7. 猫を追いかけて
※カクヨム、短編コンテストに出していたものです。
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「猫を撮ってきなさい」
それが編集長の指示だった。
広島の尾道へ行き「猫好きの集う町、尾道!」というタイトルでひと記事書く――そのための素材や良さげな店のロケハンをしてくるよう、僕は命じられた。
うだるような夏の盛りだった。正直に僕は猫が好きでないし、だいたい野良がそう簡単に写真におさまってくれるものか。
「文句いわない! ほぅら、尾道いいところじゃん~」
不満たらたらの僕に対して、一緒にきた小春はご機嫌だった。彼女は僕の隣で千光寺ロープウェイの窓から吹き込む爽やかな風を受けている。
たしかに尾道は良いところだ。夏の空はどこまでも青く、その下に運河のような川が広がっている。
「川じゃないよ、尾道水道だよ」
川だろ?
「信じられない、勉強してこなかったの? あれは瀬戸内海だよ。向こう側の陸地は島なんだよ」
僕はぷんすこ怒る小春の言葉を黙って聞き流した。
「ちゃんと調べないと道に迷うよ?」
迷うものか、ここは観光地だぞ。
遠く景色を眺めると、瀬戸内海が島で寸断され川のように見える。その上に白い橋があるのはたしか――しまなみ海道だ。手前に尾道市街が見え、港には船がたくさん停泊している。ジブリみたいな街だと思ったら「わかるー!」と小春が手放しで賛同してくれた。
コクリコ坂みたいな?
「違うよ、あれは横浜でしょ」
でも尾道はロケ地として有名なんだろ。他には?
「『東京物語』じゃない? 『転校生』とか」
知らないよ。『ヒカルの碁』は?
「それ、サイが消えたときだけじゃん。『暗夜行路』とかさ」
だから知らないってば……そんな顔されても。
愕然とした小春の顔には「志賀直哉を知らないのか」と書かれてあった。うるさい読んだことないだけで名くらい知ってる。
僕らはロープウェイを降り、猫を求めて山頂から坂を下る。猫が良く出ると噂の細道や小春いわく有名な坂道をいく筋か降りてみる。けれど猫は一匹もいなかった。なんでだと熱さに汗を拭っていると、小春がぽんと手をうつ。
「あれだね、いくら猫の街といえどこんなに暑いんだから。夏の盛りに猫ちゃんが鉄板みたいな道で転がってるわけないよね!」
さわやかな小春の指摘に、僕は膝が抜けそうになる。
それ、もっと早く誰か気づかなかったのか。せめて来る前に、いや夏にこんな企画を立てて写真を撮ろうと編集長が言いだした段階で、誰か――。
「今更だけど来ちゃった以上、写真におさめて帰らないとどやされるよ」
無理だろ。猫の影も形もないぞ。
「編集長に殺されるよ!」
知るかよ!
それは完璧な企画だおれだから僕のせいじゃないはずだ。
そうして小春と責任をなすりつけあい、熱さに朦朧としながら勾配45度くらいの坂道を行ったりきたりしているうちに、僕は気がついた。
……道に迷った?
辺りは住宅地になり、寺や店などの観光コースからは完璧にそれている。冗談みたいに細くて歩くのにも難儀する急激な坂道の横に、庭付き一軒家や墓地が林立している。小春は地図と携帯を交互に見て、ついには良い笑顔で汗を拭った。
「ま、いいじゃん! こういう裏路地とか穴場な場所に猫ちゃんはいるかもしんない」
そうかもしれない、たしかにそうかも……いや駄目だ。僕は空になったペットボトルをあおる。このままだと本格的な熱中症で倒れて死ぬ。
時刻は三時、おやつの時間なのに休めるカフェはひとつもなく、住宅地は静まり返っている。この照り返しのなか、僕が倒れて叫んで助けを求めても誰も来なかったらどうしよう。
「ニュースになるかな? 『熱中症に注意、水分補給はまめに』とか」
うすらと霞む視界の端で、すると小春が一軒の家を指さした。
なんだ、さすがに一般の家に行って「水をください」とせがむのはちょっと抵抗があるんだけど。
「違うよ、ここ喫茶店みたい」
いやどう見ても庭付き一戸建ての家だと思ったがよく見れば、木造りの門の前に小さく「かき氷あります」のメニューがあった。かき氷!
僕と小春は吸い込まれるように中へ入って行く。店主は作務衣姿の青年だった。客は誰もいない。風とおしのよい縁側に通され、雅やかな庭を眺めながらイチゴの氷を小春とかきこむ。
しゃくしゃく、しゃくしゃく。
風鈴の音が聞こえる。
クーラーがなくても日陰の縁側に座るだけで涼しい。
まだすこしだれている僕をさしおき、小春は店主に猫の居場所について尋ねていた。人の良さそうな店主は苦笑した。
「まぁ、暑いですからね。うちの家の裏とか溝の下とか、そういう涼しいところに隠れているんでしょうねぇ」
小春はさっそく家の裏を見に行った……元気なやつだ。
「いなかった。あっちの公園に行ってみようよ」
マジか。まだ行く気なのか。
どこか呆れたような店主に見送られ、僕らはまた猫をもとめて彷徨いだす。
僕はとりとめもなく考えていた。どうだろう、たとえ尾道で猫を見つけて写真に納めても、それがはたして尾道産の猫だと分かるのか。こんなことなら帰って野良猫を撮ればいいのだ。いやいっそのこと近所から猫を連れてくればよかった。とにかく猫なら何でも良いと思いかけたとき、小春が感動の大声を上げた。
「いた! 猫ねこネコだ――!」
どこに。
見れば茶の猫が、いかにも人間なれした風で公園のベンチの影に寝そべっている。ふてぶてしく一瞥をくれ、動く気配がない。
「いまだ、シャッターチャーンス!」
やかましい。僕は静かに近づきようやく出会えた奇跡の一匹を連写する。幸いなことに猫はぴくりとも動かなかったが、撮り終えた写真を確認してすぐに後悔した。
やっぱこれ、尾道で撮ったって全然わからないな。ただの猫の写真だ。
「いいの、とりあえず任務達成―!」
万歳三唱する小春を、茶のぶち猫は迷惑そうに半目で見た。「うるさい」か「また人間か懲りねぇな」と言っているのか。
こうして僕らは編集長からのノルマを達成した。小春は尾道をひどく気に入った。
「また来ようね!」
僕は渋々頷いておく。今度は春か秋にな。
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