第23話 日比谷公園・冬
リーナに再会させる為に温泉旅行なんて無茶苦茶なこじつけで、スイスとヴァレンシュタイン公国に連れて行かれて2か月が何事も無く過ぎたと言うか過ぎてしまった。
パパは何も変わらずに毎日を過ごしているように見える。
あんなにリーナの前では大見得切ったのに、本当の事を聞きたいけれどそれは何故だか躊躇った。
パパはアメリカでリーナが幼い頃にリーナとリーナの家族を偶然通りかかり助けたの?
どうして世界を放浪していた時にヴァレンシュタイン公国を訪れたの?
そしてそこで本当にパパはリーナと再会したのだろうか。
もしかしたらリーナのママが亡くなったのを知ってリーナを慰める為に訪れたのかもしれない。
それは私の推測でしかない。
真実と本当の気持ちは今もパパの中だけにある。
時間だけが何も変わらず過ぎていく。
今年の東京は寒くなるのが早いとニュースで言っていた。
12月になると連日寒さが身に沁みるようになり。
気の早い雪が都心の高層ビル群のコンクリートジャングルに舞っていた。
「ホワイトクリスマスだね。皇君」
「花さんでもロマンチックな事を言うんですね」
「あら、随分な言い方じゃない?」
僕は液晶から目を離さずにキーボードを叩いていると花さんがキーボードを叩く指を止めて僕の方を見ている。
「今日はクリスマス・イヴなんですね。こんな情報処理課にも均しく訪れるんですね」
「本当に酷い事を言っている自覚はあるの?」
「広報の佐伯さんは午後出勤と言っていたからちょっとデートは厳しいですもんね」
「な、何を言っているのよ」
顔を真っ赤にして花さんが照れている。
伊達にパシリにされて総務部を走り回っている訳でなくそれなりに色々な事が耳に入ってくる。
花さんと佐伯さんの事もそんなうちの一つ。
警視庁の総務にも普通の企業と同じように女子職員が多く噂好きなのも変わらない。
人畜無害だと思われている僕には話しやすいのか絶えず最新情報が聞けて、時には裏でそれが重要な鍵になっていたりするから役得と言えば役得かもしれない。
「皇君にはロマンスは無いの?」
「縁遠いですね。菜々海がケーキとご馳走を用意して待っていてくれますから」
「美咲さんなんてどう?」
「あのですね。空の親友と付き合えと? それに空の親友じゃなくても御免です。あんな腹黒い人なんて」
「皇君程じゃないと思うわよ」
「それにしても年の瀬が迫ってくると下は騒がしくなりますね」
「そうね、雪も降っていることだしね」
あまり突っ込まれるのが嫌で話題を逸らした。
それにしても今日は何だか下が大変な事になっている様な気がしたが、時々年の瀬にはある事なので気にせずにパソコンに集中した。
しばらくすると廊下をヒールで走る音が聞こえてくる。
普段はあり得ない事なので末席つまりドアのすぐ近くに座っている僕と花さんは不思議に思い顔を見合わせた。
「何の騒ぎですかね」
「そうね。でもこの雪の舞い散る中をヒールってある意味ツワモノよね」
「僕はただのお馬鹿さんにしか思えませんよ」
するとヒールの音が大きくなり情報処理課のドアが勢いよく開き美咲が飛び込んできて、ドアをもの凄い勢いで閉めてドアに寄りかかり肩で息をしていた。
「皇君。お馬鹿さんは美咲女史みたいよ」
「あの。美咲さん。何の用ですか?」
「八雲、あれを何とかしなさい!」
「あれですか?」
「そうよ、あれよ。四本足の毛むくじゃらで私を見ると尻尾を振ってくる獣よ」
「そんな獣がこんな場所に居るとは思えませんけれど。白昼夢でも見たんですか?」
「それが現れたのよ。お蔭で上が大変な事になっていて何事かと思って覗いたら追いかけられて」
美咲さんが怯えているのを初めて見た。何が美咲さんを追い詰めているのだろう。
その時、ドアの外で大きな影が動きドアを爪の様な物で引っ掻く音がすると流石に花さんの表情も一変した。
「す、皇君。あれは何なの?」
「僕に聞かれても困ります」
「モズク頭の八雲。業務命令だ。あれを処理してこい!」
騒ぎに堪り兼ねた課長が自分のデスクに隠れるようにし恐怖心を振り払うかの様に怒鳴り飛ばした。
「嫌ですよ。僕の専門外です。怪我でもしたらどうするんですか」
「直帰しろ!」
渋々立ち上がりドアに向かうとクンクンと鼻を鳴らすような音がする。
用心しながらドアノブを捻ると何かが体当たりをしてドアが開き黒い大きな影が飛び込んできた。
「うわぁ!」
机の上に押し倒され顔をベロベロと舐められてしまった。
「八雲! そ、外に放り出せ!」
「無理です!」
「何とかするまで帰って来なくていい。そいつを連れて帰れ!」
「了承。ハーン GO!」
ドサクサに紛れてハーンに指示を出すとハーンが走り出した。
黒い大きな影はニューファンドランド犬のハーンだった。
ハーンが東京にいると言う事から導き出される答えはただ一つで。
ここにハーンが居ると言う事は非常に危険な状態なのかもしれない。
直ぐにハーンを追いかけて下に降りるとそこは冬の嵐が吹き荒れたような惨劇になっていた。
唯一の救いは怪我人が見当たらないと言う事だが当分の間戻らない方がいいかもしれないと思った。
ハーンを追い出すように追いかける僕の事を皆が見ていて視線が痛い。
それでも最優先事項は別の所にある。
正面玄関を飛び出すと目の前に高麗門の外桜田門が見える。
ハーンは右に向かい走っていくとレンガ造りの立派な正式名称・国立国会図書館支部法務図書館に雪が舞っていた。
この先200メートルには日比谷公園が……
案の定、ハーンは日比谷公園に飛び込んでいく。
後を追う様に日比谷公園に駆け込み人気のない草地広場をショートカットすると大噴水が見えてくる。
大噴水の手前でハーンが止まって振り返り僕の姿を確認している。
噴水の周りに人影は殆ど無い。雪が舞い散る寒空に噴水なんて絵面は綺麗だが寒さが数倍になるだけだ。
そんな噴水の縁に座り込んでいる女の子の姿が目に入り、それと同時に女の子をナンパしようとしている2人の若い男の姿が見え締まりのない男の声が聞こえてくる。
クリスマス・イヴにナンパなんて無粋極まりない。
ハーンの目を見て指示を出す。
「GO!」
リーナに向かってハーンが勢いよく走り出し手前の男に体に飛び掛かると男がよろけて水しぶきを上げて噴水の中に転げた。
それを見て驚いて立ち上がったリーナを守る様に、ハーンがもう1人の男を追いかけ回し前足で噴水の中に押し倒した。
雪が降る中をハーンによって寒中水泳させられる羽目に遭った男はガタガタと震えながら水も滴る良い男になって尻尾を巻いて逃げ出した。
見ている方が身震いする。
ゆっくりとリーナに向かって踏み出すと僕に気付いたリーナが慌てて立ち去ろうとした。
「ハーン!」
僕が声を掛けるとハーンは忠実にリーナのクラシカルな茶色いケープコートの裾を甘噛みしてリーナを引き留めクンクンと寂しそうに鳴いている。
「リー……」
声を掛けようとするとリーナの瞳から大粒の涙が溢れだす、ここで取り乱す訳にはいかない大きく息を吸った。
「1人で危ないじゃないですか」
「ハーンと一緒に来たのにハーンが急に居なくなって……」
「どうしてここに?」
「……じゃない」
「ん?」
「八雲が助けてくれた所だからじゃない! 八雲に会いたくて。でも会うのが怖くて。それでも八雲の気持ちが知りたくてパパに無理を言って……」
「僕の願いは聞き入れてくれないんだね」
リーナはしゃくり上げ小さく震えながら首を振った。
「でも、そう言う」
「違う! 違う! 私は自分が信じる道を歩いていきたい。光の中をあなたと一緒に歩いていきたいの。一時の気の迷いじゃない! 来る日も来る日も何度も何度も考えた、でも答えなんて出ないよ! だって八雲の気持ちが見えないんだもん!」
ノックアウト、完全に打ちのめされてしまった。
僕の目の前には普通の女の子が立って泣いている。
1人の女の子が自分のどうしようもない気持ちを真っ直ぐに爆発させている。
こんな皇女様は世界中探しても何処にもいないだろう。
皇女なんて関係ないのかもしれない。
彼女にしてみればそれはただの肩書にしか過ぎない。
主任や係長なんて肩書じゃないかもしれないがそんな事は一足飛びにどうでもいいことだ。
押し殺していた自分の気持ちを素直に声に出そう。
光と影なんて関係ない。
彼女と同じなんら変わらない1人の人間として。
「リーナ、大好きだよ。愛している」
僕が口に出した瞬間に時が止まった。
リーナの表情が固まり。
大噴水の吹き上げる水は宙で静止し音すらしない。
その代わりにリーナの瞳から再び涙が溢れだす。
スーツを掴んでいるリーナの手に力が入り。
リーナの号哭と共に全ての音が戻ってきた。
今の僕にできる事はリーナの冷え切った体を優しく抱きしめる事だけだった。
「ゴメンね、辛い思いをさせてしまって」
首を微かに横に振りリーナが顔を上げてゆっくりと目を閉じた。
あの時の一時の気の迷いなどではなく今は確かなものがあった。
静かに唇を重ねるとリーナが首に手を回す。
優しく抱きしめた腕に力が篭った。
「くちゅん」
風呂場から可愛らしいくしゃみが聞こえてくる。
抱きしめたリーナの体は冷え切っていた。
家に連れて帰ると菜々海は買い物にでも行っているのだろう家にはいなかった。
それもその筈で今はまだお昼前で、キッチンには仕込み中の鍋がコンロの上にありクリスマスの料理を作っている途中なのだろう。
直ぐに風呂のスイッチを入れ。
リーナの護衛役のハーンはリビングのソファーで気持ち良さそうに大きな欠伸をしている。
しばらくするとリーナが出てきた。
湯上りで頬がピンク色になっている。
僕のトレーナーの上だけを着ている、この家は床暖房が完備されていて冬でも何処に居ても寒くない。
何処となくリーナに落ち着きがない、戸惑いが見え隠れしている。
あの時の僕には何も守れず守る力さえ持ち合わせていなかった。
でも、今は違う。『偶然は必然で連鎖を繰り返す、人生なんてそんなもの』空が言っていた言葉を思い出した。
ありがとう、そして、さようなら。
僕は心の中に仕舞い込んだ。
「何も心配はいらないよ。僕の傍に居てね」
「うん」
リーナの少し伸びた前髪を指で払い額に軽く唇を落とした。
すると、ガシャっとスーパーの買い物袋が落ちる音がして玄関を見ると菜々海が立ち尽くしていた。
全身から怒りに満ちたオーラが噴出して、拳に力が入りフルフルと震えている。
「菜々海、お帰り」
「パ、パパの馬鹿!」
瞬時に僕に向い駆け出し上段の蹴りを繰り出す。
何とか片手を上げてガードするけれど菜々海の蹴りは鞭の様にしなり側頭部に衝撃を受ける。
バランスを崩した僕の体に情け容赦なく中段の蹴りが突き刺さり。
何とかこらえて腕を突き出すと待っていましたとばかりに菜々海に腕を掴まれ。
次の瞬間、僕の体は宙に舞い廊下に叩きつけられた。
止めの一発が落ちてくると思うと何か柔らかく良い香りがする物が僕に覆い被さった。
「菜々海、ダメ!」
「ふぇ、リ、リーナ?」
菜々海の体から力が抜けて廊下にしゃがみ込んだ。
「痛たたたた」
「パパ、ゴメン」
「もう少しだけ冷静にね。菜々海の悪い癖だよ、頭より体が動いちゃうのは」
「だって、パパが知らない女の人にキ、キスをしているから」
「それに関してはちゃんと説明するからね」
僕達は今リビングに居る。
リーナは僕の横で近いんじゃないと言うくらいに寄り添うように座り、僕とリーナの前では菜々海が申し訳なさそうに俯いている。
ハーンはラグの上に寝転んでくつろいでいた。
「どうしてリーナがここに居るの」
「それは……」
「私がパパに無理を言ってここまで来たの。だって騎士が主君の傍に居てくれないんだもん、だから主君の私が騎士の傍にいる事にしたの。そうすればいつだって守ってもらえるでしょ」
「でも、リーナは」
「それじゃ、菜々美はどうなの? 八雲の裏の事を知っているんでしょ。普通の女子高生は光の世界なんじゃないの?」
「だけど、リーナは皇女で皇女と言えば継承者の事でしょ」
「パパにはっきり確認した訳じゃないけれど私は第2位継承者だから」
「ええ、それじゃ誰がヴァレンシュタインを継ぐの」
「恐らく称号と元首を継ぐのはライナ ディ ヴァレンシュタインだよ。今は騎士隊長だけどね」
「「ええ!」」
菜々海が驚いて声を上げるけどそれ以上に驚いていたのはリーナだった。
「八雲。ど、どうしてそれを」
「意味が分からなないよ」
「ライナはリーナの双子の弟なんだよね。双子に良くある話だよ。優秀な姉に対して劣等感の塊の様な弟。だから大公はライナを試すような事をしてきたんだ、リーナを継承者にしてね」
「何でパパがそんな事を知っていたの?」
「ライナはリーナの影武者として公の場所に出ていたよね」
「は、はい」
「大公がしてきた事が尽く裏目に出てしまった。リーナの立場をわかる様にと影武者にしたけれどそれはライナのプライドを著しく傷つけた。大公に認めてもらう為に騎士の道を選んだ」
「ライナは幼い頃から体を動かすのが好きで、逆に私は本を読んだりするのが好きだった。母が亡くなってからライナは粗暴になってしまい父も困り果てていたの」
「そんな事があったんだ」
「うん、でも八雲と菜々海が帰ってしまってからライナが変わったの。必死になって世界情勢や経済に色々な国の言葉を勉強し始めたの」
「凄い事じゃんって、まさか……パパが何かしたんじゃ」
菜々海の視線が突き刺さり、リーナも冷ややかな目で僕を見ている。
立ち上がろうとするとリーナが僕の腕に抱きつくようにして僕の動きを止めた。
「さぁ、パパ。お話してもらいましょうか」
「あはは」
乾いた笑い声がリビングにこだまする。
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