第四章 天体観測

 恋のライバル。それはぼくにとって違和感でしかなかった。友達と同じ人を好きになったことが初めてなのだから、馴染みがなくて当然だ。でも、それじゃあテツロウのことを他にどう表現すればいいんだろう。恋敵? 同じ人を好きになった友達? どれも、しっくりこない。だから、仕方なく恋のライバル。

 テツロウはライバルだけど、競うとか、ナツキを奪うといったことは考えられなかった。ぼくは争いごとは嫌いだし、もしテツロウとケンカでもすることになったら、普通に負けてしまうと思う。テツロウが誰かを殴ったのを見たことはない、というかそもそもケンカしたところを見たことさえないけど、何となく、強い気がした。

 そういうこともあって、ぼくは余計に悩んでしまった。ナツキのことを思い出すと、決まってテツロウも現れる。そして、「オレも、ナツキが好きだ」と言ったあのシーンが何度もよみがえる。

「うう……」

 朝目覚めたぼくは、ベッドから起き上がらずに寝返りを打っていた。呻き声を上げて、空気の塊を吐き出して、うっすらと目を開ける。カレンダーが目に入った。

 今日の日付を見ると、あの日から一週間経っていた。そう、天体観測の日だ。それだけじゃない。その前にタイムカプセルを埋めることになっていた。

 ナツキ以外のメンバーへの手紙はすでに書き上がっていた。でも、肝心のナツキへの手紙はまだ一文字も書けていない。……今日埋める予定なのに。ナツキからもらった便箋は、もらった時のままで、大小さまざまな青い星が散りばめられている。もういっそのこと何も書かないで、このまま保管しておく方がいいんじゃないかな、なんてことを思ってしまうくらいきれいだった。書くのがもったいない気がした。

 でも、書くためにもらったんだから書かなくちゃいけない。書かなくちゃいけないんだけど……。

「んー……」

 テツロウのことに加えて、手紙のことも考える必要があって、もう頭がいっぱいだ。

 いつまでもそうしていても仕方がないから、ぼくは起き上がってリビングへと向かった。すでにノリくんは席についていて、ぼくの席にもご飯が用意されていた。

 いつものようにみんなに挨拶をして、朝ご飯を食べながら星を見に行くことを話して、そして部屋に戻った。それから着替えをして、机と向き合って、便箋と鉛筆を用意して、さあ書こう! って意気込んだけど……。

 ……やっぱりだめだ……。寝起きからいくらか時間が経って、頭も冴えてきたけど、どうしても出だしが書けない。

 昼には基地に集合することになっているから、それまでには書き上げないといけない。残り少ない時間に焦りを覚えて、ぼくはさらに混乱してしまう。

「だめだ……。何も思いつかない」

 机に座ってまだ五分も経っていないのに、何だか疲れた。場所を変えれば考え方も変わるかなと思って、便箋と鉛筆を持って部屋を出る。すると、偶然ノリくんと廊下で出くわした。ノリくんはぼくの手元を見ると、「手紙? ナツキちゃんに?」と少しいたずらっぽい笑みで聞いてきた。

「うん、そうなんだけど……。何も思い浮かばなくって……」

 ぼくがそう言うと、ノリくんは「青春してるなぁ」とむずむずしたように返してきた。そして、「手伝ってもいい?」と遠慮がちに尋ねてきた。ぼくは二つ返事でお願いした。


 縁側で風鈴の音を聞きながら、ぼくたちは考え始めた。あの夕立の日とは違って、また青い夏空が広がっていた。青いなぁ、と当たり前のことを考えていると、ノリくんのデコピンが飛んできた。

「いた……」

「そんなんじゃナツキちゃんに気持ち伝えられないぞ」

「うん……」

 ぼくのしょぼくれる姿に驚いたのか、ノリくんは不安げに声をかけてきた。そんなノリくんに、ぼくは恋のライバルのことを話した。

「うわっ、すごいな小学生。まあ小学生でもそういう話はあるんだろうけど、まさかこんな身近で起きるなんて……」

「ぼくもびっくりしてる」

「だよなぁ。本人が一番びっくりしてるよなぁ」

「うん。だから余計に混乱しちゃって……」

「うーん……そうだなぁ……」とノリくんは空を見上げた。「恋と友情か……」

 ほんと、青春してんな。ノリくんは言う。

 青春かぁ……。そんなこと、考えたことなかった。というか、そんな余裕ない。頭の中はいつだってナツキとテツロウのことでいっぱいなんだから。

「ユウキくんは、どうしたい?」ノリくんは顔を空からぼくに移してそう尋ねてきた。

「どう、したいんだろう……」

 ぼくにも分からなかった。ぼく自身のことなのに。ナツキに恋をした時と同じように、自分のことがまた分からなくなった。

「テツロウくんに、ナツキちゃんのこと譲る?」

「嫌! それは嫌だっ!」

 ぼくの反論に、ノリくんは少し体をのけ反らせた。少し強く言いすぎたかもしれない。

「あっ、ごめん。別にそこまで嫌ってわけじゃなくて――」

「いいんだよ、それで」ぼくが取り繕おうとするのを、ノリくんはくっくっくと笑って遮った。「自分の気持ちを、ごまかす必要なんかないんだよ。それが、ユウキくんの本当の気持ちなんだから」

「本当の……気持ち」

「そう。自分の気持ちに嘘をつき続けて残りの夏休みを過ごしたい?」

 ううん、とぼくは首を横に振る。

「テツロウくんにナツキちゃんを譲りたい?」

 ううん。

「ナツキちゃんのこと、好き?」

 うん。

「よし! それでこそユウキくんだ。この前、約束したもんな。告白するって。俺、応援してるから」

「うん。……ありがと」

「それじゃあ、手紙、書ける?」

 というノリくんの問いかけに大きく頷く。するとノリくんは、ニカッと笑って自分の部屋に戻っていった。

 涼しげな音色を奏でる風鈴の下、ぼくは猫背になってナツキへの素直な気持ちを綴った。……床の木目のことを忘れていて、文字が歪んでしまった。後で書き直さなくちゃ。


 午後になって夏の劇場を見終わると家を出た。みんなへの手紙がくしゃくしゃにならないようにポケットに入れて秘密基地へ。

 基地にはすでに全員が集まっていた。ナツキとは対照的に小麦色に焼けたミナミが、気取ったように手を上げる。その手前では、ケンイチが望遠鏡を覗き込んでいた。どうやら調整中のようだ。

「あ、ユウキくん! 手紙、書いてきた?」

「うん、書いたよ」

「よし、全員書けたね。後はケン君の調整が終わるのを待つだけだ」

 とナツキは言ったけど、その後すぐにケンイチが顔を上げた。

「その必要はありません。もう終わりました」

 ありがとー、とナツキはケンイチの髪をくしゃくしゃと撫でた。ケンイチは拒絶していたけど、顔を紅くしてまんざらでもないようだった。……変わってほしかった。ふと、テツロウを見ると、彼もぼくと同じような表情をしていた。

 タイムカプセルは、学校に埋めることになっていた。校庭の隅っこの、樹齢何千という大きな木の下。ぼくたちはあらかじめ用意していたスコップで地面を掘り始めた。日陰になっている上に気温が高くて、なかなか深く掘ることができない。

「水で湿らすか?」とテツロウが提案したけど、

「カプセル汚れちゃうじゃん」とナツキが反対した。

「どうせ埋めるんだから汚れるだろ」とテツロウはぼやくだけぼやいて、どんどん掘り進めていた。

 そうして五つのカプセルが埋まるくらいの穴を掘り終えると、ぼくたちは一様にため息を吐き出した。

「これくらいでいいよね」

「いいと思います」

「ミナミが一番深く掘った!」

「一番休んでたけどな……いてっ! やめろよ!」

「ふんっ!」

「二人ともストップ。ほら、埋めるよ」

 ナツキが二人のやり取りを制止させる。ぼくたちは手紙を入れたカプセルを取り出す。カプセルは駄菓子屋のガチャガチャで手に入れたものだ。中身は何だかよく分からないタマゴのキーホルダーだった。

 最初にナツキが置いて、その次にケンイチ、ミナミ、テツロウ、ぼくの順で続いた。

「それじゃ、埋めよっか」

 ナツキの声を合図に、ぼくたちは穴の横に作った山を崩していく。掘るのには時間がかかったけど、埋めるのは一瞬だった。

「あっけない」

 と言ったのは、誰だっただろう。もしかしたらぼくかもしれないし、ナツキかもしれない。ぼうっとしていたからよく覚えていない。

「これから、どうしよっか」とナツキ。

「かくれんぼ!」ミナミが大きく手を上げる。

「じゃあかくれんぼしよう。みんなもそれでいい?」

 ぼくたちが頷くと、ナツキは校舎を指差した。

「一階と二階を使ってやろっか」

 扉を開けると、木の匂いがした。それはそうだ、木造校舎なんだから。初めて嗅ぐ匂いなのに、何だか懐かしい匂いだった。何でだろう。

「ほら、ユウキくん」

 昇降口でナツキがスリッパを出してくれていた。ぼくはお礼を言ってそれに履き替える。隠れる時は音を出さないようにしないと。

「よし、鬼決めよっか」

 というナツキの声に、みんな手を伸ばした。

「最初はグー、じゃんけんぽん!」

 あいこだった。あいこでしょっ! しょっ! しょっ! と続けていると、鬼が決まった。

「ケンくん鬼ね。一分数えて誰も返事しなかったらスタートだよ」

 とナツキが説明を終えると、「いーち、にーい、さぁーん」とケンイチはすぐにカウントし始めた。

「はや! みんな、隠れろー!」

 ぼくたちは散り散りになってケンイチから遠ざかった。

 とりあえずぼくは二階に上がった。窓から日差しが斜めに射し込んでいて、埃が浮かび上がっている。

 さて、どこに隠れよう。木のプレートには、消えかかった文字で「二の一」「二の二」「二の三」と書かれていた。プレートくらいはプラスチックか何かで作られているんじゃないかなというぼくの予想はことごとく破られた。関心にも近い驚きを胸に、軋む木の床を歩いていると、下の方から「もういいかーい」というケンイチの声が聞こえてきた。

 どうしよう……どこに隠れよう……。

 廊下のど真ん中で右往左往していると、突然突き当りにある教室の扉がささやかな音を伴って開いた。そこからにょきっと顔を出したのは、ナツキだった。黒い髪を揺らして、いたずらっぽく笑い「ユウキくん」とぼくに手招きしている。意識しているのか、その仕草が猫っぽくてかわいかった。

 ぼくが教室に入ると、ナツキはそっと扉を閉めた。そうして唇に手をあてる。ぼくが頷くと、ナツキは体を可能な限り小さくして、教室の奥の方まで移動した。その後に僕も続く。

 机の影に、二人並んで隠れる。

 隣でナツキが息をひそめて扉の方をじっと見つめている。その大きな目が涙に濡れてキラキラと輝いていて、ぼくは扉ではなくナツキの目を見つめた。

「どうしたの?」

 ぼくの視線に気づいたナツキは、こっちを向いて小首をかしげる。

「えっ、いや……。何でも、ないよ……」

 間近でナツキと目が合ってドキッとした。慌てて目を逸らす。

「何か顔についてた?」とナツキは気にしていたけど、ぼくは首を横に振るので精いっぱいだった。

 ナツキとの距離が近くて、周りがしんとしていて、ぼくの鼓動がナツキに聞こえてしまうんじゃないかと恐れた。だからぼくは、少しだけナツキから離れた。それで心臓の動く速さが遅くなるかといえば、全然そんなことはなくて。でも、精神的には少し楽になった。ほんのちょっとだけど。

 落ち着きつつある頭で、考える。

 今が、想いを伝えるチャンスなんじゃないのかなって。

 ナツキはさっきと同じように扉を注視していて、ぼくが距離を取ったことにも気づいていないみたいだった。

 後ろの窓から差し込む夏の日差しを受けるナツキは、やっぱりまぶしく見える。……何でだろう。

 実はナツキも夏の一部で、夏と共鳴しているからそう見えるのかな……。名前に「ナツ」ってあるし。……なんて。

 何考えてんだろ。ばかみたい。と、ぼくは嘲笑の笑みを浮かべる。

 ナツキが好き。ナツキといれば、その想いが強くなっていくような気がする。ううん、確実にそうなっている。ナツキが大好きで、想いを伝えたくて、ぼくは口を開く。

 酸素を取り込んで、声を出す準備をする。でも、いざ言い出そうとすると……。

 想いが喉につかえて外に出てこようとしない。もう一回……もう一回……って、何度も言おうとしたけど、出てくるのは呻き声にも似た声だった。

 ぼくが隣でそんな情けない声を出すものだから、ナツキは「どうしたの? 苦しいの?」と心配してきた。

「いや……そうじゃ、なくて……」

「もしかして、熱中症――?」

 嫌な予感がした。だめ。だめだ。とは思うのに、どういうわけか声には出せなかった。ナツキの心配そうな目で見られたら、もう身動きが取れなかった。そして――

 ナツキは出会った時と同じように、ぼくとおでこをくっつけた。右手でぼくの手を取って髪を上げさせて、もう片方の手で自分の前髪を上げる。あの時と全く同じ動作。同じ力加減。触れ合った瞬間、夏の香りがぼくを満たした。だめだ。全身の体温が一気に上がった気がする。これじゃナツキのせいで本当に熱中症になってしまう。

 ……早く、離れて!

 その思いが通じたのか、扉がガラリと音を立てて、ナツキはぼくから離れた。さっきよりもさらに体を丸めている。

 ナツキから解放されて、ドクドクとこれ以上ないくらいに強く速く脈打つ心臓を落ち着かせるのに集中していると、ナツキが同じように身を潜めろという合図をしてくる。……それどころじゃないんだけどな。

 そうは思うものの、ぼくはナツキの指示に従ってしまう。ナツキを真似して背中を丸める。

 ケンイチが教室に入って来て、床が軋む。ぼくたちはその音とケンイチの足を確認して反対方向に逃げる。……けど。

 ケンイチが歩くたびに軋むのと同じで、ぼくたちが移動する時もまた床は軋む。その音にナツキと二人でビクッと動きを止める。

 もうだめだ。という意味の笑みをお互い返し合って、観念する。

「ナツキちゃんとユウキくん、見つけました」

 ぼくたちは、すぐに見つかった。

 それから、テツロウとミナミも難なく見つかり、二周目が始まった。結局ぼくたちはそれぞれ一度は鬼役を務めてかくれんぼをした。結局、ナツキと一緒に隠れられたのは最初の一回限りで、同じようなチャンスが回ってくることはなかった。

 それからぼくたちは、一度駄菓子屋までジュースやお菓子を買いに行って、適当な教室で駄弁った。黒板に絵を描いたり、机の中に置きっぱなしだったジュンズを読んだりもした。

 どうやら何人かの先生は学校にいるらしくて、その存在を意識しながらも教室で騒ぐのは楽しかった。何の記念かは分からないけど、黒板に描いた文字やイラストは残しておくことにした。

 教室を出る前に、西日が射し込み始めた室内を眺めて、ちょっぴり寂しさを感じた。もう少しみんなと一緒にいたかったけど、一度帰って晩ご飯を食べないといけない。その寂しさを紛らわすために、ぼくは急いでみんなの後を追った。

「今日の待ち合わせだけど、ここでいいかな?」

 外に出ると、ナツキがそう問いかけてきた。

「問題ない。で、何時に集合するんだ?」とテツロウ。

「ケンくんとミナちゃんいるしねー。ホタルの時とおんなじくらいがいいよね」

「じゃあ、六時半か」

「それくらいがいいと思う。二人はそれでオッケー?」

「はい」

「あたちはもっと遅くてもいいけどね」

「ホタルん時ビクビクしてたじゃねーか」

 とテツロウが突っ込むと、ミナミはむーっとしてテツロウを睨んだ。そして蹴った。

「いてっ! 何すんだよ」

「ふんっ」

 このやり取りにももう慣れた。その後は決まって、ナツキがテツロウを叱ってケンイチがミナミを叱る。そしてぼくは苦笑いをする。

 校門を出て家に向かう。

 夏の劇場について話していると、ナツキが唐突に「あ、望遠鏡取りに秘密基地に寄らなくちゃ」と言い出した。

「ついて行こうか?」

 と言ったのは、ぼくと、テツロウだった。同時に言って、同時に目を合わせた。漫画でよくある目から火花が散る状況になっていた。

「あーえーっと……」

 そんなぼくら二人を見て、一人でも大丈夫だよ? とナツキは苦笑する。

「いいや、だめだ。ついて行く」

「ぼくも行くよ」

「お前は来なくていいんだよ。オレ一人で十分だ」

「そんなのだめだよ。ぼくも行く」

 どちらも譲らない姿勢を貫いていた。漫画の中だけの演出だと思っていた火花が、本当に散りそうだった。

「あ、あのさ!」

 と、ナツキがぼくたちの間に割って入った。おかげで、火花が散ることはなかった。

 結局、ぼくたちは途中で兄妹と別れて、三人で仲良く(?)望遠鏡を取りに秘密基地へと向かった。仲良く、というのはナツキが道中に言ったことであって、ぼくたちの間に流れる空気は張りつめていた。

 無事に望遠鏡を回収すると、基地を出た。何とかナツキとテツロウを二人きりにすることは阻止できたけど、でもどうせ途中で帰り道が別れてしまうから二人きりになってしまう。その分かれ道にさしかかったところで、ぼくはそれを今更のように思い出した。どこか勝ち誇ったような顔をして別れを告げるテツロウとナツキを、複雑な気持ちで見送った。……悔しかった。

 家に着くと、おばさんがすでに晩ご飯を作ってくれていた。あんまり急いで食べちゃいけないよという忠告を聞き流して、さっさと器を空っぽにした。その後は、虫よけをしたり懐中電灯や上着を用意したりと天体観測の準備をした。それでもまだ待ち合わせまで時間があったので、ぼくは縁側を行ったり来たりして時間をつぶした。宿題は、やる気になれなかった。

 そんなぼくを見ておばさんは笑う。

「いつから夜遊びするようになったのかしら」

 まるで母さんみたいだ。確かに夜に集まるんだからそう言われても仕方がない。ぼくは「えへへ」と苦笑でごまかすことしかできなかった。

 少し早いけど、家を出ることにした。家にいてたら時間が全然進まない。

 もう学校まで迷うことはなかった。ホタルの時と一緒で、またぼくが一番だった。ふと、その時のことを思い出す。

 あの時、校庭のブランコにユーイチがいた。もしかしたら、今もいるのかもしれない。

 淡い期待を抱いて、ぼくはグラウンドを――ブランコのある隅っこを覗き込んだ。

 ……そこには、ブランコが寂しそうにじっとしているだけだった。ユーイチはいなかった。

 期待が外れて、がっかりした。あの時はたまたまそこにいただけなのかな。

 ぼくは引き寄せられるようにして、てくてくとブランコの方へ歩いていった。

 夕暮れ時の誰もいない校庭は、何だか本当にセンチメンタルに満ちている。特にこの学校は木造だから、それに拍車をかけているところがある。聞こえてくるのは、周りの木々にいるはずのヒグラシの鳴き声と、ぼくの足音だけ。それもまた、ぼくを余計感傷的にさせる。

 ブランコまでたどり着くと、片方に乗った。鎖をしっかりと握って足を動かす。最初は小さな揺れから始まって、徐々に大きくなってある程度風を感じるようになったら、ぼくはその速度を維持して揺れ続けた。

 ぼくの足音がなくなった代わりに、鎖がキィキィと音を立てる。動く視界を上に移動させる。茜色の空が、上に……下に……妙な浮遊感を伴って動く。

 まだ空一面は紅くて、紺色はどこにもなかった。紅いなあ、なんて思っていると、酔った。顔を上げっぱなしでブランコを漕いでいたからだ。

 ぼくは漕ぐのをやめて、ブランコに座り込んだ。今度はその姿勢で空を眺める。

 八月中旬のこの時間帯は、それ以前の同じ時間帯よりも少し寂しい。まだ夏休みはあるけど、そう、終わりを意識してしまう。

 夏が終われば、ここを離れなくちゃいけない。またいつも通りの日常に戻ってしまう。朝から忙しなく朝ご飯を食べる父さん母さんにつられて、ぼくも急いで食べて学校に行く準備をする。それから近所の公園で友達と待ち合わせをして学校に向かう。先生が来るまでは、アニメの話とかで盛り上がって、休み時間には図書室のソファで駄弁る。お昼になれば給食を食べて、残り時間を遊んで過ごす。夏休みに入る直前に、ケイドロが流行した。すぐに夏休みになっちゃったから、またやりたいな。午後はクラスのお調子者が怒られたりしない限り、大抵はゆったりとしている。そうして授業が終われば、残るは掃除と終わりの会。これは、本当に嫌いだ。何せ先生が無駄に時間をかけたがる。それもいよいよ終われば、その分の時間を取り戻すように学校を飛び出す。友達と走りながら誰の家に集合するかを決めて、速度を緩めないで家に帰る。そして必要なものを鞄に詰めて、集合場所に向かう。後は暗くなるまで遊ぶだけ。その後も宿題とか家事の手伝いとかあるけど、それがぼくの、普通の一日。それがまた、近づいてくる。

 来てほしくないわけじゃない。むしろ、ちょっとだけ恋しい気もする。もちろん、全部が全部そうとは限らない。宿題とか、終わりの会とかは、うん、恋しくない。

 ただ、友達にはやっぱり会いたい。ここでナツキたちと遊んでいると、何度か思い出すことがあったけど、ここ最近はその回数も増えている気がする。友達だけじゃなくて、父さんや母さんのことも思い出す。二人とも、まだ電話をかけてこない。一回くらいかけてこないと夏休みが終わってしまうよ。

 そう考えると、ナツキの言った通り今年の夏は特別だ。本当に。まだ終わっていないからこの先何があるか分からないけど、今日までを振り返ると、もうすでに特別だった。それも全部、あの日ナツキと出会ったことが原因だった。

 ぼくは、ナツキと出会えたから特別な夏を過ごすことができたんだ。

 ……そっか。それじゃあ、ただ好きなだけじゃないじゃん。

 ありがとう、だ。

 しまった……。手紙にそのことを書いておけばよかった。今になって思いつくなんて……。仕方ない、それはちゃんと目を見て伝えるしかない。

 好きな気持ちと、感謝の気持ち。その二つを伝えなくちゃいけなくなって、ぼくは困ったように笑うことしかできなかった。告白する時に上手く伝えられるかな。きっと難しいだろうな。……練習、しておいた方がいいかも。

 ぼくは姿勢を正して、目の前にナツキをイメージした。そして数回深呼吸をして、言ってみる。

「ぼ、ぼくは……ナツ……ナツキが……好きです。ありがとう」

 ……おかしい。好きですの後にありがとうじゃ意味がつながらない。練習しておいてよかった。台詞を考えないと。

 好きです。それから、ぼくを仲間に誘ってくれてありがとう。うーん……告白した後にそれはいらないか……。ってなると、告白とはまた別の時に伝える方がいいのかもしれない。それじゃあ、まずは告白の台詞から考えよう――

 と、今まさに考え始めようとしたところで、校門の辺りからナツキの声が聞こえたような気がした。はっとしてブランコから立ち上がる。

 校門へと駆け出すと、ナツキが顔を覗かせた。続いてケンイチ、ミナミ、そしてテツロウも姿を現した。ユウキくんと呼ぶナツキの声に嬉しさと照れくささを覚えながら、ぼくはみんなの元へ向かう。

 台詞を考えなくちゃいけないけど、これから星を見るんだ。考えるのは、それが終わってからにしよう。


「おいナツキ、まだ着かねーのかよ」

「んーあと少しのはず」

「はずって……まさか、迷ったんじゃねーだろうな」

「そ、そんなことないよ!」

 ナツキを先頭に、ぼくたちはどこかの山道を歩いていた。初めて来る場所だ。それはぼくだけじゃなくて、ナツキ以外のメンバーにも当てはまることらしい。

 ケンイチによれば、ここで迷ったらもう二度と戻っては来れないから入っちゃいけないとのことだった。けど、ナツキはそんなケンイチの忠告を無視して歩き始めた。ぼくたちはナツキを止めることができなくて、その後について行くしか他に道はなかった。

 日はすでに落ちていて、懐中電灯で足元を照らさないと真っ暗だ。

 どこか迷っているような足取りのナツキの腕には、しっかりと望遠鏡が抱えられている。ぼくたちはそれぞれ自分の分のレジャーシートを持っていた。望遠鏡と懐中電灯で手が塞がれているナツキの分は、テツロウが持っている(取り合いで負けた)。そして、ミナミはシートに加えてお菓子が入った袋も握っていた。全部、ナツキが持ってきたものだ。一体、どこで見るつもりなんだろう。

 例のごとく、ミナミがケンイチにしがみつく。そしてケンイチは離れろと言う。それでもミナミは必死にしがみついている。

「ミナミちゃん」ぼくは暗闇に怖がる彼女に手を差し出した。片方の手に椅子と懐中電灯を持つことになって少しつらいけど、何とかいける。

 ミナミは無言でぼくの手を握ると、ケンイチから離れた。ぼくたちは手を繋いで歩き出した。

「ねえ、ユウキくん」

 突然、ナツキが振り返ってぼくの名前を呼んだ。

「何?」

「私の名前、呼んでみて」

「? ……ナツキ」

「ミナちゃんは?」

「ミナミちゃん」

 二人の名前を呼んでみたけど、それがどうしたんだろう。一向に理解できないぼくに、ナツキは暗闇の中で顔をしかめて言った。

「どうして私は呼び捨てなのかな?」

 そういうことか。やっと気づいた。ナツキは、ぼくが呼び捨てにすることを怒っていたんだ。「えっと……それは、その」

 照れくさいからなんて言えない。ぼくがナツキと呼び捨てにするのは、照れ隠しのためだった。

 ぼくが言い淀んでいると、ナツキはくすっと笑った。怒っているんじゃなかったのかな、と頭に疑問符を浮かべているぼくに、ナツキは言う。

「まあ別にいいんだけどねー。てっちゃんだって呼び捨てだし」

「嫌なのか?」

 とテツロウは言った。テツロウらしからぬ返答だったけど、テツロウの想いを知った今となってはそれも納得できる。

「ううん、嫌じゃないよ」

「そうか」

 滅多に、というか初めて見せる照れた仕草に、テツロウも本気でナツキのことが好きなんだと悟る。

「だから、ユウキくんに呼び捨てにされても全然いいんだ。ただ、ちょっとだけヘンな感じがしたんだ」

「ヘンな感じ?」

「うん。多分、ユウキくんに呼び捨てされるのに慣れていないからだと思う」

 それはそうだ。だって、今初めて本人の前で呼び捨てで呼んだんだから。それだけじゃない。名前自体、初めて呼んだ。

 今までいくらでも呼ぶ機会はあったけど、照れくさくてどうしても名前を呼べずにいた。そんなだから、「ちゃん」なんて絶対につけられない。

 ナツキのその言葉にどう反応すればいいのか分からなくて、ぼくはきまりの悪さを感じる。

 まあとにかく、それだけのことだから気にしないで。とナツキは言ってくれた。でも、嫌われてしまったんじゃないかなという考えがぐるぐると頭の中で乱回転して、全然耳に入ってこなかった。

 それからもナツキは時々「えーっと」とか、「確かこっち……」とか不安げな言葉を漏らしながら進んで行った。ぼくたちはきっと四人とも心配しながら歩いていたと思う。テツロウは何度かナツキに声をかけていたけど、ナツキは決まって笑顔で答えるだけだった。

 どれくらい歩いたかな。少し傾斜がついて足に疲れを覚え始めた時だった。ナツキが着いたよと言った。

 木々の間を抜けると、くり抜かれたように草原が広がっていた。かなり広い。あの校庭の三倍くらいある。右側の方は緩やかな斜面になっていて、横になるのにちょうどいい角度だった。

「こんなとこ――」

「知らなかったでしょ」

 ナツキはテツロウが言い切る前に嬉しそうに言った。そして、止めていた足を再び動かして、その斜面の方へと向かって行った。ぼくたちもナツキに続いて草原を移動した。

「ここら辺でいいかな」

 ケンイチとミナミが袋からレジャーシートを取り出した。横になっても十分余裕のある大きさだ。それを横に五つ隙間を作らないで傾斜に沿って並べる。

 ぼくたちがシートの準備をしている間に、ナツキは平地で望遠鏡を設置していた。

 それもすぐに終わったらしく、「よし、準備完了!」と言って星を探し始めた。

 ぼくは横になって、空を見上げた。

「……きれいだ」

 思わず、といったようにテツロウはその言葉を口にする。

「……うん、すごいね」

 テツロウと似たような感じで、気づけばぼくもそう言っていた。

 それくらい、見上げた空にぼくたちは釘付けになっていた。

 巨大な一つの星を何度も何度も砕いて、それを思いっきりばらまいたような空だった。砕かれた星の欠片は、一つ一つが煌めいていて、神秘的だった。天の川も見える。

 満天の星、なんて言葉があるけど、きっとこの空はそれ以上だ。それ以上の星空を表す言葉をぼくは知らないけど、満天の星だけじゃ足りない気がする。

 あまりにも幻想的な光景に見入っていると、ふっと一つ星が空を滑った。

「ああっ! 流れたー!」

 真っ先に声を上げたのは、ミナミだった。そしてナツキが、「ええ!? どこ!?」と望遠鏡を覗き込んだまま必死に流れ星を探そうとする。

 そこでぼくは、はたと気づいた。

 しかし、テツロウの方が半秒速かった。

「なあ、ナツキ。流れ星見んのに望遠鏡っていらなくね?」

 ナツキはしばらく固まって、それからすっと望遠鏡から顔を上げた。また固まって、こっちを振り向いた時には、何だかロボットみたいな動きだったなと思った。

「……てへっ」

「てへ……っじゃなくて!」

 とテツロウは起き上がって突っ込む。

「ねえ、気づいてたんならもっと前に言ってよね」とナツキはむくれる。

「いや、今気づいたんだよ……」

「うーん……それなら仕方ないかぁ」

 ナツキは「持ってきて損した……」と少し肩を落としてこっちに歩いてきた。そして、「お二人さんちょっと失礼」と言ってぼくとテツロウの間に割り込んできた。

「ちょっ、おい! 何だよ……いてっ!」

「あ、足踏んじゃった。ごめん、大丈夫?」

「大丈夫っていうか……何で割り込んでくんだよ!」

「まあまあ、細かいことは気にしなさんな。ね、ユウキくん」

「えっ、あ、うん」

 暗闇の中でナツキと目が合って、ぼくは顔が熱くなるのを感じる。大丈夫、地上に光はないから、近くにいても顔が紅くなっていることは気づかれないはず……。

 と自分に言い聞かせたけど、やっぱり不安だったから、ナツキから顔を逸らすようにして空を見上げた。

 五人横に寝転がって天体観測をした。見上げた空には、流星群と呼ぶにふさわしい数の星が流れていた。一つが流れたら、その星を追いかけるようにして次の星が空に青い光の線を描く。まるでナツキの後を追うぼくやテツロウみたいだった。そんな風にして、夜空にいくつもの星の雨が降った。

 みんなと見る星は、ナツキと見る星は、どんな宝石よりも輝いて見えた。きっと、一人で見てもこれほどまでには感動できないだろう。それはやっぱり、みんなと見ているからだ。ミナミと、ケンイチと、テツロウと、そしてナツキと。この四人で見ているからこそ、こんなに感動するんだ。

「わあー、すごい数! こんなの見たことないよ」

 横目に見たナツキの目は大きく開かれていて、鏡のように夏の夜空を映していた。瞳の中を、ペルセウスの星が走る。

「ねえ、ケンくん。夏の大三角ってどれ?」ナツキは出し抜けにそんな質問を投げかけた。

 確かデネブ、アルタイル、ベガだったと思う。星に詳しくないけど、それだけは知っていた。有名な夏の歌に登場していたから。

「こと座α星のベガ、わし座α星のアルタイル、はくちょう座α星のデネブですね。このうち、ベガとアルタイルは織姫と彦星にあたります」ぼくの二つ左隣でケンイチは答えた。さすがケンイチ、ぼくのちょっとした知識とは比べものにならない。「えっと、天の川を挟んで右側の大きな星がアルタイルで、左側がベガ。そして天の川の中に位置しているのがデネブです」

 うーんあれかなぁ、とナツキは首をひねる。「他にも大きな星があって、どれか分かんないや」

 それは本当にナツキの言う通りで、夏の大三角の他にも似たような大きさの星が近くにあって、どれが夏の大三角なのか分かりにくかった。

「ねえケンくん、他にも何か教えてよ」

「他、ですか。そうですね……」とケンイチが言うと、沈黙が降りた。多分、何を話そうか考えているんだろう。「それじゃあ――」と話し始める頃には、星が五個ほど流れていた。

 ケンイチの話に、ナツキは終始興味深そうに聞いていた。それだけじゃなくて、すごいすごいと褒めるもんだから、ケンイチも調子がよくなってどんどん話が飛び出してきた。

 ケンイチの声が聞こえなくなったのは、大体三十分後くらいのことだった。気づけばミナミは眠っていて、ナツキは着ていた上着をかぶせてあげた。

「よく眠ってるよね」

「うん」

「かわいいなぁ……くしゅん!」微笑ましくミナミを見ていたナツキだったけど、急にくしゃみをした。「あー……上着脱いじゃったからね」

 ぼくはすぐさま自分が着ていたパーカーをナツキに渡した。苦笑していたナツキは、「いいの?」と真顔になって尋ねてきた。

「うん。寒いでしょ? ぼくは大丈夫だから、よかったら使って」

「じゃあ、遠慮なく……」

 ありがとね、と袖を通すナツキ。ぼくよりも背が高いから多分小さいだろうな、というぼくの予想通り、パーカーはナツキには少し小さくて手首が見えていた。ナツキは腕を縮めて袖を引っ張り、何とか手を覆い隠そうとしていた。

 ぼくが着ている服をナツキが着ると、何かヘンな感じがする。触られているわけじゃないのにむすむずした感覚が訪れる。それを意識してしまってそわそわと落ち着きがなくなる。

 隣にいるぼくの仕草に気づくことなく、ナツキは温かそうに息をついた。でもその直後に「あっ!」と声を上げたかと思うと「願い事、しなくちゃ……」そんなことを言った。

 そうだ、星が流れたら何か願い事をする。誰がそれをやり始めたのは分からないけど、それは生まれて十年ちょっとのぼくにも根付いていることだ。考えてみれば不思議なことだったけど、そんなことよりも願い事……。

 と、流れる星に願いをかけようにも、どれにしたらいいのか分からない上に一瞬のことだからできなかった。

 それよりも、ぼくはナツキが何をお願いするのか気になった。それとなく彼女を見てみると、目を閉じて胸の前で両手を握っていた。

 少女漫画とかにありがちな仕草。でも、いつもそうしているかのような、全く違和感を与えない動作だった。むしろ、そうやって星空の下で何かを願う彼女は、ぼくの知らない絵のモデルなんじゃないかなと思うくらい可憐だった。

 写真に納めたかったけど、カメラを持っていなかった。その代り、もう少しその姿を見続けていると、心に焼き付くような気がした。

 だから、一心にナツキを、ナツキだけを見つめていた。

 ナツキに意識を集中させると、数少ない音がさらに気配を消して、ほとんど何も聞こえなくなった。……あと少し。……もう一秒だけ。

 そんなぼくの望みを崩壊させるように突如として生まれた「好きだ」という言葉に、ぼくは意識を引き戻された。

 もしかして、ナツキを意識しすぎるあまりつい口が滑ってしまったのかなと焦ったけど、彼女はぼくを見ていなかった。――見ていたのは、テツロウだった。

 はっとしてぼくは体の位置をずらしてテツロウを捉える。すると、彼は起き上がってもう一度言った。真っ直ぐにナツキを見て。

「ナツキ、オレはお前が好きだ。ずっと、好きだった」

 テツロウは、はっきりとそう言った。他に遮るような音はないのだから、その声はよく聞こえた。少し、強張っているのが分かる。

 ナツキは、「え、え?」と狼狽えながら手をほどいた。

「……てっちゃん、それ……ほんと?」

 テツロウは強く頷いてから、「ああ、ほんとだ。オレはナツキが好きだ」と繰り返した。

 ナツキはテツロウの方を向いていたから、表情は全く見えなかった。

 ナツキは……どんな顔をしているんだろう。

 と、まるでぼくの疑問に答えるかのようにナツキはテツロウから顔をそむけて、足元に視線を落とした。

 三角に立てた膝を引き寄せるように腕を回して、体を丸める。

 ようやく見ることができたその横顔は、憂いを帯びていた。

 ナツキも、こんな顔するんだと思った。ナツキは、笑顔が基本属性だから。というか、笑ったりむくれたりするくらいしか彼女の表情を見たことがなかったから、そういうのとは対照的な位置にある、憂いとか悲しみとか、そういう表情とは無関係なんだと、どこかで思っていた。でもそれはよく考えてみればおかしな話で、ナツキも一人の人間なんだから泣いたり悲しんだりするわけで、現にそういった種類の表情を浮かべている。当たり前のことなのに、今までそれに気づかなくて、こんな時にそれに気づく。

 テツロウはしばらくナツキを見ていたけど、急にぼくに目を合わせてきた。その強い眼差しに、ぼくは不吉な何かを予感する。

「おい、ユウキ。お前も言えよ」

 ……当たった。ぼくの予感はすぐに的中してしまった。

 それでもぼくはごまかそうとして、「何のこと……?」と言おうとした。だけど、言い切る前にテツロウは続けた。

「とぼけても無駄だぞ。お前、オレに言ったよな。ナツキが――」

「だめだ! 言うなっ!」

「ナツキが好きだって‼」

 …………何だろう、この気持ち。ぼくの想いをばらしたテツロウに怒る気持ちはもちろんあった。でも、それとは違う何か。それよりももっと大きな感情がぼくの中で渦巻いている。

 ぼくはそれを、本能的に悟っていたのかもしれない。だって、無意識のうちにナツキのことを見ていて、そうすることで今も膨れ続けるその感情が何なのか分かったから。

 ぼくは、ナツキに自分の気持ちを知られてしまったことに対して冷や汗が噴き出すほどの恥ずかしさと、今すぐにでも逃げ出したくなるほどの居たたまれなさを感じていた。

 そのまま走って逃げ出せればよかったけど、きっとテツロウは追いかけてくるだろうし、何より、顔を上げたナツキから目が離せなくて動けなかった。

 驚きに目を見開いたナツキは、「ほんとなの……?」と尋ねてきた。

 なにか言わなくちゃと思ったのに、口を開けても息を吸い込むことしかできなくて言葉が出てこなかった。

 ぼくたちはそのままの状態で見つめ合っていた。でも、ぼくが何も言い出さないことにしびれを切らしたのか、ナツキは唇をきゅっと引き結んで立ち上がった。

 そして、「私、先に帰ってるね。じゃあ」と呼び止める隙も与えないで立ち去った。もとよりぼくはナツキを呼び止められるほど頭が回らなかったし、テツロウもナツキを呼び止めようとはしなかった。ケンイチは遠ざかるナツキに何か言いたそうにしていたけど、言葉を見つけられなかったのか結局何も言うことはなかった。

 ぼくたち三人はただナツキの後ろ姿を見るだけで、その姿が木の中に消えても、ぼくはその場所を見続けていた。

 こうして、ぼくの天体観測が、終わった。


 帰り道は、本当に静かだった。ミナミはケンイチの背中におぶられていたから、聞こえるのは三人の足音とどこかで鳴いている虫の声だけだった。

 ぼくはテツロウに話しかけづらくて、テツロウもぼくに目を合わせようとしないでずっと無言を貫いていた。ぼくたちがそんな空気を放っているから、ケンイチもぼくたちに声をかけづらくなったんだろう、静かに歩き続けていた。

 山道を抜けて畦道に変わった。景色が変わってもぼくたちの間には重い沈黙が垂れ込めていた。

 ふと顔を上げると、もう家の近くまで来ていたことに気づいた。そろそろ分かれ道に差しかかる。

 言葉が出るよりも先に、足が止まった。どうにも言い出しにくい。

 突然ぼくが足を止めたことに、二人も二、三歩進んだところでぼくと同じように止まった。

「……あの、ぼく、こっちだから」

「ああ、じゃあな」

「お、おやすみなさい」

「うん、おやすみ。バイバイ」

 別れを告げて駆け出そうとした時だった。テツロウに名前を呼ばれて、ぼくは振り返る。

「その……悪かった」

「え?」

「ナツキの前で、お前の気持ちばらしちまって……悪かった」

 とテツロウは謝ってくれた。予想してなかったから面食らったけど、どうにか笑って手を振った。それで、二人とは別れた。

 家に帰って、寝る準備をした。お風呂、歯磨き、おやすみの挨拶。どれもやったけど、意識は頭にずっと浮かび続けているあの時の場面に向いていて、ほとんど無意識的だった。

 部屋の電気を消して、ベッドに入ったのも何だか遅れてその実感が湧いてきた。

 天井を見上げて、ぼくは本格的にあの時の光景を思い出す。

 ツロウの告白。ナツキの反応。テツロウの暴露。ぼくの戸惑い。ナツキの反応。一連の動きの中で特に印象的だったのが、ナツキの、ぼくを見る目だった。

 純粋な驚きを露にした眼差しだった。言い換えれば、それ以外に何も見つけられなかった。嫌だったのか、嬉しかったのか。そういったことが全く見えてこなくて、逆に心に引っ掛かった。

 テツロウにも同じ眼差しを向けていたのかな。……もし、もしも。テツロウにはそれ以外の何かが含まれていたら……。

 そんなの、考えても無駄なのに。そうと分かっていても、もしナツキがテツロウを選んでしまったら。もしナツキがぼくを振ったらって。そんな嫌な可能性ばかりをイメージしてしまう。

 嫌な可能性で、あり得る可能性でもある。そのことが、ぼくの心に重くのしかかる。

 自然とため息が漏れていた。諦めのため息だった。

 もうナツキはぼくの気持ちを知ってしまったんだし、今さらそれをなかったことになんてできない。それならもう、今度はちゃんと自分の口から言うしかない。元々そのつもりだったし、少し予定が狂ってしまったけど、それは今日まで告白できなかった自分のせいでもあるから、きちんと伝えよう。……たとえ、悲しむことになっても。ノリくんの言うように、後悔だけはしたくない。

 そう決意するとだんだん眠くなってきた。それから眠りに落ちるのにあんまり時間はかからなかったと思う。

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