「空白」の赤ずきん

村前 あかね

1 書き換えられた物語


【僕らの世界、生きる意味、運命、

それらすべてが記された戯曲『運命の書』】


【全智の存在、ストーリーテラーが記述した

その『運命の書』に従い】


【僕たちは生まれてから死ぬまで、

『運命の書』に記された役を演じ続ける】


【それがこの世界のひとびとの生き方】



――けれど

僕に与えられた『運命の書』には空白のページしか存在しない。


『空白の書』と呼ばれるそれには、本来の『運命の書』とは異なり物語の結末もどんな風に行動すれば良いのかも、何も書かれていない。


だからさ、教えて欲しいんだ。


僕は、どうすれば――――





 少し前のこと。「シンデレラの想区」と呼ばれる場所の、いてもいなくても関係ない、ただの町の少年のひとりに過ぎなかった僕には、ひょんなことから共に行動する仲間ができた。


 その仲間は四人組で、僕の他にはレイナ、タオ、シェインの三人。この四人組は全員が僕と同じように『空白の書』を持ったメンバーで、元々はどこかの想区で物語の登場人物として生まれたものの、重要な役割を与えられない、いわゆる「モブ」キャラクターだった。


 通常の『運命の書』を与えられたひとびとはその記述に従って行動するし、別の物語の舞台――つまり別の想区に行くことはできない。しかし僕たちのような『空白の書』を持つひとびとは、自分で考えて好きなように行動できるし、かつ、想区と想区を移動することだってできるんだ。


 そんな旅をしていたある日のこと。


 僕たち四人組はいつもの通り、レイナの導きでどこかの想区にやってきた。


(あれ……? ここ、確か、いつだったか……)


 訪れた記憶があるような無いような深緑の森の中を、僕たちは人やヴィラン…つまり魔物の気配を探して歩いていた。森には霞がかかっていて、遠くの様子を窺うのは少し困難だった。そのせいで、ますます過去の記憶を手繰るのが困難になっているのだろう。


「なんだ? この森……来たことあるような……」


 僕たち四人組を「タオ・ファミリー」と称し、さらにその“ファミリー”の「大将」を自称するタオが、彼にしては珍しく自信なさげにそう呟いた。キョロキョロと周囲の木々を見回している。


「タオもそう思う? 私もそんな気がしていたの」


 そう答えたのはレイナ。いつも、カオステラーの気配を感じると言って僕たちをどこかの想区に導くのは彼女だ。今日も彼女について、僕たちはこの想区にやってきた。


 一説によるとカオステラーとは、物語の脚本である『運命の書』を書き換え、『想区』と呼ばれる物語の舞台を混沌に陥れたり破壊したりしようとする異常をきたしたストーリーテラーなのだとか。


簡単に言うと、僕たちの敵の中でもボスのような存在だ。


 僕たちはカオステラーに侵食されつつある様々な想区を探しては赴き、そこに潜むカオステラーを倒してから物語をあるべき姿に戻すための『調律』をしている。


 ちなみに、「調律の巫女」のレイナ曰く、僕たち四人組の「リーダー」は彼女なのだとか。あ、さっき話した通りだけど、タオは「大将」を名乗っているので、僕たちのパーティーには自称リーダーが二人いるという状態だ。


 もう一人のメンバーで、慎重にあたりを見回しながら黙って歩いているのはシェイン。彼女は同じ想区出身のタオと義兄妹の契りを交わしているのだという。シェインは観察眼に優れ、些細な異常にもすぐに気が付く。洞察力で彼女の右に出る者はいないと思う。


「ねえ、シェインはどう? ここ、かなり前に来たことある気がしない?」


レイナは黙っているシェインに声を掛けた。


「はい、そんな気が。よく覚えてはいませんけど、……新入りさんと出会う前でしたっけ?」


 シェインは僕のことを「新入りさん」と呼ぶ。これは彼女と出会った時からずっと変わらない。聞くところによると、そろそろその呼び方にもバリエーションをつけた方が良いだろうかと独り言を言っていることがあるらしいが、僕の記憶の限りではそれ以外の呼び方をされたことはないと思う。


 そんな飄々ひょうひょうとして気まぐれな彼女が返答を求めるように僕をちらりと見てきたので、僕は慌てて返事をした。


「ええと、ううん……僕もさっきから見覚えがある気がしていたんだ」


「あなたもそうなのね……じゃあここは、エクスのいたシンデレラの想区なのかしら?」


 レイナはそう言うと天を仰いだ。僕もつられて空を見上げたけれど鬱蒼と茂った森だけあってか、残念ながらスカイブルーは木々の隙間に僅かに見えるだけだった。


 多分、ここはかつて僕が暮らしていた場所ではない。もっとも森にはあまり入ったことはなかったけれど、もし僕の出身想区であるならば、もっとこう、森に入ってすぐに直感が知らせてくれるような、そういう何かがあっても良いんじゃなかろうか。そんなことを考えた。


「いや……どうだろう。もしここが僕が昔いたシンデレラの想区だったら僕はすぐに気づいていただろうし……シェイン?」


 ふと視線を戻すと、並んで歩いていたはずのシェインが僕より数歩分後ろで立ち止まっていた。進行方向左の木々の向こうを凝視しているようだ。


「ええ、どうやらここは、シンデレラさんのいる場所ではなさそうですよ。ほら、あそこ、見てください」


 シェインが示す先を、数歩だけ駆け戻った僕とレイナとタオは一緒にじっと見つめた。少し遠くの木々の間に霞に紛れて何か動く影が見える。霞のせいで顔が見えないので誰なのかまでは判断できなかったけれど、その動くものの色には見覚えがあった。


「……なあ、あそこにいるの、赤いな?」


 タオは全てを察したようにそう言った。


「ええ、そうね。あの頭巾、赤いわね」


 レイナのセリフでもう少し具体的になる、うごめく「少女」の正体。


「新入りさん、あの赤い頭巾をかぶった子は一体誰なんでしょうね?」


 ちょっと待ってよ、みんな。どうしてそんなに自分で言いたがらないんだ? わけがわからない!


「し、新入りさんって……。あー! あれは、もしかして! 赤ずきんちゃん! ……とか?」


「グッドです、新入りさん」


 僕が演じきった精一杯の茶番に、シェインは満足げににこりと微笑んだ。しかし……うん、新入りさん……か。


「ねえシェイン、いつまで僕のことを『新入りさん』って呼ぶ……の、かな?」


「いつまでって、さあ……。新入りさんは、新入りさんですから。……ちなみにお伺いしますですけど、他に何と呼べば? まさか、もやしさんとかですか」


「もや……え、いや……」


「色がついている方がよければ……カイワレダイコンさん?」


「……新入り、で結構です」


 僕ががっくりと項垂うなだれてそう言うと、シェインはつまらなそうにぷい、とそっぽを向いてしまった。


「つーかさぁ、お嬢。ここにいたカオステラーなら前に『調律』しただろ? またあのガキンチョの心の闇にカオステラーが共鳴しちまったのかよ?」


「だから、言ったでしょう? カオステラーの気配は感じるけど、それはどこの想区からなのかだけ。それ以上細かいことはわからないんだって!」


「ま、まあまあ二人とも……。せっかく見かけたんだし、まずは赤ずきんちゃんに話を聞いてみないかい?」


 僕はヒートアップしそうになった仲良し二人組をなだめるようにそう言った。



 早足で赤ずきんちゃんの方に向かうと、彼女はきれいな花を摘んでいるところだった。そういえば前にこの想区に来たときも赤ずきんちゃんのカゴの中にはきれいな花がたくさん摘んであった。僕は以前と変わらない様子の彼女を見て、少しだけ嬉しくなった。


 もう少し近づいたら声をかけてみよう。そう思っていたときのこと。いつも不自然なところを鋭く見抜くシェインの鷹の目は、今日も冴えていた。


「……おかしいですね」


「シェイン?」


「赤ずきんさんの持っているカゴを、よく見てください」


 僕は言われた通り赤ずきんちゃんが腕に提げているカゴに注目した。


「きれいな花……ね?」


「そこじゃありません、姉御」


「……え? 僕もわからないや。何か不自然かな?」


 僕は首を傾げた。以前赤ずきんの想区に来たとき、シェインは赤ずきんちゃんに「一週間も森にいたのに小奇麗すぎ」と言った。


 今、僕たちの目の前で花を摘んでいる彼女は、確かにその時よりも土の汚れが目立つかもしれない。でも、僕にはそれくらいしか気づけなかった。


「ああ、そういうことか。オレはわかったぜ、シェイン」


「タオ兄は気づきましたか――カゴの中に、パンもぶどう酒も入っていないことに」


 そう言われて僕は(それから、同じく気づいていなかったらしいレイナは)ハッとした。


「そういえば! ……そうよ、本当なら赤ずきんはパンとぶどう酒を持っておばあさんの家に行くのよね? それなのになぜ……あっ、待って、エクス!!」


「おい、待て! 坊主!」


 僕は何かが起きているのだと直感して、急いで赤ずきんちゃんに駆け寄った。


「赤ずきんちゃん!」


 僕が呼ぶ声を聞いて顔を上げた少女は。


「ぇ…………っ!」


 とても怯えた表情で硬直し、カゴに入れようと手に持っていた花をばらばらと地面に落とした。


「え……?」


 想定外の反応を取る赤ずきんちゃんを見て、僕は自分の足に急ブレーキをかけた。僕のことを覚えていないのはわかっている。それでも、何か変だ。どうしてこの子がこんなに怯えているのか、僕にはわからなかった。


「……いや、来ないで……」


 赤ずきんちゃんは涙声でそう言うとその場にへなへなと座り込んでしまった。呆然と立ち尽くした僕のところに、後ろから走ってきた三人が追いついた。


「おい坊主! 勝手に行くのはやめろ! カオステラーに狙われてるかもしれねぇんだぞ!」


「ご……ごめん……タオ」


 僕はタオの方に顔も向けられなかった。ただただ座り込んでしまった彼女からなかなか目が離せなかったからだ。


「あなた……赤ずきんよね?」


 赤ずきんちゃんの様子に気づいたレイナがすかさず声を掛ける。


「……は、い」


 赤ずきんちゃんは、か細い声でかろうじてそう答えた。


「どうしましたか。何か、怖いものでも?」


 シェインも少々困った顔で赤ずきんちゃんに尋ねていた。用心深い彼女のことだ、きっと今、この四人のパーティーの誰よりも、少女がカオステラーなのではないかと疑っているのはシェインだろう。それでも彼女なりに精一杯優しく接しているように見えた。


「こわい……。こないで……」


「赤ずきんさん……どうしたんでしょう」


 四人の中で一番背の低いシェインは、一度僕たちの顔を見上げてそう呟いた。


 その時。


「おい、坊主」


 僕はこのタオの呼びかけで少しだけ状況を理解した。タオがこのトーンで呼びかける時は…。


「オオカミのお出ましだ。準備しろ」


 敵が出現した時と決まっているからだ。


 見ると、オオカミが一頭、大きな木の影から姿を現して赤ずきんちゃんを睨みつけている。


「グルルル……」


 うなるオオカミに怯え、少女は身をすくめてしまった。


「赤ずきんちゃんには指一本触れさせない!」


「ええ、行くわよ!」


 僕たちは、『運命の書』に『導きの栞』を挟んだ。これが僕たちの戦闘準備となるからだ。



――――



 たった一頭で襲いかかってきたオオカミを無事に撃退した僕たちは、どこか違和感を覚えていた。


「ねえ、どうして今のヴィランは一体で現れたのかしら。変よね?」


「ああ、お嬢の言う通りだぜ。一匹で、それも侵入者である俺たちじゃなく、あのガキンチョ一人を狙いやがった。どういうことだ…こんな森の中で『主役』が襲われるような物語じゃなかっただろ?」


「大丈夫ですか、赤ずきんさん」


 シェインは赤ずきんちゃんの様子を見ながら、かつ、踏みつぶすまいと器用に花を避け、一歩一歩ゆっくりと近づいていった。


「お嬢、お前も行ってやれ。多分オレとエクスは近づかない方が良い」


「ええ……」


 タオには赤ずきんちゃんが恐れているものが何なのか分かっているようだった。彼の言う通り、シェインとレイナが近くに来ることに関しては、僕が駆け寄った時ほど怖がっていないようだった。


「僕、赤ずきんちゃんに何かした、かな」


「違えよ。あのガキが怖がってるのは坊主じゃなく……『男』だろ」


「えっ……」


「忘れたか? 前にカオステラーがこの想区の『運命の書』を書き換えたときさ、あのガキンチョ、男はみんなずるいオオカミだ…とかなんとか言ってただろ」


「あ……うん」


「調律されて元の物語に戻ったからと言って似たような物語の世界である以上、その恐怖心が消えて無くなるわけじゃない」


「…………」


 僕は返す言葉が見つからなくなって、赤ずきんちゃんと話すレイナとシェインの方を見た。彼女はまだおっかなびっくりというような表情をしていたけれど、会話はできているようだった。


 僕は、『調律』が何を意味するのか、まだきちんと分かっていないのかもしれない。正直、初めて赤ずきんの想区を訪れたあの時は、レイナが『調律』してカオステラーを退ければ、その想区のひとびとには一人残らず幸せな暮らしが待っているのだと思っていた。


 物語だけではなく、そこのひとびとの心も等しく豊かに幸せになるのだと、そう思っていたのかもしれない。


「赤ずきん、あなた、何も持たずにどこに向かうつもりだったの?」


 レイナはいつもの強気な口調を少しだけ和らげてそう尋ねた。


「わからない……」


 少女は目を伏せて首を横に振るばかり。およそ期待している答えは返ってこない。


「どういうことです……おばあさんの家では?」


「お母さんに、森に行っておいで、って言われて……それで……」


「おばあさんの家にお見舞いに行くように、とは言われなかったですか?」


「わたしのおばあちゃんなら、確かにこの森の奥に住んでいるけど、でも、元気だよ。お見舞いなんて……」


 赤ずきんちゃんは、僕たちの知る話とは全く異なる行動を取っているようだった。分かったのは、赤ずきんちゃんの『運命の書』はカオステラーによって改竄されていて、この赤ずきんの想区では今、僕たちの知らない『赤ずきん』の物語が始まっているようだということ。それだけだった。


「赤ずきんさんのおばあさんが元気で、赤ずきんさんのお母さんはパンもぶどう酒も持たせず娘に外に出るように伝えた……ということですか」


 何か少しだけ平和な方向に動いているようにも感じるけれど、それでも何かまだ終わっていないような感じが僕たちからは抜けなかった。カオステラーが関わっているのなら、この物語を破壊しようとしている可能性だって十分あるからだろう。しびれを切らせたようにレイナは赤ずきんちゃんにこう問うた。


「……ねえ、赤ずきん。あなたの『運命の書』には、この後どうなると書いてあるの? おばあさんの家に行くことにはなっていない?」


「え……?」


 赤ずきんちゃんはきょとんとして小さく首を傾げた。


「わたしの『運命の書』は真っ白で……何も書いていないんだよ?」

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