第4話 饅頭怖い
早朝、清々しい空気の中で俺は女の子の髪の毛をカットしていた。
まるで夢のような…… 夢じゃなく現実だった。
これがとんでもない事になるとは……
余程疲れて爆睡していた所為かいつもより早い時間に目が覚めたと言うより、体に叩き込まれた体内時計は正確に時を告げようとしていた。
が、今朝の目覚めは体に激痛が伴う事もなく気持ちの良い目覚めだった。
宿場内は安全だと言う事を改めて確認して朝の散歩でもと思っていたら、番頭さんに呼び止められ娘の髪をと懇願されてしまった。
それも3姉妹らしい。
着替えやタオルまで貸してくれた番頭と言うかこの宿の主人だった、そんな人に頼まれて断れる訳もなく宿の前でカットをする事にした。
お姉ちゃんと真ん中の子のカットを済ませて今は末っ子の髪をカットしていた。
宿場町の朝は早く商人らしき人や人らしくない人外までこの宿場を後にしていく。
そして俺は木の長椅子とでも言えば良いだろうか、時代劇などで将棋をしている様なあれに座って末っ子の髪をカットしている。
その俺の横には黒い岡持ちの様な箱を持った大工職人の様な恰好をした男が座って俺の手元を凝視していた。
一体どこの誰なんだろう……やりづらい。
まぁ、終わりだから良いけどね。
「はい、終わったよ」
「あいがとう。とーちゃん!」
末っ子が嬉しそうに宿の中に駆け込んでいく。
入れ違いで紫苑が俺を探してではなくお腹が空いて朝飯の話をするために出てきた。
「カズキは、本当に誰にでも優しんだから。その内に大怪我するからね」
「おはよう、紫苑」
「おはよう」
ヘビーローテンションで頬を膨らませている。
どうやら雲行きが怪しかったのは俺が誰にでも優しい所為だったようだ。
「別に誰にでも優しい訳じゃないだろ。昨夜、女の子の髪を切ったのは俺がやってやるって言ったのか?」
「それは言ってないけど、抱き着かれてニヤニヤしたくせに」
「愛想笑いをしただけだよ。抱き着かれたのは不可抗力だし喜んでくれているのに無下にもできないだろう」
「うん」
これ以上は俺が苛めているみたいで耐えられない。
「朝飯でも食いに行くか」
「うん!」
するとそこに番頭もとい宿の主人が飛び出してきた。
「朝の食事をご用意しましたので。まぁ、家族がいつも食べている粗末な物ですが。娘たちの髪を切っていただいたお礼と言っては何ですが」
「じゃ、ご馳走になろうか。紫苑」
「うん」
「あれ? 髪屋さんじゃないかいどうしたんだいこんな朝早くから。ああ、商売敵が現れたんで」
俺の横に座っていた男が慌てて首を振っている。
髪屋って…… 気が付くと髪屋の男も一緒に食卓を囲んでいた。
宿屋の奥さんは気立ての良さそうな働き者で、てきぱきと娘達に指示を飛ばして朝飯の準備をしてくれた。
ご飯とみそ汁の様な物以外は見た事もない物が並んでいたが質素なんて言ったら失礼にあたる。
もしかして今朝は特別なのかもしれないけれど、おそらく数品は追加されていると思えた。
そして髪屋の主人が食事しながら俺に色々と聞いてきた。
なんでも宿場中の話題が新しい髪型でもちきりになっていて、噂の根源を探していたら俺が宿の表で髪を切っているのを見つけたらしい。
一体、何時頃から探していたんだろう。
口で答えられる事は答えるけれど美容師の仕事はそれだけじゃ伝えられない事も多くもどかしかった。
「カズキってば。今日はどうするの?」
「俺に聞かれてもな。次の宿場までどのくらいかかるんだ」
「次の宿場までですと急ぎで半日ですね。丁度国境までですから」
そんな事を宿の主人が教えてくれた。
俺も紫苑も足が遅い訳じゃないから昼頃に出ても間に合うと言う事なのだろう。それなら少しゆっくりしたい。
「少しゆっくりしようか」
「カズキが言うならそれでいいけど」
そう言えばあまり紫苑と話をしていない気がする。
教わる事が多すぎてあまり紫苑の事に付いて話を聞く機会が無くって俺は紫苑の事を殆ど知らない。
それも含めてゆっくりしたいと思っていたのに……
先に食事を終えた一番上の子が表を掃除しに行くと慌てて戻ってきた。
「とーちゃん、表が大変だよ」
娘さんが指さす表の方が妙に騒がしい。
食事をご馳走になった礼をいって、表を覗き込むとバーゲンセールを待つ列が出来上がっていた。
宿の主人が事情を聞きに行ってくれた。
「あの、何か御用でしょうか?」
「あの髪を切る旅人さんが居るんだろ。それに髪屋さんまでここに居るらしいじゃないかい」
「いらっしいますが。あの方は旅人であって髪屋じゃありませんので」
「で、居るんでしょ!」
騒ぎが大きくなりすぎて宿の主人では手に負えない状態になってしまっていた。
静かな朝が台無しで宿の主人にこれ以上迷惑をかける訳にいかない。
紫苑を見ると言わんこっちゃないと言う顔をしてそっぽを向いてしまった。
髪屋の主人に協力してもらって騒ぎを鎮めるしかなさそうだ。
2人で並んで髪を切っていく。
年配の方は興味本位で来ていただけで髪屋さんとお喋りをし始めた。
それでも助かったのは若い子が多いと言う事だ。
まぁ、宿場町なのだからそれなりの年齢の女性は忙しいのかもしれないし髪なんて構っていられないからなのかもしれない。
嬉しそうに俺の前に座っている女の子の髪を切り始める。
1人に対して所要時間20分くらいだろうか。
「はい、終わりだよ」
「ありがとう」
そう言ってお金を差し出されて困ってしまった。
俺はこの世界の貨幣価値を知らないし物価なんて知る由もなく隣にいる髪屋に教えてもらう事にする。
「どのくらい貰っているんですか?」
「ん、ああ、髪代ね。600文かな」
「じゃ、500で」
単に俺が端数と言うより切が良い数字が好きなだけで支払は髪屋の主人にお願いした。
俺はカットに集中する?
隣の髪屋の主人が面白そうなものを持っていた。
円筒形の石にクリップの片割れが付いた様な正しくアイロンその物だった。
何でも炭で温めながら使うらしい、簡単なウエーブや巻なら使えそうなので借りる事にした。
試しに使ってみるとこれが優れものだった。
これで髪型のバリエーションが増やせる天の助けに思えた。
内巻・外はね・縦巻き・ウエーブ、段々俺の方が楽しくなってきてしまった。
時間も忘れてのめり込んでいき、あっという間に感じた。
最後の子がお礼を言って支払いを済ませ嬉しそうに走っていた。
その後は髪屋の主人と道具談義に花が咲き、気が付くとお昼は疾うに過ぎていた。
髪屋の主人がどうしてもハサミを作り直したいと言うので、ヘアーカタログの代わりにカバンに入れていた数冊の雑誌の内の1冊を進呈すると大喜びで店に帰ってしまった。
さて紫苑でも……
1人で宿場町を彷徨う羽目になってしまった。
宿の主人曰く、紫苑は娘達と遊びに行ったとの事だった。
俺はこの世界の字が読めず懐は満腹状態なのに空腹でフラフラしそうだった。
「蕎麦かうどんでも……あっ」
ブツブツと独り言を呟きながら歩いていると見覚えのある女の子が居た。
確か食事処の看板娘だ。
「リンちゃん!」
「ああ、カズキさん。どうしたっす?」
「いや、お昼を食べ損ねてさ」
「じゃ、良い所を教えるす」
連れて行かれたのは俺が望んで止まなかった麺類のお店だった。
不思議な感じの麺類だけど背に腹は代えられずお代わりまでしてしまった。
そしてリンちゃんの友達も数人合流して宿場町を案内して貰える事になった。
「カズキさん、奥さんは一緒じゃないすか?」
「ああ、紫苑は奥さんじゃないよ」
「じゃ、恋人すね」
「恋人でもないかな。出会ったのは昨日だし」
そんな事を言うと彼女達がキャーキャーと声を上げる。
それは俺の世界の女の子となんら変わらない気がした。
丁度、中学生か高校生になったばかりか位の年頃なのだろう多感なお年頃と言うやつか。
「じゃ、シオンさんは恋人じゃないすね」
「うん」
「それじゃ、立候補しちゃうすよ」
「それは駄目だよ。俺は旅人だからね。遠い国に帰らないといけないんだ」
「そうなんすか。その時はシオンさんともお別れすね」
「そうだね」
改めて言われると何だか寂しい気もするけど俺はこの世界の人間ではない。
あるべき物はあるべき所へと帰るべきだと思うし何としても帰らなければならない。
帰る方法を見つけるための旅なのだから。その時が紫苑との別れの時なのは覚悟している。
まぁ、いつ見つかるか判らない旅なのも事実だし、帰り方なんてあるのかさえ判らない。
深く考えてもどうしようもない事なのは確かだ。
今は今を生きるしかなく。それなら楽しんだ方が良いと言うのが俺の考えだった。
「そうだ、何処かに美味しい甘い物とか売っていないかな」
「あるすよ、でも小遣いじゃたまにしか買えないすけど」
案内してくれたのは月餅の様なお饅頭屋さんだった。
色々な餡が詰められていて甘い匂いが漂っている。
値段を聞くと30文と言うから髪代との比較から俺が知りうるケーキ位の値段なのだろうか。
「よし、俺がご馳走しよう」
「本当すか?」
「ほら、好きなのを選んで」
女の子達が嬉しそうにまるでショーケースのケーキを見定める様に選び始めた。
目を細めながら美味しそうに食べている彼女達の姿を見ていると何故だか紫苑の顔が浮かんできた。
店の人に人気のある者を適当に袋に入れてもらった。
基本焼き立てなので甘い香りが袋から立ち上がり虫歯になりそうなくらいだった。
「ちょっと、多かったかな」
「シオンさんにすね。カズキさんは優しいす」
「それじゃ、今夜寄らせてもらうよ」
「待ってるす。約束すよ」
今夜食事に行く事を告げて彼女達と別れ宿に急いだ。
宿が見えてくると2階の窓に腰掛けている紫苑の姿が目に入った。
「し……」
名前を呼ぼうとするとそっぽを向かれてしまった。
盛大にヘソを曲げているのがビシバシと痛いほど伝わってくる。
とりあえず宿に飛び込み階段を駆け上がる前に宿の主人に娘さん達へとお菓子を預ける。
場所代を受け取ってもらえなかったせめてものお礼のつもりだ。
しかし、焼き立てだけあって甘い香りが立ち込めている。
部屋の引き戸を開けると部屋の真ん中にお座りしている犬らしきものが見えた気がして思わず戸を閉めてしまった。
そして、恐る恐る開けると紫苑は窓に座ったまま外を見ている振りをしていた。
「甘い物で機嫌を取るつもりですか。私はそんなに甘い女じゃありません」
「宿場一美味しい焼き菓子らしいけど紫苑がいらないと言うなら」
「いらないとは一言も言ってないじゃないですか。少しなら食べてあげてもいいです」
そう言いながら鼻をひくひくさせているのが可愛らしい。
紫苑の傍まで行きお菓子を一つ取り出して紫苑の顔の前に差し出した。
「あ~ん」
睨まれた……
「パク!」
危うく指まで噛まれる所だった。
「こ、これは何と言うお饅頭ですか?」
「月なんとかって言うお菓子だよ。リンが教えてくれたんだ」
「り、リンってあの食事処の?」
「紫苑は居ないし腹は減るし。俺は字が読めないからね。少し案内して貰っただけだよ」
すると治りかけた機嫌がまた急降下し始めた。
「やっぱりカズキは人の子が良いんですね」
「そうじゃないよ」
「じゃ、どうなんですか? 私はどうせ」
「鬼子だからなんて言ってみろ。今日限りでお別れだからな」
紫苑の言葉に無性に腹が立った。鬼子がどうのなんてどうでも良い事だ。
俺も決まり事その一を守り抜く。
「俺が紫苑を異形の者だからって忌み嫌ったか? 紫苑が鬼子だからって蔑んだか?」
「じゃ、何で私の姿を初めて見た時に驚かなかったですか?」
「俺は……俺は他の人には見えない者が見える事で気味悪がられて避けられて育ってきた。でも、俺にとってはそれが普通の世界なんだ。人と違うから悪なんじゃない。悪さをする奴が悪で、人外も人も関係ない。だから俺は人外だろうと人だろうと分け隔てなく接するつもりだ」
紫苑が何も言わずに俯いてしまった。
『これでお別れ』なんて言い過ぎたと少し反省して沈黙が嫌で席を立った。
「お茶を貰って来る」
下に降りて宿の奥さんにお茶を頼むと大きめの急須みたいな容器に入れてくれた。
盆に湯呑を2つと急須らしき物を載せて部屋に行くと鼻を啜る音が聞こえてきた。
会ったばかりなのに強く言い過ぎたか。
女の子はやっぱり苦手だった。一息ついて部屋の引き戸を開けて中に入る。
「紫苑、あのさ」
「ごめんなさい。カズキが離れて行ってしまいそうで不安で」
「そっか」
窓の傍で膝を抱え込むように床に座り込んでいる紫苑の横に腰を下ろして盆を目の前に置いてお茶を入れる。
不思議な香りのするお茶だけど妙に心が落ち着く気がする。
「俺は紫苑を置いて何処かに行ったりしないよ。だって紫苑の事が好きだからね」
「本当に?」
「嘘なんてつかない。これからも一緒に旅をしていくんだから。ほら、少し冷めちゃったけどお茶と一緒に」
「うん」
紫苑がパクパクと月餅もどきを口に放り込みお茶を流し込んでいる。
すると慌てて胸を叩き始めた。
「慌てないでゆっくり食べろよ」
口にはまだ入っているのかただ頷くだけだった。
しばらくすると右肩に重みを感じて、横を見ると紫苑が満足そうに寝息を立てている。
壁に体を預けて肩に紫苑の温もりを感じながら初めて爺に海外に連れ出された時の事を思いだしていた。
確かあの頃は爺と良く衝突を繰り返していたっけ。
初めての土地で慣れない習慣に戸惑いもどかしくとても不安で。
紫苑も同じだったのだろう。
幼き頃は幽閉されながら色々な世界の事を学び、外の世界はあのゴカイの化け物が巣食うあの地で必死に生きて来たのだろう。
この世界では俺に出来る事なんて殆ど無いのかもしれない。
不確かで中途半端な力ばかりで簡単なお祓い程度なら出来るだろうけど。
それでも目の前にある者は守りたいと思う。
衝突もするだろうそして少しずつ分かり合えれば良いと思う。
それがいつまで続くかは神のみぞ……
「カズキ、起きてください」
「あと少し」
「駄目です。耐えられません」
「あと気分」
「実力行使に出ます」
ペロンと鼻を何かに舐められて背中がゾクゾクして目を覚ました。
どうやら壁にもたれたまま寝てしまっていたらしい。
目の前に紫苑の顔があった。
「紫苑、近いし。何かしただろ」
「お腹が空きすぎてカズキが美味しそうに見えたので晩御飯にしようかと」
「狼の末裔が言うと怖すぎるだろ」
「えへへ、脱いだら凄いんです」
何が凄いのだろう聞いてみたい気もするが怖いので聞かない。
リンとの約束もあるので食事に行く事にした。どうやら紫苑の機嫌は直っているようだ。
俺の手を取ると待ちきれない子どもの様に宿を飛び出した。
食事処もとい居酒屋に行くと常連さん達が挨拶してくれてリンが元気よく出迎えてくれた。
リンとも紫苑は嬉しそうに話をしている。紫苑が何かを言われて顔が真っ赤になっていた。
「今日は遠慮しないで食べていいからね」
「本当に? 『贅沢は敵』は?」
「お腹が空くとイライラするだろう」
「その時にはおやつが側に居るし」
チョットだけ本気で怖い。骨ばって筋だらけで出汁すら出ませんよ。
壮観だった。紫苑の食いっぷりがあまりにも見事で周りの常連さんも唖然としていた。
でも、ここまで豪快に食べられると見ている方が気持ちいい。
「紫苑、この後にお風呂だけど大丈夫なのか? 今日は止めておくか?」
「行きます。カズキに嫌われたくないですから」
「無理しなくても」
「無理じゃありません。このくらい朝飯前です」
いや、晩飯の後だけど紫苑なら朝飯位ならまだ食べられそうな気がしてきた。
俺は色々な物がいっぱいで無理だけど。
少し時間を置いてから風呂に行くといきなり洗いっこしようなんて言い出した。
が、丁重に尚且つ迅速にお断りしておいた。宿に戻り床に就き明りを消し濃厚な2日目が終わっていく。
俺の居なくなった俺が居た世界はどうなっているのだろう。
そもそも統計上では毎日15万人が地球上からいなくなっている。
その内の1人に過ぎないのかもしれない。
俺が居なくても世界は回るか…… そもそも時間の流れがここと同じとは限らないのかな。
そんな事が頭に浮かんでは消える。
「どうしたんですか。そんな真剣な顔をして」
「ん、俺が居なくなった世界ってどうなっているのかなって」
「そうですね。不思議な事ですよね。カズキは何処か他の世界の人なんですよね」
「そうだよって近くない?」
いつの間にか離しておいた布団がくっ付けられて紫苑の顔が俺のすぐ横にあった。
「良いじゃないですか。この方が温かいしカズキの匂いがするし」
「お腹空かない?」
「空きません。それにあれは冗談です。冗談もカズキは通じないですか?」
いや、一応冗談だとは判っているけれどこの世界では一応何が起こるか判らない世界だからね。
「明日は朝飯を食べたらここを立つから早く寝よう」
「おやすみ」
紫苑は素直に自分の布団に戻ってくれた。
直ぐとなりだけど。
改めて凄い状況だと思う。年頃の男女が布団を並べて寝ていると言うか一部屋に泊まっている。
なし崩し的に部屋を借りて昨日は疲れて爆睡してしまったけど。
気になったら気になりだして……ぐぅ。
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