第7話 人も人外もそれぞれ
休憩を終えてしばらく歩くと次の目的地である宿場町の門が見えてきた。
そしてこの宿場町は国境の町でリクイド公国の領内になるらしい。
「カズキ、宿場町では基本人外の争い事は禁じられている事は知っているやんな」
「へぇ~そうなんだ。俺は人外じゃないし」
「この犬は何も教えてないんやな」
「犬じゃない紫苑だ」
出会いの土地で1人きりで居た紫苑にとっては仕方がないのかもしれない。
いくら勉強したと言っても体験したわけではないので限界はあるのだろう。
紫苑に比べれば自由に生きてきた尾花の方が知っている事や体験をして学んできた事が多いのは当然だ。
尾花の姉さん的な弄りなのだと思っておこう。
「それとリクイドの雨は気を付けや、普通の雨とはちゃうからな。忠告やで」
「了承した」
宿場の入り口に建っている小屋で札を渡してお金を引き出す。
すると大量の小銭が見事に両替されて出てきた一分銀の様な貨幣が数枚と小銭になっている。
紫苑は例の如く胸元の巾着にお金を入れて仕舞い込んだ。
尾花が換金をしようか悩んでいる様だった。
「尾花、無理に換金しなくても」
「犬の世話になるのは絶対に嫌や」
そう言って恐る恐る石版の上に手を置いた。
「ほれ、持って行きな」
「捕まえへんのか? ほんまにそんだけなん?」
小屋の中から差し出されたお金が少ないのかと思えばそうでは無いようだった。
「そこの旦那に感謝しな。従兄弟のクマから連絡があった。触らぬ神に祟りなしだと」
「そうなんや」
急に大人しくなった尾花の顔を覗き込むと気まずそうに瞳を逸らした。
まぁ、話したい時が来れば話してくれるのだろう。
問い詰めたところでどうにでもなる訳でもないし尾花自身の事なのだろう。
それと不思議な事がもう一つある。
どうやら俺の知らない通信網がこの世界にはあるらしい。飛脚かはたまた伝書鳩的な、もしかして高次元の……
どういう仕組みなのか全く理解できない換金する石版を体験すればそれも妙にリアリティーがある。
そして宿場町を見ると石造りの町が広がっていた。
フォリア王国の宿場町は江戸時代風だったがここは中世の街並みと言うより、何処か陽気な地中海の石造りの町と言った感じだろうか。
乳白色と言うより蜂蜜色の石造りの町は温かさを感じ。
心なしか空も青く澄んで……ん?
「なぁ、あれって何なんだ?」
「カズキ。あれはアーラと言う動物です」
「アーラね……」
どう見ても魚にしか見えない物が空を飛んでいると言うか鯉のぼりの様に泳いでいる。
自分の中の常識と言うものが崩壊する音が聞こえた。
そして尾花のリクイドの雨に気を付けろという意味が分かるような気がする、あんな魚みたいなものが飛んでいるのだ特殊な大気なのかもしれない。
番屋の男に聞いた安い宿に向かう。
宿場の真ん中にある共同浴場の近くに言われたとおりの宿があった。
小さな看板が掛っていて玄関の入ると営業スマイルの男が出迎えてくれた。
「部屋は空いているかな」
「はい、ございますよ。大勢様ですから大部屋が宜しいでしようか。それとも二部屋に」
「「大部屋で」」
俺が聞いているのに紫苑と尾花がお互いにそっぽを向きながら答えた。
まぁ、大部屋の方が何かと問題が起きなくて楽だろう。部屋分けする時に大騒ぎになりそうだから。
案内された部屋は通りに面していて床は板張りになっていて一段高くなっている床の上に布団らしき物が用意されていた。
それ以外には小さなテーブルと椅子があるだけの簡素な部屋だった。
因みに荷車は門番が責任を持って預かると言うので必要な荷物だけを持って宿にやってきた。
「それじゃ、食事と風呂とどちらを先にする?」
「「お風呂!」」
カヤとサヤが声を合わせて手を上げている。
まだ日が傾きかけて来たばかりで帳が下りるまで時間があるけど、旅慣れないカヤとサヤの事を考えて早めに体を休める事にしよう。
お風呂と聞いて心なしか尾花の顔が浮かない気がする。
それと1つ気になる事がこの宿場町には温泉街特有の匂いがする気がしてならない。
鉱泉臭とも言うべきか硫黄の臭さじゃなく心地良い懐かしい匂いだ。
共同浴場ではタオルを渡してくれた。
脱衣場のような場所は無く浴場の隅に荷物を置いておく所が数か所用意されている。
カヤとサヤは真っ裸になると走って行ってしまった。
どこも基本混浴の様で俺は未だに慣れる事が出来ずに洋服を脱ぐと一目散に浴場に出た。
「へぇ、温泉なんだ。それも露天風呂か」
「何処の宿場も温泉ですよ。温泉の湧く所に宿場が設けられていますから」
「へぇ、そうなんだ」
カヤは色々な事を知っているみたいだ。尾花から色々と聞かされて育ってきたのだろう。
それにしても石造りでローマ風呂を彷彿させる様な造りになっていて大きなプールの様な露天風呂は白濁していて気持ち良さそうだ。
掛け湯をしてから湯船に入るとカヤとサヤが飛び込んで湯柱が上がった。
「あんまりはしゃぐなよ」
「「はーい」」
何処の世界でも子どもは元気な生き物らしい、俺達しか風呂に居ないので軽い注意にとどめた。
背後で湯の音がして紫苑がゆっくりと湯に入り俺の方に来た。
「あんまり近づくなよ」
「どうしてですか?」
「こんなに広いんだからのんびりゆっくりだよ」
「そ、そうですよね。えへへ」
しばらくしても尾花が湯船に入ってくる事は無く紫苑に聞いてもそっけない返事だった。
「元々猫ですからね」
「水が苦手なのか?」
入口の方を見ると湯気の向こうで何やら蠢く物が見える。どうやら入るべきか悩んでいるようだ。
思案しても仕方がないのでカヤとサヤに尾花を連れて来るように頼んだ。
俺が連れに行っても良いのだが流石にそれは色々と問題があるだろう。
人外とは言え女性なのだから。
「離すにゃよ。離したら承知しいへんからにゃ」
「離しても溺れる様な深さじゃないぞ」
「そう言う問題じゃにゃい!」
怖がって俺の手を握りしめている尾花を見ていると何だか笑ってしまう。
普段はあんなに強気で凛としているのにまるで子どもの様だ。
それでもしばらくすると気持ちが良くなったのかお湯に慣れたのか静かに湯に浸かっていた。
「カズキ、洗いっこしよう」
「自分で洗いなさい」
「ええ、カズキに髪の毛を洗って貰うと気持ちいいんだよ」
「ガキが」
言わなくて良い尾花の一言でバトルが再燃した。
「ふん、水が怖い子どもにガキ呼ばわりされたくないです」
「乳だけデカく育ったアホガキやんけ」
「あら、ツルぺタの行き遅れが。あっ、ツルぺタだから貰い手が可哀想に」
「にゃにぉ! 可哀想言うにゃ!」
どうやらこの勝負は紫苑の方に分があるようだ。
この隙に体を洗いカヤとサヤの髪の毛を洗ってやる。
この国は温暖な方と言うかこの国が温暖なのだろう。
フォリア王国は秋っぽい気候だったのに露天風呂なのに寒さや涼しさを感じない。
そんな事を考えているとカヤとサヤが俺達の洋服を洗濯してくれていた。
風呂で洗濯と思ったけど周りには大きめの盥の様な物が置かれているから旅人の心と服の洗濯の場なのだろう。
顔を真っ赤にした尾花が通り過ぎて行った。
「尾花、何処に? この後で食事だぞ」
「やかましい! 酒や!」
どうやら紫苑に負けた腹いせに酒でも飲んで憂さ晴らしをするつもりなのだろう。
「飲みすぎるなよ」
一応声だけは掛けておく。尾花の事だから迷子になると言う事は無いだろう。
4人でのんびり空を見上げながら湯に浸かっていると空をアーラとか言う動物が悠々と泳いでいるのが見えた。
「あのアーラって言うのはこの地方の特産らしいです」
「でも、獲る人が居なくなって今では貴重なんだよね」
「あ、あれを食べるんだ」
「今でも高級で貴重なタンパク源なんですよ」
何でもアーラを獲る為の道具が戦争に使われたとかで道具の使用が禁じられてしまい獲る事がままならなくなったと言う事だった。
どんな道具なのかと思えば弓矢の様な物だったらしい。
道具なんて使う側によって凶器にもなれば便利な道具にでもなると言う事なのだろう。
風呂を後にして食事に向かう。
何処の店も道端までテーブルがはみ出ていて見た目はオープンカフェの洋風居酒屋と言った感じになっていた。
メニューに何と書いてあるかは相変わらず判らないままで紫苑に頼りっぱなしだった。
「カズキも少しは文字を覚えたらどうですか?」
「そんな事を言われてもあんな古代文字みたいのは無理だ」
「カヤとサヤだって読めるのに」
「……」
紫苑に言われてカヤとサヤを見ると確かにメニューを見ながら何かを呟いている。
確かにこの世界で文字が読めないと言うのは不便だが会話は出来るのだから困る事は殆どない。
それに文字が読めたとしてもそれがどう言う物なのかまでは理解が出来ないだろう。
洋風の居酒屋兼食事処にて紫苑達が適当に何かを注文している。
何でもリクイド公国の名物らしい。
目の前に並んだ料理は地中海料理と言えばいいのだろうか。
どう見てもシーフード料理にしか見えない。
海老の様な物や蟹の様な物が真っ赤になって盛られている。
そして見た事もない野菜やトマトらしきものも見えて彩はとても鮮やかだ。
ここで一つ疑問が。海の近くなのだろうか?
そもそもこの世界に海なんて言う物が存在するのか?
現にこの国の空には魚らしき物が悠然と泳いでいる。
考えていても答えが出る筈も無くカヤが取り分けてくれた料理を口にする。
思いっきり疑問符が頭の中に浮かぶ。見た目は真っ赤に茹で上げられた甲殻類なのに……
味は正しく鶏肉のそれだった。
こんな具合だから文字が読めたとしても俺には理解できないだろうし理解しようとはせず体験して答えを出すしかないのが現状だった。
黙々と紫苑とカヤとサヤが甲殻鶏肉もどきを食べている。
食べづらく無口になると言う点ではやはり蟹や海老と同類なのだろう。
言っておくが決してまずい訳じゃなくとても美味しい料理だが見た目と味覚のギャップが凄まじい。
で、今食べているのは肉の様な正しく肉なのだが果たしてこれの元の姿はどんな形をしているのだろうと思いカヤに聞いてみた。
「なぁ、カヤ。この食べ物の元の形って知っているのか?」
「はい、知っていますよ。それはアーラに良く似た食べ物ですけどアーラみたいに空を泳ぎません」
今、確かに泳がないと言ったよな、それじゃあれはやっぱり魚なのか?
鈍い頭で思考を巡らせているとカヤが指をさした。
「あれですよ。カズキ」
カヤが指差す方を見てみた。そこには男が抱える様にしている生き物が見える。
緑色をして見た目は甲殻類と言うかずんぐりとした海老っぽい。
足が沢山生えていて頭部らしき場所に赤い目らしきものが多数見える。
昔見たアニメにあんな生き物が出てきた気がする。
腐海に呑み込まれ蟲がうじゃうじゃ出てくる…… 世の中には知らなくて良い事がある事を実感した。
「ご馳走さまでした」
「カズキはもう食べないの?」
「お腹いっぱいです。色んな意味で」
「それじゃ私が」
紫苑が遠慮なく俺の分まで平らげてくれた。
腹八分目が健康に良いと自分に言い聞かせ、明日から原形は考えずに食事をしないと飢え死にしそうな気がする。
宿に帰るとカヤとサヤが何か内緒話をしているが筒抜けだった。
紫苑はお腹が満たされて気持ちよさそうにウトウトしている。
「サヤ、明日は働きに行くよ」
「ええ、どこに?」
「まだ判らないけどこんな時じゃないと尾花に恩返し出来ないでしょ」
「う、うん」
子どもながらに色んな事を考えて生きて来たのだろう。
この世界ではどうか知らないが俺の世界では子どもが働く事が厳しく管理されている。
芸能界の子役などを除けば新聞配達が出来るくらいだろう。
尾花にこの事を伝えればきっとそんな事はさせないに違いない。
でも、それをしてしまえばカヤとサヤの気持ちを踏みにじる事になる。少し俺が様子を見るとしよう。
それにしても尾花が宿に戻って来なかった。
「紫苑。ちょっと出てくる」
「こんな遅くに何処に行くんですか?」
「尾花を探しにだよ」
「帰って来ない奴は放っておけば良いんです」
そんな事を言っても一緒に旅にと言ったのは俺で、旅先で何かあればこのまま旅を続けることが出来なくなる。
宿を出る時に主人が心配そうに声を掛けてくれた。
「たちの悪い輩が出ると聞きます。お気をつけて」
「ありがとう」
そして尾花の言葉が蘇る。
『人外の争い事は禁じられている』
それは人間の俺にとっては都合がよく人外の尾花にとっては不都合な事だ。
万が一トラブルを起こし尾花が人外だと知られれば罰せられてしまう可能性が高い。
宿場町は浴場を中心として作られている。
浴場の周りには食事処や宿屋が多くほとんどの店がこの時間は閉まっていた。
それならば宿場の外れを探すしかない。
「尾花の奴は何処で飲んだくれているんだ」
そんな事を呟きながら探していると何やら男の荒々しい声が聞こえてくる。
嫌な予感がするが体が勝手に声のする方に向かっていた。
「ホンマにアホやな。大の男が寄って集って女を追いかけ回して」
「そのアマが俺達に声を掛けて来たんだ」
「で、逃げられたんやろ。アホが」
「痛い目を見ないと判らない様だな。ガキが」
男の声がする方を見ると尾花の後ろに身形の良い女の人が立っているのが見える。
飲んだ帰りに数人の男に絡まれている女の人を助けようとしたのだろう。
火中の栗を拾うか…… まるで猫が尻尾をバタつかせているように尾花が男の言葉に顔を引き攣らせているのが遠目にでも良く判る。
「ガキやて? これでも年の頃なら二十歳じゃ」
「年増が。行き遅れか?」
火に油を注ぎやがった。焼き栗が爆ぜる前に名を叫んだ。
「尾花!」
「ちぃっ、男が居たのか」
男の視線が俺の方に集まり、近づくと男の1人が先手必勝とばかりに殴り掛かってきた。
あれ? 男の動きがスローモーションの様に見える。
体を捻り軽く往なすと男が前のめりになって転んだ。
「この酔っ払いが。いい加減にしろ」
「貴様に助けてもらう筋合いはない」
「なら勝手に禁を破れば良い。少しはカヤとサヤの事を考えろ」
無性に腹が立ってきた。
カヤとサヤは尾花の事を思い行動しようとしているのに尾花は紫苑との痴話喧嘩に腹を立て、酒を飲んでトラブルに首を突っ込んでいる。
俺の気持ちなどお構いなしに尾花が女の人に囁いた。
「逃げ」
「は、はい」
尾花の言葉を合図に女の人が走り出す。
男がそうはさせないと追いかけようとするが尾花が男の足を払い男はバランスを崩して転びそうになり何とか堪えた。
「このアマ!」
足を払われた男が尾花に殴り掛かってくる。
見かねて尾花の襟首を掴んでジャケットを肩に掛ける様に背中に背負った。
背中同士がくっ付く形になり尾花が手足をばたつかせている。
「ただで帰れると思うなよ」
女を追いかけても無駄だと踏んだのだろう標的が完全に俺達にロックオンしている。
「離せ、カズキ。離さんかい!」
「大人しくしないとカヤとサヤに全部話すからな」
「うっ、それは勘忍してやぁ」
流石にカヤとサヤの名前を出すと大人しくなった。
さってどうやって逃げ出すかが問題だ。基本、荒事は俺の専門外だから。
それでも無駄にお袋や姉に瞬殺され続けて無駄に打たれ強い体になってきた訳ではなさそうだ。
あの格闘馬鹿一族のスピードに慣らされた俺には普通の人間相手のスピードならどうやら遅く感じて見えるらしい。
尾花を背負ったままでも男達の攻撃を難なくかわす事が出来た。
そして一様に男達は片目を押さえている。
どうやら背中の尾花が指で男の目を払ったか何かしたのだろう。
この隙に脱兎のごとく宿に向かって駈け出す。
「待ちやがれ!」
「待てません!」
男達が追いかけてくるが自慢じゃないが逃げ足だけは誰にも負けない。
これも打たれ強い体と同時に身に付いたものだ。
瞬殺されてばかりでは体が持たないので殺気を感じた瞬間に逃避する術を学んだ。
少し遠回りして宿に向かう。
「何で態々トラブルに首を突っ込むんだ」
「身形が良かったからや。恩を売っておけば後々何かあるやろ」
溜息しか出てこない。
身なりが良い=金持ちか…… 打算的と言うかある意味商人的と言えば良いのか。
何とか男達を撒いて宿に駆け込むと紫苑が仁王立ちで湯呑の様な物を突き出した。
「ありがとう。助かった。喉がカラカラだ」
「カズキのばか」
ぼそっとそう言って紫苑は2階に上がってしまった。
「そのな、カズキ」
「寝るぞ」
「う、うん」
何か言いたそうな尾花を遮って2階の部屋に向かう。
部屋に入るとカヤとサヤが寄り添うように寝ていて間を開けて紫苑が寝ている。
尾花がカヤとサヤの隣に潜り込んで、俺は部屋の端で横になった。
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