第13話 海


 翌日、空が白み始める頃に目が覚めた。まるで遠足に行く子供の様だ。

 リーナの気持ちが完全に傾いてしまった。どうやら踏み込み過ぎたらしい。

 僕の横で気持ち良さそうに寝息を立てている。

 これからどうするか……決まっている。これ以上踏み込むわけにはいかない。

 が、突き放す事はさらに難しいだろう事が容易に分かる。

 軽率に行動を起こせばリーナは我を忘れて行動してしまうに違いない。

 いっその事、僕の裏の顔を曝け出した方が楽かもしれない。


「おはよー パパ、リーナ」

「おはよう、菜々美」

「早く行こうよ」

 いつもより150%増しでハイテンションの菜々海が起こしに来た。

「リーナ、起きて着替えておいで」

「うん」

 そう言って起き上がり僕の肩に頭をちょこんと当てる。

 下心があってやっているとは到底思えない。受け止めてあげる事が出来ずにもどかしい。

 いっそ出会わなければ…… そんな事を考えていると空の言葉が蘇る。

『出会いはね、必然なの。だって必要のない人に出会う必要はないじゃない。必要な人だからこそ出会うの。良い出会いも、悪い出会いもそこから学びなさい。そして生かしなさい、その経験は必ずあなたの身になっていくものだから』

 今は今のままでそれがベストなんだと思う。始まりがあれば必ず終わりがやってくるのだから。

「パパ、早くご飯食べてね」

「はいはい」

「返事は一回!」

「了承!」

 朝食を済ませガレージに行くと車が用意って……

「うわぁ、凄いカッコイイ車だね。パパ」

「う、うん」

 思わず頭を抱えそうになった。

 どういう理由で美咲はこの車をチョイスしたのだろう、彼女は考えも無しに選択するような人間じゃない。

 そういう意味では警視庁の中でも断トツに腹黒い、良い意味でも悪い意味でも。

 まぁ、この車なら日本のオフロードなんて難なく走破するだろう。

 クルーザーの外見は一言で言えば日本産ハマーと言った所だろうか。

 ハンヴィーなんかを用意されることを考えればこれで良いとしか言いようがない。

 それに外見からは判断できないが特別仕様になっているに違いない。

 それを考慮しても派手なカラーリングだった。

「綺麗な色だね、八雲」

「そうだね、イエローのツートンって派手だな」

「素敵だと思うけど」

 そんな事にお構いなしに菜々海が荷物を詰め込んでいる。

 僕のアドバイスは何処に行ったのだろう、それくら多い荷物だった。

「にしても、菜々美の格好って」

「良いでしょ、海に行くんだから」

「そうだけどさ」

「早くいくよ」

 菜々海の格好はマルチボーダーのフード付きタンクトップに同じボーダーのキュロットを穿いている。

 どうやら下には同じ柄の水着を着ているらしい。

 リーナは大きめのTシャツにショートのデニムパンツを穿いている。菜々海と同じように下に水着を着ているのだろう。

 僕も人の事は言えない。ポロシャツに下はシンプルなサーフパンツを穿いている。

 もちろん下にはフィットネスタイプの水着を穿いている、理由はサーフパンツは何かあった時に泳ぎづらいから。

 そしてスマートフォンの隠しファイルには美咲から宿泊先の情報が届いていた。

「御宿か」

「パパ、どのくらいで到着するの?」

「2時間くらいかな」

「それじゃ、出発進行!」

「了承」

 後部座席に座る菜々海が声をあげて車を出した。

 リーナは嬉しそうな顔をして助手席から外を見ている。

 車内には菜々海のリクエストで菜々海が好きなアーティストのCDが流れている。

 2時間ほどで到着したホテルは海沿いに建つ綺麗なホテルだった。

「皇様ですね。ツインで3名様のご予約をいただいておりますが……」

「はい、構わないですよ」

 美咲にしてやられたと言うかまさか知られているなんて事は…… 冷や汗が流れるが強引に押し通す。

 ここで妻と一緒で結構ですからなんて事を口にすれば火に油を注ぐようなものだ。

 部屋はオーシャンビューのアジアンテイストの綺麗な部屋だった。

 チェックインの時間までかなりあるが美咲の心ばかりの配慮なのだろう。


 荷物を部屋に投げ込んで直ぐに海に飛び出した。

 2キロにわたり白い砂浜が続き、海の家が煩くないほどに立ち並びパラソルの花が咲き乱れている。

 パラソルをレンタルして立ててもらい荷物をまとめておく。

 荷物と言ってもデジカメと小銭入れにバスタオル程度のものだ。

 菜々海とリーナが水着になって日焼け止めを丁寧に塗りあっている。

「パパ、私達の水着はどう?」

「可愛いよ。去年より大人っぽい菜々海のマルチボーダーのビキニも、リーナの目の覚める様ペパーミントグリーンのエスニック柄のビキニもね」

「うわぁ、感動が薄くない?」

「だって、来るときにはもう着けていたでしょ」

「まぁ、そうか」

「パパ、泳ごう」

「ちょっと先に行ってて」

 ポケットのスマートフォンが着信を告げている。

 液晶には美咲早苗の名前が浮かび上がり、緊急を要する事が直ぐに判断できた。

 盗聴などを配慮してメールで必要最小限の情報しか伝えない美咲が直接電話してくると言う事は事態がひっ迫してきたと言う事を表している。

「美咲、僕だけど」

「八雲、聞きなさい。リーナを狙う輩が動き出したわ。リーナは明後日引き渡しになったから」

「了承」

「あなた、本当に判っているの」

「美咲は何を言っている。2週間が半分になっただけだ。リーナを引き渡しミッションはコンプリートされる」

「こちらも了承。菜々海の事を頼んだわよ」

「もちろんだ」

 いつ伝えるか悩むところだが良い話なら少し遅らせて気を持たせるのもありかも知れないが、彼女たちにとっては良い話ではないだろう。

 それならば早めに話して精一杯残りの時間を楽しませてあげる方が最良だと判断した。


 上着を脱いで菜々海とリーナが待っている波打ち際に向かうと菜々海の声が聞こえてきた。

「離してよ。触らないで」

「一緒に遊ぼうぜ」

「嫌だ!」

 制服でなくても目立ってしまう。

 そのくらい2人は際立って見えるのだろう。

 実際、リーナは凄く綺麗だし親馬鹿かもしれないが菜々海は可愛いと思う、学校でも人気があると可奈ちゃんが言っていた。

 しかし、今回のナンパはかなり強引に見える。

 数人の男が菜々海とリーナを取り囲むようにして1人の男が菜々海の腕を掴んでいる。

 周りの人はあまりの酷さに見て見ない振りをしていると言うより恐怖を感じているのだろう。

 それは手を出さない菜々海が一番感じているのかもしれない。

 自分一人なら逃げ出すことは容易でもリーナが居ればそれが難しい事を瞬時に判断している。

 この男達がリーナを狙う輩である訳がない。

 あまりにもスマートなやり方ではないからだ。

「菜々海、リーナ。待たせて悪かった」

 声を掛けながら男達と菜々海の間に割り込む。

 菜々海が声を上げようとするがそれを一瞥して制すると菜々海は口を噤んで理解を示した。

「僕の連れに何か用ですか?」

「くそ! 男付かよ。上玉だと思ったのに。冴えない男と仲良くやれよ!」

 菜々海の腕を掴んでいた男が僕の肩を小突いた拍子に、よろけて菜々海にぶつかり2人して尻餅をついてしまった。

「だっせ! こんな男の何処が良いんだ?」

「リーナ!」

 リーナの顔が強張り男を睨みつけている、初めて負の感情を露わにしたリーナの腕を思わず掴んだ。

「八雲、どうして止めるの? 悔しくないの?」

「リーナあのね。パパはあんな男ならコテンパンに出来ると思うよ。でも周りを見て小さな子どもも沢山いる、それにリーナだっているんだよ。だから手を出さなかったんだよ」

 僕が口を開く前に菜々海が砂を払いながら立ち上がりリーナに言い聞かせてくれた。

「パパはもう少しシッカリしてね。ちゃんと守るべき時に女の子を守らないと駄目だよ」

 そう言いながら僕の腕を引っ張り上げてくれた、これじゃ親子逆転だ。

 そして、ここで切り出すのがベストと判断する。

 この後で海で遊んで気分が持ち直したのを再び落とすような事はしたくないしするべきではない。

「少し早いけどお昼にしよう」

「ええ、まだ海に入ってないのに」

「ね、菜々美」

「え、判ったよ」

 菜々海が戸惑いの表情を浮かべたが直ぐに笑顔になってくれた。


 パラソルに戻り何を食べたいか聞く前に菜々海が僕とリーナの腕を引っ張って海の家に駆け込んだ。

「やっぱり海に来たら海の家しょ!」

「菜々海は強引なんだから」

「えへへ、だってリーナの暮らしている場所には海の家なんてないでしょ。多分、世界中を探しても日本くらいじゃないの」

「まぁ、そうだね」

「それじゃ何を食べようかな。リーナにはパパがちゃんと説明してあげてね」

「了承」

 菜々海が少しハイテンションになっている。

 それは何かを感じ取っているのだろう、菜々美の横に座るリーナも何処となく落ち着きがない。

 感が良いのは良い事だけど時と場合によるかもしれないと実感させられた。

 リーナに判る様にメニューを一通り説明する。

 メニューと言っても海の家で出しているものなんて大概決まっている。

 カレー・おでん・トウモロコシ・ラーメン・焼きそば・イカ焼き・トリ唐・フランクフルト・こんな物だろう。

 最近ではカフェみたいなお店も増えて来てメニューも色々とあるみたいだけど、基本作り置きが出来て日持ちがするものが多くなる。

 海の家で生ビールを煽りたい気分だがそうもいかない。

 基本依頼を受けている時にはアルコールは摂取しない、依頼内容にもよるけど今は特にノーだ。

 そんな事を考えているうちに菜々海とリーナが注文を済ませていた。

「こんなにどうするの?」

「えへへ、とりあえずリーナが食べてみたいって言ったものを注文してみました」

 目の前のテーブルにはテーブルが見えないほど料理が並んでいる。

 まるで、メニューの端から全部と注文をしたような有様だった。

「パパ、あの電話って早苗さんでしょ。で、私とリーナに話があるんじゃないの? サッとパッと話しちゃってよ。その方が気が楽でしょ」

「そうだね。良く聞いてね。実は理由は詳しくは言えないけれどリーナの帰国が早くなった」

「いつなの?」

「明後日だよ」

「え、まだ半分しか……仕方がないか」

 リーナの瞳が揺れている。どう声を掛けていいか戸惑ってしまう。

「リーナ、とことん遊ぶよ。そんな顔をしないの、パパに笑われちゃうぞ。2度と会えなくなる訳じゃないでしょ。出会いは必然なの、きっとまた会えるよ」

「うん!」

 菜々海の言葉に驚いてしまう。僕は空に言われた言葉を菜々海には教えていない、蛙の子は蛙なのだろうか。

 昼ご飯を食べ少しだけ休んだ後は怒涛の様に遊びまくった。

 まるで疲れを知らない子どもの様に。

 リーナも始終笑顔ではしゃぎ回っている。

 こんな生活もあと数日で終わる。

 今まで感じたことが無い物が去来し、それを打ち消すように僕も菜々海とリーナの輪の中に飛び込んだ。






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