意味を僕は見出せない。

「でも、赤松って女がなんで愛良さんを憎むかってのは、お兄ちゃん解っちゃうんだよね?」

「あぁ、それも愛故にって事も」

 愛というものを断片的だが理解できたかもしれない。

 今僕がやるべき事は、あの哀しそうな顔を微笑ませる事だ。

 足取りが軽い。今の僕には強い信念から生まれた覚悟で動いている。あの時とは違う。

「だいじょぶ。あの時とは違うよね。ゲルダの時とは違ったもん……」


 学校から少し離れた場所から祈りを感じた。

そこには、美雪さんがただ身体を震わせて立ち尽くしている。

周りの人達も少しざわついている。きっと悪い出来事が起こったんだろう。

「フレイ君!」

 美雪さんは走り去る車を強張った表情で眺めていた。

「美雪さん! あの車は?」

「私を助けてくれたあの先輩が……なんか怖そうな人がぞろぞろと出てきて……」

「その先輩は愛良さんだな」

 震える美雪さんは、静かに頷いた。

 まだ車は遠くへは行っていない。眺めてみれば気配もまだ近い。

「何処行くの?」

「あの車を追うんだよ」

「無理だよ!」

 美雪さんは僕の腕を掴む。

「僕なら大丈夫さ」

「危ないよ!」

 振り向けば、再び強張り震える美雪さんが僕を見上げている。

「心配ないよ」

「行っちゃだめ!」

 呼吸が落ち着いていない。目には涙が溢れかけている。

「僕を心配してくれてるんだね」

「そうだよ。危ないよ。警察の人とかに任せよう?」

 穏やかに僕が言うと、美雪さんは安堵したかの様に呼吸が落ち着く。

 周囲を見渡すと、人間達は迷いと緊張感で溢れている。良心と保身の間で葛藤しているのが伝わる。

「誰も呼んだ気はしないな」

 僕は美雪さんの腕をそっと離させる。

「僕は結果的に愛良さんを危険に晒している。だからその責任は取らないと……」

 車の方へゆっくりと歩を進める。

「僕自身を許せない」

 駆ける。人外の速さと思われようが、僕はただ駆ける。




頭が痛ぇ……でもって、なんで揺れてんだ?

 あぁ? ここ……何処だ?

「おはよう愛ちゃん」

 愛ちゃん? その呼び方……留美子か……でもどうして?

 車の中だ。隣にはいかつい男が二人……後部には一人。助手席は……え?

「留美子? お前なんでここに」

「さァなんででしょう? そのムダにでかい胸に手を当てて聞きなさいよ!」

 何言ってんだ? なんで怒ってるんだ? 周りのこいつ等は誰だよ?

「サッパリわかんないって顔してるわね……」

 考えがまとまらねぇ。何か言おうにも言葉がまとまらねぇ。胸の中がちくちく痛ぇ。

「ハッキリ言って目障りなのよ。他人の彼氏の心を奪っといて、新しい学校じゃワタシのより恰好良さそうな男と仲良さそうだしさァ!」

 恰好良さそうな男? あいつか? いつもあたしを怖がりも疎んだりもしねぇでただ不思議そうな目で……優しそうに見るあいつの事か?

「何を勘違いしてんだよ? 金城とはそんなんじゃねぇよ」

「ハイハイ聞こえませーん。メスイヌとの言葉は持ち合わせてないのー」

 なんでだよ? なんでそんな事言うんだよ? なんで聞いてくれねぇんだよ?

「それにあたしは、お前がいるからちゃんと断った。奪ってなんかねぇよ」

「ワタシはワタシだけを見てくれる人じゃないとイヤなの。だからあの人とはおしまい」

 聞いてねぇよ。そんな事いつ言ったよ? なんでだ?

「愛ちゃんとはトモダチでいたかったのにザンネンだわ」

「友達で……いたかった?」

 なんで笑ってられんだよ留美子? なんでそんな楽しそうなんだよ?

「アンタとも終わりよ。ザーンネン」

 終わり? は? わけが解らねぇ。

 あたしがあんたの彼氏に告られたからか? それが原因で別れたってのか? それであたしがあいつと一緒にいて……確かにあいつが一緒の時は、周りに勝手に怖がられて本当はきつい気分も寂しさも忘れられて……幸せだと思えてた。

それがお前を怒らせてて……そうだってんなら……。

「あたしが……悪かったのか?」

「そうよ。アンタが悪いのよ」

 わけが解らねぇ。何も解らねぇよ。

でも、留美子がどれだけあたしを恨んでるのか……憎んでるのかは痛い程に伝わってて……胸が痛ぇ。

「泣いたって許さないわよ。パーティーだって始まってないんだから」

 泣いてる。車のミラーに映るあたしは随分と泣きっ面だな。あの母親が由愛を連れてパパを捨てた時もあたしは泣いたっけな。

母親が憎かった以上に……あたし自身が弱いって事を思い知らされたからだったかな?

 あぁ、今そんな気分だ。

 車が急ブレーキかけてドアも勢い良く開けられて、投げ出されるから驚いたし痛ぇ。

 河川敷だ。車がただ通り過ぎる音だけが残酷に聞こえてくる。

「ねェ愛ちゃん。ゼッタイに抵抗しないって言えばァ……この人達に手も足も出させないって約束させるわ」

 留美子が何か言ってるな……でも、自由に動けるのに力が入らねぇ……哀しくて。

「黙ってるって事は承諾ね」

 勝手に話を進めるなよ……なんかもうどうでもいいけど。

「言っとくけどワタシは手も足も出すから」

 見事にあたしの左頬に蹴りくれたみてぇだ。

「ンッンーッ! サイコーな気分だわ! 一曲歌いたいくらいよ!」

 あぁ、痛ぇ。顔を蹴られるなんて初めてだ。

 そしてお前は随分とにこやかだな。また胸の中が痛ぇよ。

「何よその目は?」

「そんなに恨んでたんだな……あたしを……」

 痛ぇ程本気で伝わってくる。蹴られた所よりも胸の中が痛ぇ。

「トモダチのフリは息苦しかったわ。でも今はスッゴイサイコー!」

 つまりあたしに見せた笑い顔とかそういうのは全部嘘だったのか。あいつは……金城はそう言ってたっけ? でもあたしは信じられなくてキレちまって……。

「あたしは本当に馬鹿だな」

「ホントよバーカ! ワタシが笑いを堪えるのにどんだけ必死だったと思ってんの?」

「あたしがお前の彼氏をふった時さ……凄ぇ気まずかったんだよな」

 今更何言ってんだろうな、あたしは。

「そうだったの? 相変わらずワタシをトモダチって信じ切ってたみたいだったけど?」

「あぁ。だからさ、お前が中学ん時と変わらないで話しかけてきてくれた時は、凄ぇ救われた気持ちだったよ」

 本当に……中学の時と変わらないお前に救われた気持ちだった。

「でも、お前はずっとあたしを恨んでたんだな……だから……」

 嘘だって知った今日程、哀しい日はねぇよ。

「泣き落とそうったってムリだから」

「なァ留美子ォ。早くオレらにもヤらせろよォ」

「ダメよ。コイツはもっと苦しめてやんなきゃ収まんないの」

 これからどんなひでぇ事をされるんだろうかって時に、動けねぇな。

……はは……随分とまいってんだな、心が。

「イヤマジもうムリ! オレのをソイツの口に入れさせろォ!」

 もういいや……まじでどうでもいい……。

「ダメだっつってんでしょ」

「オゴォオォ?」

 留美子の奴、随分と痛そうな所を笑いながら握ってんだな……。

「もっと弱りきった時まで待ちなさい」

「わ! わかった! だからやめ! アボァアァ!」

 怖そうな男がようやく握られてた場所を離してもらってる。だらしねぇ顔だな。

「ねェアンタ。どんな気分?」

「もう……痛くてしょうがねぇよ……」

「ここが?」

 また蹴られた。頭から地面に落ちた。

 ずきずき痛むけど、きりきり痛む胸よりましだな。

「胸がさ……」

「ハァ?」

 そっか……やっぱあたしはこいつを本当に友達って思ってたんだな……だから痛ぇんだ。

「きっとお前の幸せを奪っちまったって、後悔してんだよ、きっと」

 後悔って言えば……最近こいつと話してる時に一回感じたな……。

「似てるなぁ……お前からあの話聞いた時と」

「あの話?」

「金城が可愛い女に告られてたって話だよ」

 なんで後悔したんだっけ……いや、悔しくてちょっと哀しく思ったんだっけ?

「希望を奪って悪いけど、それは本当の事よ。トモダチを心配するって空気出して話すのは、もう大変だったけど」

 解っちまった。どうしてそんな話を聞いて不安になって……あいつに聞いたのか……つうか、あたし単純だなぁ、たったそんだけで。

「はは……そんな良い男が忠告してくれたのに、あたしは嘘っぱちの友情を信じちまって……馬鹿だなほんと……」

「ラストっぽいいい台詞謳ったって、こんなんでまだパーティーは終わんないから!」

 ごめん金城……あんたは見抜いてたんだな。なんでかは知らねぇけど、こういう事を。

 謝りたいな……あいつはいつになくまじな顔であたしを見つめるんだもんよ。だからさ……助けて……。


「随分と悪趣味なパーティーだな」

 実に悪趣味だ。愛良さんの悲痛なまでの祈りが、そう素直に思わせる。

 そして、空虚な心情の愛良さんがゆっくりと僕の方へ向く。

「金……城?」

 愛良さんの目に生気が戻った。

 僕は安堵したと同時に、怒りが込み上げてくる。

「彼氏ご到着? あーらドラマチックね」

 随分と真っ直ぐに歪んだ笑顔を見せる赤松は、下水でも覗いてる気分にさせる。

「アンタ達! まずはそいつを足腰立たなくしちゃって」

「ヘッヘッヘ……お安いご用だぜ」

 筋骨隆々とした男達が四人僕へと歩み寄ってくる。遅い歩調は威圧感の表れだろうか?

「金城! 逃げろ!」

「心配? 大丈夫、病院には送ってもらえる程度にさせるから」

 男達は力任せに僕へ襲い掛かる。

 この男達を、僕は人間だとは思わない。無造作に振り下ろされた鉄パイプを僕は左手で掴み防ぐ。その隙を左右から同じ様な凶器で殴り掛かる二人の男には、正面の男を左へと力任せに振り回してそのまま殴り掛かってきた男へぶつけ、すかさず右手側の男に、奪った鉄パイプをカウンターヒットの要領で首へと真っ直ぐ突き出して当てる。一人だけ遅れたタイミングで、黒い固形物を突き出してくる男がいた事に気付く。黒い固形物は先端に雷を走らせた金属製の針らしきものを確認した。その凶器の類をただ迅速に振り抜く鉄パイプでその男の手元で壊す。頼みの武器を壊された男は僕に向かって怯えた表情を見せたが、そのまま右拳で顔を潰し吹き飛ばす。

「金……城?」

 愛良さんが随分と驚いているのを感じる。確かに、僕の手の内を結構見せるのはこれが最初だったか。

「エ? ウソ?」

 ただの一撃だけで熨された事か、それともあまりにも早く片付けられた事か、とにかく赤松はただ僕に怯えた顔を見せる。

「愛良さんを離してくれ」

「それ以上近付いたらコイツを刺すわよ!」

 赤松の左手にはナイフが握られていた。

刀身は短いが、震えている手で愛良さんの顔を傷つけるには充分な脅威だ。

「それはやめてくれ」

 やめてほしいのは本心だ。だが、怯える赤松に僕が屈する理由は無い。

「ワ、ワタシも殴るの? 殴るつもりなの?」

 僕が困惑する様子を見せない平静な態度が、赤松を怯えさせているのだろうか? ならば、赤松が早まる前に愛良さんを助けよう。

「勘違いするなよ。僕はお前を殴る理由が見当たらないだけさ」

「何勝ち誇った台詞を吐いてんのよ! 人質が見えてないのかよ? テメェよォ!」

 鉄パイプを赤松の方へゆっくりと放物線の軌道を描く様に僕は投げる。

 希望通り赤松は愛良さんを突き飛ばしてそのまま腰を抜かす。赤松の手から離れた愛良さんは転ばされた。そうして立ち位置が狂い、鉄パイプの軌道上に愛良さんがいる。赤松の計算かどうかは解らないが、僕はすぐに愛良さんに駆け寄り鉄パイプをキャッチする。そして倒れた男達が起き上がりかけているので鉄パイプを再び男達へ投げる。鈍い音を響かせ、鉄パイプは地面に衝突し砕ける。男達は砕けた鉄パイプを見ると気を失った。

「愛良さん!」

 僕を見上げる愛良さんは、急に涙を零した。

「僕は君が綺麗だと、あの時から……心からそう思っていた。そして今でも」

 倒れている愛良さんを、僕はゆっくり立ち上がらせる。

「でも……ただ綺麗なだけなら……こんな気持ちになる事はないんだと思う」

 愛良さんは傷をつけられたが、顔を腫らしている程ではなくて僕は安堵した。

 気付いたら、僕は愛良さんを抱きしめている。どうしてこんな事をしてるのだろう?

「お、おい?」

「君を助けられて良かった……心からそう思うよ」

 視界には、狂気に満ちた赤松がナイフを両手で握り、僕達の方へ突進している。その刃は、歪み無く愛良さんに向けられている。

 僕はただ、ダンスのターンの如くお互いの場所を力任せに入れ替えた。それと同時に、僕の背後は尖った物で突かれる感触を感知する。

「ぅあ……」

 丁度息を吸っていた時に突かれれば呼吸は止まる。思わず声が零れた。

愛良さんが僕を通して振動を察知したのか、僕の背後を覗き込む。目を大きく見開く程に、驚いているのがよく解る。

「アハ……ハハハハハハハ……アッハッハッハッハッハァ!」

 赤松の狂気じみた高笑いは、頭が痛い。僕はそのまま倒れ込んだ。

「金城? おい金城?」

 愛良さんの叫び声が耳に響く。恐怖によって愛良さんの感情が冷えていくのが解る。

「ワタシは悪くないわよ……魔が射したのよ! テメェが悪いんだよ! テメェがァ!」

 狂い叫ぶ赤松は、ただ天へと言い訳を向ける。

 愛良さんは僕をゆっくりと地面へ寝かせる。そして、愛良さんからは熱い感情が徐々に表れ始めている。

「あたしにはやらなきゃいけない事ができた……」

 ゆっくりと、ただ静かに愛良さんは赤松へ歩を進める。

「ア、 アンタ、これが見えないの? ナイフよ! ナイフなのよ!」

ナイフを突き出す赤松は、腰は引けていて手も震えている。

愛良さんの無遠慮な上段右後ろ回し蹴りは、スカートが思いっきり翻る程だった。

綺麗に赤松の右頭部を踵で強打した。赤松はその場で頭から倒れ、微動すらしない。

「これでこいつとの関係に……ピリオドを打てたよ」

 その言葉にも、愛良さんは哀しみを込めていた。

「金城! しっかりしろ、金城!」

 不安に押しつぶされそうな顔だ。

「大丈夫……僕なら……」

「大丈夫なわけねぇだろ! 刺されたんだぞ!」

 なんて素直に僕を気遣う顔なんだろう。気丈に振る舞っても涙は隠せていない。

「人間らしい……顔ができるじゃないか……」

「何言ってんだよ? 喋んな……」

 僕の方へ膝を落とし身体を震わせる愛良さんの頭が倒れていても近い場所にある。僕はただその頭を撫でたくなった。

「君が思っている程に……周りは君を恐れてなんかない。君と同じさ……」

「喋んな!」

「ただ……進み方が解らないだけなんだよ」

 愛良さんは静かに僕の言葉へと耳を傾けている。だが不安そうな表情から、僕の言葉は殆ど聞こえてはいないだろう。ただ僕を心配している。

「僕の事は気にしないで……これからも普通に学校に行って欲しい」

「はいはい、ちょっと通りますよ」

 白いスーツに身を包んだ女性達が、倒れている男達や赤松を運んでいる。白い車に投げ込み詰めると、何処かへ連絡を取っている様だ。

 微かに察知できるこの気質……ヴァルキュリアか。フレイアが呼んでくれたんだな。

「おいあんた等! こっちも運んでくれよ! 刺されたんだぞ!」

 連絡を取っている女性達に向かって、愛良さんは叫んでいる。

「お二人はこちらです」

 低く落ち着いた声が聞こえた。懐かしい声だ。

「おい!」

 愛良さんはその声を発した男に対して食って掛かっている。

僕を心配している一心から芽生える不安そうな感情を取り除いてあげないと可哀想だな。

起きるとしよう。

「え?」

 驚くだろうな。ナイフで刺されて倒れたら、人間はたいてい無事じゃない。人間なら。

「フレイ様。後はヴァルキュリアが上手く処理致しますので」

 さて、僕の目の前にいる黒いスーツに身を包み、ネクタイも黒で黒いレザーグローブも装備している暗殺者じみた銀髪の男が、僕の護衛役という肩書の親友だ。ヴァルキュリアが処理をするとか言うものだから、愛良さんはもう呆然としている。

「ありがとうスキールニル。それじゃあ僕達は帰ろうか」

「おい……あんた……刺されたんじゃ……」

「ナイフを折らないようにするのは少し苦労したよ」

 愛良さんの手をそっと握って、スキールニルが用意した黒い車に僕達は乗る。

 馬に乗るより揺れないし、静かだ。

人間の科学は恐ろしい程に凄い物を創造していると素直に思う。

「あんた……何なんだ?」

 畏怖の情念すら抱いている愛良さんの質問は、少しだけ僕を不安にさせる。

「フレイ様。もう隠しようがございませんね」

「そうだね」

 僕自身の秘密を話す事は、赤松の本性を話す以上に引き締まる気分だ。

「まぁ、俺達ヴァルハラの男にわざと刺されるなどと言う敢えて苦痛を受けるM行為など最初からできるわけないんですよ」

「それもそうだ。服に穴をあけるのも嫌だったしね」

 空気が和らぐ。スキールニルによる絶妙な言葉で。

「フレイ様、彼女が混乱なさってますよ」

「あぁ、ごめん。僕は神なんだ」

 すんなりと言えた。人間が自分を人間と言える様に簡単だった。

「神様?」

「様(・)はいらないよ。僕は偉いわけではないしね」

 愛良さんはまだ混乱している。目は疑念と驚愕の感情が混ざっている。

「フレイ様が貴女を助けた。ただの奇跡が起こった様なものだと御理解ください」

「悪い人には、奇跡が起きないって事だよ」

「フレイ様、彼女がまた混乱なさってますよ」

 口がぽかんと少し開いている愛良さんは、僕とスキールニルを交互に見渡している。

「お休み……愛良さん」

 愛良さんの頭から頬をそっと撫でる。愛良さんは僕の方へと真っ直ぐ倒れ込み、静かな寝息を立て始める。寝顔は幼い雰囲気が出ている程に安らかだった。


「やはり、女性を眠らせるのは一級品ですね」

「僕がいつからフレイアの兄として生きていると思ってるんだ?」

 スキールニルからの純粋な称賛に、僕は純粋に誇らしく尋ねる。

スキールニルは無言でにやりと笑った。

「そういえば、マリとルイは元気かい?」

 マリとルイはフレイアの護衛役という肩書の……何だろう? 友と呼ぶにはフレイアが常に上位に立っている気がするから……そのまま護衛役か?

「フレイア様に無理矢理帰されたと、俺に愚痴を零しに来ましたよ」

 スキールニルとマリとルイは、僕達兄妹の護衛役という共通点から付かず離れずな強い仲間意識がある。僕から見ればスキールニルが面倒見の良い兄で、マリとルイが妹みたいなものに映って見えるけど。

「お前には苦労を掛けるな、スキールニル」

「フレイア様に掛けられる苦労に比べれば、大した事はありません」

 スキールニルはまた穏やかに笑った。

「ところでフレイ様。貴方を刺した女性ですが、どうやら魔が射していたと報告が……」

「その話は後で報告してくれ。寝た娘が起きてしまうよ」

「承知致しました」

 ただ静かなドライブは、愛良さんの寝息だけが聞こえる程に穏やかな雰囲気だ。

 しかし愛良さんの寝顔は可愛い。もっと見ていても良いだろうか?


 とりあえず玄関に愛良さんを降ろして、再び撫でて起こした瞬間、僕はスキールニルの車に乗ってその場を離れた。

「ところで、フレイア様にはどの様に報告を?」

「ヴァルキュリアを動かしたのはフレイアだろうし……素直に報告するよ」

「フレイ様の正当防衛及び愛良様の救出劇を見て、相当悶えていましたよ」

「報告はいらなさそうだ」

 静かにくすくすと笑う僕とスキールニルの声が車内にただ聞こえる。


「前から思ってましたが、随分な面倒事ですね」

「全部僕が招いた事さ」

「確かに。フレイ様が己自身の弱さを悔いたからこその面倒事です」

「あんな気持ちは二度とごめんだ」

「……彼女は恨んでませんよ。寧ろ、フレイ様だけが責任を感じる事は――」

「悪いのは僕だ。だから僕は愛を知りたいんだ」

「……ゲルダお嬢様も、同じ様に思っているんでしょうね……」

 苦い過去は、悪い過去で、忘れてはならない過去だ。

「僕も……昔は同じだったんだろうな」

「あの魔に射された黒髪短髪少女と、ですか?」

「さっきの無頼漢達を見ていたんだろう? 身体にいう事を聞かされて、もっと歪んでた感じに見えた。倒れる寸前まで」

「単純に、俺達とは真逆のマゾヒストだったのでは?」

「そうかもしれないけど……あの少女の愛情表現が、とにかく身体に聞かせる方法を用いてたのだろうって思うとさ――」

「フレイ様は奴とは違います。確かにちょっとした弱い思いで彼女に触れ、語った事で歪んだ結果を迎えました」

「あぁ……そうだね……」

「……でも、フレイ様は愛しておられる。男の本能――美女や美少女を理屈抜きに愛するそれに偏っているものではあっても、フレイ様はゲルダお嬢様を愛しておられる」

「……哀しいくらいに本物の感情だったよ」

「だから、フレイ様はここにいます。白紙どころか設定からの練り直し程に戻りましたが」

「……あぁ……そうだね」

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