第9話 古(いにしえ)


ネーヴェ・アルトゥラと言うのがこの山脈の名前らしい。

山頂が平らにしか見えないテーブルマウンテンの様な山が連なっている。

そして山頂部は雪に覆われているのか真っ白だった。

完全防備姿で荷車を引いて登り始めると高度が上がるにつれて涼しさから寒さに変わっていき雪が舞い始めた。

思う事はただ一つ。こんな所でビバークは絶対に御免蒙りたいと切に願う。

山頂に着くころには周りは白一色に染まっていた。

唯一の救いは紫苑の目が効き、道を外れる事がない事と山頂が丁度カルデラの様に窪地になっていて風が穏やかだと言う事だった。

それにしても不思議な世界だった。

真っ白い道の両側にはキラキラとした氷の結晶の様な物が揺れている。

それはまるで野一面に咲く花畑の様に見えた。

「カズキ。カズキ。何処にいる?」

「俺はここに居るぞ」

雪まみれになって見えないと言う事は無いだろう。

それにしても前が見づらいし何より温かい気がする。

良く見ると目の前で紫苑とカヤにサヤまでもがキョロキョロとしている。

俺が本当に見えないのかそれとも何かに惑わされているのか。

緊張が高まるが尾花の姿が見えなかった。

「尾花は何処だ?」

「私はここニャン」

俺の上着がもぞもぞと動いたかと思うと首元から猫又姿の尾花が顔を出した。

すると俺の体から何かが舞い上がった。

それは綿毛の様に白くってフワフワしていて、ソフトボール位のケサランパセランと言った方が判りやすいかもしれない。

「わぁ、雪虫だ」

「雪虫?」

「うん、本当に虫か判らないけどね」

「判らないんだ」

カヤが嬉しそうに説明しているが何で俺がその雪虫まみれにならなければいけないのだろう。

「尾花さん。自分の足で歩いてくださいね」

「いや、猫やから寒いの苦手やねん」

「それでも旅は道連れと言いますが、ずるはいけないと」

「カズキが凍えてもええのんか?」

「それは嫌ですけど……」

紫苑がブツブツ言いながら語尾がフェードアウトしていく。

確かに温かいが俺よりもカヤとサヤが心配で胸元から尾花(猫又)を引っ張り出した。

「この鬼! 鬼畜! めちゃ寒いやんけ!」

「カヤとサヤでもその尻尾で温めてやれ」

「しゃないのカズキがそう言うんやったら」

尾花が人型になって両脇にカヤとサヤを抱くようにして温めあっている。

すると飛んで行ったはずの雪虫が磁石に吸い付けられる砂鉄の様に俺に纏わりついて来た。

力任せに振りほどけば良いのだが力弱きモノにそうする事を躊躇った。


「あら、珍しい。原始的な方のご一行かしら」

声がした方を見ると女の人の姿が何となく見える。

白いドレスの様な物の上に白いファーの様な毛皮を着ている。

そして肌は透き通る様に白く長い髪の毛もグレーぽいが白に近かった。

「だ、誰だ」

俺が襲われたばかりで紫苑と尾花に緊張が走る。

「私はこの山に住む待雪と言う物です。決して怪しい物ではありません」

「カモフラージュしているつもりなんか?」

「確かにコントラストが低いですが仕方がないじゃないですか。白は高貴で無垢な色ですよ」

雪虫達が嬉しそうにフワフワと彼女の周りを飛んでいて敵意は全く無いようだが用心にこした事は無い。

それに紫苑や尾花にはあまり見えていない様にしか感じない。

視線が泳いでいて紫苑に至っては鼻を鳴らして匂いで見つけようとしている。

「これから山越えは危険ですよ。山向こうは荒れますから」

「しかしこの雪の中じゃ」

「うちにいらっしゃいな。旅の方なんて珍しいですし」

「カズキが決め」

紫苑と尾花がどうするか迷い俺に振ってきた。

ここに住んでいる人が荒れると言うのだから本当の事なのだろう。

地元の人が言う事を聞かずに行動する爺によって散々危険な目に遭わされた俺はいく分従順になっているのか。

素直と言って欲しい。

「馬鹿正直は馬鹿を見るがな」

「優し過ぎると痛い目に遭います」

辛辣な言葉が帰って来るが俺は待雪さんに付いていく選択肢しか持ち合わせていなかった。


しばらく歩くと山の斜面にドアの様な物が見える。

中に案内されると北海道の様に玄関フードらしきものがありドアが2重になっていた。

部屋の中は温かく広いスペースの奥には暖炉の様な物があり火が焚かれている。

そして2人の可愛らしい女の子が暖炉の近くに居た。

白いフード付のコートの様な物を着ていて肌は待雪さんと同じく透き通る様に白い。

「娘の六花と風花です」

「俺はカズキ。で、紫苑と尾花。それにカヤとサヤだ。宜しくね」

ペコリと2人そろって無言でお辞儀をしてくれた。

どうやら突然の客人に照れているようだ。

「それとカヤとサヤに俺は一応人外じゃないから」

「あら、私達も一応人外ではありません。まぁ、こんな場所に住んでいるので雪女だのなんだの言われますが人を襲ったりしませんから。でも、そちらの御嬢さんは人ではないと思いましたが、カズキさんが人だったとは意外です。雪虫があんなに懐いていたのに」

「俺は一応ですよ。紫苑に言わせると定義的に人外らしいですけどね」

「やっぱり」

なんだかピンとこないけど流してしまおうか悩むところだ。

待雪さんは何かを感じているのが言葉の端々から良く判る。

原始的なって?

雪虫が懐くって?

部屋の中は程よい感じで心地良い寒くもなく熱くもなく過ごしやすいと言うか眠気を誘う。

カヤとサヤに至っては暖炉のそばで丸くなって寝てしまった。

俺は紫苑にこの世界の事を聞いてみた。

「なぁ、紫苑。この世界の歴史って知っている?」

「もちろんです。私は勤勉家ですから。と言うより幼い頃は勉強しかする事がなかったですから」

「そうなんだ。少し教えてくれる」

「ええ、良いですよ。カズキが判るくらいに細かく重湯の様に噛み砕いて教えて差し上げます」

重湯って米粒すらないから余計に判りづらいかも。

紫苑の話ではこの世界は龍が作り上げたと言う伝説があると言う事だった。

龍がこの世界を作り。

いつしか龍は神の様に崇められて人外と人とが混在して暮らすようになったと言う事だ。

何度も人と人外との間で争いはあったが今は天帝が国々を纏め上げていると教えてくれた。

それでも地方自治が進みそれの最たるものが宿場町だと言う事だった。

龍ね、確かに無駄に叩き込まれた陰陽師の中にも龍は登場した。

どの世界でも天に君臨するのは龍と言う事なのだろうか。

それと頭の片隅に爺が龍に関して何か教えていたような気がするが陰陽道の事と俺が混同しているのかもしれないので軽く流す。

確か祖先が竜神と何とかって言う話だったと思う。


で、気付くと六花ちゃんと風花ちゃんが俺の膝の上に座っていた。

「あらあら、カズキさんはモテモテですね」

「こんなキャラじゃ無かったんですけどね。この世界に飛ばされたからかな」

「えっ、それじゃカズキさんは異人さんなのですか?」

「まぁ、異人と言えばそうなんでしょう」

待雪さんが驚いた様な顔をしているがここには異世界絡みの人や人外が集まっている。

カヤとサヤの父親しかり、紫苑の母親しかりだ。

まぁ、尾花は生粋の変な関西弁を話す人外だろう。

「変とは失礼やな」

「いや、この世界で関西弁なんて変だろ」

「変ちゃうわ!」

「しかし、尾花は着道楽と言うか色んな服を持っているんだな」

そう言うと尾花は『はぁ? 何を言うてんねん』みたいな顔をして俺を見ていた。

すると待雪さんが教えてくれた。

「あらあら、本当にカズキさんは異人さんで人なのですね。人外は人の姿に変化しているのですから着ている物も基本は自由自在ですよね」

「そうや、人に変化する為に服を持ち歩かんといかんやんか。そんなん難儀やろ」

言われれば納得だった。確かに紫苑の服も薄汚れていたのに急に綺麗になったと言う事はそう言う事なのだろう。

「まぁ、変化や化かすのが私の力やからな」

「時間までもか?」

「やり方は色々や。教えたら化かせへんやろ」

俺が口を開こうとすると『人は喰わへんで! あんな不味い物』と釘を刺されてしまった。

何で不味いって知っているんだと思ったが怖いので聞かない事にした。

紫苑は時々俺の事を美味そうに見ているけれど……


しばらくすると待雪さんが夕食でもと言ってくれたので遠慮なくご馳走になる事にする。

カヤが手伝いをしたいと申し出てサヤがあとに続いた。

どうやらカヤは料理好きで色々な地方の料理に興味があるらしい。

「これは糞を出してしまえば生のままでも美味しいですよ」

「生も是非食べてみたいです」

「それは殻のまま揚げて食べるとナッツの様で」

「木の実ですか?」

何だか不穏な会話が聞こえてくるがカヤは頷きながら聞き入っている。

嫌な汗が流れ始めると同時に紫苑と尾花の鼻がクンクンと匂いを嗅ぎだした。

「香ばしい香りやな」

「そうですね」

「堪らないにゃ」

「本当に。よだれが」

確か猫も狼も肉食獣だった…… この時ほど背筋がゾクゾした事は無い。

なんで良い匂い(美味しそうな)がした時だけ息が合うのか不思議だがそれこそ本能と言うやつなのだろう。

しかし、糞を?殻のまま?木の実なのか?嫌な記憶が蘇ってきた。

温暖な何処かの国で爺が地元の人間に聞いたのか何かの幼虫を喰わされた事がある。

土臭いと言うより腐葉土の匂いそのまんまで苦くてただでさえ腹が減っているのに更に体の外に吐き出した感覚までもが脳裏に過る。

「出来たよ」

そう言ってカヤと待雪さんが大きなお皿を持ってきた。

「…………」

カヤが嬉しそうに持ってきた皿にはどう見てもドーナツ氏のフレンチクルーラーにしか見えない。

そして雪待さんが満面の笑顔で差し出した皿には茶色で太い鎌の様な前足を持ち、ミーン ミーンと鳴く夏の風物詩の幼虫その物だった。

確かにどちらも保存食には向いているのだろう。

フレンチクルーラーは寒ければ活動を弱めるし、幼虫に至っては成虫になるのに3~17年に達するのだから。

昆虫食ね…… 確かに世界中(俺が居た)でも貴重なタンパク源としてタガメやら芋虫が食されている。

でもさ、異世界にまで来てそれを食べなければいけないって……

そりゃ元の姿を知らない様にして地の物を食べようって思ったけどこれは見たまんまだし。

そんな事を考えていると周りでは既に食事が始まっていた。

「カズキはどうしたの? あっ、カズキの世界ではこう言うのは食べないとか?」

「いや、食べる地域もあるよ。現に俺が居た日本でもイナゴ・蚕の蛹・蜂の子がメジャーかな」

「それじゃ、はい」

紫苑が嬉しそうに茶色い生物のから揚げもどきを指でつまんで俺に差し出している。

これで俺が拒否すれば後はどうなるのか簡単に想像がつく。

リカバリーするには甚大な労力と努力に誠意が必要になるだろう。

男は愛嬌だ。

笑顔で口を開けるとコロンとしたものが口の中に放り込まれ舌で触ると確かに虫であることが良く判る。

覚悟を決めて一気に奥歯で噛むとサクッと言う触感と共にニュルと中身が出てくる。

味と言えばナッツの様だけどあのカリッとした歯ごたえは無い。

でも不味くは無い美味しいかも。

そしてフレンチクルーラーの方はスナック菓子の様だった。

おじさんがキャラクターになっているカ○ルを大きくして甘くした感じと言えば良いだろうか。

乾燥させて保存しているのだろう。

生だったらと思っただけで背中がゾワゾワしてしまう。

で、俺は宿場で購入した何チャラの干し肉を口にしていた。


「カズキさんはこう言う物は苦手ですか?」

「いや、何だかお菓子みたいで」

「そうですね。実際は小腹が空いた時に食べる時が多いですね。でもこの時期は中々食材の調達も大変ですから」

待雪さんがそんな事を話してくれた。

町に下りる事は無いのだろうかと素朴な疑問が、とりあえず聞いてみた。

「宿場に下りる事は無いんですか?」

「殆ど無いと言うかありません。私達は暑い所が駄目なのです。でも寒い所が好きと言う訳では無く温かい所が好きですよ。矛盾しているかもしれませんがそんな体質とこの容姿ですからね」

「人もそれぞれって言う事ですね」 

「カズキさんはお若いのに色々知っていらっしゃるんですね」

「まぁ、無駄にですけどね」

白人とか黒人とか黄色人種とか差別なんて何処の国にも世界にもあるのだと実感する。

現に紫苑は差別され虐げられてきたのだから。

それと旦那さんは狩に出たままだと教えてくれた。

何処で何を獲っているのだろう。


食事の後、子ども達がワイワイと遊んでいる。

俺の知っている最近の子どもはもっぱらゲーム機が無いと遊べない。

カヤもサヤも、そして六花と風花は何もなくても楽しそうに遊んでいた。

子どもの頃の俺は爺に連れられて出歩く事が多かったのは爺なりの優しさだったのかもしれない。

見えない物が見えると言う現実をどう表現していいか判らずに仲間外れにされ怖がられ。

何も知らない大人からは気味悪がられたから。

「カズキ、どうしたんですか?」

「ん? 子ども達が微笑ましいなって」

「カズキは子どもが好きなんですね」

「そうだね。俺が子どもの頃はああやって友達と遊ぶ事は無かったからね」

「私と同じですね」

俺の隣には紫苑が反対側には尾花がいる。

そんな尾花は何も言わずに俺達の話を何となく聞いていた。

尾花の事を俺は良く知らないが何となく尾花も俺達の様な感じだったのだろうと思う。

そうでもなければ山賊まがいな事などしないだろう。

それに聞いても教えてくれるかと言えばそれは否だろうから敢えて聞く事はしない。

今言える事は何時からかは知らないがカヤとサヤを育てて来た事には間違いがなく、そんなカヤとサヤは真っ直ぐに育っている。

やって来た事は悪事だが、性根は悪い奴の筈がないと言うのが俺の出した答えだ。

悪戯好きで時々騒ぎを起こすがきちんと反省している様に見えるし、俺が言えば絶対にしないだろう。

それにしてもここは落ち着くと言うか心地良い室温で……

気付かぬ間に眠りに落ちていた。


何処からか寝言が聞こえる。

カヤとサヤも遊び疲れて寝ているようだ。俺の両脇から寝息が聞こえる。

紫苑と尾花が眠っているのだろう。

意識が遠退こうとするのを阻止するかの様に冷たい何かが俺の頬を挟んだ。

微睡みから一気に覚醒すると目の前に綺麗な待雪さんの顔が間近にあった。

あまりにも突然の事で声が出そうになるのを待雪さんは手に力を込めて止める。

待雪さんの顔は真剣そのもので今にも凍りつきそうな瞳で俺を見ていた。

突き刺すような視線に俺の体は氷の様に動かなくなった。

「あなたから古いにしえの匂いがします」

「古の匂い?」

「はい、実は私達も古の一族なのです」

「どうして俺から?」

俺は確かにこの世界の人間ではなく霊感が強く見えざるモノが見えると言うだけで他は何ら普通の人間とは変わらない。

恐らく精密検査を受けても普通の人間とそう大差はない筈だ。

俺が古の一族だなんて言われてもピンとこない。

そんな事などお構いなしに待雪さんは話を続けた。

「雪虫が何よりの証拠です。あの子達は私達以外に決して近寄らない。そんな雪虫があなたに纏わりつくと言う事はあなたが古の一族である証拠でもあるのです」

「そんな事を言われても俺は人となんら変わらないと」

「不思議な力をお持ちなのでしょ。これは先祖からの言い伝えで古の一族が絶えればこの世界は終焉に向かうと言われ私達はこうして生き続けてきたのです」

待雪さん達が古の一族と言う事は判った。

でも……そこで彼女の言葉を思い出した。

『私達も一応人外じゃありません』

人外じゃないのに古の一族と言う事は俺にもその可能性があると?

「あなたには私達と対照的なモノを感じます。これは私の思い違いかもしれませんが伝説的な感じと言っておきましょう。ですから決して無茶をしないで欲しいのです」

「無茶と言っても」

「万が一の時の為にこれを渡しておきます」

「これは?」

それは液体の入っている小さなガラスの小瓶だった。

中身は何とかと言う草から抽出した痺れ薬の様な物らしい。

人外でもこれを呑めば半時は動けなくなり人ならば半日は動けなく代物だと言われた。

そして何か身の危険を感じた時にはこれを使って逃げ出せと命令口調で言われてしまった。

待雪さんは先祖の言葉を頑なに守り信じているようだ。

そんな所からも待雪さんが古の一族だと言う事が信じられると言うか実感する事が出来る。

何が起こるか判らないのが旅でそれこそが旅の醍醐味なのだが、あまりにも真剣で真摯な待雪さんの姿勢に押されて受け取ってしまった。

すると両脇腹に衝撃を感じ息が一瞬止まった。

「あらあら。カズキさんはモテモテですね。私もカズキさんに溶かされてみたいです」

「あうっ!」

再び両脇に衝撃を感じ息が止まる。

左わき腹には紫苑の右足の爪先の様な物が右わき腹には尾花の左足の爪先の様な物が食い込みグリグリと捻り込まれていく。

その度に息が途切れ途切れで口から洩れていく。

「おやすみなさい」

待雪さんが耳元で囁き。

頬に何か柔らかく冷たい物が触れて待雪さんの体が離れた瞬間を見計い俺の腹に強烈な一撃が放たれた。

それはまるで紫苑の左足と尾花の右足が俺の鳩尾辺りに舞い降りた感じと言えば良いだろうか。

この世界に来て2度目の衝撃で俺の意識は見事に昇天した。





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