第26話 ニライとカナイ


「紫苑の家って」

「この上です」

見上げると山の中腹まで石段が続いて嫌な汗が吹き出しそうになる。


大学を後にして紫苑に案内されて紫苑の家に向かっていた。

「この駅って俺が通学に使っている駅だぞ」

「ほ、本当ですか? 私も大学に行く時はいつもこの駅ですよ」

紫苑と同じくらい俺も驚いた。

俺が異世界に飛んだ駅を紫苑も使っていたなんて、でも何で今まで会わなかったのだろう。

紫苑に連れられてきたのは俺の家とは反対側の小高い山の麓だった。

中腹まで石段が続いていて息を切らしながら足を上げる。

石段を登りきると大きな鳥居の向こうに社が見え、鳥居の額束には叶かない神社と書かれていた。

朧げな記憶の中に幼い頃にこの社の前で遊んだ記憶がある。

俺の事なんてお構いなしに紫苑が俺の手をグングン引っ張て歩いき、本殿の脇に建てられいる瓦屋の引き戸を開けた。


「ただいま、お母さん」

「お帰り、早かったね」

家の奥から年配の女の人が出てきた。

この人が記憶を無くした紫苑を助けてくれた人なんだと思った時に、紫苑がお母さんと呼ぶ女の人が驚いたような顔をしている。

多分、大学に行った時と紫苑の服装が違うからだろうと思った。

「あらあら、あんなに小さかったカズ坊がこんなに大きくなって」

「へぇ?」

思っていたのとと違うリアクションで頭の中が真っ白になる。

「仁瀬さんとこの一樹君でしょ」

「あっ、ご無沙汰しています」

「さぁさぁ、遠慮なく上がって頂戴」

フルネームを言われて鮮明に思い出した。

陰陽師の爺に連れられて子どもの頃に何度もここに連れて来られた事があるのを思い出した。

部屋に通されるとおばさんがお茶とお茶菓子を出してくれて、何から切り出せば良いのか迷っていると紫苑が話し始めた。

「あのね、お母さん」

「紫、全部思い出したんだね」

「うん」

紫苑と出会った経緯をおばさんが教えてくれた。

あの駅の近くで不思議な服を着た紫苑が彷徨っていて、見つけた時に紫苑は『紫の』と言い続けていたらしい。

それで紫と書いてユカリと名付けたと話してくれた。

「でも、嬉しいわ一樹君と紫が知り合いで恋仲だったなんて」

「お、お母さん。そんなんじゃ」

「良いの良いの。これで一樹君のおじい様との約束を果たせるのだから。これから一緒に一樹君の家に行くんでしょ」

「う、うん」

おばさんに紫苑との出会いを包み隠さず全て話すと疑う事も無く聞いてくれて信じくれた。

恐らく陰陽師だった爺と長い付き合いだからだろう。


社の前で待っていると紫苑が大きなスポーツバッグを持って来た。

「ねぇ、一樹。一樹はお母さんと知り合いなの?」

「爺さんに小さい頃に叶神社には何度か連れて来られた事があるんだよ。おばさんに会うまで忘れていたけどね」

「そうなんだ。じゃあお母さんと一樹のお爺さんとの約束って何なの?」

「紫苑、神様の思し召しかもしれないからお参りしよう」

紫苑は不思議そうな顔をしているけれど一緒に社に向き合ってくれた。

2礼2拍手1礼でお参りする。

賽銭箱に賽銭を入れ紫苑と一緒に鈴を鳴らす。

2回頭を下げ礼して2回柏手かしわでしてから手を合わせ静かに目を閉じる。

紫苑と出会えた事に感謝してこれからの事を誓う。

気のせいか空の上からコロンコロンと心地よい音が聞こえた気がした。

一礼をして目を開け紫苑を見ると紫苑も俺の方を見ていた。

「紫苑は何を話したんだ」

「え、あの一樹と出会わせてくれてありがとうって。それからこれからも一樹と一緒に入れますようにって。一樹は?」

「ふふ、紫苑は素直だな。俺は内緒だよ」

「ええ、ずるいよ。じゃ、あの約束って何か教えてよ」

約束は何処にでもある酒を飲んだ勢いでの口約束だった。

陰陽師だった爺さんと紫苑の育ての親の叶神社の神主さんは修行を一緒にしたほどの大親友だった。

爺さんには孫が神主さんに子どもが出来たら結婚させようと意気投合したらしい。

そして爺さんには孫の姉貴が生まれ神主さんには息子が生またけれど姉貴に霊力は無く約束の話は無かったことになった。

で、俺が生まれ霊感が強く期待が高まった。

何で爺さんが俺ばかりここに連れて来たのかが今ならわかる。

そして俺といえば陰陽師だの結婚だのと言われるのが嫌で逃げ回っていた。

逃げ回っても陰陽師の修行と称して散々な目には遭ったけれど、それから神社に来ることが無くなった。

あまりにも酷い目に遭ったので神社の事も忘れていたのだろう。

紫苑に言うべきか迷っていると紫苑が口を尖らせた。

「教えてくれなくて良いです。私はずっと一樹の傍を離れませんから」

「まぁ、大学も同じだしな」

紫苑のバックを持って自宅に帰る。


自宅の前まで来ると何だかすごく久しぶりな気がした。

玄関を開けるとボロボロで汚いスニーカーが脱ぎ捨ててあり嫌な予感が走る。

「ただいま」

「お、戻ったか愚弟」

リビングから顔を出したのはお袋ではなく姉貴の美咲だった。

「なんだ、帰ってたのか。たまには連絡ぐらいしろよ」

「なんだとは何だ。それが久しぶりに会った姉に言う言葉か」

自由奔放で自己中心な姉貴の事だ気まぐれで家に帰ってきたのだろう。

姉貴にそのまま返したかったけれどやめた。理由は姉貴に関わるとろくな事がなく痛い目に遭わされるからだ。

「紫苑、あがって」

「でも一樹」

「ああ、あれは姉貴の美咲だよ」

廊下の先の台所に行こうとすると姉貴が腰に手を当てて仁王立ちしていた。

俺の態度が癇に障ったのだろう。

身構えた瞬間に姉貴が上段回し蹴りを放った瞬間に視界が遮られた。

軽い炸裂音が響き、姉貴が廊下に尻餅をついていた。

どうやら紫苑が姉貴の蹴りを左腕で受け姉貴の脚を払ったのだろう。

「たとえ一樹のお姉様でも一樹を傷つける事は私が許しません」

姉貴がポカンと紫苑を見上げているとお袋が帰ってきた。

「ただいま、一樹も美咲も帰っていたのね」

「叶(かない) 紫苑と申します。色々と至らない嫁ですが宜しくお願い致します」

気付くと紫苑が正座をして三つ指をついている。

「俺の嫁ぇぇぇぇぇ?」

思わず疑問符でヲタク言葉を叫んでしまった。


俺の横に紫苑が座り紫苑の前には不機嫌モードの姉貴が腕組みをして座っている。

お袋はキッチンでお茶を入れているみたいだ。

リビングに不穏な空気が漂っていて逃げ出せるものなら今直ぐにでも逃げ出したかった。

そんなリビングにお袋がお茶を運んで来てあり得ない言葉の羅列を発した。

「で、一樹はどうするの?」

「どうするって何をだよ」

「結婚式よ」

「はぁ?」

開いた口が塞がらないと言う言葉を生まれて初めて体験した瞬間だった。

「叶さんって叶神社の娘さんでしょ。なら問題無いじゃない」

「大有りだ。俺と紫苑はまだ大学生だぞ」

「良いじゃないか。学生結婚なんて今時珍しくも無い事だし彼女なら私も仕方がないから認めるわ」

姉貴がそっぽを向きながらそんな事を言っている。

紫苑の事を認めたのは姉貴が負けを認めたという事で冗談じゃない事が良く判る。

するとお袋が畳み掛けてきた。

「美咲の言う通りよ。大学ならここから一緒に行けばいいし卒業まで面倒をみてあげるわよ」

ふっと紫苑が持って来た大きなスポーツバッグが視界に入り話題を逸らそうとした。

「紫苑、あの大きなスポーツバッグって何が入っているんだ?」

「着替えの服とパジャマだよ。お母さんが残りの荷物は後で取に来なさいって」

思わず風呂上がりのパジャマ姿の紫苑を想像してしまう。

乾いていない髪の毛。火照ったピンク色の頬。

鼓動が跳ね上がり深呼吸をしてばれない様に落ち着かせる。

「あと、一樹の家族に会ったらちゃんと挨拶しなさいって」

「もしかしてあの挨拶もおばさんが教えたのか?」

「うん、一樹とずっと一緒に居られるおまじないだって」

おばさんの言葉の端々に思い当たる節が有りすぎて嵌められたような気がする。

でもそれは決して不本意ではなく俺の本意なんだけど納得がいかない。

「ほら、一樹は彼女に言う事が無いのか? 態々パパに言われて日本に戻ってきたのに」

「親父に言われて戻ってきたのか?」

「お前の為に戻ってきたんだ有難く思え」

「俺の為?」

姉貴の言葉がまったく理解できない。

「そうよ、今日一樹がお嫁さんを連れてくるからってパパが電話してきたから今日はご馳走を作ろうと思って買い物に行ってきたのよ」

「親父って何者なんだ?」

「「陰陽師でしょ」」

ただのリーマンだと思っていいた親父が陰陽師だったと初めて知った。

考えてみれば父方の爺さんが俺に陰陽師にしようとしていたのだから親父に教え込まない筈は無い。

そして親父は占術に秀でていて会社でもその力を必要とされ要職に就いて海外出張が多いらしい、親父には陰陽師としての素質が備わっていたのだろう。

怒涛のスピードで色々な事が押し寄せて思考が追い付いていかない。

「紫苑は本当にこんな愚弟で良いのか?」

「本当に良いの? この子は何にも出来ないのよ?」

「私にとって一樹が全てなんです。何度も一樹に救われて」

紫苑が俯くとお袋と姉貴の視線が突き刺さる。

2人の後ろに今まで見た事も無いような黒い物が蠢いている。

嫌だなんて事はあり得ないけれどなし崩し的になるのが嫌だった。

ここで踏ん張らなければ男が廃る。それでもお袋と姉貴のタッグには敵う気がしない。

徐に立ち上がり一発逆転を狙う。

「紫苑、行くぞ」

「何処にいくつもりなんだ」

「俺の部屋に決まってるだろ。紫苑は俺の嫁だ文句があるか」

紫苑のバッグを掴み上げて2階に向かう。

「紫苑ちゃん。一樹の事を宜しくね」

「はい!」

「愚弟にしては及第点だな」

そんな言葉が聞こえてきて紫苑が追いかけてきた。


「ここが一樹の部屋なんだ」

紫苑が俺のベッドに腰掛けて部屋を見回している。

その顔は幸せに満ちてとても嬉しそうだ。ふっと疑問が浮かんだ。

紫苑は人狼と人との間に生まれた鬼子のはずだ。

「紫苑、聞いて良いか」

「何ですか? 一樹になら何でも正直に答えます」

いきなり紫苑がブラウスを脱ごうとして慌ててやめさせる。

こんな現場をお袋か姉貴に見られたらと考えただけでゾッとする。

「紫苑は人狼の力はどうなったんだ」

「あっ、忘れてました」

「そうだよな。記憶が戻ったばかりだもんな」

「はい、確かめてみます。どうですか?」

瞬時に紫苑の頭に耳が現れふさふさの尻尾が生えている。

着ている物は違うけれど初めて出会った時の紫苑がそこにいた。

「何だか初めて出会った時みたいだな」

「はい、また会えて本当に嬉しい」

また紫苑が泣き出した。

するといきなり部屋のドアが開いて姉貴が顔を出した。

「紫苑、私の部屋を……」

「姉貴はノックぐらいしろ」

俺が文句を言うと姉貴の顔がみるみる青ざめていく、姉貴が紫苑の姿を見た事に気付いた時には手遅れだった。

「お母さん! 一樹が紫苑ちゃんに尻尾と付け耳を付けさせて」

鬼畜・腐れ外道・ド変態・下種・人でなし・クズ野郎・ロクデナシ。

罵詈雑言を総動員され姉貴とお袋のコンビネーションプレーで瞬殺された。


気付くと見慣れた天井が見える。

どうやら自分の部屋らしい。

紫苑の姿は無く下から楽しそうな声がしている。

前途多難?順風満帆?

下に降りてキッチンを除くと紫苑がお袋と姉貴と一緒に楽しそうに料理している。

それで良いような気がする。

「良い訳ないだろ」

「美咲の言う通りよ。しゃんとしなさい」

「はいはい。腹減った」

久しぶりに親父は居ないけれど家族がそろってワイワイと食事をする。

俺にとっては大勢で食事をするのは久しぶりじゃないけれど。

「紫苑ちゃんは美咲の部屋を使ってね」

「一樹と一緒じゃ駄目ですか」

「紫苑ちゃんがそういうなら駄目とは言わないけどさ。姉としては心配と言うか」

「俺は飢えてる狼か」

まぁ、狼は紫苑だけどそんな事は俺にとってどうでも良い。

大切なのは傍に紫苑が居るという事。

姉貴とお袋に命令され一番風呂に入る。やっぱり一人で入る風呂がのんびり出来るし落ち着く。

お袋と姉貴に唆されて紫苑が風呂に入ってこない事を祈るばかりだ。


風呂をでて2階に上がり自分の部屋を開けて見てはいけないモノを見た気がして思わずドアを閉めてしまった。

ベッドの脇に布団が敷かれている。

「紫苑は姉貴の部屋だったんじゃないのか?」

「文句があるか?」

「別に、紫苑が望むなら俺はそれで良い。俺にとって紫苑が一番大切だからな」

「絶対に泣かすなよ」

全く気配を感じさせることも無く姉貴が背後に立っていた。

元の世界に戻れば俺の力も元通りなのだろう。

携帯がメールの着信を告げメールを開くと野地からだった。

文句と泣き言が見事に羅列されている。

菜緒先輩に知り合いの女の子を紹介してもらうからとメールを送ると嬉しそうな顔文字が帰ってきた。

しばらくして紫苑がパジャマ姿で部屋に入ってきた。

髪の毛はまだ濡れていて頬が火照っていてピンク色になっている。

見慣れた姿なのに何だか恥ずかしい。

「紫苑はベッドを使ってくれ」

「私は一樹の」

「ベッドを使う事良いね」

「はーい」

紫苑が低音で返答し唇を尖らせて拗ねている。でもこれだけは譲れない。

「今日はいろんな事があって疲れたから寝よう」

「うん」

紫苑が横になったのを確認して電気を消し俺も布団に潜りこんだ。

もの凄く長く濃密な一日だった様な気がする。

アウローラで祭典にでて凄い勲章を貰って元の世界に飛ばされて、紫苑に再会して激流下りの様な一日だった。

「一樹、そっちに行っても良い」

「駄目です」

「一緒に寝てくれたでしょ。それに一緒にお風呂に入ったのに」

「もう寝ろ。おやすみ」

これ以上は俺が耐えられそうにない。


紫苑のあられもない入浴姿が…… 気が付くともう朝だった。

起きると紫苑がいつの間にか横で寝ていた。

「大きなベッドにしてもらうかな」

紫苑を起こして下に降りると朝食の準備が出来ていた。

「おはよう、あれ、姉貴は?」

「アンディーのお墓参りに行ったわよ」

「今度はスイスか」

「あら、紫苑ちゃん。おはよう、よく眠れた」

「はい」

朝飯を3人で食べて部屋に向かい大学に行く準備をする。

紫苑が一緒に行くと言ったけど着替えしか持ってきていなかったので早めに出て紫苑の家に寄ってから大学に向かう事になった。

「紫苑、先に行くぞ」

「待ってよ一樹」

先に玄関を出ると紫苑が慌てて追いかけてくる。

手を差し出すと紫苑が嬉しそうに俺の手を掴んだ。

ここから新しい旅が再び始まる。


        2礼2拍手1礼 (完)

   最後までお付き合いいただき有難うございました。








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2礼2拍1礼 仲村 歩 @ayumu-nakamura

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