10. プネウマと夜-2

「とにかく、プネウマの言う通りにしよう」


 中庭を囲う白柱の影でマケリが冷静に言った。視線は私ではなく、蒼白な顔で黙りこむオルニスへ向けられている。


「オルニス! 聞いてるの?」


 私は自分のことで手いっぱいなはずなのに、オルニスのことが心配になった。質問の紙をぐしゃぐしゃにして握りしめたオルニスは、うつむいたまま瞳を怒りで光らせている。


「こんなの、間違ってる」


 マケリが眉を吊り上げた。


「オルニス、しっかりしろ! これは卒業試験なんだ。あいつの言うことに惑わされちゃいけない」

「でも先に試験を受けた奴らはみんな死んだって。たしかにそう言ったんだぞ」

「嘘なんだよ。学校の卒業試験でそんなこと起きるはずがない」


 オルニスは反論しなかったが、納得していないのは明らかだ。マケリも己の言葉にかすかな疑念を抱いているようだった。必死に言い聞かせている響きがある。


「ここでこうしてても仕方ないわ。とにかく答えを探しましょう」


 私の言葉にふたりとも複雑そうに頷いた。手元の紙を見て困惑している。私たちに与えられた問いは奇妙なものだった。


『父と母、ふたりのうちひとりを助けるなら? ――ミスタ・オルニス』

『この世で一番青い色はどこにある? ――ミスタ・マケリ』

『家族、富、友。ひとつだけ守れるなら? ――ミス・ファイエル』


 三人で見せ合った問いはどれも理不尽なもので、明確な答えはないはずだ。プネウマは、答えが金のオブジェとして庭にあると言った。どう答えるにせよ、とりあえずそれを見つける必要がある。私たちはひとまず散らばり、それらしい回答を集めてくることにした。

 プネウマの言うとおり、中庭は思っていたよりもずっと広い。庭を囲う白い外回廊の向こうにも、また同じように中庭が続いている。合わせ鏡の奥を覗いたときのように、同じ光景が回廊の向こうに延々と繰り返されている。来た道をしっかり憶えておかないと迷子になりそうだった。幸い、どこにいても頭上に輝く月がはっきり見えていたので、時の経過はどこからでも確かめられるし、大体の方角からプネウマの元へ帰ることができる。


 広い庭を歩き回ることに疲れてきたころ、私はようやくひとつめのオブジェを見つけた。背の低い生垣、葉の裏にそれは括りつけられていた。オブジェは純金製でずっしりと重く、座る猫の形をしていた。明らかに私の問いの答えではない。私は来た道をひとまず戻ることにした。誰か他の子と答えを交換できるかもしれない。頭上の月はいつの間にか大きく動いていた。じっと見つめていても分からないが、本当に少しずつ移動しているようだ。プネウマのいる場所へ戻る道すがら、明かりの少ない風景に私は言いようのない圧迫感をおぼえていた。回廊と中庭をいくつも通り過ぎたのに誰の姿も見かけない、そのことが余計に恐怖心をあおってくる。


「ファイ!」


 だからマケリに遠く呼ばれたとき、心底ほっとした。ようやく見つけた友はひどく疲弊した顔で、回廊の石柱にもたれ座っていた。


「マケリ! よかった。他のみんなは?」

「わからない。散り散りに遠くに行ったかも」


 ぐったりとしたマケリはポケットから金のオブジェを三つ取り出してみせた。それぞれ本、星、子どものモチーフだ。


「どうしたの? なんだかすごく――」


 マケリは疲労困憊していた。私が猫のオブジェを見せると、眼鏡の秀才はため息をつく。


「僕が見つけたオブジェ、回廊の明かりの中にあったんだ。容れ物が硬かったから、取り出すのに苦労してね」

「魔法を使ったの?」


 マケリの視線の先に、無理にこじ開けられねじ曲がった金属の明かり籠がある。おき火が揺れる籠に取り出し口はない。中にあるものを取ろうと思ったら、籠自体を壊すしかないだろう。マケリは回廊一列分の明かり籠をすべて壊し、調べつくしていた。たったこれだけのスペースで三個もオブジェを見つけられたのだ、歩き回って探すよりよほど効率がいい。


「大丈夫? すこし休んだら」


 魔法を使えば体力を消耗する。個人の資質によって疲労度は異なるが、マケリは疲労が出やすい体質だった。


「平気だよ。休んでいる暇もなさそうだし」

「ふうん?」


 マケリは無理をおすタイプではない。魔法を使うと消耗しがちな彼は、どちらかといえば己は休み、周囲の人間を動かしてことをなすタイプだ。じゃっかんの皮肉を汲み取ったのだろう、眼鏡の秀才は苦笑する。


「そうだね、こんな風に焦って動くのは僕らしくない。けれど急がなきゃいけない気がして。この暗さのせいかな、不安なんだ」


 私は彼が壊した回廊の明かりを見やった。乱暴に片端から物を壊すなんて、たしかにらしくない。まるで何かに急きたてられ、追いつめられているようだ。


「私もそう。太陽がないのもそうだけど、こう暗いと慣れてないから息苦しくて」

「そうだね。暗いから歩くだけでも疲れるーー」


 ふとマケリが言葉を切り無表情になる。一瞬の不自然な間にたじろいだとき、遠くから喚き声が聞こえてきた。悲鳴かもしれない。プネウマのいる場所でなにかが起きている。


「行こう」


 険しい表情のマケリと一緒に中庭と回廊をいくつか越え戻ると、数名の同級生たちが騒ぎを遠巻きに眺めていた。何が起きたか問う前に、強風が押し寄せてくる。


「お前がみんなを殺したんだ! 俺たちのことも殺す気だろ!?」


 オルニスが魔法で風を起こし、プネウマに対峙していた。プネウマは「落ち着け」というような仕草をした。すると強風はやんだが、かわりにオルニスは両手に風を集めて鋭い短剣を作りあげた。怒りをおさめたわけではなく、本格的に攻撃態勢に入ったのだ。私の隣にいたマケリが、一歩前へ出た。


「オルニス、止めろ!」


 中庭に意外なほど大きく声は響き、渦中のふたり以外がぎょっと振り返る。


「こいつが殺したんだ!」


 オルニスはプネウマを睨みつけていた。いつでも飛びかかれるように鋭いかまいたちの短剣を両手に構え、怒りを含む声で告げる。


「さっき見たんだ! ウォルシュをこいつが殺した!」


 ウォルシュは同級生のひとりだ。背の高い男の子で、性格は控えめだがとても優しい、誰からも好かれるタイプの子だ。マケリの目がすうと暗くなる。


「ウォルシュが殺されるのを、本当に見た?」


 オルニスは唇をなめ、ぎらつく瞳でプネウマをねめつけた。両手の中で風そのものの短剣が器用に回されている。


「間違いない。ウォルシュは倒れて動かなくなった。こいつが触ったら途端に――」

「じゃあ、ウォルシュの遺体はどこにあるんだ?」


 マケリはどこまでも冷静に事実を探し、オルニスを宥めようとしていた。するとそれまで黙っていたプネウマが言葉を発した。


「私が外へ出したよ。彼の試験はすでに終了したからね」

「終了?」マケリは険をプネウマへ向けた。「どういうことです。ウォルシュは、正しい答えで合格したってことですか?」


 プネウマは鳥仮面の奥でため息をついたようだ。


「いや、ウォルシュは答えを持ってこなかった。――言い忘れていたが、君たちは何度答えを間違えてもいい。ただし、私が『もう駄目だ』と判断したら、そのときには試験はそこで終了となる。ウォルシュと同じく」


 マケリの眉間のしわがぐっと深まった。私は愕然としていた。ウォルシュの遺体があったことをプネウマは否定しなかった。やはりオルニスの言う通り、同級生が殺されたのだ。この場で見物していた全員がその事実に身震いしただろう。試験なんて生易しいものじゃない、私たちは何かを試されているのだ。自分たちのたったひとつの命を、得体のしれない危険の前にさらしている――……。


「それで――どうする、ミスタ・オルニス?」


 プネウマが片手を差し出していた。挑発するように。オルニスの瞳に怒りの炎がひらめく。私とマケリが叫ぶのと、オルニスが駆け出したのは同時だった。風使いのオルニスはクラスの誰よりも速く移動できる。かまいたちで作った短剣の切れ味は鋭く、その刃が交差するようにプネウマへ向けられていった。

 私は悲劇を予想した。オルニスは本気だ。プネウマの腹を裂くように動いた短剣は、けれどあっさりとかわされた。宙を舞ったプネウマは、俊敏な動きでオルニスから距離を取っている。


「それが君の答えか」

「ふざけやがって、人殺し!」


 プネウマは中庭を囲う回廊に飛びのき、追いついてきたオルニスと屋根の上で対峙した。


「いいだろう。君が私に『参った』と言わせたら、君たち全員を合格としよう。ここからすぐに出すと約束する」


 黒い天を背景に、僅かばかりの月の光に照らされ、オルニスは怒りに顔を歪めていた。冷静さを失っている。挑発に乗ったオルニスは風の短剣をひらめかせた。

一閃、二閃と繰り出される刃は、しかしすべて避けられていく。


「止めないと!」


 焦る私とは反対に、マケリは静かにその様を窺っていた。しびれを切らし加勢しかけて、私は一瞬戸惑った。どちらを助けるべきか。気持ちとしてはオルニスを助けたいのだが、一抹の不安がのこる。これは卒業試験じゃないのか。もし全部オルニスの勘違いでプネウマが人殺しではなかったら――そう考えると今すぐにでもオルニスを止めるべきだ。私には何が本当で嘘なのかがもう分からない。ウォルシュや、先に試験を受けたA組とB組の生徒たちは本当に殺されたのだろうか。プネウマの言うことは正しいのか、オルニスが間違っているのではないか。

いくら考えても答えは出ず、思考は真っ黒な夜の気配に包まれ、混乱と恐怖で疲弊している。吸い込む空気にも、まるで毒が混じりこんでいるようだった。得体のしれない状況に息を何度吸いこんでも肺が満たされない。動けないでいる私の真上で、オルニスは風を使いプネウマをやり込めようとしていた。疲れてきたのか、キレのなくなってきたその足をプネウマがさっと払う。


「っ、――!」


 オルニスは不意をつかれて中庭に転がり落ちてきた。受け身を取り損ね、芝生の上で立ち上がろうともがいている。駆け出そうとした私の腕をマケリが強く握り引きとめた。


「っ、放して!」

「駄目だ」


 マケリはものすごい形相でプネウマを睨みつけていた。私の腕に食いこむ手には、痣が残るほどの力がこめられている。

 倒れたオルニスと目が合った。白くなった苦悶の表情、けれど両瞳はまだ力を失っていない。何かを伝えようとする強い意志が私とマケリをみる――その顔が影に覆われてさっと暗くなった。プネウマだ。


「楽しかったよ。君の試験はここまでだ」


 プネウマが屈みこみ、オルニスに手を伸ばす。数秒の後、立ち上がった足元にオルニスの死体が転がっていた。両目を閉じ、ぴくりとも動かない。かすかに開いた口もとはあどけなく、生きていた時の名残があるが、意志を失ったそれは確かに死体だった。プネウマの手のひと振りでオルニスの姿はかき消えた。空間の外へ出されたのだ。誰も何も言わなかった。耳が痛くなるほどの静寂を、柔らかに風が通り過ぎていった。先ほどまでオルニスが操っていた風が。プネウマはぐるりを見回した。


「彼のようになりたくなかったら、答えを探してきなさい」


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