第14話 花火

 ホテルに戻るとフロントで荷物を渡された。

 美咲かららしい、そして1枚のメモが挟まれている。

『2000(ふたまるまるまる) 着用し浜に待機』

 まるで軍の司令の様だ。

 少し早めにホテルで夕食を済ませ美咲からの荷物を開けて見る。

「うわぁ、浴衣だ」

「凄く綺麗な着物だね」

「リーナ、浴衣って言うんだよ」

「浴衣?」

「うん、着物の一種だけどね。凄く涼しくてお祭りなんかに着るんだよ」

「私はピンクが良いな。リーナにはこっちのブルー系が似合うと思うよ」

 美咲からの荷物の中身は浴衣だった。

 菜々海が選んだのはピンク系の淡い薔薇がちりばめられた浴衣で、リーナに似合うと言ったのは淡い紫の桜がちりばめられている浴衣だった。

「パパには無いの?」

「入っているよ、甚平みたいだね」

 それは紺縞の甚平だった。

 美咲に真綿で首を絞められているような気がしてならない。

「それじゃ、先にパパが着替えて私とリーナの着付けをよろしくね」

「了承」


 バスルームで着替えをして出てくると菜々海とリーナも準備が出来ていた。

 浴衣を羽織って着物の下には着物スリップなるものを着けていた。

 菜々海の浴衣から着付けていく。

 菜々海の着付けをしているとリーナが不思議そうに見ている。

「八雲は何でも出来るんだね」

「一応ね、僕の実家じゃ着物を着る事が多かったし子どもの頃は着付けを手伝わされたから見よう見まねで覚えたんだよ」

「リーナ、日本ではそう言うのを門前の小僧、習わぬ経を読むって言うんだよ」

「菜々海、どういう意味なの」

「パパ」

「うわぁ、何で僕に振るの? 簡単に言うと環境が人に与える影響は大きいと言う意味かな。習ってもいないのに毎日見聞きしていると知らない間に身に付いていると言うことだよ。さぁ、次はリーナの番だよ」

「う、うん」

 少し戸惑いながら浴衣を引き摺るようにして僕の前に来た。

 浴衣のセンターをきちんと決めてから着付けに入る。

「ひやぁ~ん」

「ゴメンね」

 くすぐったいのかリーナがドキッとする様な声を上げるけど聞こえない振りをする。

 手早く着付け帯を基本の文庫結びで決める。


 下駄でビーチを歩くには無理があり美咲もその辺は心得て荷物に入れなかったのだろう。

 ビーチサンダルを履いて砂浜へ向かう。

 オールブラックでダイバーズタイプの腕時計を確認すると時刻は指定の5分前だった。

「何があるんだろうね」

「楽しみだね」

 そんな事を菜々海とリーナが話しているとスマートフォンがメールの着信を告げた。

『楽しいひと時を』

 とだけあって8時ちょうどに打ち上げ花火が上がった。

「うわぁ、凄い!」

「綺麗な花火。こんな花火初めて!」

 突然の打ち上げ花火に後ろの方でも歓声が上がるのが聞こえる。

 左程多くはないがかなり手が込んでいる。

 スターマインなどが上がり。

 錦冠にしきかむろ が尾を引きながら海面に吸い込まれる様にして花火が終わりを告げた。

 得も言われぬ寂しさが漂う。

 それはひと時の祭りの終わりを告げている様だった。

「そうだ、リーナ。パパとデートしてきな。この先にね、ラクダに乗った王子様とお姫様の像があるんだよ。説明はパパから聞いてね」

「こら、菜々美」

「先に休んでいるからね」

「八雲……」

 菜々海を追いかけようとするとリーナに袖を掴まれてしまった。

 雲行きが怪しくなってきている。

 それは夜空もそして僕も……


 砂浜を散歩がてら歩き出す。

 風が出てきて時折月明かりが遮られる。

「何でラクダに乗った王子様とお姫様なの?」

「月の沙漠と言う童謡がここをモチーフにして作られたんだよ」

「どんな歌なの?」

 リーナのリクエストに答えてうる覚えの曲を口ずさんだ。

「素敵な歌だね」

「そうだね」

 すると前方に人の気配を感じる。

 風雲急を告げるとはこんな事を言うのだろう。その気配は昼間に菜々海とリーナを取り囲んでいた男達だった。

「獲物を見つけた。そんな冴えない男なんて放っておいて一緒に遊ぼうよ」

「嫌!」

 何を探していたのか昼間の時より人数が多く木刀などの獲物を持っている。

 リーナが僕の背中に隠れるようにして震えているのが伝わってくる。

「こんな男じゃ守ってもらえないよ」

「八雲、帰ろう」

「八雲? はん、名前だけは一端だ。小突かれただけで尻餅をつくような男に何が守れるんだ?」

 逃げても逃げ切れないだろう、覚悟を決めるしかない。

「リーナ、これを持っていて。大丈夫だからね」

「八雲……」

 リーナにメガネを渡し男達に対峙する。

 花火が終わり辺りに他の人の気配はない。

 1人が木刀を振り翳しながら向かってきた、軽く往なし手刀を打ち込むと砂浜に崩れ落ちた。

「やりやがったな!」

 まるで型に嵌まった様なセリフだ。

 リーナから少しだけ距離が出来た隙をついて他の男がリーナに向かう。

 するとリーナの悲鳴が頭の中を突き抜け、その瞬間に真っ黒な物に呑みこまれた。


「八雲! 駄目!」

 何か柔らかい物が体にぶつかり意識が戻ると僕に覆い被さるようにしてリーナが泣き崩れている。

 辺りを見渡すと男達の呻き声が聞こえた。

 そして僕の手に握られた木刀は血で赤く染まっている、恐らくリーナが僕に体当たりをして止めてくれたのだろう。

 そうしなければ僕はこいつ等の息の根を止めていたに違いない。

 リーナの悲鳴が空と重なり己の弱さに呑みこまれてしまった。

 僕の本性を目の当たりにしたリーナが僕の事を遠ざけてくれれば本望かもしれない。

『冷血に徹し任務を遂行せよ』

 昔、上官だった男の言葉が蘇る。

 一刻も早くこの場を収束させねばならない。

 万が一、誰かに騒がれれば任務に支障をきたすだろう。

「リーナ、ホテルへ」

 そうリーナに告げ唯一無二の現・上官に連絡をする。

「らしくないわね、貸しよ。八雲らしくないわね。初めてよね、こんな事」

 一笑されてしまう。初めてではない2度目だ。


 皇家に代々課せられている掟は常に非情である事。

 天の影を一手に引き受け闇に葬る、それ故に天から授かった皇の姓だと。

 例え愛すべき人に何があろうと務めが最優先されると。

 僕の父は掟を破り母と共に散った愚か者だと幼き時より祖父から教えられ育てられてきた。

 そして空と出会い全てを否定され空が気づかせてくれた。

 人を愛する事を。

 力は人を守る為にこそ存在しなくてはいけないと。

 何も知らなかった僕を初めて受け入れてくれた空が突然姿を消し、家を出ようとした時に父と母を罵るように祖父は僕自身を罵倒した。

 愚かな父と同じ轍を踏むのかと。

 そして空を蔑み卑しめた。

 その時に生まれて初めてどす黒い負の感情に呑み込まれた。

 気が付いた時には祖父の腕の骨は砕け。

 仲間だと思い込んでいた輩は皆、息も絶え絶えだった。

 そして僕は2度と帰る事のない場所を飛び出した。


 頬に冷たい滴が落ちる。

 天を仰ぐと真っ黒な空から雨粒が落ちてくる。

 このまま全てを洗い流してほしかった。

 すると僕の手を不意に掴んだ何かが走り出し。

 僕の手を引きながら必死に走っているのはホテルに戻ったと思っていたリーナだった。

 慌ててリーナの体を抱きかかえるようにして走り、今は使われていない小さな海の家らしき小屋に飛び込んだ。

 知らない間にビーチの外れまで来てしまっていたらしい。

 失態だった。

 己を見失い任務すら忘れリーナの存在にすら気づけず取り返しのつかない事になるところだった。

 一切の感情を押し殺そうとするけど出来ない。

 動揺が激しい所為か負の感情に呑み込まれた後遺症なのか理由は……

 判っているリーナの存在だ。

 呼吸を整え押し殺すのではなくこの場は落ち着いて冷静に対応して切り抜けるべきだ。

「リーナ、すまなかった」

「どうして八雲が謝るの? あの場は私が居たから逃げる事が出来なかったのでしょ。正しい判断じゃ」

「怖かったでしょ。あれが僕の本性だから。ゴメンね」

「謝らないで。怖くなかったかと聞かれれば怖かった。あの男の人達がね、八雲は怖くない」

「リーナには敵わないな」

 強い口調で本心を言っているのだと思うけれど怖くなかった訳がない。

 リーナが止めてくれなければ僕は殺人鬼になっていた。逃げ惑う男達を情け容赦なく木刀で滅多打ちにしていたのだから。

「くちゅん」

 僕の惑いを打ち消すように可愛らしいくしゃみが聞こえる。

 スマートフォンの灯りに照らされ、雨に打たれてリーナの前髪からは水滴が落ちて体を小さく震わせている。

 雨に打たれた体に浜風はとても冷たく感じる。

「リーナ、浴衣を脱いで乾かそう」

「えっ、う、うん」

 リーナに背を向けると戸惑いながらリーナが浴衣を脱ぎ始めた。

「八雲、脱いだよ」

「それじゃ浴衣を僕の手に」

 リーナが浴衣と着物スリップを簡単に畳んだ状態で渡してくれた。

 立ち上がり干せそうな場所を探す。

 幸いにも最近まで使われていたのか埃もあまり溜まっていない。

 幟に使っていた竿を見つけ浴衣を軽く絞り綺麗に広げて竿に掛ける。

 自分が着ている甚平も軽く絞って広げて乾かす。

 通り雨が上がるころには半乾き程度にはなっているだろう。


 トタンの屋根に雨が当たる雨音しか聴こえない。

 小屋は隙間だらけでひんやりした風が吹き込んできて振り返るとリーナの姿がぼんやりと浮かび上がる。

 白い肌に清廉な薄い水色の下着をつけているのが見える。夜目がきくと言うのも厄介なものだ。

 皇の家ではいかなる状況にも対処できるように鍛錬が積まれる。

 夜目もそのうちの一つで微かな灯りの中で数人の真剣を持った相手と対峙させられる。

 万が一、怪我をし命を落としてもそれは技量が足りなかったのだで済まされてしまう。

 力あるものだけしか生き残れない極限の世界だった。

「八雲のエッチ。見たでしょ」

「見えないと言えば嘘になるかな。僕の家ではこの程度の灯りで見えなければ生き残る事は出来ないからね」

「本当に八雲の家はそんなお家なの?」

「僕の家は戸隠と言うところに在ってね。伊賀、甲賀なんて知っているかな。時代劇に出てくる忍者の里みたいな所だよ。その中でも裏戸隠は別格で各地から腕利きを集め。そして生き残りをかけて修練させ一握りの精鋭だけが生きる権利を与えられるんだ。覚悟ななんて言葉じゃ表せない、常に肉体と精神を極限の状態におき僅かな隙を見せれば脱落してしまう」

「脱落したらどうなるの?」

「運が良ければ死なずに済むかな。一生寝たっきりだけどね」

「そんな……」

「まぁ、僕の時代にはそこまで酷くはなかったよ。でもあらゆる鍛錬はさせられたよ、それこそ命がけでね」

 僕とリーナは背中を合わせて座っている。

 リーナの温もりと鼓動が伝わってくる、僕の温もりと鼓動もリーナは感じているのだろうか。

 吹き込む風の音と雨垂れの音が耳に心地いい。

「八雲、空さんの事を聞いても良い?」

「そうだね。まだ雨は止みそうにないしね。空はね僕が普通だと思っていた物を全て壊してくれた人なんだよ」

「壊してくれた?」

「うん、僕は皇家の世界しか知らなかったからね。空が力は愛する者を守る為にあるのだと教えてくれたんだ」

「愛していたの?」

「愛だったのかな、ちょうど菜々海と同じ歳の頃だったからね。愛と言うより憧れが強かったかな。色々な世界の事を知っていて僕に優しく教えてくれたからね」

「八雲、これからどうするの?」

「何も変わらないよ」

「違う、その独りで……」

「さぁ、どうなるかは神のみぞ知るかな。僕は信心深いほうじゃないけどね」

「八雲」

 リーナが床についている僕の手に手を重ねた。

 さっきまで心地よかった雨音がもどかしい。

 僕は何も言わず目を細めて天井を見上げた。

「八雲!」

 更に強い口調で僕の名を呼んで手を掴んで引っ張る、リーナが僕の背中に視線を向けているのが判る。

 仕方なく体を横に向ける、リーナを真正面から見る勇気は無かった。

「私も生まれた時から生きる道は決まっていたの。家の為に生きる覚悟もできているつもりだったの。でも」

「リーナ、それ以上は駄目だよ。許される事じゃない」

 リーナの瞳から真珠の様な涙がポロポロと零れ落ちている。

 今の僕にはそれすら拭う事が出来ない。不意に僕の頬にリーナの手が触れる。

「リーナ! Assolutamente no……」(絶対に駄目……)

 声を消され口を柔らかいもので塞がれてしまった。

 リーナの覚悟の深さが流れ込んでくる。


 翌朝は眩しい光で目が覚めた。

 嵐が過ぎ去った後はこんな感じなのかもしれない。

 リーナは僕の腕の中で目を覚ました。

「危うく全てを台無しにするところだったよ」

「意地悪」

 朝食を食べながら未だ燻っている菜々海に集中砲火を浴びる。

「もう、遅すぎでしょ。心配したんだから」

「ゴメン、雨に降られてね。雨宿りしていたんだよ。菜々海は先に休むって言っていたから起しちゃいけないと思ってね」

「で、進展はあったの?」

「何の進展?」

「ニブチン、ポテカス! パパじゃ仕方がないか」

「何が仕方なくて、何が言いたいのかな?」

「それに気づかないこと自体、駄目駄目なの」

 そして菜々海が地元の地方紙をみて固まっている。

 グループ同士の抗争か昨夜未明御宿の海岸で数人の男性が重傷を被い病院に搬送された。

「うわぁ、これってもしかして私とリーナをナンパしてきた連中かな。ざまあみろ」

「こら、菜々美」

「いいの! パパを突き飛ばしたんだから天誅が下ったんだよ」

「そんな事を言っていると美咲に怒られるぞ」

「それはちょっと嫌かもね」

 朝からホテルにも警察が来ていた。

 他の宿泊客にも事情を聴いている様だった。

 僕達の所にも事情を聴きに来たけど僕が桜田門の一般職員だと判ると対応が緩やかだった。

 ビーチで遊ぶ気にもなれず早々に帰宅する事にした。


 車に乗り込み都内に向けて車を出すと車内を静寂が包み込む。

 リーナは物思いにふけているのか窓の外を見ている。

 菜々海は……ルームミラーを覗き込むと神妙な顔をしているのか思考を巡らせているようだ。

 そしてもう一つ気づくと菜々海が口を開いた。

「パパ、正直に答えてね。昨夜の抗争事件ってパパの仕業でしょ」

「どうして僕だと思うの? それに未明って書いてあったでしょ。僕とリーナは」

「早苗さんが裏で動いた」

 相変わらず菜々海は直球だ。そしてもう子どもじゃない事も僕は知っている。

「本当はね、薄々気づいていたんだ。パパが早苗さんと何かをしている事を。でもパパが話さないのならそれでいいと思ってた。でも、パパの所にリーナが来て確信に変わったの。だって可笑しいでしょ。パパは警視庁で仕事をしているけれど警察官でも刑事でもなく一般職員だよ。そんなパパに何処の誰かも判らない令嬢を預けるなんて不自然だもん」

「パパも気づいていたよ。そろそろ話す時期だってね。パパはね、表で取り扱えない様な事柄を専門に処理しているんだよ。それと昨夜の件はパパの唯一の失態だよ。我を失ってリーナに助けられた。危うくパパが美咲に逮捕される所だった」

「そうなんだ。それじゃやっぱりリーナって」

「明日、引き渡しが終わればさよならだよ。でも、その前にシッカリ掴まって」

 国道を外れ脇道に入り速度を上げる。

 ビンゴの様だ、慌てて後をついてくるところを見ると尾行をするのは不慣れらしい。

 ルームミラーで菜々海を見た時に後方に不審なセダンを見つけた。

 それが不審な車両かなんて素人では判らないだろう。

「パパ、どうしたの?」

「リーナを狙う輩が動き出したと言う事かな」

「そんな、どうして」

「身代金目的が大半だけど最近じゃ要求も色々だからね。こう言う理由でリーナの帰国が早くなったんだ」

 脇道からさらに山道に入ると車は追いかけて来られなくなった。

 諦めた訳ではないが僕達が逃げた事で相手が素人ではない事を確認したのだろう。

 その晩は僕の部屋でリーナと菜々海を休ませ僕は警戒を怠らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る