10. プネウマと夜-1

 その姿を見ると死ぬらしい。

 ひそひそ話をする少年たちの間に、私は後ろから首をつっこんだ。


「なんの話?」

「わっ、びっくりした。急に入ってくるな!」


 黒髪の少年、オルニスが即座に嫌そうな顔をする。クラスで一、二を争うやんちゃ坊主の彼は背が高く、女子の中では一番たっぱのある私とほぼ同じ位置に頭があった。目が合うとオルニスはつんと顔をそらしたが、横にいた眼鏡の少年・マケリがいつも通り穏やかに教えてくれた。


「プネウマだよ。いろんな噂があるから」


 プネウマ。これから私たちが卒業試験で面会する相手だ。マケリが丸眼鏡の奥で遠くを見て言う。


「プネウマのことは文献にも書かれてない。その正体をみんな知らないから『見ると死ぬ』なんて噂が出たんだろうけど、僕はそんなことないと思う」

「なんでだよ」


 不服そうなオルニスに、秀才のマケリは冷静そのものだった。


「考えてみてよ。魔術学校の生徒はみんな卒業試験でプネウマに会うんだ。先輩たちは毎年生きてここを出ていく。危険なもののはずがないよ」


 昼日中の学校の廊下を、私たちC組の面々は二列になり談笑しながら歩いていた。先導する教師に連れられ、これから卒業試験を受けに行くところだ。魔術学校の卒業試験は「プネウマとの面会」と決まっていた。試験はクラスごとに行われ、すでにA組とB組が午前中にプネウマとの面会を終えている。


「でも……」


 オルニスがいつになく弱気なのがおかしくて、私はその背を叩いてやった。


「大丈夫、私たちもう一人前の魔術師でしょ! 精霊の力だって扱える。マケリには金の精霊の力が、オルニスには風の精霊、そして私にはこれがある」


 右手をくるりとかえし空中に小さな火をおこしてみせる。ほんの微かな魔法だったのに、先頭を歩く教師が抜け目なく見つけ、睨みつけてきた。


「ファイ、ほら消して」


 優等生のマケリが頭を下げる横で、オルニスはようやく戻り始めた調子でにやついていた。


「お前、試験で減点一じゃね?」

「うるさい怖がり」

「なっ、怖くねぇし!」

「ふたりとも言い争いはよしてよ。それに僕、プネウマよりももっと気になることがあるんだけど」

「プネウマより……?」


 オルニスがさっと声を震わせる。きっとなにか極限に恐ろしいことを考えたのだろう。応えるように、マケリもいっそう声をひそめた。


「『夜の間』だよ」


 夜の間――学校の西端にある部屋だ。そこへ入れるのはプネウマと面会するときだけで、どんな部屋なのかもよく知らない。


「そういえば『夜』って何?」


 博識なマケリが辞書をひも解くよう、縷々るると答えてくれた。


「太陽のない場所のこと」

「うそ」「マジか!」


 反応を予期していたのだろう。マケリは一拍待って続けた。


「文献によると、外国には太陽のない地域があるらしい」


 マケリは淡々としていたが、とても信じがたいことだ。国では、太陽とは一日中頭上にあるものだ。煌々と白く照るそれがないなんて想像もつかない。


「太陽がないと、どうなるんだ?」


 弱々しいオルニスの声に私も同じ気持ちだった。卒業試験が行われる「夜の間」には明かりがないのだろうか。私たちの歩く外廊下は白大理石製で、陽の光をまぶしくはね返している。魔術学校の教室にはすべて大きな窓があり、いつも日光に照らされていた。明かりがない状態を体験する機会が、学校だけでなく国ではほとんどないのだ。バスルームやトイレでさえ、密閉製やプライバシーを考慮した上で、明かり取りの窓から日が燦々さんさんと差しこむように作られている。太陽がなくなったら――夜とはどんなものなのだろう。


「さあ、僕に聞かれても。でも死ぬことはないと思うけど」


 銀縁眼鏡を押し上げるマケリの冷静さに、思わず胸をなでおろしていた。


「そうね、試験なんだし。プネウマだってきっと教員の誰かじゃない?」


 それでも曇り顔のオルニスに、マケリは違和感をおぼえたらしい。


「どうしたの。君がそんなに怖がるなんて」


 なにか知っているのかと水を向けられ、オルニスは渋々と口を開いた。


「さっき、A組の友達んとこ行ったんだ。試験がどうだったか気になって」


 マケリが顔を曇らせた。試験の日、かってに教室の外へ出ることは許されない。見つかれば退学になりかねない行いだが、私にはオルニスの気持ちがわかった。彼ほど身軽に風の魔法を操り移動できたなら、私だって教師の目を盗み友達に会いに行ったかもしれない。


「それで?」

「A組もB組も教室にいなかった。おかしいと思ってホールの方を覗いたら――」


 いつも集会に使われている広々としたホール。そこに、卒業試験を受けた生徒たちが並べられていたという。床に等間隔に転がされ、彼らは目を閉じぴくりとも動かなかったと。


「人に見つかりそうになったからすぐに戻ってきたけど、あれは――死体だった」

「まさか」


 苦笑するマケリをオルニスは睨みつけた。


「本当だって! アニスも――A組の俺の友達も、たしかにそこにいた!」

「魔法で全員、行動を止められてたんじゃないか?」

「A組とB組の全員をか? なんのために?」

「それは」

「あんたの見間違いでしょ」

「見間違いなんかじゃない、あれは――っ」


 オルニスが言葉をのんだのは、列の歩みが止まったからだ。先頭に立つ教師が黒い扉を示していた。


「この中で卒業試験を行います。中にプネウマがいますから、よく言うことを聞くように」


 「夜の間」の扉は両開きで、真っ黒な金属でできていた。黒く磨かれた扉は鏡のようにきらめき、明るい廊下や生徒たちの不安げな顔を映しとっている。教師が一度ノックすると、つるりとした扉が軋みひとりでにひらいていった。茫然と静まりかえった全員の意識を、教師が指を鳴らして引き戻した。


「さあ、中に入って! プネウマに認められないと魔術師になれませんよ」


 列がゆっくり中へと進み始める。扉の奥は真っ黒で先が見通せない。列の先頭で時々、悲鳴にも似た声が上がった。三列、四列と同級生たちが扉の中へ消え、いよいよ最後方の自分たちの番がきた。きゅっと唇をかみしめると、オルニスがこの世の終わりのように隣で呻いていた。


「マ、マケリ……」

「落ちついて。僕もファイもいる」

「あんたビビリすぎ。ほら行くよ」


 オルニスをふたりで両脇から挟み、三人ぴったり身を寄せ扉をくぐる。黒一色の中へ踏み出し、暗闇に身体をうずめていく。敷居を越え、踏みしめた床は硬質な素材だった。石かもしれない。暗くて何も見えない。先に入った同級生の姿も、壁や床、目の前に何があるのかもわからない。手探りの歩みに困惑しはじめた頃、背後で扉が大きな音をたて閉まった。完璧な暗闇にオルニスが身を竦ませる。


「う」

「黙って。ファイ、頼む」


 マケリの冷静な声に促され、ようやく気がつく。どうやら異様な空間に私も動転していたらしい。手慣れた仕草で小さな炎を浮かべてみせると、お互いの顔が見えるくらいに明るくなった。オルニスは可哀想なほどに青ざめて、マケリも不安そうにしている。ふたりの表情が小さな火明かりに少しばかり緩んだ。


「プネウマはどこ?」

「よく見えないけど、この先じゃないかな」


 前方にうっすらと明かりが見えていた。黒一色の視界の奥で、本当に目をらさなければ見えないほどの白光が、出口はここだと静かに主張している。耳をすませば先に進んだ同級生たちの声も遠く聞こえてきた。


「出口だ!」


 オルニスが真っ先に風を使い、ものすごい速さでひとり出口へ向かった。反動の強風にあおられ、マケリと一緒にたたらを踏んでしまう。


「ちょっと!」

「まったく。僕たちも行こう」


 マケリは眼鏡を押し上げ苦笑している。離れないように手をつなぎ、光の元へ駆けて行く。通路の出口が希望のように光っている。

 暗闇を抜けると中庭だった。小ぢんまりとした正方形の芝生。その四隅を白大理石の渡り廊下が囲っている。植え込みや広葉樹が少しあり、外の匂いがした。


「ここ、部屋の中?」


 太陽の光を感じないのだ。窓のない部屋かもしれない。密閉された室内にしては、土や風の匂いがあるのが不思議ではあった。頭上をあおぎ見ると、真っ黒の天に銀砂に似た光が遠くきらめいている。あれが天井だとしたら、この部屋はかなり縦に長いのだろう。すくなくとも鐘楼しょうろうに近い高さがあるはずだ。


「暗くないね……」


 マケリは中庭を囲う渡り廊下を注視していた。チェスのルークに似た白い石柱が等間隔に並び、カンテラのがいくつも吊されてある。太陽の姿がないのに明るいのは、人為的に灯された火明かりのせいらしい。


「おい」


 芝生の真ん中からオルニスが呼びかけてきていた。同級生たちが集まっていて、真ん中に奇妙な鳥仮面の男が立っている。彼がプネウマなのだろう。

 生徒たちより飛びぬけて背の高いプネウマは、片手をあげて来るようにと合図してきた。ぼんやり中庭を眺めていたので、私たちはみんなに待たれていた。オルニスに追いつくと「遅ぇぞ」と睨まれてしまう。文句をかえす暇もなくプネウマが言葉を発した。


「君たちで最後かな。それでは、――ようこそ昼の子エルピス・メセンブリアーらよ。私はプネウマ、夜と死を司るものだ」


 プネウマは芝居がかった仕草で道化師のように喋る。白いシルクハットとタキシード、白手袋の片手を優雅に胸元へ添えている。予想外のプネウマの姿に私は度肝を抜かれていた。魔術学校の教師はみな質素で厳格、高位であればあるほど古老めくものだ。卒業試験にはどんないかめしい老人が出てくるのかと思っていたのに、プネウマはとんだ道化師姿だ。口調や服装もだが、彼の身につける鳥仮面はひときわ奇妙だった。私はおとぎ話に出てくる、遠い国のカーニバルの様子を思い浮かべた。お祭り騒ぎの中、貴人たちが顔を隠すためにつける異様にど派手な面覆い、あれに似ている。プネウマは全員の戸惑いと困惑を完璧に無視していた。


「今から君たちにひとりずつ問いを与える。その答えを、この庭から見つけ出してきてほしい」

「答えを見つけるって、何かが隠されてるんですか?」


 前方にいた同級生が果敢にも質問をする。みなこの卒業試験に必死なのだ。


「これだよ」


 プネウマは金色のなにかを全員に掲げ見せた。親指の爪ほどの、金の小さなオブジェだ。


「これと似た答えが庭にはいくつも隠されている。各自、問いの答えとなるものをもってきてほしい。回答は何度間違えても構わないからね」


 試験内容は奇妙なものだった。何度間違えても構わないというのは、それだけ正解に辿りつくのが難しいのだろう。ひょっとするとあの金のオブジェは、とても見つかりにくい場所に隠されているのかもしれない。いずれにせよ難題が予想される。プネウマは全員を見て滔々とうとうと話した。


「間違えてもいいと言ったけれど、試験にはタイムリミットもある。あそこに輝く白丸が見えるだろう?」


 黒い天井の端に小さく丸い明かりがあった。光源は遠すぎてしっかり確認できないが、これほどに柔らかな光を見るのもまた、はじめてのことだ。


「あれは『月』という。時とともにわずかに移動している。ちょうどあの月が、空の反対側に――あそこの鐘楼まで移動したらタイムリミットだ。それまでに私に認められなかった者は、魔術師になる資格がない」


 全員が白丸と鐘楼を見やった。あそこへ月が移動するまでに、どれほどの時が残されているだろう。マケリが隣でさっと手をあげた。


「ここは、部屋じゃなくて外なんですね? これが『夜』?」


 マケリが何を言っているのか私は最初、わからなかった。たぶん他の同級生たちもそうだろう。プネウマは思い出したように手を打った。


「言い忘れていた。そう、ここは室内じゃない。君たちは窓のない部屋にいると思ったかもしれないが、これが夜というものだ。魔法で時空間を歪め、夜に繋いである。あとで散策してもらえばわかるが、この空間は君たちが考えているよりもずっと広い。完璧に太陽のない世界なんて珍しいだろう? 私はこの場を動かないから、試験のついでに色々と見てくるといい」


 場に静かなざわめきが起きていた。みなここを窓のない部屋だと考えていたのだ。

プネウマは完璧に太陽のない世界だと言ったが、じゃあ真っ黒な天が空なのか。私たちの知る空は青々として雲が浮かぶものだ。雨の日も曇りの日もあるが、つねに明るく陽の光に満ちている。太陽が消えるとすべての色がこうも変わってしまうのか。だとすると、陽の光は黒以外のあらゆる色を秘めているのかもしれない。すくなくともこの場は黒にひたされて、色という色がくすんでしまっている。


「それでは、質問の紙を配ろう。縦にひとりずつ並んで。他に聞きたいことがあれば、いつでも私の元へ来るといい」


 みなそわそわと、静かにプネウマから折り畳まれた紙を受け取っていった。


「ミス・ファイエル」


 私の番だ。紙を渡されるとき、プネウマの仮面の奥にある目が見えた。どこまでも濃い黒色。さながら、この夜を覆う不気味な色のようだ。私は慌てて紙を受け取り、目を伏せ離れた。プネウマという存在が、この異質な夜の空気がひたすらに恐ろしく感じられたのだ。心なしか吸いこむ空気にも重苦しい黒色が混じっている気がするほどだ。


「ミスタ・オルニス」

「あの。先に試験を受けたA組とB組のやつら、どうなったんです?」


 私は驚いて振り返った。決然とした顔のオルニスが、答えを聞くまではてこでも動かないと立っている。プネウマは首を傾げた。


「不可解な質問だね、ミスタ・オルニス。どう、とは? 何があったというのかね?」


 オルニスは蒼白な顔色でプネウマを睨みつけていた。同級生たちは自分たちの手にした紙に夢中で、やりとりに気づいていない。すでに紙を受け取ったマケリが私の隣へやってきた。


「あいつ」


 これ以上余計なことを言えば、オルニスが禁を破り午前中にかってに移動していたことがばれてしまう。黙っていろという私たちの視線が通じたか、オルニスは無言だった。しかしその両目は爛々と敵意に濡れ、輝いている。プネウマは紙を差し出したまま逡巡していたが、息を吐き出した。


「まあいい、教えよう。――先に試験を受けた生徒たちはみな死んだ。これでいいかな? さあ、紙を取って」


 震える手でオルニスは折り畳まれた紙を受け取った。そのままふらふらと私たちのほうへ歩いてくる。小声でなされたそのやり取りに、他に気づいていた者はいない。私たちだけがその事実をつきつけられたのだ。


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