第24話 イヴ

 騎士隊に取り囲まれライナに勝負を挑まれたあの日の晩に僕は町にあるバーに来ていた。

 大人しく片隅でワインを嗜んでいると3人の男がドアを勢いよく開けて入ってきた。

 3人の内の1人の男の顔に見覚えがあった、あったと言うより僕に勝負を挑んできたライナだった。

 バッサリと切り捨てた髪の毛はそれなりに整えられ残りの2人が必死にライナのご機嫌をとっている。

 店のマスターの顔にも緊張が伺える。

「晩上好! 好久不見了」(こんばんは、おひさしぶり)

 僕が冗談交じりに中国語で挨拶しながらグラスを翳すとライナと取り巻きの顔が引き攣った。

 それもその筈で一番会いたくなく会ってはいけない男に出会ってしまったのだから。

 彼らは来たばかりで踵を返して出ていく事も出来ず、僕はまだ帰る気が無い。

 周りで酒を飲んでいるのは殆ど男性で体も大きく腕っぷしも強そうだ。

 そんな男達がジョッキを片手に何か話している、おそらく騎士隊が起こした騒動の噂でもしているのだろう。

 僕に周りの視線が集中している、ライナは大公に喧嘩を売った事を咎められたのかもしれない。


「Ich mach dich fertig!」(ボコボコにしてやるよ)*注・すらんぐ

 僕がドイツ語で言うと周りの男達が殺気立った。

「お客さん、店を壊すのは勘弁してくれ」

「それじゃ、これだ」

 テーブルの上に肘をつきアームレスリングの仕草をするとせせら笑いをしながら1人の体の大きな男が僕の前に立った。

 騎士隊の出る幕じゃないと言う事なのだろう、周りから歓声が上がる。

 男の腕は僕の腕の2倍以上太く筋肉隆々としている。

「レディー、ゴー」

 マスターの合図とともに男の腕を捻り倒した。

 どよめきが上がる。それもその筈で男の体は僕よりはるかに大きく腕も太い、そんな男が優男にしか見えない僕に捻り倒されたのだから。

 ライナの取り巻きや腕に自信がある男が勝負を挑んできたが結果は同じ。

 僕のアームレスリングは特殊部隊仕込み、でも僕が最強だった訳じゃない上には上がいる事を知っている。

「俺はサウスポーだが」

「関係ない。流石に右だけじゃ辛いからな」

 ライナが左腕をテーブルに着き僕も左腕を突き出した。

 周りではライナの取り巻きや男連中が固唾を呑んで見守っている。

 マスターの合図でお互いの腕に力が入る。

 流石に騎士隊の隊長を務めるだけの事はある。

 勝負は均衡しライナが口を開いた。

「貴様は、何か国語を話せる?」

「数えた事は無いな。英語・フランス・中国・イタリア・スペイン・ドイツにロシア、世界中で困らない程度にだ」

「くそ、ふざけた奴だ!」

 ライナの腕に血管が浮き出て額には汗が浮き出る。

「井の中の蛙の様なお前に負ける気がしねぇ!」

 じわじわとライナの手の甲がテーブルに向い倒れていく。

 バーの中が歓声に包まれ酒盛りが始まった。

 ジョッキが酌み交わされ、ワインをラッパ飲みし次々に男達が沈んでいく。

「喧嘩を売って負けたんだ支払くらいしろ」

 酩酊しているライナに捨て台詞を吐いて店を後にした。 


「菜々海、これで全部だよ」

「ひ、酷い。パパはまるで悪魔だ。騎士としてのプライドも潰して。男として力でも酒でも負けて。ライナさんが可哀想じゃん」

「それじゃ、手加減して僕が負ければいいの? そんな事をしたら決闘になると思うよ、怪我なんてしたくないし痛いのなんて嫌でしょ」

「まぁ、そうだけど」

「それにこれが大公の目論見だったんじゃないかなぁ」

「ええ? そうなのリーナ。リーナって」

 菜々海がリーナを見るとリーナが困った様な顔をしてモジモジしている。

「うわわわ、マジで!」

「う、うん……多分」

 リーナの話はこんな感じだった。

 どうしても日本に行ってみたいと大公パパに我儘を押し通してリーナは日本に来た。

 でも、時を同じくしてヴァレンシュタインやスイスがテロ組織の資金源を凍結すると発表した。

 そこで大公パパは一計を案じ急遽リーナを国に連れ戻す事を部下に命じる、それと同時に万が一の為に早苗さんに護衛を依頼した。

 大公パパが心配していた通りにリーナは国に帰るのが嫌で髪の毛を切り捨ててまで逃げ回りパパに保護された。

 部下からリーナが大事にしている髪を自ら切り捨てた事を報告され早苗さんとパパに護衛を任せ部下を引き下がらせた。

 しかし、テロ組織の動きが活発化し滞在を切り上げて帰国させるように早苗さんに連絡する。

 そしてリーナが帰国する日に私と早苗さんが拉致されてしまいパパに助けられた。

 どうして早苗さんやパパの事を大公パパが知っていたのかを聞いたら、裏社会では有名な噂になっていて大公パパみたいに国を治めていれば裏の事情に対しても精通していて不思議じゃないって教えてくれた。

「偶然が重なったんだね」

「違うかなぁ。大公の手の上で踊らされていたのが本当かな」

「えぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 私の絶叫が居酒屋『たこ九』に響き渡った。

 あまりのショックに料理を作る気力も失せてクリスマス・イヴだと言うのにリーナとパパの3人で居酒屋に来ていた。

「ど、どう言う事?」

「考えて御覧。アメリカの特殊部隊に居た日本人なんて珍しいし、大公は名前までもは知らなくても僕の顔を知っている。もしかしたらハーンの名前から八雲くらいは知っていたかもしれない。日本好きの人がパトリック・ラフカディオ・ハーンを知らないとは思えないしね。今までのお礼になんて考えていたんじゃないかな」

「でも、リーナの気持ちなんて判らないでしょ」

「それじゃ、日本に行きたいと言ったリーナに縁談の話が持ち上がっていたとしたら」

「ああ、お侍さんの国に行ってみたいって。それじゃリーナの初恋ってまさか」

「そこまでは僕にも判らないけれどね。それに僕の表の経歴なんて調べれば直ぐでしょ」

「で、パパは大公パパの掌で踊らされるふりをしいたんだ」

「どうかな」

 パパは美味しそうにぐい呑みで日本酒をあおった。

 大公パパが本当にそんな事を考えていたのなら凄い事だと思う。

 リーナの命を危険に晒し、ライナだってパパが正面からぶつかれば大怪我じゃすまない。

 獅子は我が子を谷に突き落とすと言うけれど……

「八雲ぉ、菜々海とばかりずるい」

「リーナは飲みすぎだよ」

「いいんらもん。井の中の蛙ってなぁに?」

 パパの言うとおりリーナは既に酔っぱらって呂律が回っていない。

「井戸の中の蛙、大海の大きさを知らず。されど空の深さを知る。井戸の中に居る蛙は周りの広い世界の事は知らないけれど空が何処までも広い事を知っていると言う事だよ」

「うふふ、蛙さんを八雲が外に出してくれたんらね」

 リーナの言葉を聞いて気づいた。

 井戸はヴァレンシュタインそのもので井戸に居たからリーナは初めて出会ったパパの国の事を深く知った。

 ライナはただの井の中の蛙だったんだ。

 これからは広い世界の事を知って立派な大公に成長するだろう。

「生! おかわりぃ!」

「リーナ、ダメだよ。もう終わり」

「やらぁ……」

「仕方がないなぁ」

 リーナがパパの肩に凭れパパに支えながら酔い潰れて眠ってしまった。

 世界中を探してもこんなお姫様はいない。

 私の目の前に居るのは何処にでもいる普通の女の子だ。

「パパは幸せ?」

「馬鹿だな始まったばかりだよ。それに女の子は誰でも誰か1人の為のお姫様なんだよ」

「うん!」


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