2 のこされた記憶の欠片

「ちょ、ちょっと待って……。あなた今、何て……?」


 誰もが「聞き間違いだ」と思ったが、誰も何も言い出せない。そんな重たい沈黙を破ったのは、レイナだった。


「え……? だからね、わたしの『運命の書』、真っ白なの……。だからこれからどうすれば良いのか、わたし、わからない……」


 赤ずきんちゃんはこの想区では『主役』であるはず。物語というものは当然『主役』を中心に起こることなのだから、物語において重要な役割を担えなかった僕たちが持っているような『空白の書』をその『主役』が持つはずなんてない。


「えっ……でも、赤ずきんちゃん、君は……」


 僕は思わずそう口を出した。赤ずきんちゃんは案の定、眉をしかめて口を半分開いた状態で僕の方を恐る恐る見つめいているだけ。返事はできそうになかった。


「……」


「坊主、気持ちはわかるが、しばらく黙っていてやれ」


「……うん」


 タオに諭されて僕は口をつぐんだ。ふと女性陣の方を見てみると、シェインが赤ずきんちゃんに寄り添って背中を支えている一方のレイナは寂しげな表情で俯いていた。こんな顔をしているレイナを見ることはそうそうない――なにか彼女にも思うことがあるのだろうか。


「姉御、どうしました?」


「あ……いいえ、何でもないわ!」


 慌てたように顔を上げたレイナがそう言って作り笑いを見せると、タオとシェインはますます不安そうに彼女を見た。きっと、タオとシェインはレイナと旅をする中でこの曇った表情の意味を知ることがあったのだろう。きっと僕にはまだ、それが分かっていないんだ。まだ、僕には……。


 赤ずきんちゃんは、話が一度途切れたことを確認するように僕たち四人を順番に見回すと遠慮がちに切り出した。


「お姉ちゃん、わたし、これからどうすればいいのかな……」


 不安そうな表情で尋ねる赤ずきんちゃんに、レイナは真剣な表情でこう返した。


「赤ずきん、あなたは『主役』なの。きっと、この近くのどこかにあなたの『運命の書』の記述を真っ白にしてしまった悪者がいるんだわ」


「『主役』……?」


 赤ずきんちゃんは大きく円らな瞳を見開いてレイナを見、一度だけ瞬きをした。


「そうよ。それなのに記述は……ううん、あなたではない誰かが一時的に『主役』にされているのよ、きっと」


 レイナが難しい話をするにつれ、赤ずきんちゃんがだんだん困惑していくのが傍目にもよくわかった。


「その『一時的な主役さん』がカオステラーという悪者である可能性もあるのです」


「しゅ、やく、わたしが?この、物語の……?」


 赤ずきんちゃんは何かぶつぶつ言いながらだんだん項垂れてきてしまった。


「姉御、赤ずきんさん、混乱してしまってます。もしかしたら『空白の書』の話はしない方が良かったのかも…………!!」


 シェインはふと顔を上げて辺りを見回し、顔をしかめて立ち上がった。それを見てレイナも立ち上がる。座り込んだ赤ずきんちゃんの右側にレイナが、左側にシェインが立って少女を守るような構図になった。


「クルルルゥ~!」


 見ると、僕たちの周囲は黒い魔物に囲まれていた。じりじりとにじり寄って来るその魔物を見て、僕たちは戦闘準備を始めた。


「ヴィランね……!」


「い、いつの間に!?」


「あっという間に囲まれちまったな。さっきのとは違って、今度は俺たちを狙っているようだぜ」


「ということは、赤ずきんちゃんと僕たちが話していることにカオステラーが気づいたのかもしれないね!」


「ええ、ヴィランが出たということは、私たちはカオステラーが目論もくろむ物語の邪魔をしているということ! 早く倒して、カオステラーを探しましょう!」


――――


 なかなか数が減らないヴィラン達に苦戦しながらも、僕たちはどうにか赤ずきんちゃんをつれて敵を巻くことに成功した。さっきまで腰を抜かしていた赤ずきんちゃんをつれているため全力疾走! ……などというわけにはいかず、できるだけ早足で道なき道を掻き分けていった。


「クソッ、何だったんだ、あの数は!」


 タオは進む先を遮る木々の枝を乱暴に払いのけながら苛立いらだった様子でそう言った。


「わからない……わからないわ……! でもタオ! ここは、赤ずきんのためにも落ち着いて!」


「お嬢……チッ、わかったよ!!」


そう言いながら、タオは更に一本、腕で枝を叩き折った。


「ちょっ! あなた今、舌打ちしたわね!?」


「はん、そのくらいでいちいちキレてる暇があるんだったら、さっさとカオステラーを探せ、カオステラーを」


 そう言い終えたタオがレイナに向かって挑発するような顔を向けたことで、レイナのスイッチが入る。


「そのためにこうして赤ずきんをつれて安全な場所を探しているんでしょう!? あなたの行く当てもないロマン探しとはわけが違うの!」


「あー、方向音痴のポンコツ姫じゃ、そういうのはちょーっと無理かもなぁ」


「はぁ!? だいたいあなたはいつもそうやって…………」


 二人の不毛極まりない言い合いは、次第に「どちらがファミリーのリーダーにふさわしいか」という論争にすり替わっていった。全くもっていつもの調子の二人を僕とシェインは黙って――頭を抱えて、とも言うかもしれない――見守っていたけれど、赤ずきんちゃんは怯えたようにシェインの影に隠れてしまっていた。


「赤ずきんさん、怖がらなくて大丈夫です。あの二人は喧嘩ばかりですけど、昔シェインたちのいた場所には喧嘩するほど仲が良いということわざがありまして」


「仲良し、なの……?」


「はい。それに、もしタオ兄やそこにいる新入りさんが赤ずきんさんにこれ以上近づこうとしたらシェインが撃退しますから。さっき戦っているところを見てくれたでしょう?」


「うん、お姉ちゃん、とっても強かったね」


「だから、大丈夫です」


 そう言うとシェインは優しく微笑んだ。いつもは見えないシェインの一面を見ることができた気がした。……それにしても、レイナとタオはいつまでいがみ合うつもりなんだろうか。


 不意に、僕らより少し前を歩いていたタオとレイナが立ち止まった。前方を見ると小休止ができるくらいの少しだけ開けた場所があった。


「おい」


「ひっ……」


「タオ兄、こちらに用がある時は姉御かシェインを介してください」


「……へ?」


「シェインは今、赤ずきんさんのボディーガードですから。タオ兄とはいえ許すわけにはいきません」


 シェインはキッとタオの目を見上げた。多分、本気ではないんだろうけど……にしても、たまにこの兄妹のノリにはついていけない。これも僕が仲間になって日が浅いせいなんだろうか。


「あー、そういうことな。んじゃシェイン、そのガキンチョにこれからどこに行くか聞いてくれ」


 シェインはそれを聞くと、「はい」と返事をして赤ずきんちゃんの方を見た。


「赤ずきんさん、これからどうしますか? どこに行きましょうか」


「えっと……どうしよう……」


 困った顔をしてレイナとシェインを交互に見ていた赤ずきんちゃんに、レイナがすかさず声を掛けた。


「一度、あなたの家に戻ってみるというのはどうかしら?」


 しかし、それを聞いた赤ずきんちゃんはさらに暗い表情になってしまった。


「……ううん、お母さんから、夜になるまで帰って来ないでって言われているの……」


「夜って……暗い中、一人で帰るように言われているの?」


 レイナはうまく僕の言いたいことを代弁してくれているようだった。


「うん……お母さんは、猟師さんと一緒にいたいから、わたしがいると邪魔なんだ」


 赤ずきんちゃんは情けなさそうに俯いた。


「それって……」


 レイナはそれ以上何も言えずに言葉を詰まらせてしまった。僕も、そしてタオも口をつぐんでいる。


「わかりました。それじゃあ、赤ずきんさんのおばあさんの家に行きましょう」


 シェインがそう提案したことに対し、タオは居ても立ってもいられなくなった様子で、しかし赤ずきんちゃんを怖がらせまいと、小声で絶叫した。


「シェイン! お前が決めるな!」


「何か言いましたです? タオ兄」


 シェインはしれっと聞こえないふりをした。そして続けて小声でこんなことを言う。


「おばあさんが無事なら物語が変わってるということです。そこに何かいるかもですから」


「おばあちゃんの家、行く……?」


 赤ずきんちゃんはおばあさんの家があると思われる方角をちらりと見てからレイナとシェインにそう聞いた。


「え! ええ…! そうね、森の中よりもおばあさんの家の方が安全かもしれないし」


「赤ずきんさん、案内、お願いできますか」


 赤ずきんちゃんは少々戸惑った様子ではあったけれど、顔を上げてシェインと目を合わせると「うん」と小さく頷いた。


 こうして僕たちは、赤ずきんちゃんのおばあさんの家へ向かうこととなった。

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