第19話 ヴァレンシュタイン公国


 翌朝は、そんな楽しい雰囲気はどこかに吹き飛んでしまった様だった。

 目を覚ますと朝だと言うのに駅前が騒がしい。

 泊まっているホテルの2階の窓から見ると駅前が何か大きな事件でも遭ったかのように騒然としている。

 黒っぽいスーツ姿の男性が何人も何かを探して通りかかる人を捕まえては何かを尋問していた。

 そんなスーツ姿より目立つのが馬に乗った綺麗な青いマントを羽織った騎士の格好をした人がいる。

 騎士の腰の辺りからサーベルみたいな剣が見える、あれは間違いなく真剣だと思う。

 一体何があったのだろう、そんな事を考えていると後ろからパパの声がした。

「菜々海、おはよう。着替えて出かけるよ」

「うん、パパ……」

 振り向いた瞬間に鼓動が飛び跳ねる。

 ダークな色合いの三つ揃えのスーツを着て目の覚めるような深いブルーのネクタイを締めていて、胸元にはネクタイと同じ色のチーフが覗いている。

 そして何より驚いたのは普段は鬱陶しく見える髪の毛を後ろに流し、吸い込まれそうな琥珀色の瞳で真っ直ぐに私を見ている。

 その瞳には諦めともとれる決意の色が見える。

 パパが私に差し出したハンガーには高校の制服が掛っていた。

 疑問に感じるけれど聞ける雰囲気じゃなく制服に着替えて青いリボンを胸元に結ぶ。

「パパ、着替えたよ」

「判った、コートはこれを着て」

 それはシンプルな黒いステンカラーのコートでカシミヤか何かだろうか重厚に見えるけれどとても軽く暖かかった。

 パパはコートを羽織らずに腕にかけている。

 そして1階に降りてフロントに荷物を預け花束を受け取っていた、フロントに支払いをしているとフロントのおじさんが何故か驚いた顔をしている。

 パパが笑顔で何かを言うとフロントのおじさんが満面の笑顔になって手を振ってくれた。

 愛おしそうにパパが青い花の花束を見ている。

「パパ、なんの花なの?」

「薔薇だよ」

 パパの言葉に息をのんだ。

 だって青い薔薇なんて聞いた事も見た事も無かった。


 パパと連れだって表に出ると騒然としていた駅前が一瞬だけ静かになり駅前に居た男の人たちの視線が突き刺さり後ずさりしそうになる。

 するとパパが微笑んで左腕を腰に当てると思わずパパの腕にしがみついた。

 パパが懐から白い封筒の招待状の様な物を取り出すと1人の男の人が近づいてきて封筒の中を確認している。

 直ぐに男の人が周りに合図を送ると馬に乗った騎士達が一目散に駆け出した。

 パパと私の前にはクラシックな大きな黒塗りのリムジンが現れ、男の人がドアを開けようとするのを制してパパがドアを開けて私をエスコートしてくれる。

 パパが車に乗り込むと静かに走り出した。


 しばらく走るとライン川だろうか川を越えたところに標識が立っている。

「パパ、何処に行くの?」

「ん? ヴァレンシュタイン公国だよ」

「ヴァレンシュタイン公国? そんな国は聞いた事がないよ」

「小豆島くらいの大きさの小さな国だからね。でも国連加盟の独立国なんだよ」

「そうなんだ」

 窓の外は綺麗な景色が流れている。

 しばらくすると目の前の山の上に写真でしか見た事がない様なお城が見えてきた。

 紅葉している深い森の中から白亜の城が天に向かって建っている。

 鋭い円錐形の屋根は青空より濃い青でとても幻想的だった。

 お城の裾野にある町はとても賑やかでお祭りだろうか朝だと言うのにオープンカフェでは酒盛りが始まっている。

 車は山道をしばらく走り大きな門をくぐると門は閉ざされてしまった。


 執事みたいな人に案内されて今は豪華な装飾が施された部屋に居た。

 何が起きているのか全く理解できない。そしてスイスに来て不思議に感じていた事をパパに聞いてみた。

「パパ、スイスに来たの初めてじゃないよね」

「うん、まぁね」

「曖昧な返事だな、仕事で来たの?」

「仕事じゃないよ、風に吹かれるまま放浪している時にね」

「なんだ、やっぱり来た事があるんだ。やけに詳しいなと思って、チューリッヒのあんな大きな駅でも迷うことが無かったし」

 他にも不思議な事がいくつかあったけれどそれはもういいや。

 いつもよりパパの荷物が多かったのは私の制服やコートを持っていた訳だし。

 スイスに来てからパパは携帯を一度も私の前で見ていない。多分、OFFにしているのだと想像がつく。

 理由なんて簡単、早苗さんを何故だか避けているからかな。

 そんな事をしていると部屋に案内してくれた執事さんがドアをノックして現れた。

「お時間です。こちらへどうぞ」


 執事さんは驚いた事に英語だった。彼の後についてお城の中を移動する。

 しばらくすると華やかな衣装を纏った人で溢れ返っている大ホールに案内された。

 天井からは大きなシャンデリアが何基も釣り下がっていて天窓には色とりどりのステンドグラスがはめ込まれている。

 部屋の大部分は綺麗な大理石で造られていて床は寄木細工の様になっていて磨き上げられている。

 そして天井からは騎士のマントと同じ色の旗が何本も飾られ、旗の真ん中には金糸の刺繍で大きな角を持った山羊の紋章があり金の房で旗の周りが縁どられている。

 部屋の奥まった所には玉座がありその壁にも旗と同じ紋章があった。

 パパが謁見の間だねって独り言の様に言っていた。

 すると、ざわついていた人々が急に静かになった。

 何かが始まるみたいだ。

「パパ、何が始まるの?」

「ヴァレンシュタイン公国の建国の儀だよ。この国では青は正義の象徴なんだ」

「それで、町中がお祭り騒ぎだったんだ」

 そこで新しい疑問が浮かぶ。何でパパがここに招待されたんだろう。

 その疑問は直ぐに判明した。

 祝辞を受けているヴァレンシュタイン大公は濃紺に金糸で縁どられた軍服みたい洋服を着て青いネクタイを締めている。

 威厳があり近寄りがたいけれど優しそうな瞳をしている。歳は50代後半か60代くらいに見える。

「リーナの母上はリーナが幼い頃に亡くなられているんだ」

「り、リーナ?」

 大公の横には妃ではなくアクアマリンの様な色のシンプルなドレスを着て頭にティアラをつけているリーナの姿が目に飛び込んできて。

 驚きのあまりに全身から力が抜けそうになるとパパが支えてくれた。

「リーナはね。皇女つまりプリンセスなんだよ。彼女の名前はリーナ ディ ヴァレンシュタイン。リーナ姫と呼んだ方がいいかな」

「そんな、リーナがお姫様だったなんて」

 建国の儀は式次に従い進んでいく。

 今は大公がドイツ語で何かを喋っているけれど私には理解できない。

 パパが私をここに連れてきた理由はリーナに私の無事な姿を見せる為で、多分だけどリーナがパパを招待したんだと思う。

 だってパパの口調だとパパはリーナが皇女だって知っている風だった。

 でもいつから? まさか……最初から判っていて……

「遠いな、少し前の方にこう」

「う、うん」

 なんだか気後れしてしまう。

 周りは着飾った来賓の人ばかりで女の人はフォーマルなドレスに身を包み煌びやかで、男の人はタキシードや国の民族衣装みたいな服を着ている人もいる。

 そうかあれがあの人たちの国の正装なんだ、だからパパは私に制服を着せたんだ。

 学生の正装は制服だもんね。

 それに着慣れないロングドレスなんて絶対に様にならないし多分躓いてパパに恥をかかせるだけだもん。

 そう思うと何だか背筋が自然に伸びた。


 玉座が良く見える所まで近づくと各国の記者だろうか大公やリーナに話をしているのが見える。

「菜々海、手を振ってごらん」

「うん」

 こんな場所で手を上げて手を振る訳にもいかず肩の辺りで手を振るとリーナが気づいて嬉しそうに微笑んで手を振り返してくれた。

 すると一斉にフラッシュが瞬く。

 まるでミッションが終了したことを報告するようにパパを見るとリーナに向かって真っ直ぐに会釈をしている。

 直ぐにリーナは笑顔に戻ったけれど私は見逃さなかった。

 切なそうに歯を噛み締めた顔を。

 そんなリーナの顔を見ただけで痛いほどリーナの気持ちがわかる。

「菜々海、これをリーナに渡して来て」

「えっ」

 パパが内ポケットから白いハンカチに包まれた物を取り出し青い薔薇の花束と一緒に差し出した。

 ハンカチの中身は直ぐに思い出が沢山詰まっている写真だって気づいた。

「うん、判った」

 パパに笑顔で答え、着飾っている人たちの間をすり抜け玉座に近づくと近くにいた記者が怪訝そうな顔をするけれどそんな事は構わずにリーナに向い声を掛ける。

「リーナ姫、これをどうぞ」

「ありがとう」

 再びフラッシュが瞬く。

 何処かの国の女の子がお姫様に花束とプレゼントを渡したと思ったのだろう。

 ちょっぴり恥ずかしくって直ぐにパパの傍に戻った。

 すると司会役を務めていた側近の人が何かを言っている。

 多分、閉会をしようとしているのだろう。

 すると私にも判る英語が記者席から聞こえてきた。

「最後にひとつだけ。プリンセス、今まで来訪された国で最も印象に残った国は何処ですか?」

「何処の国も魅力的で……」

 質問に対しての受け答えは当たり障りの無い様に前もって準備されているんだと思う。

 他の質問に対してリーナは笑顔で即答していた。

 でも、最後の質問だけは違った。

 間が開き周りがざわめき始める。

 リーナが視線を落としハンカチの中に目をやると凛とした表情になり満面の笑顔で答えた。

「日本です。私は日本での思い出を一生大切にしていきたいと思います」

 英語の質問に対しリーナが日本語で答えた為にどよめきが上がる。

 それを打ち消すように私のすぐ横から拍手が聞こえる。

 すると大きな謁見の間が拍手に包みこまれた。

 側近に促され大公が謁見の間を後にし、リーナも大公に続く。

 リーナの瞳に光っていた涙にパパは気づいたのだろうか?

 パパを見ると大きく息をついて私をエスコートして出口に向かう。振り返ると何もかもが終わったかのように玉座は静まり返っている。

 パパの顔には全てをやり終え安堵したような顔に見えた。

「パパ、聞き忘れたけれど青がこの国の正義の象徴なら青い薔薇の花言葉って何なの?」

「不可能・あり得ない事かな」

 まるでそれはパパとリーナの事を言っている様だった。







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