第25話 ユカリ


残りの講義を受ける気にもなれず。

かと言って家に帰れば講義の予定をこと細かく知っているお袋にフルボッコにされる自分自身の姿が鮮明に頭に浮かぶ。

仕方なく受けるつもりだった講義が全て終わるまで時間をつぶす事にした。


外に出ると日差しが温かい。

構内をぶらついて中庭で丁度いい場所を見つけ、生垣の様になっている植木の陰で芝生の上に横になった。

優しい風がそよぎ日差しが心地よくウトウトし始めたていた。

しばらくすると遠くからざわめきが聞こえ、また構内でロケでもしていて有名人でも来ているのかと思った。

「何で今日はあんなに早く来たん?」

「別に来たかった訳じゃない。見たんだから仕方がないだろ」

「また見たん?」

「ホームから男が落ちる夢だったんだ」

2人の女の子の会話が夢現な俺の耳に流れ込んでくる。

「うわ、嫌やなそれ。それで今日は早かったんや」

「胸糞悪いだろ」

「その男ぽい言葉使いなんとかならへんのん。彼氏出来へんで」

「良いんだよ。彼氏なんて」

「それとその伸ばし放題の髪の毛やけど何とかした方がええと思うよ」

髪の毛と言う言葉に反応して思わず息を殺した。

何故ならこんな気分の時に髪の毛のカットを頼まれるのが嫌だったから。

「もし男が言い寄って来たらどうするん?」

「その時は中段の蹴りをこう」

女の子の会話がすぐ近くで聞こえると反対から野地が俺を見つけて呼ぶ声が中庭に響いた。

「か、一樹! 仁瀬一樹! 後ろ後ろ!」

俺の気も知らずに無神経に聞こえる野地の声が癇に障り怒りが込み上げてきた。

「いい加減に……」

声を荒げながら上半身を起こすと後頭部に激しい衝撃を感じる。

これと同じ事がそう思った瞬間に俺の意識は昇天した。


「大丈夫か? 一樹」

野地の声と共に額に冷たい物を感じて手をやるとそれは濡らされたバンダナみたいだった。

ゆっくり目を開けると青空と野地の心配そうな顔が見える。

「ゴメンな、一樹にユカリ先輩を見せたかったんだ」

「で、その野地が一押しのユカリ先輩は何処なんだ?」

「ごめんなさい」

聞き覚えのある様な声がして後頭部がモゾモゾと動いた。

まだ夢の中なのか柔らかい物を後頭部に感じる。

「膝枕しているのが一樹の後頭部に蹴りを叩き込んだユカリ先輩だよ」

元の世界に戻ってきても同じ様な事を繰り返している自分にさらに落ち込んだ。

すると一粒の温かい物が俺の顔に落ちた。

「へぇ?」

思わず口から言葉が漏れ。思考が停止した。

長い髪の毛を一纏めにした女の子の顔が見える。

少しだけほっそりとして髪が伸びているけれど見間違えるはずがなく。ましてや後頭部を強打した為に見ている幻覚でもない。

どことなく尾花に似ているショートカットの女の人の顔も見える。

恐らくお喋りしていたもう一人の女の子だろう。

「ユカリ、どうしたん。涙なんか流して。君も大丈夫なん? 平気やったら早く起き上がり」

「えっ? あっ、すいません」

いつまでも膝枕はまずいと思い起き上がりユカリ先輩の顔を見るけれど俺に気づかない。

紫苑かと思ったけれど全くの他人の空似なのか?

ため息を付くとショートカットの女の人が俺の前にしゃがみ込んだ。

「頭、ほんまに大丈夫なん?」

「平気です。俺の体は打たれ強いんで」

「良かった。もしかして君って一年生で美容師の仁瀬君やないん」

「厳密には美容師ではないですけどね。先輩」

「先輩ちゃう、菜緒や。菜っ葉の菜に鼻緒の緒で菜緒。怪我の功名て言うんかな。丁度ええわ。この子は紫と書いてユカリって言うんやけどカットをお願いしたんよ。この子、少し変わっててな……」

彼女の名前を知った瞬間に菜緒先輩の声が消えた。

紫と書いてユカリって……

思わず紫苑の名を口にした瞬間に紫先輩が抱き着いてきて、俺の首に腕を回して泣きじゃくっている。


「紫、どうしたん? まさか記憶を思い出したんちゃう?」

「菜緒先輩、記憶って」

「実は紫って記憶喪失なんや。大学に入る数年前より先の事を何も覚えてへんねん」

菜緒先輩の話では記憶を無くし街で彷徨っていた時に今の両親である夫婦に保護されたらしい。

警察が調べても身元が判らず保護した夫婦に引き取られたと先輩が教えてくれた。

「紫って不思議な子でな。保護された時に着ていた服を見せてもろった事があるんやけど見た事も無い民族衣装みたいでな。それと時々本人が言うには妙にリアルで変な夢を見るらしいねんけど、着もしないのに夢で着ていた服を探し回って買ったりするんや」

「民族衣装に予知夢ですか」

「うん。今日だってホームから落ちる人の夢を見た言うて現実に男の人を助けたらしいねんや。不思議やろ」

菜緒先輩の話を聞いてもしかしてが確信に変わった。

俺の首にしがみ付いて泣きじゃくる紫先輩に声を掛けた。

「紫苑、また会えたね」

「カズキ!」

俺の名前を叫びながら声を上げて泣く紫苑の体を優しく抱きしめる。


一頻り泣いて少ししゃくり上げているけれど落ち着いてきたみたいだ。

「紫苑、髪の毛をカットしようか」

「うん」

近くのベンチに紫苑を座らせてカットをし始める。

「長さはどうする」

「カズキに任せる」

長く伸びた髪の毛をバッサリ切ると冷たく鋭い視線が突き刺さる。

野地が話していた通りどれだけ沢山のファンが居たのか集まったギャラリーの数を見れば良く判る。

周りの視線など一切無視してカットに集中する。

「こんな感じで良いかな?」

手鏡を紫苑に渡すと頬がほんのりピンク色に染まり髪の毛を手で触っている。

「カズキありがとう」

「紫、ミディアムヘアーもよく似合っとうよ」

「菜緒もありがとうね」

紫苑と菜緒先輩が話し始めて俺は道具をバックに仕舞っていると野地が俺の尻を思いっきり叩いた。

「痛いな。なんだよ」

「俺と一樹はダチだよな。ダチなら隠し事は無しだよな。紫先輩とお前の関係って」

「契を交わした仲かな」

「ち、契って……」

野地が油の切れたロボットの様な動きになり電池切れなのか固まった。

するといきなり紫苑が俺の腕を掴んで走り出した。

「菜緒、ゴメン。ちょっと待ってて」

「えっ? 紫! って、行ってもうた」


紫苑に引っ張られて連れて来られたのは大学の中にあるロッカールームだった。

ロッカールームにはシャワー室があるのでシャンプーでもしているのだろう。仕方なく廊下で待つ事にした。

しばらく待っていると名前を呼ばれてロッカールームの入口を見ると綺麗な女の人が立っていた。

白いブラウスにブラウンのミニスカート姿で今時の子らしい黒いニーハイソックスでスカートと同系色のショートブーツを履いている。

そして手にはシャーベットカラーのストールを持っていた。

「へ、変かな」

女の子の顔が紅潮して恥ずかしそうに俯いてしまった。

「し、紫苑なのか?」

「う、うん」

「凄く似合っていて可愛いよ」

「ありがとう」

向こうの世界では民族衣装の様な服しか見た事が無かったので思わず誰なのか判らなかった。

俯いたまま紫苑が手を出し、その手を優しく握る。

「行こうか」

「うん」

時間の流れ的に言えば数時間前に別れ離れになったばかりなのに久しぶりに会った気がする。

それでも確かな絆を感じる。

「カズキ、カズキの名前をもう一度教えて」

「ん? 漢数字の一に樹木の樹で一樹だよ」

「一・樹で一樹!」


菜緒先輩と野地が待っている中庭に向かうために講義棟から出て紫苑と歩いているとどよめきが上がった。

「誰だあの美人は」

「あれって一年の仁瀬じゃねえの、あのカットマンの」

「そうじゃねぇよ。隣のモデルみたいな人だ」

「あんな綺麗な人この大学に居たか?」

俺もそれなりにこの大学では知られているらしい。

頼まれてもカットとセットしかしない理由は美容師の資格を持って居ないからだ。

だからってカットマン……か?

「ゆ、紫だよね。イメチェン?」

「うん、一樹に切ってもらったの」

「本当に紫なの……」

ベリーショートの女の人が声を掛けてきて紫苑の姿をまじまじと見ている。

そして紫苑が恥ずかしそうに顔を赤らめると『紫が壊された!』と叫びながら走り去った。

「紫苑もしかして、あの人って」

「女子空手部の主将だよ」

「あっそ」

平穏無事だった大学生活が崩壊していく。

打たれ強い体で良かったとお袋と姉貴に改めて感謝した。


中庭が見えてくると遠巻きに俺と紫苑を見て何かを話している奴等や、研究棟や管理棟から体を乗り出しているギャラリーが倍増していた。

「菜緒、待たせてゴメンね」

「紫なん。どこのモデルさんかと思ったやん」

「えへへ、ありがとう」

「それにメチャメチャ女の子やし」

菜緒先輩が両手で紫苑の手を握り嬉しそうに飛び跳ねている。

すると野地が俺の肩を掴んだ。

「一樹、ちゃんと説明しろ」

「実は異世界に飛ばされて紫苑と出会って一緒に旅をしてきたんだ」

「はぁ? 一樹まで訳の分からない事言いやがって。紫苑って誰の事だよ」

「紫苑は紫先輩の本当の名前だよ」

半信半疑の野地が俺を凝視している。

俺には目に見えないモノが見える事を知っていて、親友である啓太の不思議な体験も信じている野地ならではなのだろう。

「紫が紫苑ってどういう意味なん? もしかして記憶が」

「うん、全部思い出したよ。私の本当の名前は一樹が教えてくれた紫苑って言うの。それで一樹は私の一番大切な人なの」

「そっか、良かったやん。紫じゃなくて紫苑か素敵な名前やね」

菜緒先輩がどれだけ紫苑の事を大切にしているかが良く判る。

だからこその素っ気ないけれど温かい言葉なのだろう。

「啓太にはシフォン。一樹には紫苑って……」

「野地、大丈夫か?」

「誰の所為だと思っているんだよ、この野郎。俺だけ仲間はずれかよ」

いきなり俺の首を締め上げながら野地が怒っている。

そして周りで俺達の事を窺っているギャラリー達は強行突入態勢で殺気を押し殺しタイミングを見計らっている。

突入されて確保されれば一溜りも無いだろう。

「菜緒先輩、これから紫苑を連れて記憶が戻ったことを紫先輩のご両親に報告してきます」

「紫苑の事お願いな、一樹君。また明日な」

紫苑が菜緒先輩に手を振っている。

長居は無用、チャンスはもう逃さない。

「野地に頼みがあるんだ」

「しょうがねぇなぁ。貸だぞ」

「じゃ、頼んだぞ」

「ああ、どんと来い!」

野地がドヤ顔で胸を叩いた。

「紫先輩の詳しい事は経済学部一年の野地に聞いてください!」

「はぁ?」

「野地! 走れ!」

俺が声を張り上げると野地が唖然としている。

間一髪入れずに野地の背中を押すと慌てふためいて走り出した。

ギャラリー達が右往左往している。

それを確認してゆっくり紫苑の手を引いて野地とは逆の方にゆっくり歩きだす。

すると一斉にギャラリーが野地の事を追いかけ始め、後ろから野地の叫び声が聞こえ心の中で手を合わす。

『ご愁傷様』

後から菜緒先輩に頼んで女の子を紹介してもらうからな。






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