第20話 ハーン
ミッション終了なんだよね、多分。
まぁ、日本に帰るまでがミッションなんだけどもう問題は起こらない。
建国の儀も滞りなく終わり、記者がした最後の質問に対するリーナの答えには驚いたけれど、パパの中では踏ん切りがついているのかもしれない。
今はパパに何も言わないけれど宿に帰れば質問攻めだからね。
そんな事を考えながら石畳の広場に出ると何故だかヴァレンシュタインの騎士隊に取り囲まれてしまった。
ヴァレンシュタイン公国に軍隊はなく警察と城を守る精鋭の騎士隊があるって、さっき見つけた薄っぺらのガイドブックに書いてあった。
一般の人はお城の中には入れないけれど一部が観光客向けに公開されているらしい。
白いシャツの上に詰襟の様な目の覚めるブルーの燕尾服を着て馬に乗る為にグレーのスリムなパンツに茶色いブーツを履いて腰には剣を帯刀している。
近くにいた来賓の人達は驚きながらも何事かと遠巻きに様子をうかがっている様だ。
するとリーナに良く似た男の人が一歩前に出た。
栗毛色の長い髪を一つに纏め、瞳の色はリーナと同じグリーンだった。
背格好もリーナとそんなに変わらない、この人の方が少し背が高いかな。
「私は騎士隊・隊長のライナ。貴様をこのまま帰す訳にいかない」
「全て終わったんだ、構わないでくれ」
パパはそう言うけれど通してくれそうにない。
少しだけ怖いけれどパパが居るから安心できる、少し怖いのはパパが怪我をしないかが心配なだけ。
「菜々海、後ろに下がっていなさい」
そうパパに言われてパパから少しだけ離れる。
パパが私に気を取られた瞬間にライナが細身の剣をパパの顔をめがけて突き出した。
するとパパの頬が僅かに切れて血が滲みだし瞬時にパパの周りの空気が変わり。
まるで巨大な冷凍庫を開けた様に一気に冷気が噴出した。
「相手をしてやる!」
初めてこんなパパを見た。
冷静さを欠いていると言うか、まるで自分の思い通りにならない子どもがイライラして癇癪を起しているようだ。
もしかして、自分の気持ちに気づいていて……
パパがいきなり靴と靴下を脱いで放り出し裸足になった。
上着とベストも脱ぎ散らかすように放り投げる。
青いパパのネクタイが空に舞うとそれが合図か何かの様に空気が張り詰める。
パパは今まで一度も見たことがない冷たい瞳で半身の構えをしている。
慌ててパパが投げ捨てた洋服や靴をかき集めて後ろに下がろうとして誰かにぶつかってしまった。
「ごめんなさい。ってお姫様!」
「菜々海にそんな呼ばれ方をしたら傷付くよ」
「り、リーナ。ごめん」
私の後ろに立っていたのはティアラを外しただけの青いドレスを着たリーナだった。
「紹介するね。私のパパだよ」
「うわぁ。ヴァレンシュタイン大公?」
「おや、彼の娘さんでも緊張するのかな?」
「もう、私は何処にでもいる普通の女子高生です」
リーナの横には式典の格好のままのリーナのパパのヴァレンシュタイン大公が立っていた。
近くで見るとやっぱり凄く優しそう。優しく無い訳がないよね、リーナを見ていれば良く判る。
「でも、止めないと」
「ライナには良い薬だ」
「に、日本語?」
ヴァレンシュタイン大公が日本語を話しているのに気づいて驚いてしまった。
「大丈夫かな、リーナ」
「八雲の事は菜々海が一番よく知っている筈でしょ」
「でもね。売られた喧嘩を買うパパなんて初めてだし喧嘩をするパパなんて見たの初めてだから」
「そっか、八雲も普通の人なんだよ。完璧な人間なんてつまらないもの」
リーナが後ろから優しく抱きしめてくれる。
凄く良い匂いがして柔らくてとても気分が落ち着く、ママに抱かれた記憶があまりない私にとってこれがママに抱かれている感じなのかなって思った。
もし、もしもだよ。
パパとリーナが結婚したら私のママになるんだよね、どう見ても姉妹にしかみえないけど。
でも、それは夢の様な話なんだろうな。
リーナはプリンセスでパパは裏の世界では名が知れているけれど一般ピープルだもんね。
住む世界が……
だからパパは……
あんな花言葉の青い薔薇を?
私まで落ち込みそうになる。
「我が国の騎士隊も形無しだな。丸腰の男一人に多勢とは貴様らそれでも騎士か!」
大公の言葉にライナの顔が引き攣っている。
すると大公が執事に声を掛けた。
「アルフォンス、彼に太刀を」
「畏まりました。八雲殿こちらを」
「日本の帝から頂いた太刀『一文字』だ。遠慮なく使え」
パパが呆れ顔で執事から刀を受け取り鞘から抜いた。
日本でも見た事の無い様な立派な太刀だった。
大公の言葉を聞きパパは太刀を鞘に納め左手に持ち腰の位置に刀を当て親指で鍔を少しだけ押上げ腰を沈め、右手を柄の部分に添えて何時でも抜刀できる体制で騎士達に向き合っている。
1人の騎士がライナの持っているサーベルより装飾が少ないサーベルでパパに向かってきた。
騎士がサーベルを突き出した瞬間にパパの体が揺らいだ様に見えた。
パパの姿を見失い騎士が剣を横に払う。
次の瞬間、騎士は驚いた様な表情をしてから石畳に崩れ落ちた。
「今の何? まるでパパが消えたみたいだった」
次に向かってきた騎士も同様に石畳に崩れ落ちる。
すると今度は剣を使わずに体術でパパを組み伏せようとする。
騎士の体が宙を舞い石畳に叩きつけられた。
「柔よく剛を制する。合気道だ」
「刀を抜かせる事も出来ないとは力量の差が出たな」
パパは左手で刀を腰に当てたまま一度も抜いていない右手だけで騎士を倒し投げ飛ばしていた。
騎士としてのプライドを傷つけられてライナが苦虫を噛み潰した様な顔になっている。
それでもライナはパパに向かった。
「やはり、その腰の日本の刀はお飾りか?」
するとパパがより深く腰を沈め静かに息を吸い込む。
「菜々海、あの構えは何?」
「あれは抜刀術だよ。でもパパの使う術はすべて裏の物だから何処の流派にも属さない云わば人殺しの為の術なの」
パパが目を瞑り大きく息を吸い深呼吸をしている。
リーナが私を抱きしめている手に力が入った。
そしてパパが目を開いた瞬間。パパはライナではなく広場にある丸い電燈が上に付いている石柱に向い、一気に間合いを詰めて抜刀して刀を振り上げた。
刀を振り下ろしパパが鞘に納めると石柱はまるで藁の束を切ったように斜めに切れて崩れ落ちた。
「勝負ありだな」
ライナは我に返り悔しそうな顔をして左手で束ねた髪を鷲掴みにして右手に持つサーベルを頭の後ろに回して髪の毛を切り取ってしまった。
「ライナ、あなた」
驚きを隠せないリーナを一瞥してライナは城内に歩いて行ってしまう。
「菜々海、帰るぞ。とんだ茶番だ」
「ええ、パパ待ってよ」
パパは天皇から頂いたと言う『一文字』を執事に放り投げて裸足のまま歩き出した。
可哀想に執事は必死な形相で刀をキャッチしてほっと胸を撫で下ろしている。
「ミスター八雲。まだリーナを護衛してくれた礼をしていないのだが」
「無用だ、頂く物は頂いた」
すると後ろから犬の吠える声が聞こえる。
黒い大きな影が宙を駆けパパに飛び掛かりパパをなぎ倒した。
「うわぁ」
真っ黒な毛の長い大きな犬がパパの肩を前足で抑え込みながらパパの顔を舐めまくっている。
パパは必死になって犬の下あごを持ち上げようとするが犬が首を振ってパパの手を掻い潜りパパの顔を舐めまわした。
「止めろって、ハーン。判ったから」
「えっ、どうして名前を……」
私の後ろでリーナが動揺している。それを知ってか大公がパパに声を掛けた。
「その格好で町に帰せば皆に私が笑われる。直に日も暮れよう何も構えぬが城でゆっくりしたらどうだ」
「くそ! 好きにしろ」
パパは流石に観念したみたい。
不機嫌そうに執事に案内されて城内に入っていくパパの後を追いかけ。
ハーンと言う黒い犬は嬉しそうに尻尾を振ってパパの後ろから離れなかった。
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