第五章 夏の終わりは突然に
それは、突然のことだった。まるで夕立のように突発的にやって来た。
天体観測の日からすでに一週間が過ぎていた。町では二日後に開催されるこの夏最後のイベントである夏祭りに向けて準備が進められていた。ぼくたちもボランティアとして、小学校でテントの設営を手伝ったり町の掲示板にチラシを貼ったりしていた。
基本的にはみんな別れてそれぞれの作業をしていたけど、五人で一緒にする時もあった。そういう時は、必ずといっていいほど気まずい空気が流れた。あの日以来、ぼくとテツロウとナツキは顔を合わせなくなっていた。話も、あんまりしない。あんまりというか、ほとんど……しない。
もちろん、ケンカじゃない。ケンカじゃないけど、ケンカ以上に三人の中の空気が重い。
確かにテツロウは謝ってくれた。でも、この問題はそれだけでは解決しなかった。
ナツキは……気を遣っているのかぼくたちから遠ざかろうとしているみたいだった。何か話しかけようとしても、「また後でね」と言ってどこかへと消える。
ミナミは何となくいつもと違う雰囲気を感じてはいるもののいたって普通で、みんなによく話しかけていた。
ケンイチはというと、そういうことに敏感でいつも通りに振る舞うミナミをたしなめていた。
あの日をきっかけに、ぼくたちの関係性はよくない方向に傾いていた。夏祭りまであと二日。それまでには何としてでも仲直りしないと……。
関係の修復と、ナツキへの告白。
すでに難題が二つもあるのに、さらにもう一つなんて……。
一度、お茶を詰め直すためにぼくは家に戻ることにした。
玄関の引き戸を開けると、おばさんの声が聞こえた。誰かと話し込んでいるみたいだ。
そっとリビングを覗いてみると、受話器を片手に誰かと電話をしていた。
リビングに入るや否や、おばさんはぼくを見て「ああ、ユウキくん」と手招きをした。何だろうと思うぼくにおばさんは言う。「お父さんから電話」
「父さん!?」
ぼくは引ったくる勢いでおばさんの手から受話器を受け取った。
『お、ユウキか。すまんなぁ、電話かけられなくて』
「ううん、大丈夫」
『そっちでの暮らし、どうだ? よかったか?』
……よかったか? どういうことだろう。まだ九月まで日は残っているのに。
「うん、すごくいいところだよ。友達もできたし、二日後には夏祭りがあるんだ」
『二日後……か』
父さんの声が聞こえづらくなった。「父さん?」と呼びかけても返事はない。
怪訝に思っていると、父さんは静かに話し始めた。
『なあ、ユウキ。……突然で悪いんだが、出張が早く終わったんだ』
「……え? それって……」
『ああ、お前を迎えに行く。三日後にはそっちに着けると思う』
出張が終わった。父さんが迎えに来る。
九月までには迎えに来るって分かっていた。でも、どこかで本当に八月の終わりに、それこそ三十一日に来るんじゃないかなって、何の根拠もないのにそう信じていた。
そんなだから、ぼくは夏祭りが終わった後も、夏が終わる最後の日までみんなと過ごせると考えていた。きっと夏祭りまでには仲直りができて、夏祭りはみんなではしゃいで、それから学校が始まるまで、秘密基地や学校、駄菓子屋で思いっきり遊ぶ。そんなことを考えていたのに……。
ぼくの夏は、唐突に終わりを告げた。
『おい、ユウキ。ユウキ?』聞こえてきた父さんの声に慌てて反応する。『急なことで悪いけど、そういうことでいいか? あんまり長くいすぎるのもおばさんたちに迷惑だしな』
「うん……そう、だね」
『じゃあ、そういうことだから。三日後。ちゃんと挨拶しとけよ。あ、それと、宿題終わらせたんだろうな?』
「うん、終わらせたよ」と言って、二、三回父さんの言葉に頷いてから電話を切った。
そばで会話を聞いていたおばさんはもう知っているらしくて、残念そうに「寂しくなるねぇ」と言っていた。本当に、寂しい。
お茶を詰めて家を出た。走る気力はなくて、学校までとぼとぼと歩いた。
気がつけばセミの声も弱くなった。空を見上げると、夏を象徴していたあの青さは薄くなりつつあって、入道雲も慎ましげに浮かんでいる。
もうすぐ秋が来る。八月の下旬なんだし、仕方のないことだ。春が過ぎれば夏が来て、夏が過ぎれば秋が来る。その次には冬があって、そして、春になる。
そうやって季節は巡る。自然の摂理に逆らうことはできない。できないんだけど……。
みんなと出会えた夏が終わってほしくない。そんなの、無理な話だと分かってる。でも、そう思わずにはいられない。
そんなぼくの願いとは無関係に、やっぱり夏はその姿を青空の彼方に消そうとしている。こんなに夏を惜しんだことはない。
せめて、夏の終わりまでみんなといたかったなぁ……。
学校に着くと、ほとんどの作業は中断されていて木陰や校庭の隅で人が休んでいた。ぼくは校庭の反対側で休んでいるナツキたちを見つけると、真っ直ぐそこへ向かった。
いつもと同じように、一番にぼくに気づいたのはナツキだった。でも、同じなのはそれだけで、目が合うなり逸らされた。それでも、言わなくちゃいけない。
「あの……ぼく、夏祭りが終わったら帰らないといけなくなった……」
ぼくがそう言うと、みんなは一斉にぼくの顔を見た。ナツキは小さな声で「ほんと?」と尋ねてきた。
頷くと、ナツキはまたぼくから目を逸らして「そっか……」と言った。
ナツキの言葉を最後にまた静寂が降りた。校庭の至る所では笑い声が聞こえているのに、ここだけは死んだように静かだった。
何か言わなくちゃ。沈黙に耐えられなくなったぼくは、口を開こうとした。でも――
「休憩終了でーす! 作業の続き、お願いしまぁーす!」
拡声器から聞こえてきた作業再開の合図に、ぼくはタイミングを失ってしまう。ナツキは、ぼくから逃げるようにしてその場から移動した。
白いワンピースが風になびく。夏が終わるからか、それともこんな状況だからか、その後ろ姿はくすんで見えた。
ぼくもすぐに作業に戻った。でも、テントを組み立てている間も道具を運んでいる間も、常にナツキのことが離れなくて、うっかりパイプの間に指を挟んだり何もないところでつまずいて箱の中身を落としてしまったりして、全然作業に集中できなかった。
結局、この日の作業はみんなの頑張りで早く終わることができ、その後はすぐにナツキたちを探した。確か最後に見たのは、校舎付近だったはず。その辺りをざっと見てみる。……いた。ナツキが水道で手を洗っている。
彼女の元へ行こうと、足を動かし始めた時だった。ぼくよりも先に彼女に近づく人の姿があった。帽子をかぶって無表情でポケットに手を突っ込んでいる。
ユーイチだ。
ぼくの足は、まるでユーイチの歩みと反比例するかのように速度を落とし、ユーイチが止まるのと同時に止まった。
そして、ナツキがユーイチに気づいた。テツロウたちも何ごとかと少し離れたところで見守っている。
何を話しているかは聞こえなかった。ユーイチの口は、この距離だとほとんど動いていないように見えた。それでも、ナツキに何か用があって来たんだから、話しているんだろう。
と、出し抜けにナツキが立ち上がった。その動作は遠目からでも荒々しく見えて、横顔は怒っているみたいだった。そしてそれが明らかになったのは……。
「話しかけないでよ!」という初めて聞くナツキの棘のある声だった。。
ユーイチは驚いたように目を大きくした。テツロウは立ち上がって、ナツキに何かを言っていた。
するとナツキは驚いた表情のまま突っ立っているユーイチの横を足早に通りすぎて、学校を出ていった。
遠慮がちに、テツロウはユーイチに近づいた。何か言っているみたいだったけど、何も聞こえない。ユーイチはテツロウには目もくれず、ナツキの後ろ姿をただじっと見つめているだけだった。そして、その姿が見えなくなると、彼もまた校門に向かって歩き出した。
歩く彼の顔はいつもの無表情に戻っていた。ただ、手はポケットの外にあって、きつく握られているようだった。
その姿を、テツロウもさっきのユーイチと同じようにじっと見つめていた。
そんなテツロウにぼくは歩み寄る。彼はすぐにぼくに気づいて顔をしかめた。
「……何があったの?」
言いにくかったけど、どうしても知りたかった。
「オレも……よく分かんねぇ。あいつ、お前のこと探してた。お前がどこにいるかナツキに聞いてた。そしたら、ナツキが急に……」
「叫んだ」
「ああ」
どうしてだろう。ユーイチは何もナツキが気に障るようなことを言ったわけではなさそうなのに。……もしかして、ぼくの居場所を聞かれることが、それに当たることだったのかな……。
「ユウキ、あいつと何かあったのか?」とテツロウは尋ねてきた。
何か……。
思いつかない。最後にユーイチと話したのは、駄菓子屋で一緒にアイスを食べた日だ。その時に、居場所を聞かれるような何かがあったことはなかったと思う。
ううん、とぼくは首を横に振った。テツロウは「そうか」とだけ言って、後には沈黙が残った。
またこの空気だ。もうここにいられる時間は本当に限られているのに、このままじゃ帰ろうにも帰られない。
沈黙に耐えかねたのか、テツロウが帰ろうと歩き出した。声をかけようとしたけど、思うように出なくてただ音が漏れるだけだった。
テツロウはどんどん遠ざかっていく。その後をケンイチとミナミが追いかける。
……何か言わなくちゃ。……何でもいいから、とにかくテツロウを呼び止めなくちゃ。何となく今行動しないと、もう元には戻れないような気がした。
「テツロウ!」
思い切って叫ぶと、テツロウは柄にもなく肩をビクッとさせた。
どうにか振り向かせることには成功したものの、その次を考えていなかったぼくは言葉に詰まった。
必死に頭を回転させて言葉を探す。
「……明日。……明日! 二時に秘密基地に集合! ナツキにも伝えておいて!」
ぼくが出した答えは、保留だった。今すぐに自分の気持ちを伝えられる自信がなかったから、一日時間をもらうことにした。
テツロウは特に目立った反応は示さなくて、しばらくじっとぼくを見ていた。聞こえていなかったのかな、と不安になったところで「分かった」という声がした。テツロウはそれだけ言うと、再び歩き出して校庭を後にした。
一人残されたぼくも、まだ空の明るいうちに家に帰ることにした。一人きりの帰り道だった。
その日の夜。ぼくはベランダで夜風を受けながらみんなのことを考えていた。丸い月が青く光って夜の田舎をしっとりと照らしていた。カエルの鳴き声に混じって聞こえる、コオロギやキリギリスの声が耳に心地いい。考えごとをするにはちょうどいいコンディションだった。
そのおかげか、考え始めて間もなく一つの結論に辿り着いた。
あの日をきっかけにぎこちない関係になってしまって、今こうしてみんなのことで悩んでいるけど、それも感謝しなくちゃいけないことだ。と、ぼくは思う。
だって、壊れかけた関係を直したいってことは、ぼくがみんなを好きだということに他ならないから。そう思えるのは、みんながぼくを仲間に入れてくれて、優しく接してくれたから。
優しいみんなに、「ありがとう」を言いたい。
みんなと出会えてよかった。みんなとたくさん遊べて楽しかった。きっとこの夏を忘れない。
明日、秘密基地でそういうことを伝えよう。
何だかお別れの時みたいな言葉だけど、三日後のいつに父さんが来るか分からないし、もし最終日に言えずに帰ることになってしまったら後悔する。だから、もう言ってしまおうと思う。
それで、仲直りができたらいい。
それからぼくはベッドに入って、具体的な台詞を考えた。
目を閉じていると次第に眠気がやって来て、ぼくはそのまま眠りについた。
翌日。家にいてもそわそわと落ち着かなくて早めに家を出た。一番乗りだろうな、というぼくの予想に反して、基地にはすでにみんな集まっていた。ぼくが、しんがりだった。
予想外の事態にぼくは扉を開けたまま固まっていた。同じようにみんなもぼくを見たまま動かない。ぼくの言葉を待っている。
「あの……えっと」どうにも緊張してしまって上手く切り出せない。
とにかく、一度落ち着こう。目を閉じて深呼吸。
基地に足を踏み入れて扉を閉めた。
ケンイチ、ミナミ、テツロウ、そしてナツキ。みんなの姿を正面から捉えて、言う。
「ぼく、最初ここに来るの嫌だったんだ」ネガティブな導入だったけど、みんなは顔色一つ変えずに真剣に聞いてくれているようだった。息を吸って、続ける。「ここに住んでるおじさんやおばさん、それから従兄のこと、全然知らなくて、そんな人たちのところでお世話になるなんて……。しかも、二日、三日とかじゃなくて、夏休みの間中、ずっと一人で……。ほんと、嫌でしかなかった。
でも、ぼくを一番憂鬱にさせたのは友達が一人もいないということだった。確かにここに来るは初めてなんだから、それは当然のことなんだけど。
その二つのことがあったから、多分つまんない夏を過ごすんだろうなって思ってた。
でも、そんなぼくのところにナツキが現れた。ナツキは、初めて会ったぼくをこの場所に誘ってくれた。赤の他人のぼくを秘密基地に入れてくれたことが、すごく嬉しかったんだ。
テツロウは最初取っつきにくいところがあったけど、一緒に遊んでいく中で、笑ったり照れたり、いろんな表情を見ることができて、テツロウのこと、いっぱい知れた気がする。
ケンイチはぼくのこと、みんなと同じように接してくれた。それに賢くてミナミちゃんのことをよく見ていて、本当に偉いと思う。
ミナミちゃんも、ぼくを秘密基地のメンバーとして接してくれた。嬉しいことがあると思いっきりはしゃいで、でも、暗いところは苦手で。ミナミちゃんを見ていると、微笑ましい気分になった」
そこでぼくは一度言葉を切った。みんなを見回して、深く息を吸い込む。
「今はちょっとナツキを困らせちゃって、ぎくしゃくしてるけど、それでもみんなと出会えてよかったって思ってる。ぼくは、ナツキだけじゃなくてみんなが好き。ぼくと仲良くしてくれるみんなが、好き。だから……だから――ありがとう」
とぼくは言った。
みんなは依然としてぼくのことを見続けていて、言い終わった後には沈黙が流れた。それが少し長いなと感じて、焦り気味になった時だった。
「ごめん!」と椅子から勢いよく立ち上がったのは、ナツキだった。「私、二人の気持ちを知って、どうしたらいいか分かんなくて、いつも通りに話しかけようとしても全然上手くいかなくて。結局、変に意識して気まずくなっちゃって……。私がくよくよしてなかったら、こんなことにはならなかったと思う。だから、ごめん!」
「いや、オレが悪い」テツロウは、下のベッドから抜け出してきて、言った。「そもそもオレがあの時、ナツキに気持ちを伝えて困らせたのが原因だ。それに、ユウキの気持ちを言ってしまったのは、単なるオレの照れ隠しのためだった。ユウキの気持ちも考えずに、ひどいことしてしまった。……ごめん。あと、ナツキも。ごめん」
「違うよ、てっちゃん」と謝るテツロウにナツキは言う。「困ってなんかいないよ。嬉しかったよ、二人の気持ち。ただ、あの時は突然だったからびっくりしちゃって、告白されるの初めてだったし、どう言えばいいのか分からなくって、思わず逃げちゃった。だから、私が悪いの。ごめんね」
「いや、ナツキは悪くない。驚かせたオレが悪い。ごめん」
「ぼくも無理やりにでもテツロウの口を塞いでいれば、ナツキが余計混乱するのを防げたのかもしれない。ぼくにも責任はある。ごめんなさい」
「ユウキくんまで!? だ、だから二人とも違うってー。私が悪――」
「いや、オレが」
「いや、ぼくが」
という三人の謝り合戦に歯止めをかけたのは、ケンイチだった。
「あの……誰が悪いとか、いいんじゃないでしょうか。ここは握手でもして、謝るのはやめましょう。ぼくも、ユウキくんと出会えてよかったですよ。ありがとうございます」
とケンイチは手を差し出してきた。ぼくは「うん! ありがとう」と頷いてその手を握った。
「ミナミもー!」とケンイチの次に続いて、小さな手が飛び出してきた。「ミナミ、ユウキに手を握ってもらえた時、すごく安心した。ユウキの手、汗で湿ってたけど握ったら気にならなくなったよ!」
最後のいるかな……と思いながらも、ぼくは遠慮がちにミナミの手を握った。するとミナミは、「今は、汗かいてないね!」と無邪気に笑う。よかった……と、ぼくは苦笑する。
次はテツロウだった。お互い照れくさくて、なかなか手を握れなかったけど、そこはミナミがお互いの手を誘導してくれて、握ることができた。
「ありがとう、テツロウ。ぼく、まだナツキにはちゃんと告白してないけど、テツロウには負けないよ」
「ああ、望むところだ」
感謝の握手でもあり、友情の握手でもあって、宣誓の握手でもあった。
最後は、ナツキ。どこかで腹をくくっている自分がいたのか、ナツキとはすんなりと握手できた。それでもやっぱり、緊張はした。
「あのね、ユウキくん。私――」
ナツキが何を言おうとしていたのか何となく直感していたぼくは、その言葉を遮って言った。
「ぼくの方も、もう少し時間が欲しい。だから、明日。明日、ちゃんと言うよ」
ナツキは口を閉じて、ぼくを見下ろしていた。そして、少しだけ笑うと、「うん、ありがとう」言った。
「こちらこそ、ありがとう。ナツキには、いくら感謝しても足りないくらいだよ」
「えへへ、そんなことないよぉー」と照れるナツキ。
やっぱり、ぼくはナツキが好きだ。
「それじゃあ、また元に戻ったということで、駄菓子屋に行きませんか?」声のトーンを上げて、ケンイチが提案した。
「そうだな」とテツロウが賛同して、ぼくたちも首を縦に振った。
この日は、それまでのフラストレーションを吐き出すかのようにはしゃぎまくった。駄菓子屋でたくさんお菓子を買って、今まで行ったことない場所に冒険に行ったり学校の屋上にこっそり行って夕空を眺めたりした。日が暮れて夜になってもぼくたちは屋上にい続けて、何気ない会話をつなげていた。
「いよいよ、明日だな」
夏祭り、とテツロウは一拍置いて言った。地上では詰めの作業が行われていた。野太い声が聞こえてくる。
「楽しみだね。どこから回ろっか」
フランクフルト、じゃがバター、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き。甘いもので言うと、綿飴、リンゴ飴、チョコバナナ、かき氷、カルメ焼き。とは、全部テツロウが挙げたものだ。
「てっちゃん食べ物ばっかじゃん」
「当たり前だろ? 今年こそは完全制覇してやる」どうやらテツロウは食べ物系の屋台全部を回るつもりだ。口振りからすると、去年もやっているみたいだけど……。「おい、ユウキ。お前も手伝えよな」
突然ぼくにも参加命令が下って、たじろぐ。
「ケンイチは全然食わねーから戦力外。お前が頼りだ」
「頼りって言われても……」
「と言うかテツロウくん、お金、大丈夫なんですか? 食べ物ばかり回っていたら遊べなくなりますよ」
「ククク……よくぞ聞いてくれた」すかさずミナミが「その笑い方かっこいい」と突っ込む。「オレは、明日のためにと去年からコツコツ小遣いを貯めてきたのさ! ざっと五千だ。ゲーム一本分と考えたら少々つらいが、オレはゲームできないみたいだからな。明日、思う存分に使ってやるつもりだ」
やれやれ、という身振りをケンイチはする。それが気に障ったのか、テツロウが食ってかかろうとする。
今回は珍しく、いつも二人のやり取りを見守るだけのミナミが、「テツロウいけぇー!」と声援を送っている。どうやらテツロウのあの笑い方がミナミの心をくすぐったのかもしれない。
違った点はそれだけで、あとはいつも通りナツキが二人の仲裁に入る。
その光景を見ることができて、何だか嬉しくて、ほっとして、自然と笑い声が漏れた。
急に笑い出すぼくにみんなは驚いていたけど、ついには全員大声で笑い合った。
夜空に五人の笑い声が響き渡る。
と、校庭の方から大人の声が届いてきた。
「おぉーい! 誰かいるのかぁー!?」
ぼくたちは一瞬で笑顔を引っ込めて、慌てた顔になる。
「まずい、気づかれた!」
「逃げよう!」
もしかしたら、作業の人が確認しに来るかもしれない。
ぼくたちは急いで屋上から脱出した。
素早い行動で、何とかぼくたちは気づかれずに学校を出ることができた。それでもまだ安心はできなかったので、学校が見えなくなるまで走った。
道端に寄って荒くなった呼吸を整える。
「あー、危なかったぁ……」と安堵のため息をつくナツキに対して、テツロウは再び笑い出した。「ちょっと、何でまた笑い出してんのよ、てっちゃん」
「だって、みんな必死な顔してたから……くくっ」
「てっちゃんだって必死だったじゃん」とナツキもこらえきれずに吹き出した。
ぼくたちは気の済むまで笑った。笑い過ぎて、涙がこぼれた。
それからは潮が引いたみたいに落ち着いて、明日の予定を話しながら帰り道を歩いた。
「それじゃあ、また明日」
そして、いつもの分かれ道でみんなと手を振り合って別れた。
家に着くと、ノリくんが玄関先で待ってくれていた。
「お、ユウキくん。遅いから心配したぞー。特に母さんが」
「ごめんなさい」
「さ、ご飯食べようぜ。俺もう腹ペコだ」
「うん!」
リビングに行って、心配するおばさんとおじさんに頭を下げた。二人ともノリくんと一緒で笑って許してくれた。
夕飯の席では、ぼくが二日後に帰ることになった話が持ち上がった。
「ええっ!? 急すぎない?」とノリくんは驚いて、
「まあ、あいつのことだから、迷惑かけまいとして決めたんだろう。それにしても、寂しくなるなあ」とおじさんが言って、
「ほんとねえ」とおばさんが同情する。「ユウキくん、ここでの暮らし、楽しかった?」
「うん! すごく楽しかったよ。いろいろ迷惑かけちゃったけど、ありがとうございました」
おばさんは涙もろいのか、目を潤ませて「迷惑なんかじゃないよ。私達も楽しかったわ。ありがとう」と震える声で言っていた。
「おいおい、泣くなよメグミ」とおじさんが背中をさすって、ノリくんはティッシュを渡していた。
「ねえ、ユウキくん。明日の夏祭りには、行くのよね?」
「うん、行くよ。友達と遊べるのも、明日で最後だから」
「そうよね。いっぱい楽しんできてね。あ、そうだ。お小遣いあげなきゃ!」
「え、いいよ。おばさん」
「だめよ、最後なんだから、後悔しないようにね。あ、このこと、お父さんお母さんには内緒よ?」
と、おばさんは一方的にぼくの手に千円札を握らせた。
おばさんからのお小遣いは正直嬉しい。実際、家から持ってきたお小遣いも残りわずかだった。その反面、お世話になりっぱなしのぼくに受け取る権利なんてないと思って、悪い気もする。
そんなぼくにおじさんは、「ユウキくんがいてくれて、みんなも楽しかったんだ。そのお礼だと思って受け取ってくれないかな?」と言った。
「でも、それじゃあぼくも何かお礼を――」
と言ったけど、おじさんは首を横に振った。
「その気持ちだけで十分だよ」
おばさんを見ると、にっこり笑っていた。拭い忘れられていた涙が、細めた目尻で光っていた。
「……ありがと、おばさん。大切に使うよ」
本当に、ありがとう。
ぼくがそう言うと、おばさんは「うん。夏祭り、楽しんでね!」と言った。
おじさんは気持ちだけで十分だと言ってくれたけど、やっぱりお礼をしたい。何かあるはずだ。ここを出るまでには考えておかなくちゃ。
晩ご飯を食べ終えて、順番にお風呂に入った。ここに来た日の夜と同じように、ぼくは縁側で涼んでいた。
といっても、もう八月も下旬だ。夜の風は涼しさを通り越して少し寒い。部屋に戻ろうとしたところで、ノリくんがやって来た。
「あ、ユウキくん。もう寝る感じ?」
「うん、そのつもりだったけど」
「そっか、少し話したいことがあったんだけど、明日にしようかな」
そう言われたら気になる。
「何の話?」
「あー……、あれだよ。あれ」
と言葉を濁すノリくん。濁すってことは、ここじゃ言えないことだ。それはつまり、ナツキに関すること。
察しのついたぼくは、「あー、あのことね」と苦笑した。「ぼくもノリくんと話したいかも」
「よし、じゃあ俺の部屋行こっか」
場所をノリくんの部屋に移して、二人向き合う。
「告白、できた?」とノリくんは単刀直入に聞いてきた。
「ううん、明日、夏祭りの時にする予定」
「そっか。もう帰っちゃうもんな……」
「うん。だから、後悔しないようにちゃんと伝えるよ」
「かっこいい。俺も見習わないと」
「ノリくんが教えてくれたことだよ。ありがと」
「いやいや、お礼言われることのほどでもないよ」
「ノリくんは? どうなの?」
「んー……。会って話すことは無理そう。電話で言うことになりそうだけど、俺も頑張るよ」
「そっか。お互い、頑張ろうね!」
「そうだな! 頑張ろうな!」
二人で励まし合って、それから夏祭りのことを話した。
ノリくんは勉強で祭りには行かないらしい。夏も終わるから、追い込みをかけるみたいだ。
夏祭りの屋台はそのほとんどが高い値段に設定されている。それはぼくの住んでいる町でも同じだけど、ここにはぼったくりレベル屋台が紛れ込んでいるそうだ。毎年違うメニュー、違う値段ではっきりとは断言できないけど、他の屋台よりもちょびっとだけ値段を上げて、上手くごまかしているというのがノリくんの情報だった。
その他、かき氷は早めに買わないとシロップが選べなくなるとか、焼きそばの屋台の人は頼めば大盛りにしてくれるとか、ちょっとした裏技みたいなことを教えてもらった。
最後はおばさんと一緒で、夏祭り楽しんでという言葉をかけてくれた。ぼくは「ノリくんの分も楽しむよ」と言って部屋を後にした。
明日、ぼくはナツキに告白する。台詞は考えた。あとはその機会を逃さないようにしなくちゃ。
ベッドに入っても明日のことを考えてしまってなかなか寝付けなかった。誕生日の前日とか、クリスマスイブの夜に感じるそわそわとした気分とはまた別のもの。運動会や合唱祭の前日に近いような気がする。
寝返りを打って、目を開けて、目を閉じて。一度深呼吸して、また寝返りを打って。そんなことを繰り返しているうちにいつ頃か眠気がやって来て、ぼくは眠りについた。
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