第14話 卒業論文とエッセイと日記

学部の教授に取り囲まれ、罪人の様な尋問を受ける。

真ん中にぽつんと孤立無援の自分の陣地。

普段は骨董品のように存在している学部代表の教授が判決を言い渡した。


「これは卒業論文ではない、ただのエッセイだ」


そして留年・・・。


留年するほどまでのエッセイを書いた私ですが(本当は単位も原因)

「エッセイ」という定義がわかりません。

一年遅れで無事卒業したものの、教授の言葉が忘れられなくて現在に至ります。


そもそも「エッセイ」とは

・自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。(大辞泉)

・形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文。また、意の趣くままに感想・見聞などをまとめた文章。随筆。エッセイ。(大辞林)

とある。


ちなみに「随筆」とは

・自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。随想。エッセー。

となっている。


では「日記」とは

・毎日の出来事や感想などの記録。日誌。日録。ダイアリー。


うーん、それじゃあ

エッセイ=随筆=日記、なのかな。

日本の古典を調べてみると


日記・・・紫式部日記、泉式部日記、蜻蛉日記、更級日記

随筆・・・枕草子


と分類されている。

しかも、紫式部日記は「随筆的な日記」となっている。なんじゃそりゃ。

明らかに「日記」と「随筆」は区別されている。

(題名だけで分類されているような気がしてきた・・・)

国文学専攻ではないので、わからないが古典の世界では

エッセイ=随筆≠日記

となる。


毎日の記録的なものが日記で、同じ事柄でも突き詰めていくとエッセイ?


日記: 今日、僕は犬の散歩に行きました。とっても寒かった。

随筆: 犬の散歩をすると寒さが身にしみる。そもそも散歩というものは(略)


うーん、これじゃあ、わかるようなわからんような。

ただ書き方の違いだけの気がする。



結論。

エッセイとは、筆に任せて思うまま書き綴るもの、

即ち日記と称すかエッセイと称すかは自分の中で切り分ければいいことなのである。

卒業論文が「論文」と位置づけされなかったのは

論旨に基づいた構成と研究がなされなかったわけで、

「エッセイ」と言われてしまったが、その「エッセイ」も満足に書けない自分がいる。

教授が「これは卒業論文ではない、ただの独り言だ」と言わなかったのは

優しさゆえだったのかもしれない。

面倒くさがりの自分は「もうなんだってありだ」と思ってしまう結論。

卒業論文が書けなかった理由はきっとこのあたり。

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