第17話 書くことと読むこと、それは入院人生

みんなが恥ずかしがる学校の尿検査。

試験管の怪しげな液体の色を見比べたりと、

その日は誰もが恥ずかしがって先生がくる直前に提出したりしてました。


私はそれどころではありません。


小学1年の春に尿検査で引っかかって以来、

それがある度に入院を余儀なくされたからです。


ほこりをかぶったぴかぴかのランドセルと黄色い帽子。

検査に引っかかった6歳から約1年間、病院生活を送りました。

病名は「慢性腎炎」。

医者は「一生治りません。最悪、透析が必要でしょう」と母に告げた。


見た目は普通、腎臓最悪。

腎臓がうまく機能しない私だけど、痛いとか苦しいとかなくて

他の小児科にいる子供たちと比べても

「なんで入院してるんですか?」という感じ。

全く「普通」であった。

兄や姉も「学校行かなくていいね、ずるーい」などと言うので、

入院していることに罪悪感を感じた。


6時に起きて9時に寝る生活は子供なので苦にならない。

一番嫌だったのが寝る前の「日記」だった。

当然文章能力も未発達なわけで、母の言うことを一言一句もらさず書くだけ。

「今日、だれだれがお見舞いに来ました。はい、ここまで書いて」


私はもっと書きたいことがあった。

スキーで足を折った中学生くらいのお姉さんの話とか、怖い婦長さんの話とか。

でも書く術を知らなかった。

書きたいことが書けないジレンマにぶつかった人生最初の出来事だった。


長く入院してると本も増える。

見舞い客の9割が本だったからだ。

TVもなかった当時の病室で、することといえば本を読むことしかなかった。

小学1年が読める出版物は全部読破したかと思うくらいの量だった。

お気に入りは「約束を守ったインディアン」という本で

内容は覚えてないけど、すごく悲しい結末の話だった。

泣くのは嫌だけど、つい読み返しては毎回大泣きする。

バカ正直なインディアンの少年の姿があまりに潔く、せつなかったから。

それが自分に反映されて、磯野カツオ以上に狡猾な人間になったような気がする。

「正直者はバカをみるぜ」と6歳の自分が思ったかは不明だが。


そんなふうにして、尿検査のたびに入院すると

いつも本と一緒だった。

病院というところは「現実」とまったく切り離された世界だと思う。

だから、魔法使いの少年や竜や剣がでてくる異世界の話に強く憧れた。

窓の外の「現実」と病院の「現実」、そして自分の中の「非現実」が

いまも私を構成している精神の1部分。

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