第21話 青と雲

 その夜は結局、お城に泊まる事になったの。

 本当にお城の中なんてお伽話の世界みたいだった。

 案内された部屋の中は豪華絢爛とまではいかないけれどそれなりに装飾が施されていてベッドにはお姫様が寝るみたいな天蓋までついていた。

 それでも落ち着いた造りになっていて立派な暖炉なんかがあって一言で言えば素敵って感じかな。

 可奈に見せたら『ロマンチック』なんて言って乙女の瞳になっちゃうんだろうな。

 不思議な事に駅前のホテルに預けたはずの荷物が部屋に運び込まれていて、パパはお風呂に入って直ぐに城下の町にワインを飲みに行っちゃったんだ。

 世話係の人がワインなら直ぐに準備するって言ったのに、こんな所に居たら息が詰まるって。

 本当にパパは名前の通り雲みたいに自由人なんだから。


 1人でベッドに寝転んでゴロゴロしているとドアをノックする音が聞こえた。

「誰?」

「私。リーナだよ。菜々海、入っても良い?」

「リーナ? どうぞ」

 ドアが開いて現れたリーナはライムグリーンのチュニックワンピにジーンズという、東京に居た時とあまり変わらない格好をしていた。

「リーナどうしたの?」

「ハーンを探していたの。見つからなくて」

「あのワンちゃんなら多分パパと一緒だよ。部屋の前でずっと座っていたもん。凄くお利口さんのワンちゃんだね」

「うん。確かにハーンは1度会った事がある人の顔は忘れないけれど、あんなに嬉しそうに私とパパ以外の人にじゃれているのを初めて見たの。ハーンは決して私とパパ以外にはあんな事をする子じゃないの」

「そうだ。リーナに聞いていい? どうしてリーナはそんなに日本語が上手なの? それに日本の事が大好きみたいだし。やっぱり大公の影響なの?」

「違うよ。パパは私達に何かを教えるような事は決してしないもの。自主性を尊重して自分達から動かないと身に付かないって言うのがパパの教育本心で考えなの」

「それじゃ自分から」

「うん。きっかけはハーンとの出会いも一緒だったの。あれはママが亡くなってしばらくしてからかな」

 リーナの顔が初恋の人に出会った時の様に仄かに赤く頬を染めながら話してくれた。


 大好きだったママが死んでしまって凄く悲しくて、お気に入りの城下が見渡せるお花畑に行き時々独りで泣いていたの。

 そんな時にあの人に出会ったの。不思議な感じのする人だった。

 その男の人は日本の映画で見た事があるようなお侍さんの様な恰好をしていた、後から知った事だけどあれは作務衣と言う日本の衣装だったと思う。

「Guten Tagかな? それともBonjourかな」

「Buon giorno!」(こんにちは)

「Ciao!」(やぁ)

 ママの祖国のイタリア語で話すとイタリア語で答えてくれた。

「綺麗な場所だね。隣良いかな?」

「う、うん」

 初対面なのに不思議に怖くなかったの。

 いつもの私なら皇女として初対面の人には常に警戒心を抱くのに、そんな物すら感じさせないくらいにその人は自然に隣に座ったわ。

 次の日、そこに行くと男の人は私より先にそこに座って流れる雲を見ていた。

 そして男の人の横には黒い子犬が居たの。

 それから男の人が気になりだして毎日そこに行ったわ。

 するといつも同じ姿勢で風に吹かれながら空を見上げ雲を見ていた。

「でね、不思議に思って聞いたの、何をしているのって」

 そうしたら世界中を旅して空を見上げ雲を見ているんだって。

 その人は世界中の色んなお話を聞かせてくれた、でも別れは突然やってきた。

「さよならだよ」

「SA・YO・NA・RA?」

「そう僕の国の言葉でArrivederLa!と言う言葉だよ」

「あなたの国は何処なの?」

「日が昇る東の端にある小さな島国さ」

「ワンちゃんも一緒に帰っちゃうの?」

「そうだな、こいつは知らない間に僕に懐いてしまったからね。君がこの子を守ってくれるかな」

「うん! 私が守る。この子のお名前はなんて言うの?」

「ハーンだよ」

「ハーン、これからよろしくね」

 男の人から黒い子犬を渡されると子犬は私の顔を舐めてくれた。

「どうして帰っちゃうの?」

「君と一緒に居て思い出したんだ。僕にも守るべき人がいるって、僕じゃなきゃダメなんだって。ありがとう、小さなお姫様」

「お名前を教えて、あなたのお名前を」

「僕は名なんて無い、ただの雲だよ」

「また会える?」

「生きていればきっとね。それじゃ僕の国・日本のおまじないを教えてあげる」


「あの男の人はそう言いながら私に指切りを教えてくれて、私のおでこにキスをして微笑んでくれた。だけどどうして私の事をお姫様だって知っていたんだろう」

「それで男の人はどうしたの?」

「あの時の光景は今でも焼き付いている。遠くを見つめ愛おしそうな瞳をして爽やかな風の様にお花畑の斜面を駆け下りて去って行ったんだよ。その男の人とハーンのおかげで私は立ち直れたの」

 その時、再び誰かが私達の部屋をノックする音がした。

「はーい」

「八雲君はいるかな?」

 ドアを開けるとラフな格好をしたリーナのパパが立っている。

「大公……」

「八雲君の娘さんの菜々海さんだね。危険な目に遭ったとリーナから話は聞いているよ、リーナの事には感謝している」

「感謝なんてそんなリーナは私の友達です。当たり前の事をしただけですから。それにリーナに出会えて良かったし」

「菜々海、危険な目に遭わせてしまったのにありがとう。私も嬉しい」

「おや、リーナもいるのかな」

「パパ、どうしたの?」

 リーナの声を聞いて大公が部屋の中を覗き込んだ。

「大公。よろしければ中に」

「それじゃ少しだけお邪魔するよ。それと大公なんて気を遣わなくて構わないからね」

「えっ、でも」

 大公が部屋に入ってくるとリーナが直ぐに椅子を準備して大公は腰を掛けた。

「そうだよ、菜々海。私のパパだよ」

「うん、それじゃ……大公パパで」

 大公の名前はジークフリート ディ ヴァレンシュタインって言うんだけどジークフリートさんなんて言いづらいんだもん。

「パパは城下でワインを飲んでいると思う」

「そうか、教えてくれてありがとう」

 大公パパが優しい瞳で軽く頭を下げてくれたから思い切って聞いてみることにした。

「大公パパ、聞いても良いですか? リーナが日本に興味を持ったのはお花畑で日本人の男の人に出会ったのが切っ掛けだったけれど大公パパはどうしてなの」

「お侍さんの話をリーナから聞いたんだね。私が日本に興味を持つ切っ掛けになったのはアメリカで1人の男に出会ったからだよ」

 大公パパがゆっくりと回想する様に話し始め、その顔はリーナと同じようにとても嬉しそうだった。


 あれは妻のアリアとの最後の家族旅行にアメリカへ行った時だった。

 確かカルフォルニアの辺りだったと思う。

 砂漠の真ん中を何処までも真っ直ぐなハイウエーを車で走っていたのだよ。

 2重内陸のヴァレンシュタインとは違い何処までも見渡せて広大でね、すれ違う車さえいない。

 そんな砂漠の真ん中で運悪く賊に襲われ車を取り囲まれてしまったのだ。

 車は防弾仕様になってはいたが車内には幼いリーナがアリアに抱かれながら怯えている。

 極秘の旅行中故に賊に対する対抗手段と言えば拳銃のみでね、助けを呼ぼうにも砂漠の真ん中だ。

 賊の1人が後部座席にいる私に向かって自動小銃を向けながら何かを喚き散らしている。

 テロリストではなくただの物取りだと判って思案をしても答えは出てこない。

 すると自動小銃を私に向けていた男の体が何かに弾かれる様に崩れ落ちたのだよ。

 驚いて窓から恐る恐る覗き込むと男は両足から血を流して体を震わせていた。

 車を取り囲んでいた賊は騒然としある者は当たりを警戒し、ある者は私達の乗る車に向けて引金に指を当てた。

 次の瞬間、車に銃を向けて引金に指を当てた男が吹き飛びハイウエーに転がった。

 後ろからの気配に驚いて後部の窓から見ると1台の軍用車が急接近してきていてね。

 それを見て私は驚いたよ、猛スピードの軍用車のルーフから上半身を出して1人の男がライフルを構えていた。

 軍用車は私達の車のすぐ後ろに止まりライフルを構えていた男が飛び降りてきた。

 その後はあっという間だった。

 数人の賊の体が宙を舞い焼けたアスファルトに叩きつけられた。

 軍用車を見ると5人の屈強そうな軍人が歓声を上げてまるで大リーグの試合でも観戦しているかのようだった。

 賊は撃たれた仲間を放置して慌てて車に飛び乗り逃げ出した。

 すると軍人の1人が車から対物狙撃銃を持ち出して賊を退けた男に渡したんだ。

 男は銃を受けとり、膝をついて構えカウントを始める。

「1、2、3、4……8、9、シュート!」

 すると遥か前方で砂煙が舞い上がる。

 1カウント・100メートルで1キロ先の走り去る車に難なく銃弾を撃ち込んだのだ。

 軍人達はまるで自分の事の様に喜んでハイタッチを交わしていたよ。

 礼を言おうと家族共々車から降りると男はしゃくり上げているリーナの頭を撫でてくれて涙を指でふき取ってくれたよ。

『もう、大丈夫だよ』と言いながらね。

 不思議な男だった、掴み所がなく飄々としていてね。

 礼を言って名前を聞くと英語で聞いたにも拘らず東洋の言葉で笑いながら答えた。

「俺は雲だ」

 するとリーダーらしき男がそれを聞いてこう言った。

「貴様が雲なら俺はさしずめ雲を運ぶ風だな」

 私が改めて礼をしたいのでとリーダーらしき男に所属を聞くと笑いながら答えた。

「13小隊のファントムだ。後始末は州警察に連絡しておく。良い旅を」

 そう言うと男達は皆笑顔でそれぞれの言葉で別れを言って手を振って軍用車に乗り込んで走り去って行った。

 まるで心地よく吹き抜ける風の様に気持ちの良い連中だった。


「帰国後にアメリカの軍に問い合わせをするとそんな小隊は存在しないと言われたよ」

「えっ、それで大公パパはどうしたの?」

「仕方なく私が身分を明かすとこれはトップシークレットだと前置きをして特殊部隊中の特殊部隊で存在しない事になっていると、それ故に個々の情報についても何も教えられないがその男は隊の中でもトップクラスの日本人だと教えてくれた。それから日本と言う国に私が興味を持ち命の恩人が生まれた国が大好きなったのは」

「パパ、私にはそんな記憶が」

「リーナは幼かったし、帰国後しばらくしてアリアの様態が急変したからね、憶えていないのも無理はないのだよ。すまない、アルフォンスが探しているようだ私はこれで失礼するよ」

 そう言いながら大公パパは携帯を取り出しながら部屋を後にした。

 私はリーナと大公パパの話を聞いて今まで穴だらけだったパズルのピースがコトンと填まった気がしてリーナに真っ直ぐ向きなおした。

「リーナ聞いてくれる。大公パパやリーナ達をアメリカで助けたのはパパだと思うの」

「ええ!」

「だってそう仮定すると全ての事が説明付んだもん。私と早苗さんが拉致されてしまった時に早苗さんにパパの過去やママとの事を全て教えてもらったの。パパとママは出会ってから2か月だけで事情があって別れてしまったの。その直後にパパはアメリカに渡ってどんな手を使ったのかは判らないけれど特殊部隊に入隊している。そして特殊部隊でもトップクラスの数少ない隊員だったって」

「でも、私が出会った男の人も八雲なの?」

「実はね。私がパパと出会ったのは私が3歳の頃にママが死んだと聞かされたお葬式の時だったの。私もパパが居るなんて知らなかったし、パパは私が生まれた事すら知らされていなかった。そしてママの葬儀が終わるとパパは突然行方不明になってしまった。すごくショックだった、パパは私の事が嫌いなんだって子ども心に凄く傷ついた」

「菜々海がそんな辛い経験をしていたんだね。でも八雲は何処に?」

「何処で何をしていたのかは判らない。でもパパは帰ってくれた。優しい女の子と出会って私の事を思い出して」

「でも、お互い大変だったんじゃないの?」

「うん、凄くね。私はパパに嫌われていると思い込んでいたしね。ギクシャクしていたけれどある日、夜中に目が覚めておトイレに行こうとしたらパパの部屋からすすり泣く声が聞こえてきたの。部屋を覗くと真っ暗な部屋でパパが泣いていたの、ボロボロになったママの写真を握りしめながら。その時に気付いたの、パパも辛く苦しかったんだって」

「でも……」

 リーナはまだ納得がいかないみたいだった。

 深呼吸をして心を落ち着かせてもう一度だけ頭の中で整理してリーナに話し始めた。

「時系列にそってもう一度だけ言うよ」

「うん」

 リーナも真っ直ぐに私の目を見て答えてくれた。

「ママと早苗さんは本当はね、凄腕のハッカーで手に入れていはいけない情報を入手してしまって逃げている時にパパに出会って匿ってもらった」

「そしてパパとママは2か月だけの短い間だったけれど恋におち愛し合った」

「ママと早苗さんは取引をして保護プログラムで保護をしてもらうべくパパの元を離れたって言うのが建前で本当はパパに迷惑を掛けたくなかったんだと思う。それでも別れがたいパパとママは誰にも告げずに永遠の別れになるかもしれないのに2人の唯一の証として婚姻届を提出していた」

「パパはその後アメリカに渡り特殊部隊に入り、リーナ達家族を偶然助け。パパはリーナと出会った」

「ママが死んでしまって私はパパに出会い、パパはその後行方不明になった」

「パパは世界中を放浪していたんだと思う。そんな時にリーナと再会し私の事を思いハーンをリーナに預けて帰国したの」

「どう、これが一番自然で辻褄が合い全ての事を説明できるでしょ」

「未だに信じられないよ。だって」

 リーナが困惑している。それは仕方がない事なのかもしれない。

「そうこの話は仮説の域を出ないよね。大公パパもリーナも出会った男の人の名前を聞いていないし。パパに確かめた訳じゃない。でもこう仮説を立てると全ての事に説明ができる。リーナがヴァレンシュタインでパパと出会った時にお姫様だって言って事、そしてハーンの名前を知っていてハーンがパパを憶えていた事もね」

「でもどうして」

「パパがリーナをお姫様だと? それは紋章じゃないかなぁ、パパがリーナと東京で遭遇した時に指輪を見て何かに気付いたみたいだったって早苗さんが言っていたから」

「それでも信じられない。何度も八雲と出会い助けられていたなんて」

「それとハーンの名前だけど」

「えっ? ハーンの名前?」

「そう、多分。パトリック・ラフカディオ・ハーンから取ったんだと思う。日本ではラフカディオ・ハーンとして知られている」

「誰なの?」

「西洋と東洋の両方に生きたと言われている人でお伽話やの怪談を書いた人。日本名は小泉八雲だよ」

「え……」

「それに私のママの名前は『空』その男の人が見ていたのも空だったよね」

「うふふ、なんだか不思議な事ばかり。だって私のママの名前のアリアはイタリア語で空気や空って言う意味なの」

 笑い顔とも泣き顔とも取れるリーナの瞳から光るものが落ちた。

 私はリーナの事が大好き、親友だと思っているからこそ言いたい事を言い合いたい。

 リーナが落ち着くのを待って一息ついて口を開いた。

「リーナはパパの事をどう思っているの?」

「好きよ。八雲も菜々海も」

「ああ、じれったいなぁ。娘の私がこんな事を言うのは変だけど単刀直入に言うね。パパと一緒にいたくなの?」

「えっ、そ、そんな事を急に言われても困るよ。確かに八雲は素敵な男性だと思う。でも……私は……」

 モジモジして赤くなったかと思ったリーナは直ぐに悲しげな顔をして俯いてしまった。

 そうだよね、リーナは一国のお姫様だもんね。

 今までも皇女としての立場を弁えて色々な事を我慢し切り捨てて生きて来たのだと思う。

 でも、皇女のリーナとしてではなく親友のリーナに私は伝えたい。

「リーナ、最後に聞いて。何処かの皇子様と結婚してもパパの事を忘れないでね」

「そんなの嫌! 私のママはイタリアの普通の女の子だった。パパがイタリアを訪問中に出会って恋をしたの。私は誰かに決められた結婚なんか絶対にしない。私は私が選んだ人としか結婚したくない。それに……」

 リーナが大きく深呼吸をして私の目をまっ直ぐに見た。

「私は八雲が好き。大好き、できる事ならいつも傍に居たい。でも、八雲の気持ちが判らない。優しくしてくれたのはミッションだったからなんじゃないかって」

「やっとリーナの本当を言ってくれたね。パパはリーナの事が好きなんだと思う。でも立場上そんな事は許されない。だからあんなにイライラしていたんだと思う。でもね、パパは自分から動く事は決してしないと思う。直球で強引に押しかけるくらいの事をしないとパパは首を縦に振らないよ」

「ありがとう。でもこれだけは判って私は皇女なの」

「光と影か……まるでお日様とお月様みたいだよね。照らし照らされているのに決して相まみえないのかなぁ。光と影が一つになった時には凄い宝物が手に入る様な気がするけれど」

 それからお互いに抱き合って少しだけ泣いた。

 凄く簡単な事なのにとてつもなく困難な事で不可能に近いくらい高校生の私には荷が重かった。


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