8. 疲れたあなたにミカ・スペシャル

※カクヨム・お茶漬け自主企画参加作です。

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 しめった空気がスーツをへばりつかせる、嫌な感じの夜だった。

 八月のなかば、零時過ぎなのでセミこそ鳴かないが、溜まりに溜まった昼の熱波がしつこく空気を蒸し焼きにし、帰路につくアキオをふらつかせる。

「ただいま」

 家の戸を開けると涼しい風がなだれこみ、アキオはほっと目を細めていた。

(超、すずしい……)

 どうやら暑がりの妻が部屋をキンキンに冷やしている。いつもは口を酸くして節約を説くところだが、この熱波ではいた仕方あるまい。

「おかえり。帰ってこれたの?」

 その妻が、なぜかすこし焦った様子でリビングの戸の奥から顔をのぞかせた。

 低めの身長、夜用のメガネにパジャマ姿で、前髪を頭上でこどものようにまとめている。それは我が愛すべき妻・ミカがいつもゲームをするときの格好で――、

「ん……あっ、お前ぇぇぇぇ!?」

「バレた」

 妻は俺が今日発注したばかりのス〇ッチの梱包をとき、あろうことか俺より早くイカのゲームを楽しんでいたのだ。リビングの大型テレビから軽快な音楽が流れていて、俺は怒りやら呆れやらで言うべきことを見失い、とりあえず持っていた鞄を落とした。

「お、俺が働いてる間にお前は、かってに、しかもこんな夜中までゲームって何それずるい!」

「わ、悪かったって、どうどう」

 俺は動揺していたが、妻もたじたじだった。いい歳の大人な俺が、たかがゲームごときでここまで怒ると思わなかったのかもしれない。

(いや、ないわ。俺がそのゲーム、どれだけ楽しみにしてたか知ってたよな!?)

 こちらの無言の圧力に、さすがの妻もひくりと半笑いになる。

「あー、さぞやお疲れでしょう旦那、そこにお座りになって。肩でもお揉みいたしやしょう」

 なんだその口調は。

 妻が変なのはいつものことなので、俺はリビングの椅子にとりあえず腰を下ろしたが、本当に後ろに立ち肩を揉み始める。地味にきもちいい。

「旦那、なにか召し上がりますか?」

「そうだな……って、こんなことで誤魔化されないからな」

「へぇい」

(だから何なんだその口調は)

 今度はなんのテレビに影響されたか知らないが、帰って来たら妻は江戸時代みたいな口調で喋るキャラになっていた。なんでだ。

(やりづらいから、もーう)

 白い木の机にそのまま伸びると、かすかにニスと木材の香りがして目を閉じる。

 ざらついたテーブルの触感、冷たい温度を頬で味わっていると、台所に向かった妻から遠く質問がとんでくる。

「ねぇ、アッキー。三分で出来るいわゆる『いつもの』、ミカ・スペシャルでよろしいか?」

「んー……いいけど。なに、なんなの『いつもの』って」

 猛烈にねむく、落ちかけていた瞼がとある可能性に冴える。

「え、俺カップ麺はいやなんだけど」

「ノンノン。ミカ・スペシャルだよ? ミカさん、爆乳のお姉さまに怒られちゃうよ。『まあ美香さん、お肌によろしくありませんわ。カップ麺なんて……』」

「わかった、もうなんでもいいわ」

 ていうか突っこむのもだるい。なんだよミカ・スペシャルって聞いたことも食ったこともねぇぞ。

 こちらの疲弊具合を理解したようで、ミカは無言で作業にとりかかる。

 食器を出す音、なにか袋をあける音、それから電気ケトルに水を入れ、湯をわかす音――?

「え、ほんとにカップ麺?」

「まさかに。すこしは自分の妻を信用なさいよ」

「できるわけないだろ」

 俺のス〇ッチをかってに使っていたくせに。

「ほら、おいしいよー。お茶漬けだよー」

 そう言ってミカがこちらへ運んできたのはたしかに、茶碗に盛られたご飯と緑茶の入っている急須、箸。そして白皿に乗るたい焼きがひとつ。

 それを見てほっとしたのも束の間、目の前に差し出された茶碗の中身に怪訝な気持ちにさせられる。

「なにこれ。具材なしのオンリーご飯で、お茶漬け?」

「違う違う、鯛茶漬け。ほら」

 ミカが指さしたのは、茶碗とはべつに運ばれてきたたい焼きである。

 俺はげんなりしながら、それでも笑ってやった。

「ハハッ、面白いねー」

「おいこら。このミカ様を見くびってもらっちゃあ困るな。これはなにもダジャレで鯛茶漬けとかそういったおためごかしじゃないんだぞ。とくと御覧じろ!」

 そういったミカは、茶碗のなかへたい焼きをでんとのせた。白飯の上にのる泳げたい焼きくん――じゃなくて何してんだお前は。

「いやちょっとほんとに悪ふざけ、っえええ」

「はい完成! これぞ森鴎外も食したはずの饅頭茶漬け。召し上がれ?」

 じょぼじょぼと急須からお茶を注ぎ入れ、たい焼きの皮がふやけてうすい部位から粒あんがはみ出してくる。

 まさかの甘いものと日本食とのコラボレーションに、そして妻の謎の深夜テンションにくらくらした。

「待って。これを本当に食せと……?」

「うん。私も食べたけど、なかなかいけたよ? まあひとつ騙されたと思って」

「お前には騙された記憶しかないなあ」

 言いつつ、俺はそれでも箸をとる。頑張っていい方向に考えたらいけるかもしれない。

 つやと照り光る白米、その上にはみ出しそうな勢いで存在を主張するたい焼きは、香り高い緑茶のスープにひきたち、実は絶妙な和食と和菓子のハルモニーで――。

(だめだ、どう考えても口の中がおえってなる)

 ままよ! と小豆まみれのご飯をひと口かきこみ、俺は違和感に固まる。

「ん……」

(お汁粉?)

 ご飯の味はないに等しいので結果、緑茶と小豆、たい焼きの皮の甘味により和風スイーツっぽくなっているが、これはこれでけっこういけるな。

「おいしいでしょ? アッキーはスイーツ男子だから絶対いけると思ったよー」

「こら。人をかってにスイーツ男子にしない」

「だって、体内の糖度高いんでしょ?」

「血糖値な」

 甘い物はたしかに嫌いではないが、とりすぎるなと医者からも言われているのにこれはなかなか美味いなしかし。

 まくまくと無言で『鯛茶漬け』をかきこめば、疲れた身体にほんのり甘い糖分が染みわたる。

 ミカは向かいの席で頬杖をつきこちらを眺めていたが、やがて深刻な顔で言った。

「アッキー。きみは最近、働きすぎじゃない? ちょっとは休んだ方がいいよ」

「もふもふ(だいじょうぶ)」

「まあ、なんだ。今日はゆっくりお休みよ。私はちょっとあれだ、イカの続きをしないとだけどさ」

「っ、! 一分待て!」

(俺もやる! 明日休みだから!)

 そうしてミカと奪い合うようにゲームで夜を明かした俺は、結局彼女の言っていた「森鴎外も食した饅頭茶漬け」なるものについて聞きそびれてしまった。

 本当にそんなものがあるのかどうか、ミカの適当な嘘だったのかは調べればわかるだろうけど、俺はあえてそのまま蓋をしておく。

 疲れたときには『ミカ・スペシャル』、それで満たされることがわかっただけで十分だ。

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